いろんなことを感じ、様々なことを想いながら読んだ
きっと読み返すたびに、頭や心に浮かぶ想いは違うのだろう
解説で桐野夏生が触れていたけど、ちょっとだけ死ぬのが怖くなくなる
枯れ木は火力が足りないため、死人が出るとすぐ人々は山に木を伐りに入った。伐り出される生木-まなきの半端でない量に、人焼きは木焼きであると知った。人が死ぬと大勢の木が死ぬ。まるで木の殉死だ。島では穴を掘って土の中に埋-いけ込む。岩礁の島だから深くは掘れない。それで島では犬は飼わないのだ。猫ばかりいる。犬は穴掘りの名人だから埋け込んだ死人を掘り出すという。 [9]
海女は子どもを産んでも、中年になっても、小娘のような乳房で小腰で引き締まった腹部をしていた。魚のような流線型の肢体でないと素早く水に潜れない。 [11] 息を止めて水深、二十から三十メートルも下りるような海女は、次の息を吸うまでに海草の林を分けてアワビを獲って上がって来るる。豊かな乳房も尻も潜水の敵である。
こうしてみると人間の老化ほど激しい肉体現象があるだろうか。魚は老いない。鳥も老いない。老いても外見で姿形が変わるものでない。長生きの象でさえ、人間の年寄りの体ほどに崩れてしまうことはない。 [12]
「しかし電気や電話よりもっと高いインフラがあるぞ。何か知っとるか?」 「うむ。水は雨水の濾過-ろか装置ば入れて、これまたカネはかるが‥‥」 「そんなもんは屁のカッパじゃ」 と役場の鴫さんはみんなの顔を眺め渡して、 「本土から生活物資を運んで来るものは何じゃ? 病院も学校もなくていいが、これだけは止めるわけにゃいかんぞ」 あーっ、と鴫さんたちは、そのとき一時に気が付いたような声を上げた。 「定期船か!」 役場の鴫さんがうなずいた。声を潜めてみんなを見た。 「そうや、一つの島に定期船を出すだけで、船の油代が年間二千万じゃ。そのほかに船のメンテナンスとか、そんなものは入っとらん。週一日のばさまの足代じゃ」 ウミ子はそろそろとテントの影から後ずさった。何と途方もないおカネだろう。月に五、六万円の生活費で暮らしている年寄りに想像もできない額である。 八人の女年寄りが住む祝島はいい。まだいい。養生島は二人である。二千万円の札を束にして積んで見せたら、イオさんは何と言うだろう。ソメ子さんはどんな顔をするだろうか。 [26]
「とにかく無人島には問題があるのね」 「でもお年寄りばかりの島も、別の意味で危ないです。無人島と間違えて入って来た密航者たちと、突然、お年寄りが島の中で出くわしたらどうなるか。どっちもびっくりするでしょう。もしか驚いた侵入者に危害を加えられないとも限らない」 [38]
「いや、あの、出て行かれても、困るんです‥‥」 と前を行く鴫が振り返った。 「イオさんたちが出て行くと、ここも無人島になってしまいます。国境に近い島がまたひとつカラッポになるんですよ」 人の住む島は海の砦-とりでと同じだと思う。人が去ると砦はカラになり、侵入者がそこを占拠する。 「無人島を一つ分捕ると、国境線の位置が現実にズレ込んでいきます。国境は動かしようがないけど、実際にはいろいろ物騒なことが起こるかもしれません」 離島の争奪合戦は、椅子取りゲームみたいなものだと鴫は言う。海に散らばった島々は、格好のゲームの椅子である。いつどの椅子が空くか、虎視眈々-こしたんたんと狙う眼がどこかにあるのだろうか。 [40]
イオさんたちが水死人に敏感なのは、海で働いてきたからだ。海に潜ると少なくない水死体と遭遇するのである。死人は漁師や海女、船乗り。養生島の近くの海域だけでも、海底を浚-さらえば過ぎた歳月の数だけ死者の数は積み上がる。 海域をもっと広げると旅客船の沈没事故もある。太平洋戦争で激戦区となった海底には何千何万の艦・飛行機が沈んでいる。それから世界の海のあちこちで起こる津波の死者。昔から陸地で人間が死んできたように、それよりもっと広い海洋も人間の死に場所となってきたのは当然だ。 生きている人間の数は微々たるものだ。死んだ人間の数は歴史時代以前から始まる時間に比例する。ウミ子は死んだ者を呼び寄せるのは、パンドラの箱を開けるようなものだという気がする。際限がなくなるに違いない。 [50]
