『福岡ハカセの本棚』福岡伸一  -引用三昧 25冊目-

シンクロ率がべらぼうに高い著者のひとり。

"そうだ、そうだ、そのとおり!"

と、心の内で頷きつつ読む箇所が多く、引用もダラダラ伸びてゆく。

それでも、この知的興奮を、なんとかして伝えたいのだ。

 

〔はじめに〕「それは図鑑から始まった」                                                                    私にとって図鑑のページをめくることは一種の探検であり、まだ見ぬ世界を言葉によって確認していく作業でもありました。私は読書と言う旅を、「この世界の事物を洗いざらい枚挙-まいきょし、それらを公平なグリッドの中に並べる」という場所からスタートしたのです。元々自分のなかに、自然がもつ公平さや秩序に惹かれる性向があったのかもれません。そして秩序は、すべてを枚挙して初めて目の当たりにすることができます。科学者になった後も、私は長く生物の体を分子レベルに分解し、そこにある要素を徹底して枚挙し、それらに名前をつける仕事に懸命に取り組んでいきました。[14]

 

第1章 自分の地図をつくる――マップラバーの誕生――

世界を鳥瞰する視線                                                                                                     加古里子『かわ』という絵本を読んだのは、小学校の低学年でしょうか。〈中略〉      ここに描かれるのは、源流から河口に至る川の一生です。絵は空から下界を見下ろすような構図で、川のまわりには豆粒のような人や家々が見えます。特定の部分が強調されることなく、川を中心とした世界がゆったりと鳥瞰されています。                               マップラバーは、このような世界の描き方を好みます。私は昆虫少年、つまりはある種のオタク的人間として、世界の成り立ちを知ることに強いこだわりをもっていました。目の前に美しいものがあれば、その美しさのもとを探りたい。川ならばそれをさかのぼり、源流の湧きいずるところを見極めたい。そしてもちろん、それがどのような過程を経て姿を変え、最後にどうなるのかということも。この場合、すべてのプロセスは公平に眺められなければなりません。                                                                                      そうして初めて本当の世界に近づけるのです。 [18]

 

第2章 世界をグリッドでとらえる ◆不思議さに目を見はる感性                               私自身のセンス・オブ・ワンダーは、昆虫との出合いにありました。小学生の頃、図鑑で見たルリボシカミキリという青いカミキリ虫。ビロードのような輝きを湛え、鉱物のように内側から放たれる青。その上に散る漆黒の斑点。一度でいいから実物が見たいと焦がれ、野山をさまよいました。そして、ある夏、ナラの倒木の朽ちかけた襞の上にその虫を見つけたのです。                                                                                                    空の青でも、海の青でもない。小さな虫の背中にさざ波のように変化する青が凝縮していました。息を呑む美しさ。その瞬間、その感動が、私のセンス・オブ・ワンダーでした。[43]

しかし、私たちは大人になると、いつしかこうしたセンス・オブ・ワンダーを失くしてしまいます。子どもの頃に好きでたまらなかったもの、思いがけず心を揺さぶられたこと。それらを忘れたり、手放したりしてしまうのです。カーソンはこう書きます。   「残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直観力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます」  センス・オブ・ワンダーは、成長するにしたがって不可避的に失われてしまう。         大人になるとは自分の有限性に気づくことです。子どもの頃は誰もが果てしない未来を思い描きますが、やがて可能性は限定され、夢はあきらめるべきものとして輝きを失います。まぶしかった世界が色あせることは喜ばしいことではありません。しかし一方、子どもの頃に出会ったセンス・オブ・ワンダーはどこかで私たちのなかに残り、私たちを支え続けている。もしもそのことを思い出せれば、私たちはいつでも自分の原点に立ち返り、希望をもって生きていけるのではないか。カーソンはそう伝えたかったのではないでしょうか。[44]

凍-いてつくトンボの美しさ                                                                                        里山で営まれるトンボの一生を描いた石亀泰郎『さらならトンボ』は、センチメンタルでもなければ、啓蒙的でもありません。〈中略〉[47]                                                      圧巻は、本書の表紙にも使われている一枚の写真です。ある冬の寒い朝、枯草に連なって止まるガラス細工のようなトンボたち。そこにすでに命はありません。凍てついて息絶えたトンボがこれほど美しいのは、その運命をまっすぐに受け入れているからです。

