キリスト教が唯一絶対の真理だと硬く信じられていた15世紀前半から後半にかけて
異端審問による処罰(火刑)を恐れながらも、地球を中心とする世界=天動説を疑い
地球は太陽の周りを回る地動説の立証と流布に、命を賭けた人々の物語である。
「人々」だから、主人公は次々と登場する。
それも・・え? こんなとこ死んじゃうの!?
というほどのあっけなさで、次々に命を落としてゆく。
まずは、この"喪失感"が、とてつもなく新鮮だ。
ふつう、物語の主人公は、そう簡単には死なない。
それが読者にとって共感しやすい、情熱や真理を求める人物であればなおのこと
絶体絶命の窮地に追い込まれようとも、針の穴を通すほどの僥倖によって生き延び
最終的な勝利と幸福を勝ちとるものである。
ところが、本作の「主人公たち」は、いともあっさり自らの死を選び取る。
自らが掴み取った〈感動〉という名のバトンを、やがて現れる"誰か"に託して。
おそらく本作の主人公は、〈登場人物〉ではなく、
彼ら彼女らが見いだした、"地球は動いている!?"という〈感動〉なのだろう。
だから、「黙殺を選ぶか異端発覚=死刑を選ぶか」など
理屈(常識)で考えれば成立しえない二者択一を迫られても、叫ぶのだ。
燃やす理屈なんかより!! 僕の直感は地動説を信じたい!! ・・・と
こうして「地動説」という名の〈感動のバトン〉は
時を越え、世代を越えて、受け渡されてゆく。
かねてから「漫画は絵ありき」と考え
気に入った作品は何度も読み(鑑賞し)返している。
この基準からすれば、絵の描写に関する作者の技量は、満足に程遠い。
それでも、真理を目指す圧倒的なパワーと、命を賭けた想い(言葉)のバトルが
粗削りな絵柄の"向こう側"から、《生きる喜び》を訴えかけてくる。
かくも"切実"で"必死な"物語に巡り会えたのは、久しぶりだ。
あ、先ほど、本作に人間の主人公は存在しない。
なんて書いたけど、一番それ(主人公)に近い人がいた。
地動説を受け継ぐ側ではなく、彼らを拷問&処刑する異端審問官だ。
物語のクライマックスも、彼の死とともに迎えることとなる。
ひとつだけ、ガッカリしたのは
そこに十字架=神様のイメージを書き加えたことかな。
徹頭徹尾リアリズムで描いてきた本作が
このワンシーンでグズグズになってしまった気がしてならない。
それを言ったら、「彼」の復活?もファンタジー化の現われかもしれないけど。
ま、ささいなイチャモンづけはこのくらいにして。
表題に書いたとおり、本書は?と!に満ちた感動作であることは、間違いない。
禅問答を連想させる長大な会話劇についていけない人もいるだろうが
そこは、本作の"魅力"のひとつなので、頑張っていただきたい。
少なくとも、グレッグ・イーガンの科学解説なんかより、遥かに理解しやすいはず。
今回もラストは、ネタバレ必須の「名文句」で。
知が人や社会の役に立たなければいけないなんて発想はクソだ。
ではでは、またね。