「この絵は、あのミサゴですか」 「そうよ、ミサゴは海ん神様じゃ」 とソメ子さん。嵐よけの神様らしい。 「カツオドリの旗もあるでしょう? こないだ揚げてた」 「ああ、カツオドリは豊漁の神様じゃ」 鳥は何でも神様になるのだろうか。 「そんならハチクマは?」 立神岩の当たりで見た大きな鳥柱が目に浮かぶ。 「あの鳥は岬の森でスズメバチを食う。それでハチクマという。陸の鳥じゃ」 「でも渡りをするでしょう? 海の上を飛んで行くじゃないですか」 「何千キロも渡る鳥は陸も飛べば、海も飛ぶんじゃ」 ソメ子さんが歯のない口で笑った。灰色の尖った舌が震えた。女の年寄りは鳥に似ているときがある。 [58]
「だいたい国境なんて線引きが無理なんですよ」 と思い出したように鴫が言う。 「中国の浙江-せっこう省辺りから筏-いかだを流したら、十日ぐらいでこっちに着くって父が言ってましたよ」 ウミ子も昔、ベトナム難民の船が漂着して騒動になったことを思い出した。 島を出た後のことだ。 波の上に国境の線引きは難しい。 [67]
「ところで鯵坂-あじさかさん。ミサゴって英語で何ていうか御存知ですか」 ミサゴの英語名だと? 「知らないわ。聞いたことないです」 ウミ子は首を横に振る。 「英語ではね、オスプレイっていうんですよ」 まさか、と鴫の顔を見た。テレビや新聞に出る図体が大きいアメリカの軍用機が目に浮かんだ。ずんぐりむっくりした胴体の両翼にザリガニの爪みたいな、不格好なプロペラを付けて、飛行機のくせにホバリングして垂直離着陸をする。あれは不気味な形だ。「機械が生きものに似てくると気味が悪くなっていくわ。似てこられて本物の鳥のミサゴの方が可哀想」 「ええ、まったく。ミサゴは格好良い鳥です」 鴫がしきりにうなずいた。 [67]
海水の養分がなくなったのは近隣の島の森が伐採されたからだ。森の土壌から流れ出る養分が海を肥やし、大量のプランクトンを育てる。もし地球上からすべての陸地がなくなれば、海はただの巨大な水溜まりになるだろう。 [88]
「陸の上なら国境線を超えて入るとすぐわかりますよね。しかし海に国境線は引かれていませんからね。つまり陸上みたいな検問所というものがないんです。だから密漁とか何か実際の違法行為をやらない限り、日本の領海内を通るだけなら外国船だって航行できるんです」 すると海ほど防備の不完全な国境はないのだった。日本はそんな曖昧な水の境界線に国中が取り囲まれている。 「ただし、日本の領海に密漁船が入ってくれば警告を受けますよ」 「そのときは追い出していいのね」 「だから向こうも考えているんですよ。彼らはわざと時化-しけの海をめがけて、船団を組んでやってきたりします。海上保安庁の船が渓谷に出て行くと、嵐に遭って避難しにきたと言うんです。避難と聞けば日本は逮捕できません」 「そんな手口があるのね」 「百隻近くの船団で来ることもありますよ。全部で千人くらいの漁民が乗っていたりするときもある」 そうなるとこちらの島民の方が少なくなる。想像すると恐ろしい眺めである。 [89]
戦時中の皮の軍靴が渚に打ち上げられたり、中から人間の足の骨まで出てくることもある。現役時代、イオさんたち海女はアワビやカキ、サザエなどを採取しながら、よくそうやって古い遭難者の霊も拾い上げた。 [109]
浜には食べられる海藻のほかにも、貝殻や流木、ハングルや中国文字の入ったプラスティックな容器や瓶、缶なども雑多に流れ着いている。人間が暮らしに使う物はどうしてこんなに汚いのだろう。ゴミになるしかないものばかり。 [111]
200ページをいくらか超える程度なので、半分以上来てしまった
生と死にまつわる深イイ話は、ここよりも先で待っている
ぜひご自身で手に取り、噛みしめていただきたい
ではでは、またね。