効果絶大の"脳トレ本" 『バベル 書きおろし日本SFコレクション NOVA+ 』編・大森望 周回遅れの文庫Rock

なんだか最近、就寝前の読書がはかどらず

"途中で止めるに止められず、読み終えた時は朝だった"

などという「小説世界への没頭」はもう年齢的に無理なのか・・。

そう諦めかけていたアラカン活字中毒者にとって

本書は、久々の"徹夜本"である。

 

とはいうものの、実はこの本。

前半の3&4作目に差し掛かったところでは、一晩で50ページも読み進めず。

毎回読書開始から30分以下に、あえなく「寝落ち」するという

"各駅停車モード"で、辛うじて読み進めていたありさま。

いったいなぜ、そんなノロノロ運転に陥ってしまったのか?

「復活」を遂げたいまなら、原因を示すことができる。

早い話――脳の中がコチコチに固くなって(シナプスが錆びついて)いたのだ。

 

10代前半から「SF小説」の魅力に取りつかれ

以来半世紀余り、一定の割合で内外のSF小説を読んできた(つもり)だったが

改めて振り返ると、過去作(主にシリーズもの)の再読だったり

現在の科学技術の延長線上で話が展開する(宇宙モノやスペースオペラも)

"既存の世界観の延長線上で読み解ける"、「楽なSF」ばかり並べていた。

 

レーニングを怠っていれば、否が応でも衰えるのは

肉体も脳も、変わらない。

その結果、最新(7年も前だが)の作品

特に、"一歩先の概念"を必要とする尖った(?)SFが理解困難に陥ってしまった。

本アンソロジーの第3作『ノー・パラドクス』(藤井大洋)と

続く『スペース珊瑚礁』(宮内悠介)が、まさにその〈ダブルパンチ〉といえる。

なかなか頭の中に収まってくれない箇所を何度か読み返すことで

かろうじて理解はできたが、正直、半分ほどはチンプンカンプンのままだった。

ここにきて、もう最新のSFには手を出さない方がいいのかな・・

などと、弱気になったのだが

幸いなことに、その次が『know』と『バビロン(Ⅰ~Ⅲ)』で夢中になった

野崎まどの短編だったので、ここで撤退してなるものか!

と、気合を入れ直して『第五の地平』を読み始めると。

 

これがまた、予想の斜め上を超音速ですっ飛んでいく「トンデモSF」。

かの英雄チンギス・ハーンが、宇宙の大草原を次々と制覇。

その覇権は次元の壁すら乗り越えてゆく・・

 

――――ここでようやく、目が、覚めた。

そうだよ・・・・SFって、"なんでもあり"だったんだ!

 

次の瞬間、同じ狭いエリアだけをちまちま繋いでいた脳細胞シナプス

ぐぐぐっと触手を伸ばし、長らく途絶えていたルートが次から次へと蘇ってゆく。

・・ような気がした。

大げさな言い方だとは思うが、実際、脳みその"使ってなかった場所"が

ようやく動き出した感触なのだ。

 

次作『奏で手のヌフレツン』(酉島伝法)も、3.4.5作をさらに凌駕する

〈疑古典異世界SF〉ともいうべき難敵だったが、もう大丈夫。

時代小説をひとまわり難解にしたような独特な語り口と

球形スペースコロニー風「世界」の内側を

人柱となった人間たちの足を蠢かせ巡り続ける"太陽"の凄まじさ――

 

常識から解き放たれ、空想世界で自在に心を飛躍させる興奮が

久方ぶりに、この身を包んでいた。

 

そして、本書の表題にもなった『バベル』(長谷敏司)。

現代社会のちょっと先を描いたリーダビリティ抜群の本作で

読者(俺だ)の興奮は最高潮に達する。

本アンソロジー最長の110ページを一気呵成に読了。

今話題の『残像に口紅を』(筒井康隆)へのオマージュだと思われる

最終作『Φ(ファイ)』(円城塔)を読み終えると

窓の外は見事な秋晴れ、時計の針は8時44分を指していた。

実に、数カ月ぶりの〈貫徹読書〉。

―――ごちそうさまでした。

 

てなわけで、少なくともうたた(俺だ)の脳は、見事復活を遂げた。

諦めずに読み続ければ、「理解の門」がドーンと開く!・・こともある。

そんなふうに実感できた、得がたい読書体験だった。

やっぱりSFって、すごい!!

 

ではでは、またね。