それでもアメリカには〈明日〉がある 『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史 Ⅰ』オリバー・ストーン&ピーター・カズニック 周回遅れの文庫Rock

国史上最悪のパンデミックが怒涛の勢いで進行しているにもかかわらず

対策に奔走するどころか、ゴルフ三昧の日々を送る片手間に

根拠なき投票違反と陰謀説を叫びつづける現職大統領。

そして、明らかに〈自分のことしか考えていない男〉の主張をカケラも疑わず

議事堂占拠というテロ行為に嬉々として馳せ参じる、「ドナルド原理主義者」たち。

《民主主義国家アメリカの終焉》すら実感させる

無惨な光景の数々を目の当たりにして

なお、私は、この国に寄せる〈未来への希望〉を捨て去る気には、なれない。

 

なぜなら、アメリカは

建国以来、『トライ&エラー』(正しくはtrial and error)を実行してきた国だから。

噛み砕いて説明すると、こんな感じか。

結果的にそれが「正しいか」どうかは、まだわからない。

だが、とにかく、《やってみる(チャレンジする)》。

もしそれが、うまく行かなかったら《すぐに過ちを認め》

すかさず《別のやり方でチャレンジする》・・。

 

決定的な現実を目の前に突きつけられない限り

大胆な行動を起こすことができない〈後始末国家〉我らが日本とは

見事なまでに対照的な有りようだ。

だが今回は、〈後始末〉では誤魔化せなくなった祖国ではなく

いまなお世界の命運を(たぶん)握っている、アメリカの話をしたい。

そう。『トライ&エラー』についてだ。

 

 

アメリカは、ときどきとんでもない無茶苦茶をやらかすが

それがダメだと明らかになると、自らの過ちを公表し(これが日本にはない)

可能な限り速やかに、よりマシな(と予想される)別ルートを目指して走り出す。

そうした『トライ&エラー』の繰り返しを

これでもかと暴き出している書物のひとつが

今回取り上げた『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』だ。

※長いので、以下『アメリカ史』で表記させていただく。

 

まず、この本が存在すること自体が、私の確信を強めてくれた。

よくもまあ、こんな暴露本を堂々と出版できたものだ。

もひとつ、よくもまあ、こんな暴露本の出版が認められたものだ。

おまけに著者は、この本をベースにしたドキュメンタリー番組(3本)を制作。

全国ネットで放送してしまった。〔日本でもNHKBSで放送済み〕

どうしてそんなに驚くのとかいえば

本書には「アメリカが決して認めたくない歴史の暗部」が

これでもか!とばかりに、書き連ねられているからだ。

 

たとえば序章。タイトルからして、こう切り込んでくる。

序章 帝国のルーツ――「戦争はあこぎな商売」(15ページ)

なぜ私たちの国は、その数一〇〇ヵ所以上とも言われる軍事基地を世界各地に置いているのか。なぜアメリカ一国だけでほかの国々をすべて合わせたほどの巨額の軍事費を使っているのか。なぜ数千個もの核兵器をいまだに保有し、差し迫った脅威となる国もないままその多くが一触即発の警戒態勢にあるのか。なぜアメリカは先進国のながて最も貧富の差が大きいのか。なぜ先進国のなかでアメリカだけが国民皆保険制度を持たないのか。                          (16-17ページ)

鋭い指摘をしたのは政治学者のサミュエル・ハチントンである。〔中略〕

「西洋が世界の勝利者になったは、西洋の思想、価値観、宗教が優れていたからではなく(他宗教の信徒のうち西洋の宗教に改宗した者はほとんどいなかった)、むしろ組織的な暴力をふるうことに優れていたからである。西洋人はこの事実をよく忘れるが、西洋以外の人々はけっして忘れない」。               (24ページ)

 

こうして序章後半から、「第一章 第一次世界大戦」にかけて

アメリカがフィリピンで、パナマで、ハイチで、キューバで、メキシコで、

さらにWW1のヨーロッパ戦線でやらかした残虐行為の数々が、具体的な史料と共に、

克明に記されている。(化学兵器を進んで使い、多数の企業がドイツに協力していた)

