大人たちに"使い潰されない"ために 内野智章(興国高校サッカー部監督)の記事/朝日新聞12月5日「be/フロントランナー」より 

京都旅行の最終日について書く予定だったが

毎日目を通している新聞のなかに

珍しく心に残るインタビュー記事を見つけたので

そちらを優先させていただく。

 

別冊扱いになっている「be on Saturday」のトップ記事

「フロントランナー」で特集されていた

興国サッカー部監督 内野智章(うちのともあき)さんの言葉だ。

 

圧倒的多数の監督たちが

高校サッカー選手権全国大会出場(優勝)を最大の目標に掲げるなか

彼は、常に”その先”を見据えた選手の育成を実践してきた。

その結果、就任以来の14年間で

全国大会への出場は過去1度に留まるものの

自らの教え子である部出身Jリーガーは

今年。横浜F・マリノスへ同時加入する3人を加えると

実に総勢20人に達する。

これは、とてつもない数字である。

 

内野は言う。

「純粋にプロを目指す高校があってもいい。高校サッカーの全国制覇を最大の目標に

 していない指導者がおってもいいんじゃないですかね」

その言葉の裏には、高校を卒業してもずっとサッカーと付き合ってほしい

という自身の挫折から会得した、切なる想いがあった。

「プロになりたい子にならせてあげたいっていう気持ちは強いです。

 だだ、その舞台に立てるのはごくわずか。それでもサッカーはずっと続けてほしい。

 だからこそ、ここで技術力を磨いている。〔中略〕

 プロになれなくても、ずっとサッカーを楽しめるような精神力と技術力をつけて

 卒業させたいと思っています」

 

サッカーに限らず、「甲子園(野球)」も「花園(ラグビー〕」など

主な高校スポーツには、”出場するためにはすべてを費やしても構わない”と

当の部員たちに決意させるだけの、圧倒的な魅力をそなえた《到達点》が存在する。

それだけに、私のような傍観者の胸までをも揺さぶる「全力の戦い」がくり広げられ、

最上級のエンターテインメントとしても成立しているわけだ。

 

しかし、その陰で、なにひとつ中身のない精神論とか根性論をふりかざし

まだ体の出来上がっていない10代半ばの若者たちに

無謀な実戦登用やノルマや無茶なオーバーワークを強要し続ける

自称『指導のプロ」が存在するのも、残念ながら事実である。

 

さすがに前世紀ほどの傍若無人は、まかり通らぬようになってきたとはいえ

まだまだ選手(子供)を、己の実績・名声を挙げる道具としか考えず

”まんいち壊れても運が悪かっただけ”とばかり

身体の限界を超えた活躍を求めるケースは、いまなお後を絶たない。

 

哀しいことに、単なる観客に過ぎない我ら大衆もまた

そうした「怪我をおしての強行出場」やら「連投に次ぐ連投」のような

ぶっちゃけ《自殺行為》でしかない〈涙と感動のドラマ〉が大好き、ときている。

となれば、大衆の欲望に応えることがなにより優先する

各マスコミ・メディアの行動は、言うまでもない。

「高校がゴールではないはず」「選手の未来をもっと考るべき」など

いちおうは批判的な言葉をつぶやきながらも

決して関係者各位がつくりだす〈無茶と無謀の人間ドラマ〉を

全力を止めようとはしないのだ。

 

結果、これら高校最大のスポーツイベントが終了するたび

〈そこで終わってしまう才能たち〉が、大量に生産されるという仕組みである。

「当事者である彼らが、それで満足してるんだからいいじゃないか」

との意見を表明する方々もいらっしゃるだろうが

それは、いわば「洗脳」にすぎない。

あまりいい譬えではないけど

ひところ、世界一幸せな(幸福度が高い)国として「ブータン」が脚光を浴びた。

だが、日本を含めた欧米諸国の平均的な生活者は

本当に「確かに自分たちより幸せだ。私もブータンに行きたい!」と思ったか?

おそらく、大半は違ったはずだ。

なぜなら、彼らの「幸せ」は宗教的な意味での「幸福」でしかないから。

そもそも「幸せ」なるものは、どこまでいっても「主観の産物」でしかない。

だから周りから見れば、ろくに食べ物も口に出来ないどん底の暮らしを送っている。

そんな某新興宗教の信者でも、本人が心の底から「私は幸せ!」と信じているのなら

――その人は、間違いなく「幸福」なのだ。

 

話が大幅にずれてしまった。

とにかく、ここで言いたかったのは

本人が「それでいい」と思い込まされてしまっている高校スポーツの現状を

興国高校サッカー部監督・内野智章さんは

少しでも、マシな方向に進路変更してくれるのではないか。

そう、思ったのである。

だって、――子供たちに期待することは。

というインタビュアーの問いに、こう言い切ってくれたのだから。

『全国大会で優勝するという夢をコンスタントにかなえてくれる高校はありますれど

別の夢をかなえたり、その助けになったりする場所があってもいい。

子どもたちにとっての高校3年間なんてただの通過点に過ぎないんですから』

 

あと、もうひとつ。

そうそう、そうなんだよ!

と、膝を打った(古臭い言い回しだなぁ)言葉があった。

――日本人の欠点は。との問いかけに対する言葉。

『自己主張をしないことです。

 だから、戦術のパターンを覚えさせるようなトレーニングは基本的に入れてない。 

 型から入ったら、型を破らないんですよ。〔中略〕

 そして選手たちに考えさせて練習させることです。

 実際に選手が練習の効果を感じたらそれを続ければいいし、

 あまり意味がないと思えばしなくていい』

 

型から入ったら、型を破れなくなる。

ひとりひとりが自主的に考え、自分の行動を決めることが、何よりも大切。

――ほんっっとに、そのとおり!

陰ながら応援してるぜ、内野監督。

なーんも責任もない、いち傍観者に過ぎないけどさ。

 

ではでは、またね。