「渦巻き」という意匠 ルリボシカミキリの青に限らず、私はもともと自然の中の色や形に心を惹かれていました。蝶の羽に描かれた様々な模様、その色彩の豊かさや鮮やかさ、甲虫やセミの絶妙なフォルム。それらに目を凝らすうち、たとえば繰り返し現れることに気づいたのです。もう一つの発見は、そのようなパターンが、私たちの暮らしのそこかしこに文様やデザインとして活かされていることでした。 [49]          

人類が大切に受け継いできた意匠はあらかじめ自然の中に用意されていた。                そう言い換えることもできます。そのようなパターンの一つに、「渦巻き」があります。渦を巻く形は自然界の至るところで見られるものです。巻き貝、植物のつる、チョウの口吻。ヒマワリの種は、時計回りと反時計回りの渦が組み合わさった形で並んでいます。[51]

ある個体が死ぬと、その住まいや食べ物、活動していた時間は別の個体へバトンタッチされます。生命は、その繰り返しによって永遠に連続するのです。                               その意味で個体の死は最大の利他行為です。ケルトの渦巻きが表すのはまさにそうした循環であり、関係性に他なりません。彼らは生命現象の本質を直感し、それを渦巻きに託したのです。[52]

完成させない思想 私は常日頃から、3という数字には重要な意味があると思ってきました。もしも二つの力が拮抗すれば、均衡と同時に、対立が生まれるかもしれない。しかし、3つの力がせめぎ合う、あるいは3方向から引き合うとき、そこに生まれるのは回転です。だからこそ、3という数は対立や決着を避け、永続的にこの世界のバランスを維持するための知恵として、社会の様々な場面に活かされてきたのではないか。その知恵の底には人類の成熟、あるいはもしかすると、諦念があるように思えます。[53]             

世界の永続的なバランス。そのことを考えるとき、日本の縄文時代を思わずにいられません。渦巻き文様は、縄文土器にも数多く見られます。ケルト人が抱いていた自然崇拝が、キリスト教によって駆逐されたかに見えながら、いまもアイルランド他にその面影を留めるように、縄文文化弥生人によって蹴散らされつつ、八百万の神を祀るような心性として日本人のなかに生き続けてきました。[54]                          

国立科学博物館で2012年に開催された『縄文人展 芸術と科学の融合』を企画したデザイナーの佐藤卓-たくさんと対談をさせていただいたとき、面白い話を伺いました。縄文時代に、1000年もの長期間にわたって建物の土台をつくり続けていた遺構があるというのです。そのことを指摘した本として、佐藤さんが教えてくださったのが小林達雄『縄文の思想』です。                         縄文時代の研究者である著者は、土器、土偶、さらには三内丸山遺跡などのモニュメントから縄文人の思想や世界観を探ります。いったいなぜ縄文土器は、かくもデコラティブで使いづらい形をしているのか。7000個もの石をわざわざ運んでつくった大湯環状列石は、何のために建てられたのか‥‥。そうした謎の建造物の一つに、栃木県にある寺野東遺跡の環状盛土があります。                      直系165mの輪っか状の土盛。それを形成する土層の数が、工事のおおまかな回数を示します。各層に混ざる土器から推定するに、トータルの工事期間はざっと1000年。つまり、数十世代にわたって工事が続けられた計算です。           それだけ時間がかかってもなお継続されたということは、決してつくり手がいい加減だったわけではない。それどころか、土盛に取り組んだ人々は、その造営に恐ろしく長い時間がかかること、場合によっては完成すらしないかもしれないことわ知っていたのではないか。そう著者は推察します。                      「記念物の造営が二〇世代、あるいはそれ以上にわたって継続しているということは、とりも直さず、いつまでたっても工事が完成していなかったということにほからならない。それでも平気だったのは、記念物を完成させることに目的であったのではなく、未完成を続けるところにこそ意味があったとみなくてはならぬ」           もしも完成を最大の目的にするなら、規模を小さくしてつくり上げてしまえばいい。そうしなかったのは、造営を続ける行為そのものが重要だったというわけです。    縄文人は完成図にしたがってまっしぐらに工事を進めたのではなく、その日その日をただ作業に明け暮れていたのではないでしょうか。その合い間に食べ物を探し、夜になれば眠り、朝が来れば太陽に感謝してまた一日を始める。そういうシンプルな毎日を積み重ねていたからこそ、縄文は1万2000年の安定を謳歌したのです。                   現代人は常に物事の完成を迫られ、締め切りや納期に追われています。しかし、完成を至上命題とする価値観は近代の所産です。それに対して、完成を目指さない思想はとても生命的に思えます。世代も個体間の壁も越え、動的な平衡を維持し続ける生命に完成はない。同じく、そのときどきの状況に応じて小さなつくり替えを繰り返す生物の進化にも、完成形というものはあり得ないのです。[55]

