誰もが"花火"なのだ。『空に牡丹』大島真寿美 周回遅れの文庫Rock

ひとことで紹介すると

花火に人生を捧げた村のボンボン(大地主)の人生、である。

 

まったくもって、"これだけ"なのだ。

ところが、ひとたび読み始めたら、やめられない、止まらない。

実際、いつもの〈寝落ち読書〉を励行すべく

あっけなく読み終えた『モリアーティ』(アンソニーホロビッツ)を

最近やたら増えた感想――ふーん、よく出来てるね――もろとも

"今月読んだ本"の天辺にポンと乗せた後だった。

 

まだ眠くないなぁ・・次の本の最初だけでも読んでみるか。

なんて、軽い気持ちでページを開いたのが運の尽き。

 

気が付いたときには

すっかり明るくなった屋外で小鳥のさえずりを耳に流しながら

摩訶不思議な充実感とともに

307ページの末尾にしたためられた三行の文字列を

何度も、何度も、目でなぞっていた。

 

ごく常識的に考えれば

広大な田畑を後先考えず売り払い続け

数十年に渡り莫大な財産を花火(開発・改良)に注ぎ込み

江戸時代から続く女池没落させた主人公・清助さんは

絵に描いたような道楽息子であり

もっとあけすけに言えば、ただの"アホンダラ"に過ぎない。

 

だというのに、こんなにも心地よい読後感は

いったいどこから来るのだろうか?

 

その答えと言えそうな主人公・清助の"想い"を

端的に示すやりとりを、物語のなかほどで見つけた。

ネタバラシになるかもしれないが

これを出さないと何が凄いのかわからないと思うので、書いてしまう。

 

★もし、ここまでで読む気になれたんだったら、スクロールはやめとこう★

 

 

 

「もうおしまいなのですか」

「ああ、おしまいだ」

「あっけないものですね」

「そうかい? だけど、あれだけの花火を拵えるのにふた月近くかかっているんだよ」

少し不満げに清助が言う。

「でしたらよけい、あっけないではありませんか。ふた月かけて拵えても空に上がった途端、見る間に消えてしまう。後には何も残らない。まるで幻のよう。清助さん、花火はそんなに楽しいですか。おっ姑さまも心配しておられますよ」

「知ってる」

「いい加減にしておいたらいかがですか」

「どうして」

「すぐさま消えてしまうものに大切な可津倉家の蓄えをつぎ込むのは惜しいではないですか」

「惜しい? 消えてしまうから惜しい? なぜ」

「なぜって、消えてしまう花火とともに蓄えも消えてしまうんですよ」

ふう、と清助が溜息をつく

「あのね、琴音、儂らだって同じだよ」

「え?」

「儂らだって、ぱっと現れ、ぱっと消えていく。儂らも花火と同じなんだよ。寿命が長いか短いか、それだけの違いじゃないか。消えてしまうからといって、なにがいけない。なあ、儂らの命があそこに見えると思ったらどうだ。ぱっと開いてぱっと散る。奇麗に散れたら嬉しいじゃないか」

「屁理屈です」

「そう? そうかな? たゑ。たゑ。花火は奇麗だったろう?」

清助が、たゑの頭に手を載せた。

こくりとたゑが頷き、清助が手を離した。たゑがふざけて、その手を摑もうとする。清助は邪険にしないで、くるくると腕を動かし相手になってやる。たゑがようやく清助の手を掴まえた。

「たゑ。たゑ。せっかく生まれたんだもの、生きてるうちに、奇麗なものをたくさん見たいよなあ」

たゑがにこにこ笑っている。

たゑの笑みに誘われたかのように清助もにこにこと笑いだした。

やや青みがかった月明かりが二人を照らしている。      203-5p

 

 

いいもん読ませてもらいました。

ありがとう。

 

 

ではでは、またね。