"先入観"を捨て、再読する。 『葬送のフリーレン』山田鐘人/アベツカサ(1~5巻) 周回遅れのマンガRock

日本語の「先入観」よりも

英語で"prejudice"と言い換えたほうが

ストレートに意味が伝わるだろう。

上記の単語を分解すると

プレ・ビューやブレ・オリンピックの「pre」と

判断や判定のジャッジ「judge≒judice」の2語になるからだ。

直訳すると、"先に決めつけてしまう"。

つまり「偏見」ってヤツだね。

 

どうしていきなり

こんなウンチクじみた英単語ネタを披露したかというと。

前回、3巻目まで刊行されていた『葬送のフリーレン』の読後感を書いたとき

マンガ大賞受賞作》という評価に対する反発心から

"気にいらんところを見つけ出してやろう"という〈あら捜しモード〉が

無意識のうちに発動されていたからだ。

 

その結果、週刊連載という超ハードスケジュールから目を逸らし

「動きの感じられない絵柄」「雑な細部と絵文字のようなミニキャラ」など

無い物ねだりに等しいイチャモンを並べ

あまつさえ、「コロナ禍で誰もが内省的になったこの時期だから大賞に輝けた」と

本作の価値を貶めるような結論で締めくくってみせた。

 

しかし、それから半年(ぐらいだったはず)。

さらに2巻を入手し、前回の先入観=pre-judiceに囚われず

改めて最初から読み返してみたら・・

恥ずかしながら、印象は一変してしまった。

 

「細部に至るまでの描き込みが足りない」との印象は

何倍もの作業時間が確保できる月刊(隔月)連載と比較した

極めて薄っぺらな評価でしかなく。

「動きの感じられない"止め絵"ばかり」と断じた絵柄も

ひとコマひとコマに〈それぞれの時〉を込めた

いわば"紙芝居的な映像表現"だということに気づき

控えめに添えられたセリフやモノローグと併せ、じっくりと噛み締めることで

《描かれなかった情景》までが、頭のなかに浮かび上がってくる。

 

こうなると、"描き込み過ぎない"登場人物たちの姿や表情が

別の意味を持ち始める。

以前は、ときにシンプル、ときに絵文字のような素っ気なさしか感じなかった

ルーズショットの繰り返しの背後から

重厚な《時の物語》が、こんこんと湧き出てくるのだ。

 

もしかしたら、本作は

読者ひとりひとりが、ありったけの想像力で補うことによって

初めて本当の魅力を放ってくれる。

そうした、〈読み手の積極的協力〉なしには完成しえない

思いのほか"へそ曲がり"な作品なのかもしれない。

 

・・ま、寝言のような能書きはさておいて。

熱血バトル漫画の感覚でスピーディーに視線を走らせことなく

ひとコマひとコマに視線を留めて、「絵」と「文字(セリフ)」を読み砕き

"語られなかった物語"に、想いを馳せていただきたい。

必ずや、こんこんと湧き出る泉のような〈それ〉に出逢えるはずだから。

う~~ん、今回も具体性に欠けるなぁ。

 

ともあれ、先入観に囚われると、見えるものも見えなくなる。

自戒の念を込め、「くたばれprejudice!」――とだけは、宣言しておこう。

 

ではでは、またね。