"最強の代弁者"、ここにあり 『大人の流儀⑧⑨⑩』伊集院静 周回遅れの新書Rock

事件・災害・スキャンダルなど

さまざまなニュースに接するたびに込み上げる

"それは違うだろう!"

"こんなデタラメなことが、なんでまかり通るんだ!?"

といった戸惑い、失望、疑問、怒りなどを

簡潔な表現で、力強くも優しく代弁してくれる

――近年滅多に出会えなくなった、《共感の書》である。

 

読む前も、ページを繰っている間も

読み終わった後(?)でさえも

"ずっと読み続けていたい"と思ってしまう。

なので、新刊を入手しても、すぐに手にとることはなく

書棚に3冊ほど並ぶのを待ってから、一気に読み通している。

特に今回は著者の急病(くも膜下出血)もあり

10巻目の出版を待つのがしんどかった。

むろん、著者が味わったしんどさには、比ぶべくもないが。

 

そんなわけで。

いつも垂れ流してる、上から目線の能書きや、自己満足の言葉遊びは封印。

3冊のなかから、読者の胸に強く響いた数節を引用するのみとする。

 

『大人の流儀8 誰かを幸せにするために』より

人間は銭が手に入った時、どう使うかで、或る器量は計れる。

日本で、日本人の金で儲けて、ビバリーヒルズに豪邸を買ったという話を聞くと、

ーーおまえはそんな貧乏根性だったのか?

と情けなくなってしまう。                    〔47ページ〕

 

風潮、風評というものは、昔から根拠なき所から、唐突に生まれ、知らぬまに、それが当たり前のごとく受け入れられるものだ。

始末の悪いことに、根も葉もない話の方が世間に広がりやすいという側面を持っている。ではその誤ったものを人々が受け入れてしまうのは、どこから生じ、なぜいともたやすく受け入れられるかというと、これは人間の本能に近い部分があるのだろう。

〈中略〉世間というものは恐い側面を持っている。

この怖い世間を成り立たせているのは、実は一人一人の人間でしかない。

人間が一番怖いのである。                  〔83-4ページ〕

 

スポーツでなくとも、不正が起る時は、それ以前に似かよった状況、これを容認してしまう人間の愚かさが表出する。

戦争が一番わかる例である。太平洋戦争は軍部の暴走という歴史認識を抱いているとしたら大間違いである。日本人の大半がアメリカを憎んだのである。明治以来、敗れることを知らなかった国民は、勝てると信じた。そうでない反対を唱えた者は皆牢獄へ入った。                             〔110ページ〕

 

失恋は、そりゃしないで済んだ方がイイに決まっているが、失恋をした人間の方を、私は信用する。色男や、ボンボンは、なぜ失礼をした方がよいかをわからず、バカのまま一生を終える。甘チャンの人生なのだ。なぜ甘チャンか? それは苦味の味覚を知らないからである。

料理にとっても、酒にとっても、苦味が上質への必須条件である。口にするものでさえそうなのだから、ましてや人の生き方であるならなおさらである。 〔123ページ〕

 

プロスポーツは天才でない限り、若い時にいかに苦しく辛いことをどれだけやれたかで、登る山のかたちが変わる。大人の男の仕事もそうである。だから私は若い人に「きびしいことを言うようだが、若い時に辛い、苦しい時間を自ら持ち、それに耐えて励みなさい。才能も家柄もない人はそれしか一人前になれる方法はない」と話すのだが、何で自分だけこんな苦しいことをせにゃならんの、皆遊んでいるのに‥‥と放り出せば、それでもう夢や希望は遠去かるのを、彼等は知らない。      〔131ページ〕

 

七年前、あの大地震のあった日の夜、余震で家屋を飛び出し、庭先に立つと満天の星がかがやいていた。

私はこの美しさを酷いと思った。

ーーどうしてこんなに美しいんだ。これでいいのか、自然というものは‥‥。

家人と私がそれぞれ抱いた犬も空を見上げていた。        〔188ページ〕

 

『大人の流儀9 ひとりで生きる』より

私は"孤独"を知ることは、人間が生きる上で、知っておかねばならないいくつかの基本のひとつだと思っている。見方を変えれば、"孤独"と遭遇したり、"孤独"を知ることが、生きることである。                     〔16ページ〕

