君は"仁淀ブルー"を見たか  高知ふたり旅 2022.11.29-12.2 3日目② 水の駅あいの里⇒安居渓谷(水晶淵・砂防ダム)

2022年12月1日(木)高知市内⇒波川公園⇒水の駅あいの里⇒安居渓谷

       2022年12月1日午後1時過ぎの「仁淀ブルー」

 

見事に晴れ渡った青空の下

仁淀川本流から支流の安居川沿いへ

さらに土居川との分岐点を越えて

徐々に細まるくねくね道を遡り続けること、40分余り。

ようやく、安居渓谷の入口にある「みかえりの滝」付近に到着する。

だが車窓から見る限り、それらしき滝は見当たらない。

一瞬、車を停めて探してみようかと思ったけれど

そうそうするうちにも太陽は中天から西へと傾き始めていた。

・・・まずい、あと少しで陽が陰ってしまう。

 

       青空と追いかけっこするように、水晶渕を目指す

      崖の上で踊る陽光。いつまでこれが谷の底に届いてくれるのか・・

 

地図で見る限り、渓谷は南北の方向に切れ込んでいる。

要するに、晴れたとしても、正午前後の短時間しか陽射しは当たらないのだ。

ーーここは、仁淀ブルーを体験できる「水晶淵」を最優先しなくては。

 

そのまま車を進ませるよう相方に頼み

数分後には、水晶渕手前の駐車スペースへ滑り込む。

急いで身支度し、遊歩道に沿ってさらに上流へ。

 

    川沿いの遊歩道から、さっそく一枚。日が当たらないと、こんな感じ。

          たぶんこの先に、水晶淵が待ってるはず・・

 

途中、行き止まりの岩場(荒尾谷?)を引き返しながらも

どうにかこうにか、水晶淵のほとりにたどりつくと・・

 

         PM1+α。早くも陽射しはナナメっている。

       それでも水晶淵は、ギリギリ日向に踏みとどまっていた。

      発色の悪いデジカメだけど、少しは美しさが伝わるかな。

        風が吹いてないと、水の存在を忘れてしまう。         

 

さんさんと降り注ぐ陽射しを浴びて、エメラルド色に輝く透明な浅瀬。

まだ13時を少し回っただけなのに

西側の崖が作る影は、早くも水面の端にさしかかっている。

ーーギリギリ、間に合った!

悪運の強さにホッとしながらも、視線は水晶淵に釘付け。

「仁淀ブルー」なんてこじゃれた名称に、誇大広告じゃないの?

とか、ナナメに受け止めていたけれど。

確かに、これは一見の価値があるスポットだった。

 

おまけに、朝から昼過ぎまで曇っていたせいか

仁淀川きっての観光スポットだというのに

訪れていたのは、我らふたりの他には、若いカップルひと組だけ。

これ以上ない恵まれた状況で、天下の絶景を堪能できたのだ。

 

        波紋に見とれているうちに、時間は過ぎてゆく。

           気がつけば、半分近くが影の中に。

 

そんなわけで、思う存分水晶渕を鑑賞し

何枚もの写真や動画を撮っていたのだけれど

気が付けば、いつのまにか崖の影は大きく水面に貼り出し

早くも半分ほどが、光を失っていた。

全部日陰になる前に・・と

すぐ上流にある、もう一つの名所「砂防ダム」まで足を延ばしたものの

透明は透明ながら、こちらは完全に影のなか。

太陽光を浴びて輝く「仁淀ブルー」を体験した心は、ピクリとも動かなかった。

 

   もうひとつの絶景スポット「砂防ダム」。綺麗なことは綺麗だけど・・。

       刻々と陰に沈んでゆく水晶淵に、感謝と別れを。

 

結局、水晶渕と太陽のデュエットを満喫できたのは、30分足らずか。

けれども、このうえなく濃厚なひとときだった。

昨日の室戸岬もだけど

前後の天気がいまひとつでも

ここぞ!という時には、キッチリ晴れてくれる。

やっぱ天気運だけは、ハンパなくツイてると言えそうだ。

・・・なーんて、高をくくっていたら

続く宮古島と沖縄で、"しっぺ返し"のダブルパンチを喰らうんだけどね。

 

          なによりも青空(太陽)に、ありがとう!

 

さて、「美しさ天界級」(仁淀川町公式ガイドブックより)だった安居渓谷を後に

我らがレンタカーは、一路高知市内へ。

じゃなくて、反対方向の仁淀川上流へと突き進む。

目指すはーー四国カルスト天狗高原だ!

もう2時過ぎだぞ、ちょっとキビしいんじゃないのか?

引き止める心の声には耳を貸さず

せっかくここまで来たんだし、こんなに晴れたんだから、行くっきゃないじゃん!

と、無謀な遠回りに身を投じるオバカなふたりだった。

 

ではでは、またね。

 

 

 

五色石、野草天ぷら、そして青空  高知ふたり旅 2022.11.29-12.2 3日目① 高知市内⇒波川公園⇒水の駅あいの里

2022年12月1日(木)高知市内⇒波川公園⇒水の駅あいの里

  変化に富んだ仁淀川の「五色石」。今回の旅では嬉々として採取しまくった。

 

昨日のモーニングが予想以上だったので

この日も徒歩圏で高評価の喫茶店をチェック。

なるべく早く出発したい事情もあり

朝8時オープンの店を選んで歩いていった。

ところが・・

開店時間になっても店は閉まったまま。

数分後、慌てた様子で店の人(ご夫婦?)が車で来店。

謝罪しつつすぐに招き入れ、急いで朝食を用意してくれた。

確かに店の雰囲気は悪くない。

店の人は親切だったし、窓も大きく明るい店内も居心地良かった。

しかし、トースト&コーヒー+αの味は、いまひとつ。

特にコーヒーは、昨朝が美味しすぎたせいか

アメリカンと呼ぶのも哀しい、風味ゼロの"残念ブレンド"。

 

       残念ながら、"また食べたい"と思える味ではなかったよ。

 

うーーーーん。

いくら評価(5点満点のポイント)が高かろうと

口コミ総数が少ない(たとえば一桁)の店は

あまり信用しないほうがいいのかな。

ちなみにこの朝ガッカリした店の評価は「4.5」と高かったものの

肝心の口コミ総数は、わずか「6」。

これじゃ、身内か関係者のPRばかりと勘繰られても仕方ない。

★本日の教訓① 

 Googleの店評価はポイントだけでなく「口コミ数」も重視したい。

 コメントする人が多いってことは、それだけ"客の心を動かした"のだから。

 

相方も同じ感想を抱いたようだ。

なんか、イマイチだったね。

明日はまた、昨日行ったお店にしよう。

などと感想戦を交わしつつ、とぼとぼホテルへと戻っていく。

 

気を取り直し、朝8時半過ぎに車で出発。

この日は、仁淀川に沿って遡っていき、途中で支流の安居川へ分岐。

「仁淀ブルー」で知られる安居渓谷の清流を存分に体験しようというのが

メインイベントだった。

・・しかしながら肝心の天気予報は、終日「曇」。

待望の「仁淀ブルー」も、お日様抜きでは美しさ5割引きを覚悟せざるを得ない。

どうか目的地に行くまでに顔を出してくれ、ミスター・サン!

