プチ辛口の秀作エッセイ。 『かなえられない恋のために』山本文緒  引用三昧 -33冊目-

著者が若い頃(30代?)に書いた恋愛エッセイ。

女性視点ならではの深く鋭い考察に、何度も"心の舌"を巻き巻きした。

 

もてない男というもの 

男の人というのは、本当に可愛いものだと私は思う。可愛くない人もそりゃいるけれど、大抵の男の人は皆愛すべき部分を持っている。男の人というのは、案外真面目なのだ。いや、そう扱ってあげるべきなのだと私は思う。遊び人扱いをすれば、そうなってしまう。“もてない男”ばかりがそばにいた四年間、私は彼らが女の子にふられる場面を沢山見た。連絡もせずに待ち合わせをすっぽかす女。電話一本でもう会うのはやめましょうと言う女。二股をかけておいて、それがばれると「あなたがちゃんと私のことをつかまえておいてくれないから」と泣きだす女。

意外と男の人を、きちんとしたひとりの人間として扱っていない女の人が多いのだなと私は思った。どんなダサい男の人だって、あなたの一言で深く傷ついたりするのだ。傷ついてどうしようもくなくて、お酒飲んでくだまいて原因を作った女のところに電話をして、余計嫌われたりするのだ。  [28]

 

エイズ検査 

普段人は、自分が死ぬことなどあまり考えない。もちろん、そんなに考えなくてもいいのだと思う。でも、私にとってエイズ検査は、強烈な踏み絵だった。自分が小説を書くという仕事に、それほど執着を持っていなかったことも驚きだったし、実はほしいものなど大してありはしないのだということもよく分かった。 [52]

                                                            

ディズニーランドへは誰と行くか 

私はどうも、あの東京ディズニーランドというところの空気にうまく溶け込めないのだ。決して嫌いなわけではない。アトラクション自体はすごく面白いと思う。それに、ロサンゼルスのディズニーランドに行った時は、何故かあまり違和感を感じなかった。男の人ではなく、母親とふたりで行ったのに単純に楽しめた。

あまりにもアメリカ的な、完成されたショー・スペースであるからなんじゃないかと私は思う。アメリカ的なものがアメリカにある分にはまったく構わないし、アメリカのディズニーランドにいる私は、ただの日本の観光客、という立場であったから特に文句も湧いてこなかった。アメリカ人は、こういうのが本当に好きなんだなあと素直に感心しただけだった。

それが日本にあるディズニーランドだと、何故か私はあのノリについていけないものを感じる。完全無欠のミッキーマウス的な世界に私はすんなり入っていくことができない。きっと、アトラクションにしても従業員の接客態度にしても、信じられないぐらいの膨大なマニュアルがあるに違いない。それを思うと、なんかちょっとうんざりしてしまう。

地面は異様と言っていいぐらい綺麗-きれいで、バイトの子はわざとらしいぐらい愛想が良くて、芝生でおにぎりを食べちゃいけなくて、頼むとグーフィーがカメラのシャッターを押してくれる優しさがあるのに、迷子の放送はしてくれない。

ディズニーランド的でないものを、徹底的に排除する。そうすることによって、細部まで凝りに凝りまくったディズニー世界が出来上がる。そこに一歩踏み込めば、もうそこは別世界で浮世ではないのだ。  [54]

 

ココロの栓を抜く                                                  

仕事がこんな仕事なので、一日中家にいることが多い。外へ働きに出るのと違って、家でひとりで仕事をしていると、あまり“事件”が起こったりしない。

会社に勤めている時は、上司に怒られて悔しい思いをしても、その五分後には同僚と馬鹿話をして笑うことができた。悔しい気持ちも悲しい気持ちも笑い飛ばしてしまえる。そしてまた五分後には違う人と話をして、また違う感情が生まれる。ひとつひとつの出来事をいちいち深く考えたりはしない。ちょっとした出来事など、忙しく立ち働いたり帰りに飲みに行ったりすると忘れてしまう。

ところが、家にひとりでいるとこうはいかない。何事もない一日ならばいい。一本も電話がかかってこなくて、郵便物がダイレクトメールだけで、家にも誰もいない。 こういう一日は感情が凪いでいる。嬉しくも悲しくもない一日だ。

けれど、こういう毎日の中で何か厭なことがあると、とても困る。

仕事上で死ぬほど頭にくることがあったり、人と喧嘩をしたりすると、それがいつまでもいつまでも厭な感情として胸に残っているのだ。繁体に嬉しいことは、いつまでもずっと嬉しいので得した気分だけど。何というか、ひとつひとつの感情の純度がすごく高いのだ。  [58]

