"オタク仲間"への共感がハンパない!『図書室で暮らしたい』 辻村深月  -引用三昧 26冊目-

びっさまざまなものごとに向ける"愛"が詰まった一冊。

サイコロ読書(Ⓒ)の巡り合わせが悪く

小説を読む順番がなかなか回ってこないが

(自宅で背表紙を並べる未読本は20冊以上に達している)

大好きな作家の一人だったりする。

ーーああっ、いいかげん"続き"を読みたいぞ!

 

Ⅰ 週刊エッセイ 富士山とおせっかい 会議当日は快晴。北海道から沖縄まで、集まった参加者を駅でお迎えしてバスで会場まで運ぶ。途中の道でカーブを曲がって、富士山が見える――という場所まで来た途端、車内の空気が一変し、皆が息を呑むのがはっきり聞こえた。「富士山だ!」と、誰かが言った。「大きい」とか「すごい」という言葉ではなく、ただただ繰り返される「富士山だ」という言葉。それだけで、感動と興奮がこちらに伝わってくる [11]

            

インタビューの心得 私が「悪い」と思うインタビューは、あらかじめ、聞き手の中でもう答えが決まっている、という場合が圧倒的だ。こちらの答えにはさほど興味がなく、自分が書きたい内容への確認作業のように質問をしていく。思った通りの答えが引き出せない場合は、引き出せるまで何度も同じ質問を繰り返したりして、こちらの様子に「察しが悪い」と苛つくそぶりも隠さない。その上で答えを明らかに聞き流しているので、こちらが話している間、目が泳ぐのが特徴だ。気持ちがもう次の質問に移っているのが伝わる。                               「自分の中に答えがある」インタビューは、ベテランの過信によるものではなく、むしろ、経験の浅い聞き手に多い。誰かに怒られたり、私の友人のような失敗をまだしたことがないゆえの、根拠のない自信によるところも多いのだろう。独断による思い込みが強いせいか、相手の答えを決めつけてしまう。こういう人は、自分の経験値のなさを無意識に知っているせいか、難しい単語を無理に多用したり、取材対象について知らなかったこともすでにわかっていたふりをしてしまったりするので、本来なら聞き出せるはずの話を聞けずに終わってしまって損をすることも多そうだ。            逆に、これまで受けた「良い」インタビューを思い出すと、そういう主題をしてくれる人は皆、早いうちから自分が知っていることと知らないことを、わかりやすい言葉で示してくれる。それを受け、こちらも「では、あの話をしましょうか」と方向性が決められる。                                    私は、多くの人がそうであるのと同じように、誰かに面と向かって怒るのが苦手だ。これまで何回か、席を立ちたくなったインタビューを受けた時も、打ち切る意気地がないまま、結局は最後まで答えてしまった。本当だったら、彼らのためにも怒った方がよかったかもしれない。[59]

 

子ども番組の楽しみ 今の子ども番組は大人も夢中になるようなスタッフ、キャストが勢揃い。子どもはもちろん、大人にとっても見応えがある。「子ども騙し」という言葉があるけれど、実際の子ども向けのエンターテインメントはどれも、「騙す」という考えの対極で作られている。大人以上におもしろいものに敏感な子どもに、大人の目から見ても“本当にいいもの”を届けようという誠実な熱意を感じる。そもそも、スタッフに今をときめく人たちの名前が並んでいることだって、調べればわかるという程度で、それを売り物にはしていない。[80]

その番組は毎日一分という短い時間の中で一つの話を届けるスタイル。その一分間を、うちの子どもは毎朝食い入るように観ている。スタッフの方たちにお話を伺ったところ、「一分間で起承転結をつけなければならないので難しいのですが、作り手が安易な方向に流れてはいけないと思っています」と教えてくれた。「短い時間のお話だと、最後は誰かが失敗して、それを笑っておしまいにするのが楽なのかもしれないのですが、失敗で終わる話は一つも作らないように心がけています」             それを聞いて、はっとした。                          これまで観てきた何百という話の中で、確かに失敗で終わっているものは一つもない。最後はキャラクターみんなが別のことで「あはは」と笑顔になって終わる。そのことをこちらに気づかせることなく、さりげなく続けてきたという事実に驚嘆した。[80]                        

 

Ⅱ 好きなものあっちこっちめぐり――本と映画、漫画やアニメ、音楽も。

「権威のこちら側」の『ジョジョ

荒木飛呂彦ジョジョの奇妙な冒険』(集英社ジャンプ コミックス)

ジョジョ』の凄さは、お金や名誉では語れない。                では何が凄いのかというと、それはたとえば、本誌で追いかけるのをいつの頃からかやめていたファンに、「新シリーズの『ジョジョリオン』の舞台は杜王町-もりおうちょうなんだって」と一言告げた瞬間に、その人をそのまま本屋に直行させるような凄さだ。あるいは、大何部が一番好きかという話で、互いが涙目になるほど白熱した議論させられてしまう凄さ。アニメ化を機に「二部まで読んだ」という友人を「馬鹿野郎! その後も読め!」と、なんかもう義務感にすら駆られ、買い与えかねない勢いで説得してしまうような凄さ。[114]

