開いた口が塞がらないまま、読み通してしまった。
本書は、20世紀初頭の第一次世界大戦前から
バラク・オバマが大統領の座を占めていた2012年までの
100年以上にわたるアメリカの「裏面史」を描いた、衝撃作。
その掉尾を飾る1974年のフォード大統領就任以降の
"目を覆いたくなるほど愚かな国"の醜態を、克明に記したものである。
こんなでっち上げを真に受けるなんて、フェイクニュースも知らないのか?
などと頭から受け入れない方も、少なくないだろう。
言葉の端々から漂う"左翼の匂い"に拒否反応を起こす方も、少なくないはずだ。
とはいえ、これらの記述には、すべて明確な裏付け(出典元)があり
訴訟も出版差し止めも食らっていないことを明記しておく。
・・とまあ、言い訳じみた前フリはこのぐらいにして
本書・第3巻に登場するアメリカ大統領たちが、いかに「愚者揃い」だったのか。
つたない引用を基に、ひと並べしてみよう。
まずは、"なんちゃってリベラル"カーター大統領。
ホワイトハウスを出た後のカーターの実績は確かに称賛すべきものだ。しかし、ホワイトハウスの中での彼は、無能と言われても仕方がなかった。支持者たちの期待も、自らの信念も裏切るような行動しかできず、退任時の支持率はわずか三四パーセントであった。大統領としてのカーターの遺産の中で最も長く残ったのは、「人権外交」などと呼ばれた、やや偽善的な姿勢ではない。彼は「暗黒面(ダークサイド)」ほと通じる扉を開けてしまった。それが、彼の後任であるロナルド・レーガンの、野蛮とも言える強硬な政策を正当化することにつながった、その結果、沈静化しかけた冷戦が再燃し、グアテマラやアフガニスタン、そして世界貿易センターなどで大勢の罪のない人たちが犠牲になったのである。16p
彼が犯した失策の代表格は、圧政を敷くイラン国王(シャー)を支援し続けたことだ。
カーター大統領は、親米的なシャーを支援し、たとえシャーが人権無視の行動を取っても支援を止めることはなかった。そのことがイラン国民の怒りを買った。53p
1979年のイラン革命と英雄ホメイニの帰還により、シャーは国外に亡命する。
ここでカーターが採った行動が、致命的だった。
カーターは、キッシンジャーやデイヴィッド・ロックフェラー、ブレン人スキーなど、シャーを擁護する人たちからの圧力に屈し、シャーのアメリカ入国を受け入れたのだ。イラン国民の怒りは爆発した。一九七九年一一月には、学生たちがアメリカ大使館に侵入し、五二人のアメリカ人を人質に取って、イラン政府へのシャーの引渡しを要求した。人質はその後、四四四日にわたった拘束されるのである。イスラム原理主義者の台頭を抑えるためにソ連が介入してくるのでははないかと恐れたカーターは、慌てて二五隻もの軍艦と一八〇〇人の海兵隊員をペルシャ湾へと送り込んだ。その中には、核武装した空母三隻も含まれていた。57p
その後、ソ連のアフガニスタン侵攻も喰い止められなかったカーターは、「より安全で
平和な世界を実現したい」という希望を自らの手で否定してゆく。
大統領だった四年間に、彼は、後で訂正したものの中性子爆弾の開発を一度は承認しているし、核装備巡航ミサイルのヨーロッパへの配備も認め、初のトライデント潜水艦も就役させた。そして、ソ連を標的とした弾頭の数を倍増させている。つまり、カーターがホワイトハウスにいたにもかかわらず、〈現在のの危機に関する委員会(CPD)〉は、SALTⅡなど軍縮への動きに逆らい、国防費を増強するためのキャンペーンに成功したわけだ。〔中略〕カーターはベトナム戦争を批判することすらやめた。ベトナム戦争に従軍した兵士たちを彼は、自由の闘士と呼ぶようになった。領土を獲得するためでもなく、アメリカの意思を他国に押しつけるためでもなく、ただ自由のためにベトナムに行き、戦った兵士たちというわけだ。本人としてはすべて善意でしたことだとしても、それが次のレーガン政権のための下準備になったことは間違いない。69-70p
それでも、カーターは、"はるかにマシ"だった。