身勝手な願いを唱えつつ

まずは仁淀川河口にから10キロほど遡った、波川公園へ。

 

     毎年「国際水切り大会」が開催されるという、波切公園。

      白っぽく見えるけど、足元の河原はぜ~んぶ「五色石」。

 

清流・仁淀川のイメージに反し、波川公園は、幹線道路の真下に位置していた。

それでも駐車スペースに車を停め、無人の河原に下りてみれば

目の前には、透き通った仁淀川の流れと、見渡す限りの"五色石ヶ原"。

確かに白・黒・灰色・青緑・緑・茶色などなど、多彩な石ころだらけだ。

あいかわらず頭上には厚い雲が広がっていたものの

気分はすっかり〈五色石ハンター〉に。

たちまち、五色どころか八変化は確実にある小石を、10個ほど拾い集めていた。

ーーよーし、これで本日最初のクエスト『五色石採取』は無事完了!

 

橋のたもとにある「水辺の駅」はチラリ覗くだけで(売店しかなかった)

いよいよここから、仁淀川を遡上するドライブが始まった。

途中、ガイドブックに出ていた「土佐和紙工芸村」に立ち寄るも

あてにしていた軽い昼食がないことを知り

ホテルを兼ねたおシャレな施設の売店を眺めるだけで、パスすることに。

ミョウガがひしめくミョウガ色?の手拭いがひと目で気に入り、買ってしまう)

すぐ車に戻り、名古屋沈下橋を車窓に眺めつつ訴状を続け

沈下橋は前回の四万十川巡りで何度も立ち寄ったので、特に感動せず)

ほんの数キロ先にある「水辺の駅・あいの里仁淀川」という観光施設に到着する。

 

     水辺の駅・あいの里仁淀川。「食堂」の二文字に大喜び。

    ミニうな丼にも心が揺れたけど、やっぱここは「野草天ぷらそば」だ!

 

正面入り口の上部に、「食堂・直販」の文字がデカデカとあった。

軽いモーニングセットしか口にしてない我らには、何より有難い情報だった。

さっそく手作り感満載な店内に入り、食堂カウンターへと直行。

目に飛び込んできたのは、『野草天ぷらそば』の七文字。

地元で採れた野草を、日替わりでチョイスし天ぷらにしてくれるという。

相方共々、迷わず注文した。

 

   ちなみに今日の野草は、ヨモギドクダミ、クコ、ミツバ、イチョウetc.

    仁淀川を眺める特等席をゲット。(冒頭の「五色石」もここにあった)      

 

早くも時刻は13時を回っていた。

お腹はペコペコで、店内もガラガラ。

ちゃっかり、仁淀川を一望できるカウンター席に腰掛け

お茶をいただきながら、天ぷらそばの登場を待つ。

 

       高い天井に、手作りのこいのぼり?たちが踊る。

    地元の直販品もよりどりみどり、とても落ち着く場所だった。

 

それにしても、いい施設だ。

なにより、お上が押し付けた"コンセプト"が鼻を衝くオシャレスポットは

どうしてもくつろぐことができない。

こうした手作り感満載の"ちょいゆる"なお店が、なにより有難いのだ。

 

     野草天ぷらそば。揚げたての天ぷらと香り高いソバに舌鼓を打つ。

     仁淀川と五色石を眺めながら、のんびり食べていたら・・。

 

ぼーっと仁淀川を眺めながら

できたての野草天ぷらそばをハフハフいただく。

なんかもう、これだけでやって来た甲斐があったなぁ・・

などと、満たされた気分でいると

あろうことか雲が薄れ、ところどころ青空が見えてきたではないか。

・・やった! 今のうちに安居渓谷へ行こう!

 

   目の前いっぱいに広がる青空。これぞ千載一遇のチャンス!(大袈裟だなぁ)

 

あわてて車に戻り、カーナビで30分以上かかると通知された

仁淀ブルーの本拠地・安居渓谷に向かってひた走る。

その間にも、ますます青空は広がり、まばゆい陽光が降り注いできた。

どうか水晶淵に着く時まで、このピーカンが続きますように・・!

無神論者の神頼みーー果たして、通じるや否や。

 

ではでは、またね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっと頭でっかちな教訓を残し、

 

 

 

 

『日本人はどう死ぬべきか?』 養老孟司 隈研吾 / 引用三昧 21冊目

心に留めておきたい言葉がありすぎ、取捨選択に四苦八苦。

気がつけば、全部マーカーの色で染まった参考書みたいになっていた。

心を鬼にして、特にビビっときた「金言」を厳選したつもり・・なのだが

わずか90ページで"お腹いっぱい"になり、ギブアップ。

月並な表現だが、目からウロコがボロボロ落ちる音が聞こえるぜ。

 

第一章 自分は死んでも困らない 笑って死んでいった父

僕は太平洋戦争の直前に生まれて、幼少期は戦争中です。それこそ、死は日常でした。僕の場合は、死と自分というものの距離が、最初からものすごく近かったわけです。この世とあの世との橋を渡る、その感覚がとても身近にある。その中でいつしか、死は眠りと同じで、僕たちは毎日寝ている。だとしたら、それ以上は考えても無駄、以上、となっていきました。 [14]

 

イマジネーションのないやぶ医者

死というものは、個人に関して言うと「時間」の話です。でも、他人から見ると、その人がいる、いないの「空間」の話になるんです。他人として死を語ることはできます。でも、自分の死は、あくまでも生きているうちの話です。だから、自分の死を考えても、それは無駄の典型ですよ、と僕はお答えします。[20]

