しばらく前から
読んだ本に対してまとまった文章を書く気になれず
機械的な引用ばかり繰り返していた。
世間が絶賛する本をあれこれ漁ってみても
「ふーん、よく作ってあるじゃん」
「なるほどこれなら読者は共感するよな」
みたいな上から(裏方)目線の読後感ばかり抱いていたから。
本好きを自認する方々なら"今さら何を言ってんだ"と苦笑しかねない青臭さだが
半世紀以上にわたって毎年2~300冊の書籍を読んできた己が
生まれて初めて直面した、"小説ってこの程度のもんだったっけ?"という
足元がぐずくずに崩れていくような絶望感だった。
だが、そんな"やるせなさ"に追われること3カ月あまり。
ついに一冊の書物が、行き止まっていた心の壁に、でかい風穴をあけてくれた。
それが本書、『掃除婦のための手引き書』だ。
もちろん、長年磨き続けた色眼鏡がジャマをして
最初の数編を読んでいた頃は
「ふむふむ、波瀾万丈の半生を乗り越えたシングルマザーの著者が
幾度かの結婚・離婚・アルコール依存症など多彩な体験を
セミドキュメンタリー風に切り取った"半私小説"ってヤツか・・」
など、馬鹿ならではのテンブレな分析(以前の決め付け)で片付けていた。
めちゃくちゃ失礼な言い方をすると
自身の過酷な体験を利用して感傷的な物語を組み上げた
ーー程度にしか受け取っていなかった。
ところが、50ページをいくらか過ぎた
ちょうど表題作『掃除婦のための手引き書』の途中あたりから
・・・なんだか妙に、ザワザワしてきたのだ。
ちょっと待て。こいつは"人生の切り売り"なんて薄っぺらいもんじゃないぞ。
「ミステリーでもファンタジーでもないベストセラーの海外文学ってやつを
ちょっくら読んでみるか」
なんて醒めた気分で繰っていたページの一枚一枚が
めくればめくるほど、厚く、重くなっていく。
最初のうちは、読み流し(聞き流し?)ていた登場人物の一言ひとことが
心のレバーやボディに鋭く突き刺さる。
一作数ページからせいぜい20ページ余りの短編集だっていうのに
"読み終えるのが惜しく"なってくる。
かくも異様な〈重力〉を、いったい何と言い表せばいいのか。
残念ながら、そこに手が届くほどの文才は持ち合わせていない。
ただ、通俗的な言い回しで許していただけるのなら
次の言葉が、真実の一端を掠めるかもしれない。
ーー-自らの魂を削り出して造り上げた、真実の物語。
物語を創作するうえで、緻密な構成や計算は、確かに大きな力を持っている。
しかし最近の小説、特にベストセラーと呼ばれる小説の圧倒的多数は
作者自身が抱える血肉とは隔絶された"クリーンルーム"で組み立てられている。
特にここ数年、そんな思い込みを強く抱くようになった。
そのせいか、以前なら迷わずオススメしていた物語を
心の底からプッシュできなくなっていた。
(むしろマンガのほうが、作者の熱がストレートに伝わってくるぶん
ためらわずに推薦できた)
そんなボンクラにとって、本作は
心を揺さぶることができるのは、同じ心から発せられた言葉だけ。
という当たり前すぎる事実を、改めて深々と突き刺してくれた
ある意味、〈原点回帰の書〉と名づけたくなる。
原点ってなんのこと?
少しでも疑問に思った方は、ぜひとも本書を開いてほしい。
答えは、まぎれもなく、そこに記されているのだから。
相変わらず、ここはいつか来た道・・っぽい禅問答に逃げ込んでしまった。
だが、少なくとも本書が数カ月ぶりに
"何かを書かずにはいれらない気持ち"にさせてくれたことは、確かなのだ。
そこまで読者を動かす物語って、文句なしに凄いと思うよ。
例によってストーリー自体にはほとんど触れていないので
得意?の引用で、本作の断片を体験していただきたい。
掃除婦たちへ:原則、友だちの家では働かないこと。遅かれ早かれ、知りすぎたせいで憎まれる。でなければいろいろ知りすぎて、こっちが無効を嫌になる。57P
緊急救命室の仕事をわたしは気に入っている。なんといっても男に会える。ほんものの男、ヒーローたちだ。消防士に騎手(ジョッキー)。どっちも緊急救命室の常連だ。ジョッキーのレントゲン写真はすごい。彼らはしょっちゅう骨折しては、自分でテープを巻いて次のレースに出てしまう。骨はまるで木か、復元したブロントサウルスの骨格のよう。聖セバスチャンのレントゲン写真だ。76P
わたしは家が好きだ。家はいろいろなことを語りかけてくる。掃除婦の仕事が苦にならない理由のひとつもそれだ。本を読むのに似ているのだ。188P
母は変なことを考える人だった。人間の膝が逆向きに曲がったら、椅子ってどんな形になるのかしら。もしイエス・キリストが電気椅子にかけられていたら? そしたらみんな、十字架のかわりに椅子を鎖で首から下げて歩きまわるんでしょうね。234P
「文章を書くとき、よく『本当のことを書きなさい』なんて言うでしょ。でもね、ほんとは嘘を書くほうがむずかしいの」287P
人が死の病を宣告されると、はじめは電話や手紙や見舞客が洪水のように押し寄せる。だが何か月かが過ぎ、だんだん状況が悪くなるにしたがい、誰も訪ねて来なくなる。 病が力を得、時間がスローダウンし、けたたましく存在を主張しはじめるのはこのころだ。時計の音、教会の鐘、嘔吐の声、せいせいと吸っては吐く苦しげな息の音。305P
きりがないので、このくらいでやめておこう。
ともあれ、本書に出逢えたおかげで
何枚かの色メガネをぶち割ることができた。
自画自賛になってしまうが
数年前から始めた「サイコロ読書法」Ⓒに感謝しなくては。
ではでは、またね。