「たかがラノベ」とは言わせない 『悲鳴伝』『悲痛伝』西尾維新 引用三昧 -31&2冊目-

悲鳴伝             

第2話 「戦え! ぼくらの英雄グロテスク」

どの道小細工だが‥‥。

やらずに後悔するよりもやって後悔するほうがいいという名言もある。

名言とは耳障りのいい音楽と同じで、言葉の並びが気持ちよいだけで実用的ではないということをまだ知らない少年は、そんな心がけで、二人に向かう。[124]

 

第3話 「届け必殺! グロテスキック」 

変身したヒーローが敵をばったばったと倒す様子を見て、まあその頃から彼は、血沸き肉躍る戦いなどには特に何も感じたりはしなかったのだが、親が自分に期待するような反応を、それなりに無自覚にしたりしつつ、考えていたことがあった。

どうして敵を生け捕りにしないのだろう――だ。

生け捕りにして、捕虜にして、敵の情報を聞き出し、本拠地を突き止めたり、組織の規模を聞きだしたりすれば、その後の戦いをかなり有利に進められるはずではないか。

こちらの戦力が圧倒的に少ない以上(空々が見ていたヒーローものでは、少数精鋭と言えば聞こえがいいが、仲間を合わせても精々数人という小規模な団体だった)、それは絶対にするべきことだった――間違っても必殺技を使用し、怪人を爆発させてしまうなんて、やってはならないことのはずだ。

幼稚園児にもわかるようなことをどうしてヒーローはしないのだ―― [164]

                            

『完璧主義の人間というのは、大抵の場合、大成しませんから』

「? そうなの? 完璧なのに?」

『完璧であることと、完璧主義であることは違いますよ――天才と天才肌くらい違います』

「鮫と鮫肌くらい違う」

『……そう連鎖させられると、たとえの意味が全然違ってきますけれどね。

完璧主義の人間は、最初から完璧を目指すので、未熟な自分が許せない――だから、トライ&エラーができないんですよ。失敗をただ恥じ、ただ回避しようとする――それゆえに失敗を繰り返す。失敗と向き合えないからです。彼らは一生、同じ失敗を繰り返す』  [188]

 

悲痛伝             

第1話 「帰ってきたヒーロー! 新たなる戦いへ」

歴史の教科書を流し読みしただけでも、戦争がどれほど『起こりやすい』ものなのか、痛感する――人類は『戦いたがる』生き物なのだ。言ってしまえば、戦争の理由は戦争の口実と同義である。   [50]

 

第4章 「散らばった罠を見抜け! 夜間校舎の戦い」

重要なのは勝利ではなく、

敗北してもなお利益を得る戦いかただ。  [208]

 

誰かが『あなたのため』と言ったとき、それが言葉通りの意味合いであることはまずないということを『焚き火』は知っていたし、それが左博士の言葉となれば尚更でもあった。     [226]

 

人という時は互いに支えあって成立すると巷間よく言われるが、しかし実際にはそうではなく、あの形は一人の人間が立っている姿をそのまま字にしたものだ―― [233]          

 

ひと心地ついた。

その『ひと心地』こそが、今彼女が追う相手、追われながら狩られる相手――空々空の狙いだったことにはまったく気付くことなく、彼女はひと心地ついた。

手斧『切断王』を使用して、苦労して廊下にガラスをバラ撒き、様々な罠を思わせ、疑心暗鬼に陥れ――ある種のストレスを散々与えたのちに、『ひと心地』つかせる。

トラップでも何でもそうだ。

ことが終わった瞬間が、終わったと判断された瞬間こそが、一番の狙い目なのだ――空々空は人間を相手にするときは大抵、こうやって、相手に『勝った』と思わせてから、勝利を確信させたのに、逆転してきた。[241]

 

〈伝説シリーズ〉第1・2巻の前半部分より

心にとどめておきたい文言をピックアップしてみた。 

砂糖菓子みたいに甘々なストーリーのあちこちに

ピリッと刺さるスパイスが隠れている。

だから面白くて、やめられない。

個人的には、"ラノベ舐めんじゃねーよ"の代表格だったりする。

 

ではでは、またね。

 

            メキシコシティの夜(2020.3.4)