 

勘違いと傲慢は、その人の成長をたちまち止まらせる。

天才と言われて、その気になったら終わるのと同じである。

謙遜になれと言っているのではない。勘違いとか傲慢なぞ、思う暇もないほど励まないと、人並み以上の能力は身に付かないし、未知の領域にあるものを発見したり、創造したりする作業、行為は、おそらくそういうものなのだろうと思う。  〔22ページ〕

 

「近しい人の死の意味は、残った人がしあわせに生きること以外、何もない」

二十数年かけて、私が出した結論である。

――そうでなければ、亡くなったことがあまりに哀れではないか。  〔27ページ〕

 

人は誰もスーパーマンではないのだから、逃げ出してしまう時もある。

私はむしろ、そういう心境を味わうことをしてみるべきだと思う。それがどんなものかを自分でたしかめた方がイイ。

それを知らない人より、それを一度知った人の方が、少しだけ前進をするはずだし、もしかしたら、少しだけ以前より強くなっているかもしれない。    〔40ページ〕

 

 

パリはあちこちの店のショーウィンドウが破壊されていた。去年11月からの大きなデモと暴動の名残りである。見ていてやはり痛々しかった。

フランス人はまだ怒りの感情をどこかに隠し持っているのだろう。

それは、この何十年間で日本人が喪失してしまったもっとも手放してはいけないもののひとつのような気がする。なぜ日本人は憤怒を捨てたのか? 怒りの感情の中には、その人を成長させたり、新しいものに挑んだりする精神が養われているように思うのだが‥‥。                            〔82ページ〕

 

週末に昼食を摂りに出たら、えらい人混みであった。

坂道がまともに歩けなかった。

お茶の水は大学、専門学校、予備校があり、若い人が多かったが、神楽坂は、どこからこれだけのジジイとババアが出て来たのかと驚いた。どう見ても何か用があって来ているのではない。その上、高齢者であふれているので歩調もゆっくりだし、合わせて歩いていると、こちらも段々おかしくなる。

今の高齢者の大半は、高齢者ということに甘えているように映る。いや実際そうなのだろう。

ーーサッサ、サッサと歩きなさい。

若者もしかりで、ブラブラと歩く。そうでなければスマートフォンを覗いている。

そんなものの中に、君の将来を導いてくれるものがあるわけがないだろう。

神楽坂をブラブラする暇があるのなら、無銭旅行でいいから、世界の真実を見るために旅ヘ出ろ。若い時にラクをすれば取り返しがつかなくなる。    〔118ページ〕

 

人は、人生の中で、いかなる人と出逢ったか、ということに尽きるところがある。

その第一は家族、つまり両親であり(人によっては片親であったり、両親を見ないで育つ人もいよう)、子供のうちな、その人を見守り、育ててくれた人たちである。

                               〔150ページ〕

私は他人の家へ上がることをしない。

招待された場所が、誰かの家なら断わる。

壁に掛けてある一枚の絵でも、さりげなく置いてある器でも、人形でも見てしまうのが怖い。

貴金属の類もそうである。

やたら"光りもの"(貴金属をそう呼ぶ)を身に付けて、それが思わぬ高価なものであったりすると、

――バカじゃないか、この女。

と思う。

食事も、これが一番美味しい、というものをわざわざ食べに行く人がいるが、やはり、ーーそんなことに時間と金をかけて何をやってんだ、この連中は‥‥‥。

と思う。                           〔162ページ〕

 

この二十年間、天気予報が変わった。ヒドイものである。タレントばりに面白可笑しく天候を話している。天気予報は報道番組の大切なパートである。山や海に仕事で出なくてはならない人たちにとっては死活の情報だ。それをワイドショーの中では、これまた司会のタレントと掛け合い万歳のごとくやる。仕事に追われる日々でやっと外出できる日の予報が雨だと、笑いながら言われると、腹が立って来る。何がゲリラ豪雨だ。訳のわからん日本語を使いやがって。おまえたち二人を、そのゲリラ豪雨の真ん中に、木に縛り付けて置いてやりたいよ。以前はまともな人もいた。おそらく亡くなったのだろう。今もモリタ某ともう一人(名前を知らない。失礼)いるが、あとは二束三文、嵐の海にでも放り出してやりたい。気象予報士という資格を作ったのが間違いなのである。あれは職業ではない。                     〔173ページ〕       

