ようやく興奮状態から抜け出し
極論のオンパレードにならずに済みそうなので
書くことにする。
他でもない、安倍元首相の殺害事件に関する意見だ。
まず、マスコミは寄ってたかって"戦後最大の暗殺事件"
"今こそ民主主義の危機だ"とか、額に青筋を立てて叫んでいるけど。
そこまで空前絶後の大犯罪と受け止めることは、どうしてもできなかった。
もちろん、〈首相経験者〉というカテゴリーにおいては"戦後初"なのだろうが
(なんかこの「戦後初」という括りへのこだわりにも首を傾げる)
たった一人が何十人もの犠牲者を作り出す殺人事件は
ほとんど毎年のように発生している。
今回は、そのターゲットが、たまたま超有名な政治家だったに過ぎない(失礼)のだ。
むしろ個人的には、ついに「無差別」ではなく「目標」を狙う事件が起きたか。
・・という印象のほうが、はるかに大きかった。
今回のテロ事件を、自殺の"拡大版"に過ぎない無差別殺人とごっちゃにするな!
と怒られるのだろうけど、これが本音なのだから仕方ない。
でもって、冷酷無比なうたた(俺だ)が
本事件の結果を知った瞬間、真っ先に浮かんだ思いは――
ああ、「モリカケ」「桜を見る会」など彼にまつわるスキャンダル疑惑は
ことごとく迷宮入りか、なかったことにされちまうな。
・・ってことだった。
なぜかこの国では、「死」を境に人の評価がくるっと反転することが、異常に多い。
いかなる大悪人であろうと、死亡した瞬間、自動的に罪を免除される。
免除されるどころか、ホトケさま=神様の仲間入りを果たすのだ。
ほとんど本気で、次のような意味不明な理屈がまかり通る。
「死んだ人のことを悪く言うのはやめましょうよ」
・・なに、それ?
さらに当事者が事故や犯罪のような、いわゆる"悲劇的な死"を遂げた場合
この《死者の神格化》は、ますます揺るぎないものとなる。
そう。悲惨な死を体験することによって
存命中に犯してきたすべての悪行が、"チャラ"になってしまうのだ。
21世紀の法社会にあって、そんな感情論に支配されるわけがない!?
まあ、見ててごらん。
彼の断罪を求め続けていた告発者たちの声が、みるみる勢いを失い
気づいた時には、きれいさっぱり消え去っているから。
遥か昔から、良くも悪くも、死者を鞭打つことはご法度(穢れるため)であり
"死んでしまえばみ~んな神様"の国なのだ。
でもって当然のように、非業の死を遂げた「悲劇のヒーロー」の登場により
今回の参議院選は、黙っていても保守勢力の圧勝に終わるだろう。
彼の無念(?)を果たす「弔い選挙」(何に対する弔いなんだろ)だもんね。
それにしても、宗教団体のトップを殺すのが難しかったから安倍を狙った・・って。
一国の首相経験者より、宗教団体の首魁のほうが、しっかり守られてたわけだ。
・・・どんだけ警備が甘いんだか。
正直、現場の再現映像などを拝見した限り、油断していたとしか思えない。
その背後に、この国ならではの"安全神話幻想"の臭いが濃厚に漂っている。
原発と一緒だ。
最大限に安全への努力を行なった→だから事故が起きる可能性は最小限に留まる→
最小限ということは限りなくゼロに近い→よって、重大な事故は"絶対に起きない"。
これと同様の「安全神話」が、戦後の暗殺ゼロという「歴史と伝統」に後押しされて
世界で最も銃規制が厳しい平和の国・日本では
アメリカのようなVIPへの銃撃事件など起きるはずがない!
実際にはなにひとつ根拠のない「絶対」が独り歩き。
あろうことか最前線の警護関係者までもが、頭の片隅でその〈安全神話〉を信じ
本来命懸けであるはずの警護を、ルーティンワークにまで緩めていた。
・・そうとでも考えなければ、あの唐突な背後からの接近を黙認し
二度目の発砲を可能にした数秒間の"猶予"すら許してしまった
文字通り"致命的な"失態への説明がつかない。
うーん。案の定、極論だらけになってしまったな。
ま、今さら良識者を気取って歯に衣着せてもしょーがないし。
巷のオッサンは、この低度のことしか考えてないぜ・・というネタだと思ってほしい
ともあれ、一部の識者が語っていたように
今回の事件が、新たな変化の始まりになる可能性は少なくない。
つまり、無差別からロック・オンへ。
どうせ"道連れ"にするなら、名もなき市民より有名人を狙った方が効果は絶大。
武器を自作したり、策略を巡らすだけの気力と能力のある一発屋は
当然、そう考えを改めるかもしれない。
身を守るすべのない子どもたちの命がグロスで失われるより
そっちのほうがずっとマシじゃん・・・なんて思ってしまううたたは
やっぱ、どうしようもないロクデナシなのだろう。
ではでは、またね。