 

第二章 年を取った男はさすらうべきだ  年寄りのいない田舎がフロンティア

養老 若い人たちが今、移るところは、ただの田舎じゃないんです。

隈 どういう田舎なんですか。[25]

養老 つまり、年寄りのいない田舎なんです。若い人にとって、年寄りって邪魔なんですよ。だって既得権を持っているでしょう。田舎っていうのは一次産業がなければやっていけないところで、そうすると畑のいいところは全部、年寄り連中が持っている。                       

 

隈 田舎に夢を描くことと、現実はまったく違う。

養老 ただ、それは田舎という土地がだめなわけでなく、田舎にいる年寄りがだめということが多い。年寄りで今、地元に残っている人たちというのは、僕らの世代から団塊の世代まででしょう。そういう人たちが既得権を持ってしまっているからで、ものごとが動かない。テレビのニュース番組で農業の後継者問題なんかを取り上げると、田舎のじいさんが「後継者がいなくて‥‥」と、こぼしているんだけど、「お前がいるからだろう」って、思わず画面に向かって言いたくなることがある。年寄りって、いるだけで邪魔という面があるんです。[26]

 

養老 年寄りは万事にあまり固着しない方がいいんじゃないか、ということです。そこに住んでいるのはしょうがないけど、邪魔にならないようにしましょうよ、ということです。芭蕉西行は、若い人たちの邪魔をすることなく晩年までうろうろしていたじゃないですか。あんな感じがいいなあと思っています。[28]                  

 

日本人の50%は本音とは逆のことを言う

養老 隈さん、僕は最近「日本人50%論」という論を立てることに興味があってね。

隈 どういうものなんですか。

養老 要するに日本人というのは集団の中で50%の人が本音の反対を言う、つまりウソをついているんじゃないかという人間観察論です。例えば原発について100%の人が賛成したとしても、そのうち50%はウソをついていて、実際の本音は半々なんですよ。同じように全員が反対だと言っても半分はウソを言っていて、本音は五分五分になる。これって、賛成八割、反対二割だったとしても、結局本音は五分五分になるんです。

隈 賛成の八割と、反対の二割のそのぞれ半分がウソをついているということですね。                              

養老 つまるところ、日本人の本音はいつでも半々だということなんですね。

隈 どんな問題に対しても、日本人の本音は五分五分で、どっちつかずだということなんですね。

養老 そう。この論が面白さは、「日本では半分の人間がウソをつく」という、シンプルな仮定だけがあるところなんです。[29]

 

隈 お金を儲けることが企業の目的なのに、会議でそれを言ってはいけない。だから日本の会議は、すごくフラストレーションがたまります。しかも「この人は、何を言いたいんだろうか」と思惑が分からなくても、そこで「あなたは何を欲しているのですか?」と聞いたら、場が「それを言っちゃあおしまいよ」みたいにしらっとなって、本当におしまいになる。大企業の会議は不思議な雰囲気が漂っています。[31]                 

 

ロンドンで知った日本人の甘さ

養老 盧溝橋事件の本質って、決して日本の「侵略」ではないんです。そんな単純な話ではなく、要するに、中国が覚悟をもって策略した、中国における本土決戦ということなんですよ。つまり、中国本土に日本軍を引き込んだんだから。

隈 当時は満州国の勢いがありましたから、中国はそれに対して真剣に危機感を持っていたことでしょう。

養老 満州国というものが既定路線で、できあがりそうになっていた。うっかりすると中国の金持ちも満州に投資をした方がいいという流れになっていたんです。そんな中で日本に最終的に勝つためには、日本軍を本土に引き込んで持久戦に持ち込むしかない。そのように中国の首脳は決断したんです。

隈 逆に言うと、それに乗せられてしまったのが日本軍だったんですね。

養老 僕は終戦の時、小学校二年生でしたが、日本軍が「一億玉砕」と本土決戦を豪語していながら、結局、決戦は沖縄でしか行われず、広島と長崎に原版を落とされて降伏したことが腑に落ちていなかった。要するに、日本軍は本音では本土決戦をやる気はなかったんだな、と後から気が付いたんです。

隈 日本の軍部は甘かった。

養老 そうなんです。甘いんですよ。それで敗戦後、欧米人が日本で戦争の責任を追及すると、「あの場の空気では、ああするのはやむを得なかった」という話になった。欧米人たちは、「そんな非論理的な理由はあり得ない」と怒る。

欧米では子供のころから主体が存在するとうことを思考の原則として叩きこまれるでしょう。だから「戦争責任の追及」という行為が可能になるんです。何であんなことになったんだ、それはナチが悪い、ヒトラーが悪いと、個人の責任に行き着く。

隈 でも我々日本人は、その物語構造を共有していないですよね。

養老 日本で戦争責任を問うと、「あの場の空気がそうだったんですよ」となる。隈 日本人にとっては、それがある意味で最も客観的な見立てになります。[34]

 

隈 脳科学を研究している人たちが、「果たして人間に自由意思というものはあるか」という考察をされていましたよね。

養老 それ、論理的に突き詰めると、「完全なる自由意思の存在は否定せざるを得なかった」という結論になったんです。

隈 自分の日常を考えたって、自分が全部決定しているわけではなくて、天気とか体調とかによって左右されます。周りの景色とか雲の動きとか相手との関係性とか、そういうものが全部関与していますよね。

養老 それこそが日本人なんです。だから国際社会から戦争責任と言われても、今一つぴんと来ない。[35]

 

養老 日本の経済で最も伸び代-しろが残っているのは、実は社内の効率なんです。

隈 日本の会社の効率が低いというのは有名な話です。

養老 その核心の原理が、日本の場合は「面倒」という言葉にあるとアトキンソンさんは言っています。ほら、何か新しいことをしようとすると、「それをしたら面倒なことになりますよ」と必ず言われるでしょう。

隈 いや、本当です。

養老 「それはちょっと面倒ですな」という話法が必ず出てくる。それは事態が面倒なことになるんじゃなくて、お前が面倒くさいだけだろうということなんだけどね。[38]                      

 

親しい人の遺体は解剖できない

養老 心理学でいろいろ言われていますが、例えば政治家だって、一度でも顔を見たことのある人物って強い影響力を持つんですよ。彼らは人に顔を見せると票になるって分かっているから、あんなにニコニコして握手して歩くんです。         