 

『大人の流儀10 ひとりをたのしむ』より

「六十五歳を過ぎて何かをしたかったら、それまで経験した苦労、辛さの何倍もの苦節の時間と対峙すべきです。"ひとつのことを成し遂げた自分が今更なぜ、そんな苦労を"という考えではダメです。最後の苦労をするのです。いや最後まで大変なのが仕事です。これまでの勲章を捨ててしまいなさい。それは過去のことであって、今日、明日からの日々の仕事や生き甲斐とはまったく別のものです。ほんの一年か、一年半、苦労をしてみるのです。勿論、若い人に叱られることもあるでしょぅが、その歳になったら年齢など忘れてしまいなさい。きっと何かを得られます」      〔23ページ〕

 

「よく覚えておくのよ、誰かを悲しませる嫌な話や、噂話があったら、あなたの胸で皆止めるの。この先ずっとそうして下さい」

以来私は、他人の噂話はいっさいしない。雑誌の中傷記事も読まない。

その類のことに徹して来たら、普段どんなに人柄の良い人であっても、噂話をしている時の彼等の顔がなんとも醜いとわかった。             〔33ページ〕

 

"△△世代"なる表現がある。

あれも聞いていて、嫌な気持ちがするし、同じ思いの人はいるだろう。

最近、女子のプロゴルファーが活躍してい子たちを"黄金世代"と呼ぶらしい。

ゴルフマスコミは、何かを言い当てたように口にするが、そこに属していると本気で思っている女子プロは一人もいないはずだ。

マスコミは昔から総論、もしくは断定を好むし、そういう発想を持って、取材対象を見る。その方が世の中を語っていると勘違いをしているからだ。    〔38ページ〕 

              

"ウィズコロナ"? 横文字をくっ付けりゃイイってもんじゃないだろう。どこまで馬鹿

なんだ君たちは。いい加減にしないか。              〔84ページ〕

 

 

この頃はスタンドで観戦する人までを画像として流す。

あれを見ていて、アップにされた日本人応援団の、あのバカ顔と、はしゃいでばかりいるアホヅラにうんざりする。  

いつから日本人はあんなに情けない観戦しかできなくなってのだろうか。

とにかくはしゃぐ。みっともない。               〔155ページ〕

 

「命を守る行動をして下さい」というのは気象庁、一庁から発信される類の情報、そこで使う言葉として、どこか違う気がした。政府のしかるべき機関が責任者をともなって市民、国民に発信すべきだ。この言葉を聞いて、北朝鮮のミサイル発射の時、東北地方だけに鳴らされる携帯電話の緊急警報に似ていると思ったし、古く言えば太平洋戦争時に各都市で、空襲警報のサイレンのみで発信したカタチと似ているのではないか。

東京を初めてあの規模の大型台風が襲うと報道された。神田川は地下の貯水スペースが なかったら大惨事を起こしたのではないか。なのに都知事の動きがまったく見えなかった。この知事の行動に疑問を抱いているのは私一人だけなのだろうか。 〔164P〕

 

志村けんの死亡は人々に衝撃を与えた。コロナの強靭さを思い知ることになった。そこに一人の政治家が"ロックダウン"という言葉を平然と使ってさらに国民を恐怖に陥れた。東京都知事小池百合子である。パンデミック、オーバーシュートと訳のわからぬ言葉が飛び交うようになった。ロックダウンは戦争時に使用される言葉で"封鎖"のことで、その背後に、戦車、銃を構えた兵士を立てることを意味する。そんなことも熟慮せずに横文字好きの政治家は口を滑らせた。            〔185ページ〕 

 

私の経験から申せば、コロナは自信と似ている。突然、やって来ることもしかり、大勢の人が被害を受ける点もそうだ。百年、二百年に一度必ずやって来る点も似ている。

そうであるなら、私たちは必ず対処法を見つけ、それを実行できるはずだ。

                               〔187ページ〕

 

あまりに気持ちよくて、書きすぎてしまった。

どれも、「よくぞ書いてくれた!」と感謝するばかりだ。

 

明日からは、また、過去の旅を振り返りたい。

ちょうど5年前の6月7日、リスボンへ飛んでいた。

 

ではでは、またね。