我ながら、"へそ曲がりな読者だなぁ・・"と呆れてしまう。
幾多の不幸を乗り越え、自立と成長を遂げてゆく若者たちの姿に対して
・・なーんか、都合よく行きすぎてんじゃね?
などと、不平不満を呟いてしまうのだから。
今回取り上げた連作(「おれのおばさんシリーズ」と呼ばれる)の主役は、3名。
不幸のどん底状態からの再出発を強いられた2人の男子中学生
高見陽介と柴田卓也。
彼らを預かる児童養護施設・鋒鋩舎(ほうぼうしゃ)の女あるじ、恵子おばさんだ。
(彼女は陽介の母の姉なので、題名通り「おれの伯母さん」となる)
"絵に描いたような不幸"、みたいな言葉があったと思うが
〈スタートライン〉における男の子ふたりの状況が、まさにそれだった。
たとえば陽介の場合。(一人称の「おれ」は陽介)
「おれが鋒鋩舎に入ったのは、中二の五月だった。銀行員だった父が横領事件〔私注:不倫相手の女性に大金を貢いだ〕を起こして逮捕されたからだ。埼玉県朝霞市の自宅は差し押さえられて、それまで通っていた東大合格者ナンバーワンの開聖学園もやめるしかなく、おれは母につれられて札幌にむかった。恵子おばさんは母の姉だが、姉妹の仲が悪かったために、おれはそれまでおばさんに会ったことがなかった」。
いっぽう卓也だって、負けていない。(不幸自慢か)
「卓也が十歳になる誕生日の前日に、父親は交通事故で亡くなった。ショックで精神状態が不安定になった母親は卓也を虐待するようになった。しかも、卓也は養子で、父の連れ子でもなく、卓也を産んだ女性は見知らぬ男に暴行されて妊娠したのだという出生の秘密までをくりかえし言って聞かせたのだという」。卓也は横浜の児童相談所に保護され、やがて札幌の鋒鋩舎に入る。 〔共に『おれたちの故郷』解説197ページ〕
残る「恵子おばさん」も、折角入った北大医学部を中退して劇団を旗揚げ。
スター俳優の後藤善男と、結婚し離婚。様々な職を転々としたのち児童養護施設に辿り着くという、波乱万丈の半生を送るのだが、そのあたりは本編に任せたい。
んで、何が言いたいのかというと
"これでもか!"とばかり立て続けに襲い掛かる〈不幸の嵐〉にもめげず
陽介と卓也は、中学生とは思えない「自己認識力」と「自立・再生力」を発揮。
周囲から幾度も降りかかる、いじめや無神経な差別行為に正面から向き合ってゆく。
※以下、ネタバレあり。未読の方は要注意!
一家離散の憂き目にあった陽介は、一度は壊れた両親との繋がりを新たに構築しつつ
再度勉学に励むことで、特別奨学制度を施すエリート高校へと進学。
さらに大きく豊かな人間関係を、創り上げる。
また、当初は人とつるむことを忌避していた卓也も、バレーボールの才能を開花。
スポーツ推薦で強力なバレー部を擁する青森の高校に進み
やがて日本代表レベルの選手へと成長してゆく。
・・てな感じで、最終的には、ほぼほぼ「めでたしめでたし」に着地するのだが
※実際には、本作4+1冊シリーズのラストで"大問題"が勃発しており
そのあたりを巡って〈第二部〉が始まりそうな雰囲気。
やたら"歯ごたえある苦難"が相次いで襲い掛るシリーズ1&2作目
(『おれのおばさん』と 『おれたちの青空』)と比べると
高校進学後のふたりを追った『おれたちの約束』『おれたちの故郷』のほうは
ストーリーの重点が陽介と卓也以外の〈周囲の人々〉へと移行。
その分、肝心かなめの若者二人が、いつのまにか
やたら立派で行動力に満ちあふれた、"不屈の闘士"に変貌していたのだ。
好意的な「解説者」は
それこそがシリーズを通して描き出されている主人公(たち)の成長ぶりだ。
てな感じの、美しい表現で持ち上げていたけど・・
様々な"リアル"を体験してきたうたたの率直な感想だと
冒頭のひとことに、行きついてしまうのだ。
むろん、本シリーズがとても面白い作品であることに、異論はない。
そもそも面白くない本なんて、わざわざ取り上げないし。
しかし、だからこそ、前半の二作で享受した
心の底までビビビと伝わる、痛く、切なく、青臭い、〈葛藤と闘いの日々〉を
最後まで味わえかなった悔しさともどかしさについて
触れずには、いられなかった。
・・・・うーん。
やっぱり、読者として歪んでるのかなぁ。
そのあたりを確かめてもらうためにも
ぜひ、手に取っていただきたい。
少なくとも、スイスイ読めちゃうことは間違いないし。
ではでは、またね。