隈 握手でいえば、先生は以前、解剖では手にメスを入れる時が一番抵抗があるっておっしゃっていましたね。手には顔以上に、三人称も二人称に引き寄せる妙な力があるんじゃないかなって気がします。 [41] 

 

心臓を別に分けて埋葬するハプスブルク家

養老 最近、イギリスのBBCが作ったテレビドラマ『SHERLOCK』が話題になったでしょう。あの番組を見た人が、死体のとらえ方、扱い方にびっくりしたと言っていました。

隈 どんなことをするんですか。

養老 要するに現代版のシャーロック・ホームズが活躍する話なんだけど、そのシャーロック自身が「高機能ソシオパス(超優秀な社会不適応者)」という現代的な設定になっていて、死体にめちゃくちゃ鞭を打って、どのような痕が付くか、平気で調べたりしている。あと、テロリストのハイジャック情報を得た国家機関が、ハイジャックされる予定の飛行機の中に死体を詰め込むとか。そうやって、偽-にせの乗客を入れた飛行機をテロリストに乗っ取らせて、爆撃できるようにするんです。

隈 ぎょっとしますね。

養老 乗客の死体には子供のものもあって、そういうものをM16(イギリスの秘密情報部の通称)は有事のためにちゃんと保管しているというお話になっている。本当かウソかは知りませんよ。ただ、隈さんがおっしゃったように、あっちの人って、人間の死体に関して家畜的な取り扱い方ができるメンタリティがある。[46]                             

養老 もう、甲野さんなんか典型でしょう。「そんなこと、やめたら?」みたいな目で見られている人が多いんですよ。でも、僕は「自分が人と変わっているのは当たり前じゃないか」ということを言い続けているから、それで背中を押されるみたいですよ。僕の本を読んだ人から、「気が楽になりました」とよく言われるもの。変わり者って、社会にとっては貴重で、簡単につぶしてはだめで、何かの形でブレイクをさせてあげなければいけないんですよ。[49]

 

「ごみ置き場」のようなお墓を作る

隈 日本でお墓が建つようになったのは何年ぐらいからでしょうか。

養老 ヨーロッパでもそうなんですが、時代によってずいぶん違うんです。

古墳時代の日本は、偉い人には墓がありましたよね。でも、日本の場合、忠誠の一般人は風葬がほとんどです。神奈川の鎌倉なんか典型で、ちょっと土地を掘ると骨だらけなんですよ。

隈 ああ、鎌倉ではいっぱい出てくると聞きますね。

養老 いっぱい出てくる理由は、溶けないからなんです。中世の時代は残った骨を海岸に埋めていた。海岸は中性の土壌だから骨が溶けないで残るんですね。でも、関東地方だったら関東ローム層という酸性の土地なので、骨は全部溶けちゃいます。

ヨーロッパは骨が溶けずに残る土壌です。中世のヨーロッパもよっぽど偉い人以外の個人の墓は珍しい。とにかく教会の共同墓地ですね。それで骨だらけとなります。[54]                             

 

自宅で葬式をしない日本人

養老 SARSの致死率は平均11%と言われていますからね。だったら日本では、マダニにやられる方が危ないかもしれませんね。マダニのウイルスの死亡率は、SARSと同じかそれよりも少し高いかぐらいでしょうかね。人類にとってはこれぐらいの致死率が、一番きついんです。それ以上に高くなると、人類側の生存者も減って、細菌やウイルスもろともに死滅してしまう。アフリカのエボラウイルスが、凶悪なものなのに、これまで世界で爆発的に流行ってこなかったのは、致死率が80%近かったからということもあるんですよ。そこまで高いと、地域の部族全員がやられちゃうので流行りようがないんです。[61]

 

「命は自分のもの」という思い込み

隈 養老先生は、死ぬのだったらこの病気で、というのはありますか。

養老 考えたことがないですね。やっぱり自然に年を取って、何も分からなくなって死んじゃうのが一番いいんでしょうね。癌みたいに余命とかがあんまり分かっちゃうのも嫌だね。最近は余計なお世話で、余命はいくらですとか言われるじゃないですか。

隈 治療の選択肢もいっぱい出てきましたしね。

養老 そうそう。五年生存率が48%とか訳が分からないよね。本人にとってはゼロか百なんだもん。だから、僕は考えないようにしています。だって毎日寝ているんだからさ。つまり毎晩、意識がなくなっているんだから、別にそこから戻ってこなくなっても何の不思議もないですよ。 [62]

 

隈 若年の自殺は痛ましい限りですが、昨今の世の中では親子心中も後を絶ちませんね。

養老 それは日本では、子供は親のもの、特に母親の一部という意識があるからなんです。昔の間引きの習慣もそうです。生まれた直後までは母親の一存で生死が決まる。

そんな間引きの意識が後まで残っているのが無理心中の形なんじゃないかと思います。その延長が、高校生になった子供を保険金目的で殺すような親ですよね。無理心中と同じで、子供が親の一部だから、そういうことをする。自分のものだから、どうやってもいいでしょう、という意識だと思いますよ。 [64]

 

養老 戦争中や戦後みたいに極端な食糧難の中では、人間は自分でも思いもよらぬ悪事をします。その悪事の中で、善悪のバランスと自分が生き延びていく感覚がある程度、身に付いていくんだけど、今の人は悪事の方の感覚がまったくない。平和ボケとはつまりそのことで、子供のために安全を追求していると思い込んで、それがすべての言い訳になる。そういう人って、状況次第では殺人を犯しかねないんだけど、そこについては、全く思いが至らないんですよ。

隈 新聞記事にある犯人像って、普通の人というのが多いですよね。

養老 殺人犯の身近にいる人にたずねると「あの真面目でおとなしい人が‥‥」っていう紋切り型が返ってくるでしょう。

隈 真面目でおとなしい人が時々人も殺す、ということなんですね。

養老 それを他人だと思わないで自分だと思わなきゃいけないんだけど、今やそのバランスがまったくなくなっている気がします。 [66]

 

飛行機墜落死は怖いか

養老 「死」そのものについては、実は語れることってないんですよ。だってそれは、あるようでないようなものだから。共同体から言えば、誰かがいなくなるということですけど、本人から言えば関係ないんだもの。自分が死んでも、困る自分はもういないよ。[69]