「権威の向こう側」になど絶対行かない、愛すべき『ジョジョ』。         小説を書いていて迷いそうな時、私には、そこに一つの指針がある。それは、『ジョジョ』を愛するような人たちに軽蔑される仕事だけは絶対にしたくない、ということだ。十代の入り口で「この凄さがわからないの?」と冷たい目を向けられたあの日の記憶から、私の世界は間違いなく劇的に変わった。いただいたサイン本は、その戒めと象徴。                                    『ジョジョ』からもらった鋭さを、私は死んでも手放したくない。[115]

 

『輪ピングドラム』のこと 『輪るピングドラム』(監督・幾原邦彦

もし最終回まで観終え、そこからまだ振り返って初回を観ていないというなら、もう一度、今度は続けて初回を観てほしい。これもまた強制したいというわけではなくて、そうしなければ、あまりにもったいないから。                   そして初回を観た後は、さらに振り返って『輪るピングドラム』のタイトルを、改めて見つめてほしい。                              「輪る」である。「回る」でも「廻る」でもなく。              「輪」は、輪廻や輪番の「輪」。順番が回ってくる、という意味がある。      仏教では、大地を支えているわのことも、「輪」で表す。             私たちの日常を支えるもの一つ一つの裏側には、すべて、マワりながら存在するピングドラムがある。非常事態が起き、失われた時に初めて尊ばれる日常が、誰かによって示された乗り換え後の世界じゃないと、どうして言えるだろう。           そして、ピングドラムは輪る。                         いつか自分の番が来る。それはきっと、誰にでも。私たちは等しく自分の場を待つことができる。それはまるで、物語の主人公のように。その時が来ることが幸運なのか、不運なのか。考え方は人それぞれだ。そこではもはや私たちは“何者”でもない。そのいつかが来た時、私は間違えないでいたい。                    『輪るピングドラム』の「輪」は、燃えるような激しさを伴いながら、だけど、とても優しく私たちを肯定する。[125]

 

望み叶え給え 筋肉少女帯『ノゾミ・カナエ・タマエ』

中学生の頃から、人生の半分以上を大槻さんの歌を聴いて生きてきた。小説を書いている時も、受験勉強をしている時も。最初はただ音楽として聴く。しかし、どういうわけだか、ある日突然、ふとした瞬間に歌詞がすっと心に入り込んできて、急に鳥肌が立つ瞬間がやってくる。                              中二の時に聴いた、筋肉少女帯の「ノゾミ・カナエ・タマエ」はその最たるものだ。ある日さみしい少女が一人ぼっちで死ぬ。彼女と話したこともないクラスメートたちが弔いの席上で涙を流す。その時、奇跡が起こり、彼女の屍が歌いだす。ノゾミ・カナエ・タマエ。総て燃えてしまえ。みんな同じになれ。その様子を見ていた神様が、炎の矢を放つ天使を遣わし、弔いの席上が火の海と化す。                 この歌で、私が心臓を鷲掴みにされたのは、少女が「みんな同じになれ」と歌うところだった。特別になりたいわけじゃない。ただ、「同じ」になりたいだけなのに、それができない自分に気づいて、いっそみんな同じに灰になれ、と泣いた。大人になった今でも、この歌を聴いて部屋の隅っこでつぶれそうになっていた当時の自分のことは絶対忘れない。[134]

 

国民的ドラマを愛せる幸せ 『相棒』シーズン12の解説に寄せて          ――なんだ、これ! すごい。                         胸を撃ち抜かれた。                              杉下右京というキャラクターのなんとかっこいいこと!              彼のセリフ回しに魅せられ、鮮やかに事件の導入に引き込まれる。脚本もすごい。こちらの予想を超えて事件が何層にも動き、途中、「うわー、これ、あれの伏線だったのか!」と鳥肌が立つような驚きに何度も襲われる。ラストには、「こんなことされたら泣いちゃうよ」と胸にぐっとくる、それでいて大人の抑制の利いた結末が描かれ、一話観終える頃には、私はすっかり『相棒』の世界に魅了されていた。         言葉がなかった。それは、こんなクオリティーのドラマが毎週放送されていたのか、という驚きと、それをこれまで知らずにいたことの悔しさ、それに、仮にもミステリを書くことを仕事の一部にしているのに‥‥という自分の不明を恥じるようなふがいなさがごちゃ混ぜになった気持ちだった。とにかく、とんでもないものを観た、という思いだった。[141]

誰かと語り合い、それを楽しみにすることで毎日を頑張れたりするものが、自分にあることは尊い。国民的ドラマを愛することの幸せが、そこにはある。[146]

 

これで、折り返し点の少し前。

個人的には59Pの「インタビューの心得」が、メチャクチャ心に刺さった。

随所で炸裂する"オタクスピリッツ"に、最後まで目が離せない。

そういえば小学生の頃、俺も考えてたよ。

"大好きな本に囲まれる図書室で暮らしたいな~"・・って。

 

ではでは、またね。