 ダ・ヴィンチの意外な人生 渦。水の流れの中の渦巻き。レオナルド・ダ・ヴィンチは、なんとかしてそれを紙の上に留めようとしていました。            水には固定した形がない。けれど、水の流れには不思議な秩序がある。ねじれのような、らせんのような、ある種の平衡を保つうごめき。しかもそれをなす水は絶えず入れ替わっている。ダ・ヴィンチはときに一日中故郷の川のほとりにたたずみ、そんな水の渦を飽きもせず眺めていたに違いありません。その観察は、複雑な水の渦を描いた何枚ものスケッチに残されています。                        彼は、自然の中に現れる形に尽きせぬ興味をもっていました。そして、「なぜそこにこの形が現われるのか」を考え続けていたはずです。それらの原理を数学的に説く明かす方法はまだありませんでしたが、いくつかの形のあいだに類似性を見出し、それを絵に描き留めていきました。「木の枝と血管のアナロギア」という素描には、枝分かれする樹木の枝と人間の血管が重ね合わされています。その頃芸術と科学はまだ渾然としていました。 [57]

「かたち」を貫く共通原理                          フィリップ・ボール『かたち』『流れ』『枝分かれ』は、自然界に共通したパターンが現われるのは決して偶然ではないと教えてくれます。著者は科学誌『ネイチャー』のエディターなども務めるフリーランスサイエンスライター。            3冊共通のサブタイトルは「自然が創り出す美しいパターン」。          この3部作が最新の研究成果をもとに明らかにするのは、自然の中に繰り返し現れるパターンには共通した構造構築原理が働いているということです。たとえば『かたち』。先ほどアンモナイトのような巻き貝がどのようにできるかを説明しましたが、ある一定の角度で制御される運動を「等角運動」と呼びます。この運動による成長は、羊の角やカリフラワーの頭花など様々なものに見られます。それらは、中心から引いた直線と回転していく線との交点の間隔が中心から離れるにしたがって広くなる「対数らせん」という図形に置き換えられ、数学の方程式で記述することができます。[60]        あるいはシマウマの縞やヒョウの斑点。こちらは細胞が消えていくときに色素沈着を起こしたり、抑制したりする化学物質が生成され、その濃度と拡散速度の組み合わせによって現れると考えられています。これはキリンでも――おそらくテントウムシでも――同じです。生き物の体表に現れる模様にも、それをつくり出す共通原理があるのです。実は等角運動は、生き物の動きにも見られることが、最近の研究でわかってきました。夏、電灯に向かってくるくると回りながら飛んでくる虫。その運動は、やはり一定の角度をもった回転の軌跡を描きます。人間が地上に現れる前、昆虫は、昼間なら太陽光、夜間なら月や星の光を頼りに活動していました。これらの天体は地球からはるか彼方にあるため、そこからの光はいつも同じ角度で地球に降り注ぎます(月を見ながら歩くと、月が一緒についてくるように見えるのはそのせいです)。虫たちはその角度に対して、常に一点の角度を保つように飛んでいた。ところが、ビルや街灯からの光はすぐそばにあり、一点から放射状に放たれます。そうした光に対して同じ角度を保とうとするは、クルクルと円を描いて飛ばざるを得ない。その動きは、巻き貝ができるときとは反対に大きな円から小さな円へと収斂していくのですが、同じ原理にもとづいています。