 

ぶらぶら 

私は本当に見たい映画はひとりで見に行く。その方がしっかり頭に入るし、遠慮なく泣いたり笑ったりできるからだ。と言っても、友だちや男の人と映画を見に行くのが嫌いなわけじゃない。そういう時は目的が映画を見ることなのではなく“その人と会い同じ映画を見ること”が目的なわけだからいいのだ。だから人と見に行く映画は、まったく前評判を知らない映画か、ポップコーンをぼりぼり食べながら見られるような娯楽映画がいい。後でスティーブン・セガールって顔が変とか言って笑えるのがいい。 [73]           

若い子ちゃんからの手紙 

十代の女の子達の手紙の中に、よく「普通のOLにだけはなりたくない」「普通の主婦にだけはなりたくない」という言葉を見つけた。普通のOLや普通の主婦でいることの困難さを知らないから言えるのだと鼻で笑うのは簡単だ。 

けれど、本当にそれだけだろうか。

彼女達は無知ではあるが、そう馬鹿ではない。普通のOLや普通の主婦(自分の姉や母であるかもしれないし。テレビや雑誌からの知識かもしれない)が、彼女達の目には魅力的に映らないのだ。普通の大人、つまり彼女達に言わせれば特殊な職業に就いていない大人が、つまらない人間に見えて仕方ないのだ。 [78]

何かになりたかった、若い子ちゃん達。

でも、何かになるには、ものすごい情熱とエネルギーを要するのだ。生まれてから十八年で、たった十八年で、彼女達は「自分には無理」という判断を下すのだ。

その諦めの感情を植えつけたのは誰なのだろう。気が狂うほどの努力の果てに、あなたが欲しいものがあるのだと、大人が身をもって示してあげられたら、彼女達は簡単には諦めなかったのではないだろうか。そんなのは本人の意志の弱さで、大人のせいにするのは間違ったことなのかもしれないけれど。でも、子どもというのは大人を見て育つのだ。大人の作った本を読み、大人の作ったカリキュラムを勉強し、大人の作ったご飯を食べて、大人の作ったテレビを見て育つのだ。 [80]     

                                     

不倫と我慢 

私は学生の時色々なアルバイトをした。初めて見た大人の社会でまず感じたことは、

「世の中には、本当に不倫してる人って多いんだなあ」

ということだった。

社会で働くことの厳しさより先にそう思った。何故なら、どこのバイト先に行っても必ずと言っていいほど不倫カップルがいて、これまた必ずと言っていいほどそのふたりの関係は“公然の秘密”だったのだ。甘納豆屋にも居酒屋にも結婚式場にも大手電機メーカーにも不倫カップルはいた。〈中略〉

もはや不倫は、BSアンテナより普及しているのかもしれない。もうそれを見ても、誰も驚かない。目撃しても「ふーん」と思うだけだろう。 [95]

 

人には言えないお仕事 

人々に言われることで一番つらいことは「才能があっていいわね」という台詞だ。

才能。この何とも恐ろしい単語。自分には才能があると心から信じている作家が、世の中には何人いるだろうか(大勢いたりして)。そりゃ私だって、まったく才能がないとは思わない。まがりなりにも自分の本が何冊か出ているのだから。それでも、いつ仕事がこなくなるかびくびくしている。依頼があっても出版社の要求するレベルのものが書けるかどうかは、やってみなくちゃ分からないのだ。書けなければお金が貰えない。お金がなければご飯を食べたり家賃を払ったりできないのだ。それを“才能”の一言で片づけられてしまうと本当に泣きたくなる。本当に才能があったら、こんな思いはしていない。それに“才能”と“売れる要素”とはまったく別のものなのだ。  [125]

 

結婚を迷っているあなたへ 

もし、結婚を迷っている人がいたら、こう考えてほしいと私は思う。その人のことを養ってあげようと思えるかどうか、よく考えてみてほしい。夫と妻が基本的に平等であるのならば、夫が稼げなかったら妻が稼ぐしか道はないのだ。養ってもらうのはいいけど、養ってあげたくはない。そう思うのなら、その結婚はやめた方がいい。 [132]            

 

印象深かった箇所だけを厳選したつもりだったのに

前半部分だけで、こんなに引用してしまった。

小説も面白いけど、エッセイも秀逸。

いまさらながら、早過ぎた逝去が残念でならない。

 

ではでは、またね。

 

    トルコ・カッパドキアの夕景/裏山の展望台より(2019.11.28)