 

「死」と「定年」の恐怖

隈 男と女で生命力が違うとか。

養老 それはもう分かりきっていることで、女性の方が強いに決まっているんですよ。哺乳類は女性の方が平均寿命が長い。哺乳類の染色体は女性がXXで男性がXY。メスの染色体が基本で、そこから作られるのがオスなんです。そうやって無理して作られているからね、オスは弱いんです。[82]

 

日本で一番自殺するのは中年男性

養老 自殺はそれぞれの国によって特徴が出ますね。自殺の原因にはまず世界的、人類的な傾向というものがあるんです。だいたい一人あたりの名目GDP(国内総生産)の増加と比例して自殺が増える。エジプトだったら十万人あたりの自殺者はほとんどゼロですよ。自殺が増えるのは社会の価値観が変わった時ですよね。

隈 ああ。

養老 貧乏が当たり前の社会から、豊かさが当たり前の社会になる時に、質的な切り替わりが起こるんでしょう。その狭間で何かが起こるんですね。

隈 東京~高尾を結ぶ中央線でよく飛び込みがありますが、不思議なことに国分寺とか、あのあたりが起こることが多く、都心ではあまり飛び込まないんですね。

養老 それか総武線の千葉側ですよ。

隈 人が死ぬ場所に、地勢が出る。

養老 まさしく狭間ですね。[83]

 

養老 人って、あんまり働くと周りに迷惑が掛かるよ。仕事というものに対しては、適度な距離がなきゃいけない。一番いい仕事をする人って、本来は仕事に関心がない人なんです。ただし、建築家は全然違いますよ。組織の仕組みの中にある人と、何かを作らなきゃいけない人は違います。        

隈 建築家も、一個一個の建物で傑作を作ろうとすると、ストレスで破綻-はたんすると思います。傑作って作ろうとして作れるものではなく、偶然を待つしかない。気楽な気分でいないと、精神的にまいってしまいます。[88]

 

仕事に本気にならない距離感

養老 仕事に対してあんまり真剣になり過ぎないように、というのが僕のアドバイス。ほかに好きなことが何か一つでもあればいい。それがない人が、自分の仕事に真剣になっちゃう。でもしょせん仕事なんて、誰かが代われるものなんです。そういうことに真剣になりすぎるって、逆にいえば使い物にならないということですからね。気を付けた方がいいです。[91]

 

長くなりすぎぬよう

折り返し点のだいぶ手前でストップをかけた。

冒頭のくり返しになるが

読んでガッカリする人は少ないと思う。

ぜひとも元本を手に取り、精読してほしい。

 

ではでは、またね。

値千金、室戸の夕景!  高知ふたり旅 2022.11.29-12.2 2日目➃  馬路村⇒道の駅室戸⇒室戸岬・最御崎寺⇒ひろめ市場

2022年11月30日(水)高知市内⇒澤餅茶屋⇒安芸駅ぢばさん市場    ⇒伊尾木洞⇒大山岬⇒馬路村⇒道の駅室戸⇒室戸岬最御崎寺⇒ひろめ市場

           室戸岬からの夕陽。やっと晴れた。

 

行くとなったら一目散。

往路より慣れたくねくね道をスイスイ下って太平洋岸へ

途中、道の駅室戸で一休みしただけで、ひたすら室戸岬を目指す。

 

     小休止で立ち寄った道の駅室戸。もっとゆっくり見たかったかも。

         ゆるキャラ「どすポン」も待ってるし。

 

片側一車線の国道だったが、幸い渋滞につかまることもなく

午後4時前には到着し、割り箸を束ねたような柱状節理の海岸に降り立ち

またもやしばし「石拾い」に燃える。

               

              無事、室戸岬に到着。

              室戸名物?柱状節理。

        何か妙な雲行きになってきた、と思っていたら・・

 

そんなふうに足元ばっかり見ていたら

いつのまにか、頭上に厚くかかっていた雲が切れ

西に大きく傾いた太陽が、ちらちらと顔を覗かせてきた。

なんと、本日初めての"晴れ間"ではないか。

すっかり諦めていた「室戸岬の夕景」が体験できるぞ!

さっそく車に戻り、室戸スカイラインに入って灯台のある高台を目指す。

         

第24番札所・最御崎寺(ほつみさきじ)の入口を兼ねた駐車場で降りたあと

これも何かの縁だと思い、まずは手前のお寺に参拝。

 

      駐車場で最初に撮った一枚が、これ。思わず泊りなくなった。

        拾い物(失礼)だった、第24番札所・最御崎寺

       ひとつの境内に様々な建造物。なのに不思議と心休まる。

        お遍路さんも面白そうだな、なんて思ってしまった。

 

予想外(失礼)に見どころの多い最御崎寺をひとめぐりするうちに

ますます空は明るくなってくる。

お寺の先へと続く遊歩道を進むうち、白亜の室戸岬灯台も見えてきた。

これならきっと、夕陽と灯台のコラボが楽しめるぞ!

 

         この旅初めて、"お天道様"が顔を出した。

 

・・ところが、直前のゲートが閉まっており、敷地の中に入れない。

残念、入場時間が過ぎていたのだ。

それでも、灯台はすぐ目の前。

写真を撮る分には、何の問題もなかった。

結果的に、大海原にかかる夕陽を心ゆくまで楽しむことができた。

        

     ちょっと手前からだったけど、夕陽を浴びる室戸岬灯台

         ポカポカの陽射しに、ススキも嬉しそう。

         もうちょい待ちたかったけど、これが限界。

 

できれば水平線に沈み切るまで待ちたかったけれど

そこまで長居したら、帰りが遅くなってしまう。

レンタカーで真っ暗な道を走る危険は極力減らしたかったので

充分な陽射しが残るうちに駐車場へ戻り

日没と追いかけっこしながら、ハイビスカスロードをひたすら北上。

結局、一度も小休止を取らず、19時半過ぎには

高知市内のホテルに戻ることができた。

 

時間も時間だし、今夜は軽く済ませようと

10分ほど歩いて、ひろめ市場の中へ。

たくさんの利用客でごった返すテーブル席で

様々な料理(塩タタキは欠かせない)を生ビールで流し込んだ。

 

   正直イマイチだった「ひろめ市場の晩飯」。料理もずいぶん待たされたし・・。

 

ーーとはいえ、これも歳のせいなのか。

ごちゃごちゃと騒がしい屋台村の雰囲気が、いまひとつ楽しめない。

もはや"大勢でワイワイと楽しむ"のは厳しいなと痛感しつつ

そそくさと腹に収め、ホテルへの道を戻るのだった。

 

ではでは、またね。

 

 

 

 

 

 

 

スカイライン

それっとばかり灯台のある高台

 

 

"この次"は馬路温泉に泊まるのだ  高知ふたり旅 2022.11.29-12.2 2日目➂  伊尾木洞⇒大山岬⇒馬路村

2022年11月30日(水)

高知市内⇒澤餅茶屋⇒安芸駅ぢばさん市場⇒伊尾木洞⇒大山岬⇒馬路村

         馬路温泉名物「ゆず酢鶏丼」。これは旨し!

