漫画にブンガクはいらない 『マンガホニャララ』ブルボン小林 周回遅れの文庫Rock

物心ついた頃から

小説を中心に本を読み続けて来たが

それに負けないペースでマンガも読み続けている。

ちなみに現在の〈読書態勢〉は

小説1冊とエッセイ(小説以外)1冊を並行して読み進めつつ

その合間にマンガを眺める、というフォーメーションが定着している。

(新作漫画が手元にないときは、既刊のものを繰り返し読む)

 

そんな読書習慣のなかで

今回手にしたのが『マンガホニャララ』。

様々な漫画についての考察が記されたコラム集だった。

(ちなみにブルボン小林は、小説家・長嶋有のもう一つのペンネーム)

 

残念ながら本書で取り上げられた品の大半は、私の好みと合致せず

「そうそう、そうだよな!」など同好者ならではの感動を得ることは少なかった。

しかし、第4章「たかがマンガ」といわせてほしい に記された一節は

これまでマンガに対してぼんやり抱いていた〈気持ち悪さ〉に

一刀両断、ズバリと答えてくれるものだった。

ちょっと長いが、引用したい。

 

変な言い方だが、「読まなくていい」と思えるのもマンガの優れた特質である。

同じ書物の詩や純文学などと比べても、大勢が読むための工夫のあることが、

読み手の「解する義務」をいささかでも軽くするのである。

俺が読まなくても誰かが魅力をみつけて役立てたり広めたりしてくれて、

この世に生じた創作の意義は保たれるだろう、と思わせる。

だから、五十嵐大介浅野いにおといった、

多くの漫画通が褒める漫画家の作品のほとんどをスルーしている。

最近の松本大洋黒田硫黄も遠ざけている。嫌いなのではない。

どれもまあ面白いと思うし尊敬もしている。すげえなあと素直に感嘆もする。

すげえなあ、と強く感じさせるから、むしろ読まないのだ。

作品が(自分よりも)明らかに本格的で立派で、丹精し精進し妥協してない。

こちらが見上げるような読書だ。

高みからバカにしながら読みたいわけではない。

自分と同じ地平で、馬鹿にしたりされたり、ときに座り直したり、

寝そべって弛緩したり、そんな風に読めるのがいい。

いいというか、それこそが漫画だと僕は思う。

「そういうのが漫画の良さだよね」というのではなくて、

そういうのが漫画だと「定義」している。        (233~4ページ)

 

まさしく、彼と同じベクトルの〈気持ち悪さ〉を

最近の漫画(評論&評価)について感じていたので

シビれるような共感を抱いてしまった。

要するに――いわゆるブンガク的な作品ほど、読み返す気になれなかったからだ。

だって、漫画のプロたちが絶賛している〈名作〉って

ほとんど例外なく読んだ後に、ショックだったり、人生について考えされられたり、

要するに《楽しい気分になれない》ものばかりでしょ。

そう。とにかく読後感が、楽しくない。

 

根っからの小説読みだからこそ感じる不満なのかもしれないけど

何度読み返しても、わかっていながら名場面にジーンとし

なによりも読み終えたとき、(やっぱり)面白かったなー! 

でもって直後に、じゃ次はどれを読もうかな? とワクワクする

そんな〈面白い=楽しいマンガ〉こそ、いいマンガなのだと確信している。

ブルボン流に言うと『ブンガク抜きで楽しめるのがマンガの良さだ』。

 

例によって自分語りに終始してしまったが

マンガというメディアに向ける視点の多彩さには、何度もドキッとさせられた。

漫画=キャラクターというパターン化に一石を投じ

「キャラではなく個性を描く」ことにマンガの醍醐味はある(80ページ)

浦沢作品に対する「うますぎる」評 (208ページ)など

気持ちよく刺さってくる切り口が満載。

個人的には『花咲く乙女たちのキンビラゴホウ』以来の名評論と言ってしまおう。

 

ではでは、またね。