幾何学模様の音楽 私はベートーヴェンメンデルスゾーン交響曲のような、ロマン派の音楽はあまり聴きません。それらは絵画における印象派のように、いささか情動が過剰に思えるのです。心にまとわりついて個人的な感情を呼び覚ます音楽より、いつ聴いても同じようにサラサラと流れテフロンのようにこびりつかない音がいい。心安らぐのは、抑制されながらもきらびやかなバロック、とりわけバッハです。      幾何学模様のように整然と配された音符が、少しずつ揺れながら生み出していく旋律。個々の音楽へのリスペクトと公平さ。バッハの音楽は、まるで幾何学にのっとって打たれたドット、それによって形づくられるグリッド文様のようです。         バッハの曲の中でも、私は特にゴルドベルク変奏曲を愛しています。静謐-せいひつに始まり、華麗に展開し、やがて再び静謐へと還-かえる。この曲をグレン・グールドのピアノ演奏で聴いて以来、それは私にとって一種の精神安定剤になりました。

グレン・グールドはとても変わった人です。カナダのトロントに生まれ、10代の頃からリサイタルを開いてその類稀-たぐいまれな才能が世界から注目されながら、人前で行なう演奏に疑問をもち、31歳ですべてのコンサート活動から引退。以後、50歳で亡くなるまで、スタジオでの録音、及び放送番組だけで楽曲を発表していきます。     ひどく低い椅子に腰かけて演奏する、ピアノを弾きながらその曲をハミングするといった演奏スタイルとともに、夏でもマフラーと手袋を身につけた姿がトレードマークでした。しかし、そんな変人ぶりとは裏腹に、演奏はどこまでも華麗で軽やか、誇張もデフォルメもなく、バッハの描いた幾何学模様にきわめて忠実です。彼もまたグリッドな世界の住人だったと思えるのです。                        宮澤淳一グレン・グールド論』はとても詳しく、その美学や想像力の源へと分け入っていきます。グールドが折に触れて発表した音楽メディア論や、二つのゴルドベルク変奏曲――1955年と1981年に録音された――のあいだに移ろった音楽観、さらに、カナダ人としてのアイデンティティについても論じられています。       最近出版された中で面白かったのは、青柳いずみこ『グレン・グールド 未来のピアニスト』。著者自身がピアニストであることから、演奏家ならではのまなざしで、常人には理解しにくいグールドの身体性や心理を見つめ直しています。          同時に、グールドがコンサート活動から引退する前のライブ録音をもとに一般に知られざるグールド像を描き出し、読者を充分に楽しませるのです。[66]

「消えたフェルメール」の行方 昆虫少年だった私は、成長するにつれ、生物学者になることを志すようになりました。大学から大学院へ。しかし、日本の大学に残るのは気が進みません。博士号を取ったらアメリカへ研究修行に行こう。幸いニューヨークのロックフェラー大学に職を得ることができました。ポスト・ドクドラル・フェロー。 ポスドクは研究における即戦力ですが、実際は“研究奴隷”です。給料は安く、仕事は過酷で、毎日ボロぞうきんのように疲れてアパートに帰るのが日課になりました。ニューヨーク在住とはいえ、低所得者層なのです。                   碁盤の目のようなマンハッタンの街を抜けて大学に向かうとき、私はしばしばあみだくじを引くように違うコースを取りました。そんなある日、マジソン街の一角に白亜の建物を見つけたのです。フリック・コレクション。20世紀初頭に巨額の財をなした鉄鋼王ヘンリー・クレイ・フリックの取集品を展示する個人美術館でした。        中に入ると、外の喧騒とはうって変わった静けさが支配しています。天蓋付きの明るい中庭と噴水を中心に、回廊状に配置された建物。そこに展示されている絵画には、ガラスの覆いがありません。人と絵が親しく接する空間で、私はフェルメールの3つの作品――『兵士と笑う女』『稽古と中断』『女と召使』――に出会ったのです。「なるほど、これがあのデルフトの画家フェルメールか。すごいな」。後で知ったところでは、フリック・コレクションの収蔵品はフリック自身の遺志によりいっさいの貸し出しを禁じています。つまり、これらの作品はその場所でしか見られないのです。[75]

                       

