自分より若い人の訃報に接するのは、辛いものだ。
その死が突然であれば、ショックは数倍にまで膨れ上がる。
さらに、それが愛する"作品"の生みの親だった・・なんていうとき。
思わず天を見上げ、毒づいてしまう。
――なんてことしやがるんだ。。バカヤロウ!!
「未完」に終わった傑作に対する、忸怩たる想い。
結果、最新にして最終となった41巻を含め
改めて全巻を読み通したのは、つい先日のことだった。
たった1冊で、結末への展開が見えるわけがない。
なかば諦めつつ、未読だった41巻を開いた。
グリフィス側とガッツ側、ともに"その後"が示され
壮絶なバトルシーンとは異なる、一見淡々とした描写が続く。
だが、そのなかでも、グリフィスの"月夜の出奔"や
狂戦士の甲冑を通じ"過去の触"を垣間見るガッツなど
先の伏線となるだろう、いくつかの〈謎)が提示されてゆく。
そしてあろうことか、完成を見た最終話において
物語は、大きな転換点を越える。
これまで、満月の夜に出現していた「謎の男の子」が
朝になっても消えず、ガッツ一行と数日を過ごす。
この「男の子」の正体は、"ガッツとキャスカの子供"ではないのか。
そう、推測する人は少なくないだろう。
最終話においても、キャスカのモノローグに〈強い絆〉が示され
あわせて、妖怪化した我が子のイメージも重ね合わせている。
だが、驚いたのは、その続きだ。
月の光のなかで「男の子」は、なんとグリフィスへと姿を変える。
しかも彼は、その頬に一筋の涙を流すのである。
さて、いったいこれはどういう"未来"を示唆しているのか?
少なくとも、ガッツ&キャスカの子供(妖怪)と現在のグリフィスが
"どこかでリンクしている"ということは、間違いない。
ひょっとしたら、ガッツ✖キャスカ✖グリフィスの三者による〈三位一体〉を
体現した存在にだってなりうる。
なにしろ「神話」なのだ、どれほど荒唐無稽なストーリーだろうと無問題である。
しかし、さらに強烈なメッセージだったのは
――グリフィスが流した〈一筋の涙〉。
「使途」のメンバーに転生して以来、一貫して"人間臭さ"を消し去っていた彼が
束の間とはいえ、人がましい"心の片鱗"を露わにしたのだ。
うたたは、これを《グリフィスを動かすテコ》と見る。
ひょっとしたら、作者は、この《涙=人間グリフィスの残滓》を糸口にして
壮大な結末へと導くルートを思い描いていたのではないか。。と。
もちろん、そもそもが「神話」なのだから
どのようなフィナーレになろうが、誰にも文句は言えない。
例えば、グリフィスがガッツとキャスカの子供と一体化して健康体を取り戻し
奇跡の大魔術によって殺された鷹の団も全員復活!
なんていう、大団円の〈おとぎ話エンド〉だって、不可能ではないのだ。
だけど、ここまで41冊と数十年の時を費やし
人というものが抱える、美しさ、醜さ、尊さ、残虐さを、とことん描き尽くし
"人ならぬモノ"の世界にまで〈命の意味〉を問いかけ続けた作品を
そんな、あまっちょろい「お子様ランチ」で締めくくるなんて
作者の創作に対する冒瀆以外の何物でもない。
本編直後の、見開きページに記された
「ヤングアニマル編集部」による「ファンの皆様へ」には
『「三浦先生だったらどう思うか」ということを第一に熟考を重ねて参ります』
との一文から、いずれ誰かが《続き》を描く可能性は少なくないとみる。
それならば、なおのこと。
文字通り人生をかけて"人間の業"を描き切ってみせた、この未完の傑作を・・
――そうきたか!
と、万人を唸らせるエンディングへと誘っていただきたい。
実際、そのくらいやってみせなければ
志半ばでこの世を後にした作者にも、合わせる顔がないはずだろう。
ちなみに、41巻を通して読んだ結果
「グリフィスの涙」というキーポイントを迎えた現時点は
登山でいえば、すでに8合目あたりに差し掛かった、という感触を得た。
単行本の冊数に換算すると、残り7~8冊。
ちょうど50巻前後で、クライマックスを迎えるのではないかな。
そのために必要な材料は、ほぼ出揃った気がする。
となれば、あとは、"拡げきった大風呂敷をどうやって畳むか"・・だ。
差別主義者のジャッジすら満点を付けざるをえない
乾坤一擲の"着地"を、ものの見事に決めてもらおうじゃないか!!
ーーできれば、うたたの目が黒いうちに。
ではでは、またね。