 

伊尾木洞ですっかり"味を占めた"ことで

次の立ち寄りポイントも『高知案内』に載っていた大山岬に決定。

海沿いの道を走ること5~6分で、それらしき駐車スペースに車を停め

護岸を乗り越え、激しい波が打ち付ける岩場に下りていく。

相変わらず天気は薄曇りで、風も強い。

黒々とした岩の間をうろつき、色違いの小石を数個、拾って戻る。

 

      大山岬に打ち付ける荒波。いきなり来るから結構怖い。

   さすがは漫画王国・土佐。こんなところに、はらたいらのキャラクターが。

 

秋の札幌(積丹半島)以来、海岸に出ると視線を足元に向け

気に入った石を探しては持ち帰る癖がついている。

特に今回は、「桂浜の五色石」などの名物?が紹介されていたこともあり

最終的に、4~5か所の海岸・河岸で石拾いに勤しんだ。

帰宅後、さっそく100円ショップでコレクションボックスを購入。

ひと目でどこの石か分かるように整理し

たまに取り出しては、手の中で転がしている。

少々重くはあるが、お金もかからず思い出にもなる"旅の土産"。

 

このあたりで、時刻は午後12時を過ぎたところ。

途中でつまんだお茶屋餅の効果も切れ、さすがにお腹が空いてきた。

とはいえ、ここが我慢のしどころ。

次の目的地・馬路村で、有川さんご推薦の"お昼ごはん"が待っているのだ。

唐浜(とうのはま)から山方向へ進路を変え

細いくねくねの山道を北上すること30分余り。

馬路村の中心地、コミュニティセンターうまじ(馬路温泉)に到着する。

 

    ひろめ市場にもあった、馬路村キャラ&フォントがお出迎え。

     午後1時半。コミュニティセンター前は閑散としており・・

          レストランの中にも、人の姿はなし。

 

さっそく空きっ腹を抱え、その中にあるレストランへ。

中を覗くと、広い店内に客の姿はゼロ。

時刻は1時半ちょっと手前。

昼は14時まで営業してるはずだが、ひょっとして間に合わなかった?

と、心配しつつ入ってみると、「いらっしゃいませ」の明るい声。

・・よかったー。

 

       選び放題!・・ということで、川を一望できる"特等席"へ。

       明るく清潔な店内。貸し切り状態なんて、もったいない。  

       11月最終日だけど、まだまだ紅葉が楽しめた

       エモノを狙う鳥(たぶんアオサギの幼鳥)の姿も

 

暖かい陽射しが降り注ぐ川沿いの特等席を占領し、

オススメだという「ゆず酢鶏丼」に「唐揚げ定食」を注文。

河岸に残る紅葉や、獲物(魚)を狙うアオサギの幼鳥(たぶん)を眺めながら

超おいしいごはんに舌鼓を打ちまくった。

さすがは『高知案内」で

「ここはご飯を食べるためだけでも価値アリ、なんですよ」

と、著者の有川さんがイチオシするだけある。

 

    相方が選んだのは「土佐ジローの空揚げ定食」(だったと思う)

 

それにしても、馬路村ののどかな山村風景は、強く印象に残った。

もしこの後、室戸岬を目指す予定でなかったら

急遽馬路温泉に一泊していたところだ。

旅行支援が利用できて格安で済むし、間違いなく晩ご飯も旨いのだから。

 

           次回は絶対、ここで一泊しよう。

             ごちそうさま、また来るよ。

 

一瞬迷ったけど、相方の「また今度泊りに来ましょ!」の言葉に

今回は見送りと決定。

"日没前の室戸岬到着"を目標に、再び海へ向かって山道を下ってゆくのだった.。

 

ではでは、またね。

『死神の浮力』伊坂幸太郎 / 引用三昧 20冊目

「昔のロックバンドのドキュメンタリー。ドラムの人がインタビュー中にぼそりと言っていたんだよ。『アメリカでは二十五人に一人は、良心を気にしない脳みそを持っているらしいが本当か?』って」

サイコパスと呼ばれている人たちだ」僕はずっと昔、小説を書く資料として読んだ本の何冊かを思い出した。「冷淡な脳と書いてあるのもあった」

彼らは表面的には、ごく普通の人間で、ごく普通の親であり、たとえば動物を飼い、たとえば立派な肩書を持ち、生活している。成功者であることも多い。ただ、他人に共感をすることがなく、社会のルールを守る意識も薄い。良心を持たず、自分の行動が誰かにどういった影響をもたらすのかを、まったく気にせずにいられるのだという。

「『できないことがない』人たちのことだよ」

「え?」

「僕が読んだ本にはそう書いてあった。僕たちは普通、自分の欲望をそのまま叶えることはできない。相手を傷つけたり、ルールを破ってしまうことを恐れるから。だだ、良心を持たない人たちは、無敵だ。できないことがない」

「なるほどね」美樹は静かに、感情を込めずに呟く。

「そういった人たちは、他人の苦痛はまったく気にならない」

「迷惑をかけようが」

「何も感じない。ただ、だからと言って、そういった人たちが犯罪に手を出すわけじゃない。誰かの心を傷つけたり、誰かを利用したりはするけれど、分かりやすい罪を犯すとは限らない」

「分かりやすい罪?」

「僕の呼んだ本にはこう書いてあったよ。良心を欠いた行為で捕まるのは例外的だって」

「わたしたちのことを犯人同然に扱った記者が、捕まらなかったように」

「そうだね」僕はうなずく。[14]

 