第3章 生き物としての建築 ◆「負ける建築」の親和性

生命的な建築とは何かを考えたとき、隈研吾『負ける建築』『自然な建築』、伊藤豊雄『あの日からの建築』といった本に読み取れるビジョンは示唆的です。〈中略〉   『負ける建築』は、そんな建築家の転機を記する本でもあります。そこでは、絶えず変化し続ける人間の生活を物理的にも金銭的にも硬直させ、同時にまわりの環境も圧倒する建築を20世紀型の「勝つ建築」と定義しています。それに対して「負ける建築」とは、周囲に対してより受動的な、弱く柔らかい建築である、と。具体的には、その土地の環境を可能な限り受け入れ、合わせ、それと溶け合う建築のことです。     「隈研吾の建築」と聞いて思い浮かぶのは、熱海に建てられたゲストハウスの、ガラスと水平線が織りなす景色でしょうか。それとも新しくなった根津美術館の、緩やかに傾く瓦屋根でしょうか。                             こうした建築物をつくるなかで、隈さんは素材というものをとても大切にされてきました。20世紀型の「勝つ建築」は主にコンクリートを使って建てられたのです。しかし、コンクリートが生み出せるのは、「場所と素材との関係を断ち切り、自然を画一化する建築」でしかあり得ない。関係を切断する建築に堕するのを避けるため、水、石、木、竹、土、和紙といった素材を、なんとかその土地との連続性の中に活かせないものだろうか。『自然な建築』では、建築家のそんな思いと、試行錯誤を重ねながら日本と世界のあちこちでそれを形にしていくストーリーが語られます。               隈さんも書かれているとおり、木や紙を使った建築物はメンテナンスに手がかかります。建築物をどう持続させるかは、大昔から人間が抱えてきた問題です。かつて人々は、地中深く杭を打ち、がっしりした土台をつくり、その上にピラミッドのような強固な建築物をつくり上げることで、物質が受ける時の試練に対抗しようとしたのです。 しかし、たとえそれをどれだけ強固につくっても、宇宙を支配するエントロピー増大の法則にはさからえません。私たちが住むこの世界では、放っておけば温かいものは冷え、光っている金属は錆び、建物は風化して損なわれます。秩序は必ず、無秩序に向かいます。[91]        

二つの塔」が示す世界のバランス 男と女、陰と陽、善と悪。世界はしばしば二分され、その上にバランスを見出します。たとえば生物の遺伝情報を担うDNAも、2本のDNA鎖が互いに絡み合うような二重らせん構造をしています。この事実はワトソンとクリックという二人の科学者によって発見されたのですが、後年、「なぜそれが二重らせんをしているとわかったのですか」と聞かれたワトソンは、「簡単ですよ。この世界において重要なものはすべて対になっているのですから」と答えています。[98]

 

第4章 「進化」のものがたり ◆いまこの瞬間までつながる生命         私が最初に生命の物語に興味をもったのは、小学校低学年でバージニア・リー・バートン『せいめいのれきし』を読んだときだったと思います。〈中略〉         そこで語られる重要なことは一つ。いかに長い時間をかけて、生命がいまこの瞬間まで連綿と、絶えることなく紡がれてきたか。その壮麗なドラマを謳-うたいあげる絵もすばらしい。私はこの本から、人にものを伝えるときにいかにデザインが大切かということも学びました。生命の歴史を扱った本で、この本に勝る本を知りません。 [102]                      

一寸の虫にも五分の魂 ダーウィンはポットにミミズを詰めて観察するうち、この生き物に興味を抱くようになります。ミミズは地中で土を食べ、有機物を分解して糞として地表に運びます。これにより土壌は絶え間なく掘り返され、動植物が棲息しやすい環境が維持されているのです。                          ダーウィンはまた、牧草地に落ちている石が何年かのうちに埋もれて見えなくなること、それがミミズのしわざであることにも気づいていました。そこで、どのくらいの速さで土壌の入れ替えが行なわれるのかを調べようと、家の近くの牧草地に消石灰-しょうせっかいを撒いてみます。29年もののち、白い層は地表からおよそ7インチ(約18㎝)のところに見つかり、1年にほぼ0.22インチ(0.6㎝)の速さで土が持ち上げられていたことがわかります。これによりダーウィンは、ミミズこそ大地を耕-たがやし、肥沃な土壌をつくり出す張本人であることを明らかにしたのです。 [109] 

 

引用量が多すぎたが、ここでようやく中間地点。

当然残りも知的興奮のオンパレード!・・・古いなぁ。

ぜひ五感を総動員して、愉しんでいただきたい。

 

ではでは、またね。