少なくとも、頭ごなしに「バカ」と呆れられることはなかったのだから。
目を覆いたくなるのは、後を継いだロナルド・レーガンだ。
レーガンに直に接した人たちは、多くが彼の無知に驚いている。一九八二年の終わり、ラテンアメリカ諸国訪問から帰国した彼は、記者たちに「いろいろと学んだよ‥‥驚いたね。ラテンアメリカがあんなにたくさんの国に分かれているなんて」と言ったという。82-4P
レーガンは、歴代大統領の中でも、おそらくもっとも知的好奇心に乏しい人物であった。テロ対策コーディネーターだったアンソニー・クイントンは大統領のもとに呼ばれ、状況説明をするよう指示された。クイントンは、その時のことを次のように話している。「私は大統領に、簡単な状況説明をした。その場には副大統領、CIA長官、FBI長官に加え、国家安全保障会議のメンバーが何人かいる。だが、大統領はゼリービーンズを2つほど食べたかと思うと、居眠りを始めた。私はすっかりやる気をやくしてしまった」。83P
かくも無能な大統領が、なぜ大過なく任期を務めあげたのか。「カンペ」のお陰だ。
相手が外部からの訪問者であっても、閣僚であっても、誰かと会話するときは、スタッフからレーガンに三インチ✖5インチのファイルカードが渡される。彼はそこに書かれた言葉をそのまま読み上げるのだ。時折、そうとは知らずに誤ったカードを読んでしまうこともあった。よく事情を知らない訪問者は、侮辱されたと思ったようだ。レーガンは自らの個人的体験を基に世界を見ていた。何かわからないことがあっても、自分の体験から推測して理解する。そうして自分のお気に入りの物語を作り上げる。物語に合わない事実があっても、無視あるいは否定してしまう。86-7p
結局、「強く正しいアメリカを守る」という自分に都合のいい物語を盲信。
福祉目的の予算を大幅に削減し、軍事費をかさ上げしていく。
「アメリカの軍事力は弱体化しており、このままではソ連の攻撃に対抗できない」という作り話を根拠に、国防費増強を強く訴えたのだ。「今われわれは、真珠湾後の日々よりも大きな危険の中にいる。アメリカ軍隊はこのままでは無力で、この国ををまったく守ることができない」とも言った。 レーガンの脅しは功を奏した。国防費は、一九八五年にはなんと、一九八〇年に比べ五十一パーセント増となったのである。それだけの費用を捻出するため、彼は自らの裁量で動かせる内政関連の政府支出を三〇パーセントも削減した。七〇〇億ドルもの大金を内政から軍事へと振り向けることに成功したわけだ。117p
一九八三年には、四八万人もの人が、児童福祉世帯扶助制度の支援を受けられる資格を失っている。また、給付金を減らされた人も二九万九〇〇〇人にのぼった。レーガンはさらに議会を促して、一二〇億ドルだったフードスタンプ(食糧配給券)の予算を二〇億ドル減らし、三五億ドルだった学校給食の予算も一〇奥ドル減らした。その他、メディケイド(低所得者向け医療費補助制度)、小児栄養、住宅補助、光熱費援助などの予算も削減し、都市支援の予算はほとんど半分まで減らした。レーガンは、こうして貧しい人間に厳しくする一方で、所得税の最高税率は引き下げた。七〇パーセントだった最高税率は、彼が大統領を退任するころには二八パーセントになっていた。118p
ドナルド・トランプへと続く道は、この時に造られたものだった。
どれほど周到に隠そうとも、レーガンの"無能さ"は、徐々に露呈してゆく。
レーガンの大統領という職への適性を疑う声も聞かれた。大統領が閣議の最中によく居眠りしていることを、次席補佐官のマイケル・ディーバーが認めたことで事態はさらに悪化した。《ニューヨーク・タイムズ》紙の元編集主任、ジョン・オークスは、「これほど底が浅く、軽率で、判断力にも欠ける人物が大統領だとしたら、われわれはこの危機の時代に一体、何を信じて生きていけばいいのか」と問いかけた。134-5p
いよいよこの後、チェルノブイリ原発事故~ゴルバチョフ登場へと世界は激動。