「普通、人間たちは誰か別の人間との関係で満足を得ようとするものなんだ。助けあったり、愛情を確認し合ったり、たとえば、優越感や嫉妬といった感情も、生きる原動力の一つだ。でも、『良心を持たない』彼らには、感情はほとんど意味がない。だから、彼らが唯一、楽しめるのは」

「楽しめるのは?」

「ゲームで勝つこと。そうらしい。支配ゲームに勝つことが、彼らの目的なんだ」

「支配ゲーム、って何なの」

「もちろん、そういうゲームを彼らが意識しているわけではないのかもしれないけれど、ただ、他者を支配して、勝つことだけが原動力になるんだ、って本には書いてあった」

彼らは慢性的に退屈なのだ、とも書かれていた。刺激を求め、ゲームに勝っためには、何でもやる。良心がないのだから、できないことはない。[23]

 

Day1 一日目 

「毒と薬は」

紙一重ですよ」本条は表情を変えず、話す。「解熱剤を大量摂取すれば、体温が低下して、虚脱状態になります。副作用が起きれば、ただの風邪薬でも、全身が火傷状態になって、失明する可能性もゼロではない。それに、山野辺さんの、『植物』でも書かれていたように、どこかに先住民の毒矢の成分も、筋弛緩剤の役割を果たすわけですし、毒も薬も一緒です」[51] 

 

人を利用することに長け、平然と嘘をつく。飼い犬を餓死させてもさほど気にかけない。そういった人間を調査したことは、何度もある。彼らは健康で、知能が高く、他人を魅了し、惹きつける。そして面白いことに、彼らは犯罪を犯すことは滅多になく、普通に暮らしている。[54]

 

「裁判はあくまでも、国や社会のためです。よけいな流血沙汰を避けるため。家族を殺害された人間は、誰一人、裁判なんて望んでませんよ。あれは、被害者家族のためのものではありません」[67]

 

「記者が我慢強いのは」美樹が口を挟んだ。「興奮するからじゃないのかな」

「興奮? じっと待っていることに?」

「そうじゃなくて、目標物を発見した時の興奮だよ。森の中で鳥を見つけた時とか、何かを発見した時って、頭に何か出るんでしょ、たぶん」

「何か出る?」私は訊く。

「ホルモンとか?」山野辺が言うと、美樹がうなずく。「脳内麻薬みたいなのが。たぶん、それがあるから待っていられるんだよ。手柄を立てた時とか、誰かを出し抜いた時とか、人間の頭には、脳内麻薬ってすごくたくさん出そうでしょ。その興奮を覚えているから、頑張れる」[72]

 

Day2 二日目

「大事な肉親をなくした喪失感は、本当に何と言ったらいいのか」僕はそう喋りながらも、深呼吸をしたくなる。「ひどいものです」

しかも、被害者の僕たちを世間は放っておいてくれない。警察や記者たちとのやり取りが続き、精神は草臥れる。突然のショックと怒りと悲しみと、慌ただしい環境の変化に翻弄される。疲れ果て、息も上がり、とにもかくにも、この状況が落ち着いてくれること、それだけを望むようになる。

娘の死を悲しむ余裕が欲しいほどなのだ。

「心を安全地域に避難させるのが、精一杯でした」苛められた子供が、なぜ、復讐をしないのか。なぜ、逃げ出すだけで、それ以上のことをしないのか。

今なら分かる。穏やかな生活を確保するだけでも大変で、それ以上のことは考えられないからだ。「それに、やはり人は、そう簡単に他人を攻撃できないんだと思います」                           [101]

 

「怖い、というのもまた主観に過ぎない、と思いませんか」

「どういうことだい」

「他人に害を与える行為も、大きな視野で見れば、進化の過程だとも言えます」

「生き物はみんな死にます。千葉さん、それくらいは知っています」

「そうか。分かっているのか」千葉さんは、僕の返事を信じていないようでもあった。「そのことを本当に知っている人間は、あまりいないからな」

「そりゃそうですよ」僕は即答している。「『われわれは絶壁が見えないようにするために、何か目をさえぎるものを前方においた後、安心して絶壁のほうへ走っていくのである』」

「何だそれは」

パスカルの言葉ですよ。人間は、死のことを真面目に考えたら、耐えられません。彼のメモをまとめた、『パンセ』に載っています」[118]

 

カメラやマイクは、取材をする側の傲慢な、万能感の象徴だ。暴力同然の強制力がある。怒りを覚えずにはいられない。マイクを向けられれば、発言しなくてはならない思いに駆られ、カメラに捉えられれば、こちらは不用意な行動は取れなくなる。一方、構えるあちら側は、といえば、安全地帯から銃を構えているのにも似た、余裕綽々の態度なのだ。リスクのない場所から、人の心を眺め、いじくってくるだけだ。[131]         

             

説明を拒む者や、言い淀む者を問い質すのは彼ら記者たちの得意科目だ。説明しろ、説明責任がある、と詰め寄る。が、「説明する義務」を持つ人間がどれほどいるというのか。さらにいえば、「説明を強要する権利」は誰にあるのか。[134]

 

Day 3 三日目 

「あともう一つ、法律では、一事不再理というルールがありますから」

「何だったか」

「一度裁判で無罪が決まると、その人は二度と、同じ事件では裁判にかけられない、といルールです」

「ほう」

「わざと捕まって、その上で無罪になる。そうすれば、あの男は今後、二度と菜摘のことで罪を問われることはない。それを狙ったんでしょう」

「そのほうが、おまえたちをがっかりさせられるからか」

「千葉さん、分かってきましたね、そうです」[186]

 

人間は、一度自分で決めたシナリオができあがると、それに沿わない助言や忠告は撥ねのける傾向がある。[193]

 

「わたし、思うんだけれど、他人のことを気にしない、良心のない人間は強いでしょ」

「何でもできる」

「そう。しかもそういう人間は、他人の弱みを見つけるのが、得意中の得意だから。誰かを蹴落としたり、利用するのも容易でしょ。そう考えれば、最終的にはそういった人間ばっかりが、なんていうの、自分のことだけを考えている人間、利己的な人間というのか、そういう人が生き残るんじゃないのかな」

「どういう意味だ」

「強い種類の生き物が残っていく。それが、生き物の決まり、って言うじゃない。四文字で言えば」

「弱肉強食か」

自然淘汰か」香川が言う。「だけど、いまだに人間は、利己的人間ばかりになっているわけでもない」

確かにそうだな、と私もうなずく。「なぜだろうな」

「何で、利己的人間ばっかりにならないんだろうね」[220]