あまり引用し過ぎても、他人(ヒト)のフンドシで相撲を取るばかりなので

具体的にどれほど悪逆非道だったのかは、本書を手に取って確認していただきたい。

 

ただ、個人的に「ええっ、そうだったのかよ!?」とショックを受けたのは

直接ではなくとも〈当事者〉である、第二次大戦・太平洋戦争がらみの記述だった。

たとえば、トルーマン大統領に関する次の一説。

候補者リストを検討した結果、民主党幹部はウォレスに代えてミズーリ州選出の凡庸なハリー・トルーマン上院議員を選んだ。彼らがトルーマンに白羽の矢を立てたのは、その職責に見合う資質を彼に認めたからではなく、毒にも薬にもならぬ彼には敵と言えるほどの敵もおらず、もめごとを起こす心配もないという確信があったからだった。

〔中略〕こうしてトルーマンのキャリア大半と同様、彼の大統領就任は腐敗した党幹部の裏取引によって実現したのだった。            (323-4ページ)

 

若き日の彼(トルーマン)は書いている。「誠実で礼儀正しく、『黒ん坊-ニガー』や中国人でないならみな同じ人間だ。神様は塵から白人を、泥から『黒ん坊-ニガー』をつくり、残りかすから中国人ができたとウィル叔父が言っていた。叔父は中国人と日本人を毛嫌いしている。僕だってそうだ」            (344ページ)

こんな考えの持ち主だから、10万人の庶民を焼き殺した東京大空襲も、広島・長崎あわせて38人の命を奪った原爆攻撃も、眉一つ動かさずに命令できたわけだ。

広島への原爆投下を知ったとき、トルーマンポツダムを離れるアメリカの重巡洋艦オーガスタ上で食事中だった。彼は飛び上がって叫んだ。「これは史上最大の出来事だ!」。しばらくして彼は、広島への原爆投下の発表は自分がした中で「最も心躍る」仕事だったと語った。                    (383ページ)

――一瞬、ドナルド氏の顔を思い浮かべてしまった。

 

引用していたらきりがないので、あと一つだけ。

「広島・長崎に原爆を投下したのは、本土決戦によって失われる多数のアメリカ人将兵たちの命を救うためだった」というのがアメリカの言い分だったが、これも違った。

アメリカが『冷戦』において優位な立場に立つために原爆を利用するつもりであることは、その時点ですでに火を見るより明らかだった。〔中略〕軍事的にはまったく必要性がなかったにもかかわらず、アメリカは日本ののどかで人口の多い広島と長崎に二つの原爆を落としたのである」                 (384ページ)

しかも、38万人の日本人を殺した2発の原爆投下は、冷戦を激させただけ。

島と長崎への原爆投下はソ連に対するイニシアチブにつながったわけでもなかった。

それは、”アメリカはその意思を貫くためならどんな手段をとることも厭わないのだから、血に飢えたアメリカに対する抑止力としてソ連独自の原爆開発を急がねばならない”という確信をスターリンに植えつけただけだった。      〔395ページ)

――まさに「暴力はさらなる暴力しか生み出さない」顛末といえよう。

それにしても、なんと無意味で無惨な大量虐殺だったのか。

どうか、これ以上〈愚か者〉が最高指導者の座に昇り詰めぬよう、祈るばかりだ。

 

ちなみに全体を通じて、固有名詞や横文字の人名が多数列記されているが

日本人の読者(私も含む)は、流し読みで充分。

ただし、たまに某大統領の父親?の名が出てくるので、ぜひ見つけて

「親父の代からアコギなことやってたんだなぁ」などと、楽しんでほしかったり。

もちろん、ひとつのひとつの事実に、確かな裏付け(資料)があり

Qアノンやドナルドのように根拠もなく「フェイクだ」と主張しているわけでもない。

(巻末に並ぶ膨大な原注をご覧あれ)

 

本来、3巻目まで読み通してからアップするつもりだったが

あまりにも中味が濃かったので、我慢できず”フライング”してしまった次第。

アメリカの今ともリンクさせたかったしね)

どうか、ご了承のほどを。

 

ではでは、またね。