そして、歴史の大転換に対応できないレーガンの醜態が描かれる。
いいかげん長文になってきたが、この一幕だけは書き写させてほしい。
レーガンとゴルバチョフは、一九八六年一〇月、アイスランドのレイキャビクで会談した。ゴルバチョフは軍縮に向け、いくつもの驚くほど大胆な提案をした。オープニングセッションの時点ですでに、レーガンはゴルバチョフのビジョンに不意を打たれ、圧倒されてしまっていた。普通の対応をすることすら難しい状態になったのだ。ゴルバチョフはその時のことを次のように回想する。
レーガンはカードに書かれたメモを見ながら私に返事をした。メモをそのまま読んで いることもあった。私は、自分が概略を話したことについて彼と議論をしようとしたが、その試みはことごとく失敗に終わった。具体的な質問をぶつけてみても、何も答えは返ってこない。ただ、メモを見つめているだけだ。カードはすっかり混ざり合ってしまい、中の何枚かは床に落ちてした。やがて彼はカードを繰り始めた。どこかに適切な答えが書かれていないかを探しているようだったが、見つかりはしない。適切な答えなど、用意されていなかったからだ。アメリカの大統領も、その周囲の人たちも、私がしようとしたものとはまったく違った会話に備えていたのだった。146-7p
荒唐無稽なギャグみたいだが、"カード"の件をはじめ、みな紛れもない事実だ。
こんなヤツのせいで「核兵器の全廃」が実現しなかったのかと思うと・・言葉もない。
おおっと、これだけ引用しても、まだ序盤の三分の一にも達していない。
この後ついに、ブッシュ・父⇒クリントン⇒ブッシュ・息子という《真打ち》が登場。
現在の"没落アメリカ"と続く、「明日なき暴走」が始まるのだが・・
そのあたりは、ぜひともご自身で〈目撃〉していただきたい。
そっちのほうが、絶対に面白いから。
・・とはいえ、せっかく付箋だらけにしたんだし。
予告編がわりに、目についたキャプションを列記してしまおう。
パキスタンを援助、黙認するアメリカーーそのパキスタンに逃げ込むアラブ人がのちのテロリストになった
二〇〇〇年大統領選挙における、ブッシュ・ジュニアの醜い闘い
無視された9・11の前兆
ネオコンにとって、9・11は「新たな真珠湾のような」好機だった
「サダムがやったのかどうか確かめてくれ」――「アフガニスタンよりもイラクのほうがいい目標がある」
いくら捜しても証拠が見つからない、イラクと9・11のかかわりを、彼らはでっちあげた
侵攻されてもおかしくない、大量破壊兵器保有国はほかにたくさんある
本人は「キャリアの汚点」と語る、パウエルの国連演説
戦争の旗を振ったマスコミーーCNN、Fox、NBC‥‥
三月二〇日、空爆決行――「解放されたイラク人の歓喜」すらアメリカに作られたものだった
略奪と病気のあふれる無政府状態――イラクはイスラム原理主義者の聖戦(ジハード)スタジアムと化した
現実を受け入れない、ブッシュとその顧問団
あからさまな富裕層優遇――史上最大の所得格差拡大を生み出す
「救済者」と思えたオバマは、事態をより悪化させた
貧困線下で暮らすアメリカ人は四六二〇万人ーー史上最悪の数値
「オバマは誰の味方なのか」――二つの顔を使い分ける男
激化する「無人機による攻撃」――罪のない民間人の死も急増
撃墜されることで他国へ広まる無人機プログラム
腐敗しきったカルザイ大統領、無能な軍と警察――兵力増強はゲリラの抵抗を終わらせられない
横行する贈収賄ーー警察と当局者買収のために年二五億ドルを費やす国民
選挙の票のあからさまな売買――議員は途方もない収賄のチャンス
それでも揺るがぬアメリカの軍事的優位 「基地帝国アメリカ」の広大なネットワーク
すっかり「自己満足の日」になってしまった。
アメリカにすれば絶好の〈ビジネスチャンス〉だということが、はっきり見えてくる。
常に新しい武器を造っては売り、それで食べている軍需産業が存在するのだから。
まったくもって、いろんなことが、いろんなところで、リンクしてるんだよ。
ではでは、またね。