信仰と共に暮らす人々 ラオスうたた旅 2023.9.27-10.5 5日目/ムアン・ゴーイ(Muang Ngoi) ① 宿👣メインストリート/朝の托鉢👣ゲストハウス/朝食

2023年10月1日(日) 

Ning Ning Guesthouse👣メインストリート/朝の托鉢/寺院👣ゲストハウス/朝食

朝の托鉢にて。途中何度か立ち止まり、横一列に並び歌うようにお経を唱える。

 

早朝5時半ごろだったろうか、寺院の鐘の音で目が覚めた。

朝の勤行が始まったようだ。

しばらくすれば托鉢が見られるだろうと思い

6時過ぎに宿を出てメインストリートに出てみると・・

すでに托鉢は始まっていた。背後に小さく見えるのが寺院の門。

僧侶の数は十人程ほどか。待っていたのは、すべて土地の人たち。

思ったよりも早い足取りに、遅れないと追いかける。

このペースだと数分で通りの突き当りに達してしまうな・・と思っていたら。

四つ角の手前で立ち止まり、横一列に並ぶ。

まもなく、いっせいに朗々と歌うような声でお経を唱え始める。

1分ほどの短い間だが、路上に座った人々は祈りの姿勢を崩さない。

日々の暮らしの中に、確かな信仰が息づいていた。

 

村の人々にとっては、毎朝繰り返される生活の一コマに過ぎないのだろう。

実際、我らふたり以外に観光客の姿は見かけなかった。

ちなみに托鉢の間じゅう、左手の家の中ではトンカチを叩く音が鳴り響いていた。

全員が全員、もれなく敬虔な仏教徒というわけではないらしい。

そうした強制感のなさも、心地よく感じられた。

300メートルに満たない通りの端に着くと

最年長の僧侶を先頭に、スタスタともと来た道を戻っていった。

これにて本日の托鉢は終了。後にはニワトリファミリーたけが残った。

と思ったら、住民と一緒に残る僧侶の姿が。おそらく、修業中の少年たちだろう。

弟子たちの別行動を咎めもせず、僧侶たちは足早に寺院へと向かう。

そうして何事もなかったかのように、ムアン・ゴーイの一日が始まった。

僧たちの後を追って、寺院の中に入ってみる。

昨日、門が閉じていたのは「牛の侵入を防ぐため」だと確認済み。

基本的にヒトの出入りは自由だ。(ただし門は開けっぱなしにしないこと)

すると、両手にお盆を捧げ持った女性が門をくぐり、右手の建物へと入っていった。

修行中の我が子に、差し入れを持ってきた母親と思われる。

数分の間に、料理を持ち込む母親の数は3人を数えた。

この建物のなかで、僧侶たちの朝ご飯が始まっていた。

ムアン・ゴーイの男の子は、みなこうして修業の日々を送るのだろう。

・・てなわけで、我らも朝ご飯をいただこう。

 

ゲストハウスのカフェは、他に客の姿はなし。

朝から曇りがちでむしむしするけど、川風は気持ちいい。

低くたなびく雲が、水墨画っぽい情景を作りだしている。

眼下の船着き場では、荷物の積み込み、洗濯、食器洗いと、それぞれ忙しそう。

対岸の水辺では、ウシの群れが朝ご飯?の真っ最中。

いっぽうこちらの朝食は、オーソドックスな洋食コース。

相変わらずフルーツは美味しかったけど、それ以外はごく標準的。

 

ともあれ、まだ一日は始まったばかり。

夜までの長い時間、ムアン・ゴーイで何をして過ごそうかな。

 

ではでは。