 

私は、以前、同僚から聞いた話を思い出した。

「銃を所持できる国では、どうして人は銃を買うか知っているか」

アメリカとかですか? そりゃあ、あっちはあっちで物騒でしょし、強盗犯や強姦魔を銃でやっつけるためですよね。銃で身を守るために」

「そうだ。ただ」「ただ?」

「実際には、銃を保持すると、それで自殺するリスクがぐんと上がる」

「自殺?」

「ニュースを見れば、世の中は恐ろしい事件ばっかりだからな、防犯に気を配りたくなるのも分かる。ただ、暴漢に襲われるリスクよりも、銃を持っていることで、自己や自殺が起きるリスクのほうが高い」

「そうなんですか?」

「らしいな」私が聞いた話ではそうだった。銃の所有率の高いエリアのほうが、所有率の低いエリアよりも、自殺率がずっと高い。銃の売買を禁止した場所では自殺率どころか、殺人事件も減ったという。人の死や死因は私の仕事に不可欠なものであるから、そのあたりの情報はよく覚えている。

「でも日本では、銃の所有が認められていないにもかかわらず、自殺が年間三万人もいるけれど」

「銃があればもっと増えるってことだろ。ようするに、だ」

「何ですか?」

「人は、自分でコントロールできるものは安心だと考える傾向がある」

「安心?」

「銃を使うのは自分で、使うタイミングはコントロールできる。だから、危険なわけがない。そう考える。それよりは意図しない恐ろしい事件のほうが怖い。そう考える。 だから銃を手に入れようとする。まさか、自分がそれで自殺を図るとは想像もしない。なぜなら、銃をいじるのは自分で、自分のことは自分がコントロールできる、と思っているからな」

「違うんですか」

「発作的に死にたくなった時、手近にあった銃で自分を撃つ可能性もぐっと高くなる」

「でも、それは銃のせいとも限りませんよ。銃がなくても別の方法で死ぬかもしれないですし」

「だが、銃は未遂にはなりにくい」

「どういう意味ですか?」

「よっぼどのことがなければ即死になる。ほかの自殺の方法なら、未遂で終わる可能性はまだ、ある。銃はそうはいかない。銃さえなかったら、ということになる」[226]

 

「自力でやらなくとも手柄にかわりはない。助太刀を頼んでも臆病者とさげすまれるわけでもない。復讐はとにかく、速やかにやることが大事。だと」 [242]

 

Day 4 四日目

僕は、「それなら箕輪君は、安直な、のほほんとした平和な物語を書けというのか」と言い返したが、すると彼は、「そうじゃないですよ。ただ、呑気で平和な話同様、救いのない話も安直です。しかも、救いがない作品のたちが悪いのは、すごそうだと勘違いされることなんですよ」と言った。創作において、やり切れない話は過大評価されがちだ、と。

「とはいえ、世界の傑作には、救いのない話が多い」むしろ多数派じゃないのか。  僕は言い返した。

「本当に才能のある人が書けば、傑作になります。ただ、ほとんどは、そのふりをしたものだけです。どうせ、ふりをするなら、黒字に黒い絵を描くよりは、別の色を使ったほうがいいです」[289]

 

"名言の宝庫"、伊坂幸太郎作品のなかでも強く心に残る一冊。

書き写しているだけで気分が良くなるので、思わず勇み足をしてしまった。

ぜひとも元本を手に取り、熟読してほしい。

 

ではでは、またね。

今月(2023年1月期)読んだ&揺さぶられた本 MakeMakeの読書録

昨年秋から引き続き

〈月イチ+αペースの旅支度&後処理〉に追われ

肝心?の読書が捗らない今日この頃。

しかも今月は、2年ぶりの"『Re:ゼロ』の続き"まとめ読みと

15年目にして完結した『ちはやふる』一気読みのあおりを喰らい

極めてバラエティに乏しいラインナップとなってしまった。

てなわけで、今月読んだ本は以下の通り。

 

2023.1

★★『あと少し、もう少し』『君が夏を走らせる』瀬尾まいこ

★『錬金術師の密室』紺野天龍 

★『Re:ゼロから始める異世界生活』※㉕/㉖㉗/EX⑤緋色姫譚/㉘ 長月達平 

★★『誰が国家を殺すのか 日本人へⅤ』塩野七生

★★『マダムだもの』小林聡美 ★『かえっていく場所』椎名誠

★★『極楽おいしい二泊三日』さとなお ★『へろへろ』鹿子裕文

 

〔コミックス〕(※は再読以上)

★★★『ちはやふる末次由紀 ※①~㊽/⑲㊿

★★『メダリスト』つるまいかだ ➀~④(途中)

 

結果、《今月揺さぶられた本ランキング》は

【小説】①『君が夏を走らせる』

    ②『あと少し、もう少し』

    ➂『Re:ゼロから始める異世界生活』㉖-㉘/EX

  大好物の「Re:ゼロ」シリーズだが、現時点で読み終えた3(+1)冊は

  フラストレーションが溜まり続けるエピソード中盤のため

  正当な評価ができず、暫定3位に置いてみた。

  なので、瀬尾まいこのワン・ツー・フィニッシュ。

  とにかく、面白過ぎて困ってしまった。

 

【小説以外】①『誰が国家を殺すのか 日本人へⅤ』

      ②『マダムだもの』

      ➂『極楽おいしい二泊三日』

  塩野七生のエッセイには、いつもハッとさせられる。

  こと、事象の分析に関しては伊集院先生の遥か上をゆくんじゃ・・

  ーーいや、「理の人」と「情の人」を同じ物差しで測るのは無謀だったな。

  ちなみに「極楽おいしい二泊三日』は、高知&沖縄で大活躍。

 

【コミック】は、『ちはやふる』が圧倒的なナンバー・ワン。

いまからでも、もう一度最初から読み返したいぐらいだ。

だが、現在読み途中の『メダリスト』も、予想の斜め上を突っ走るハイレベル。

ひとことで言えば、"痛くて面白い"フィギュアスケート・マンガだ。

絵柄も大好きなので、同じシーンを何度も見返してしまう。

    

ではでは、またね。

来年も面白い本に出会えますように。