『ぼくのメジャースプーン』 の後に読むと読後感が跳ね上がる超名作。
予期しつつも真正面から襲いかかる"ちゃぶ台返し"に、心の膝を打ちまくれ。
【上巻】 第三章 オオカミ少年 (七)
「それ、確かイソップ童話なの。イソップの話って、全部何かしら教訓が用意されてる。この話の教訓って、じゃあ何だと思う?」 「『嘘をつくな』ってことなんじゃないの? 嘘ばっかついてたせいで、オオカミ少年は人に信じてもらえなくなって、羊を全部食べられたわけだから」 「そうそう。それが一般的によく言われてること」 よくできました、と椿が笑う。いつかと秀人を交互に見ながら、そして続けた。 「だけど私は、それだけじゃないような気がする」 「というと?」 「『百回オオカミが出なかったとしても、百一回目はどうかわからない』」 きっぱりとした口調で、椿が言った。声が、夜空の中にすっと吸いこまれていく。 いつかは無言で彼女の目を見た。 一瞬だけ真顔になっていた彼女が、すぐに元通り、柔らかな笑みを浮かべる。 「オオカミに羊を全部食べられるっていうのは、言葉で一言にしてしまえるほど軽い被害じゃないと思うんだよね。少年一人に対する戒-いましめにしては重すぎる。昔の人にとってみたら、オオカミは強大な脅威だよ。今、私たちが想像しているよりも、きっとずっと。だから、これは」 椿が言う。 「オオカミ少年に対してじゃなくて、大人たちへの教訓。どれだけ嘘っぽく聞こえても、脅威に対しては常に備えている必要があるのに、そうしなかった人たちへの、これは警告の話なんじゃないのかな」 [201]
第四章 「エーミールと探偵たち」
(二)「よかった。とりあえず波長合いそうだ、あの二人」 「そう? ま、女子二人なんだし、普通じゃないの」 いつかの答えに、秀人の表情がやや曇った。唇を尖らせる。 「あのさ、いつかくんって本当にいい意味でも悪い意味でも男子だよね。同じ年くらいの女子二人を狭いところに放りこんでおけば勝手にくっついて仲良くなると思ってる」「違うのか?」 「全然違うよ」 [213]
(四) 「人間ていうのは、結構強いと思うよ」 と、これはあすなが言った。 天木もいつかも言葉を止める。一同が揃ってまた彼女を見た。 「そんなに簡単に絶望なんてしない。あるいは、絶望したとしてもそれならそれで、その環境に曲りなりにも適応しようとするんじゃないかな。これが『絶望』の状態って自分が思ってる瞬間が、たとえ現実になったとしても。そんな気しない?」 苦笑のような表情を浮かべている彼女が、軽い口調を心がけていること。それがわかったが、言葉の内容は決して軽いものではない。いつかたちは黙ったまま聞く。 [238] 「人間は、いい意味でも悪い意味でも命汚い生き物なんだよ。どんな状況でも、考えるのはまず生きること。死ぬことを考える余裕なんて二の次だよ。少なくとも私はそう」
第五章 「星の王子さま」
(一) 「しっかし、心が荒-すさむなぁ。人間って、なんで自分が嫌いな人のことを話す時ってあんなに生き生きするんだろ」 [259]
蔓延する悪意は、人を引きこむ。そしてそれに抗-あらがうことは困難で、逆に呑まれてしまうことはとても楽だ。けれど珍しいことに、秀人の場合は悪意の方で彼を引きこむことを躊躇っている。そんな空気を話から感じる。 [264]
「だってさぁ、実際に金を取られてるんだよ」 お金だよ、お金。と秀人がげんなりと繰り返す。 「程度がどれくらいかまだわかんないけど、殴られたりしてんでしょう? やられてることはきっとつらいし痛いのに、そこに勝手に『いじめ』って名前がつくとさ、周りは勝手に理解しちゃうじゃないか。ああ、これはすでに類型化された名前のある事象で、『加害者』がいて『被害者』がいて、『被害者』は痛くて悲しいものであって当然ってことになって、そしてそれは珍しいことではないっていうことで安堵感を持つ」 「よく聞く理論だな。フリーターとかニートとか、最初は異常とされてきた事象が、名前がついた途端に、当人も世間も理解する。そして、問題意識をなくす」 [275]
(三) 違うクラスの教室というのは、不思議だ。教室っていうのは、同じ学校なら部屋の作りは内装も大きさもほぼ同じなのに、いつの間にかクラス毎の雰囲気が色をつける。明確なよその家の空気。上がりこむことに一瞬、躊躇-ちゅうちょする。 [294]
(六) 「助け出してから、河野の考えを聞こう。一度明るみに出ると、後ろ暗い問題ってのはどんどん地下に潜る。友春がやってることがより陰湿になる可能性だってある。いじめをオープンにするのはまだ待った方がいい」 一拍間を置き、あすなをじっと見つめる。 「学校側に話すと、そこからは河野は完全に『被害者』になるが、あいつはプライドが高いんだろ? 『遺書』に『いじめ』って言葉が使えないくらいに」 [322]
(八) 「田舎って車社会だからさ。バカでかい駐車場のあるそういう店が重宝されるんだよね。で、そこがあると賑わうし、企業から入る税金も魅力だからっていろんな自治体が今、誘致の努力してるみたいだけど、その一方でさびれてゆく商店街、さびれゆく駅前。さらに進む車社会、発達しない公共交通機関、特に鉄道。そしてそのうち、にもかかわらずメガモール自体の集客力が落ちてきて、そこが撤退する時には、田舎にはもう何も残ってないってことになる」 鉄道、の響きにその場の全員が注意を向けたのがわかった。けれど誰も言葉を差し挟まない。報道特集のキャッチコピーをそらんじるように、河野が気分よさそうに続ける。「日本以上に車社会な本家アメリカがとっくに気付いてやめてるんだ。昔のメガモールが、今じゃ教会とか素行に衣替えしてるんだよ。そういうダメなお手本のことをわかってるにもかかわらず、ただ考えなしに同じことをなぞろうとしてるんだよね、日本は。不二芳も一緒だよ。目先の利益にかまけて、駅前だけあんなふうになってる」 [340]
第六章 「みにくいアヒルの子」 (二)
「人生にはイベントが必要なんだって。打倒ナントカっていうようなライバルとか、取り組むべき目標とか。この前の話だと、藤見生は暇で贅沢だから死を思うんでしょ? だったら退屈だけは絶対に避けなきゃ。目の前に夢中になれるものがあれば、少なくともその間は変な考えは起こさないで済む」 [362]
(四)「同じ名前の人が普段出入りする場所に二人以上いると、どっちかは名前を奪われるじゃない。小瀬くんも、そうだったのかもしれない」 [403]
明日は、檜-ひのきになろう。そう願う『あすなろ』。 なんて残酷な名前なんだろう、と小五の時、叔母に言われた。 あすなろは、どう頑張っても檜になる日なんて絶対にこないのに。まやかしの夢を見せるおめでたい名前だと、そう言われた。ああ、義姉さんの考えそうな名前だ、と。406]
ここまでで、前編。
450ページ近い後編がまるまる一冊控えている。
ーーこの後続く怒涛の急展開を初めて体験できる人は、なんて幸せなのだろう。
ではでは、またね。