きっと毎年、読み返す 『ちはやふる』全五十巻 末次由紀 周回遅れのマンガRock

最終五十巻の発売と入手を待ってから

通算十数回目になる"第一巻からの読み直し"を開始。

何度読んでも飽きない濃密なエピソード&ストーリーに感激しながら

一話一話熟読していたら、どんどん時間が過ぎ去っていき。

全巻読み終えるのが、沖縄旅行に出発する日(1/22)の明け方になってしまった。

でもって帰宅後(1/25夕方)、もう一回49・50巻を熟読して

ようやく、この文章を書ける精神状態となった。

 

どうせ、本作の完結を機に(15年続いたからね)

たくさんの人がいろんなところで書いているだろうから

とりあえず、初心者向けのあらすじ紹介は割愛する。

そのぶん、率直かつ個人的な感想をだらだら並べていきたい。

 

まず、まさか異論を唱える人ははないと信じたいが

本作は、文句なしの傑作だ。

だいいち、延々50冊にも及ぶ大長編シリーズだというのに

「パターン化」「単なるエスカレート」「小休止」「ワキネタ」など

長く続くスポーツorバトル漫画にありがちな

"あ・・今回、作者は楽してる(手を抜いてる)な"

と感じさせる〈お約束展開〉が、気持ちいいほど現われなかった。

 

とにかく、「どこを切っても金太郎飴」じゃないけど

用意周到かつ緻密な伏線を張り巡らせながら

安易なご都合主義や力業(破綻)に逃げることなく

ものの見事に、主人公3人+αの"若き日々"を描き切ってみせたのだ。

それどころかメインキャラ以外の「+α」の深堀り具合が、すごいすごい。

下は幼児(乳児?)から、上は老害的なジジババの皆様まで

ひとりひとりの人生を、おのおのの視点(主観)から鮮やかに浮かび上がらせた。

おかげで、かるたに青春を注ぎ込んだ3人はもちろん

おのおのの家族や先輩後輩、師匠、弟子、かるた関係者など

普通なら単なるモブキャラ扱いで消え去るはずの端役(失礼!)たちが

信じがたいほど強烈な存在感とともに、読者(オレだ)の眼前に迫ってくる。

 

なかでも作者の"凄み"がビシビシと伝わってきたのが

ジャンルで言えば〈青春漫画〉にカテゴライズされる本作の随所で輝きを放つ

大人(特に高齢者)の、実際に体験した者でなければ描けないはずの

リアリティ有り過ぎる心理描写の数々だ。

30代以下のいわゆる「若者」の方々には、まず半分も伝わらないだろう

人生の後半&終盤を生きるものたちの"切なる想い"が

青春漫画それも少女漫画の真っ只中で、滾々と湧き上がってくる。

いくら千年以上前から続く"百人一首の世界"がバックボーンだとはいえ

ここまで〈年寄りを描いた高校生漫画〉は、まさに空前絶後と言っていいだろう。

 

もちろん、メインの読者は十代からせいぜい三十代の女性だ(はず・・だよね)。

なので、恋愛要素を欠かすことはできない。

本作でも〈王道パターン〉の「幼馴染み」「三角関係」「片思い」「すれ違い」などが

随所で甘酸っぱい匂いを放っている。

しかし、小学生がそのまま高校生になったようなヒロイン千早のお陰か

あくまでメインは〈かるた〉、恋愛はその次(もっと下かも・・)に過ぎない。

たとえ他の登場人物が"恋愛方面"に傾きかけても

〈千早フィルター〉を通すと、全部「かるたエピソード」へ変換されてゆく。

おかげで?、ドロドロした恋愛モノが苦手なオレら読者は

最後まで気持ちよく、三者三様の恋模様を楽しむことができた。

酸いも甘いも知り尽くした恋愛巧者の皆さまからは

「千早の恋愛感覚は余りにも幼稚だ」などと、お叱りを受けるのかもしれないが。

 

なにはともあれ、第一首と題されたプロローグから

通算247回目となる「最終首」に至るまで。

さらには、"みんなのその後"を描いた番外編『はなのいろは』までも。

尻尾の先までぎっしり餡が詰まった"極上たい焼き"のような

上手い巧い旨い「青春&老春?スペクタクル大長編かるた漫画」に出逢えて

心から幸せだったと思うのだ。

 

最後に、本稿とは関係ないけれどーー

我が読書の師・目黒孝二氏のご冥福をお祈り申し上げます。

そして、心からの感謝を。

あなたのおかげで、素晴らしい本たちに出会うことができました。