キワモノオタクSFではない。"恨(ハン)の物語"だ。『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン㊤㊦』ピーター・トライアス 周回遅れの文庫Rock

ひさかたぶりにコメントをいただき

尽きかけていたエネルギーが、だいぶチャージされた気分だ。

感謝とともにバットを短く持ち、今日もボックスに立つ。

 

本日は、「21世紀盤『高い城の男』の呼び声高き、話題沸騰の改変歴史SF」。

第二次大戦の勝者が枢軸国(ドイツ・イタリア・日本)側になっていたら

その後の世界はどうなったか・・という直球ど真ん中の"もしもSF"だ。

で、題名通り、旧アメリカ合衆国は西側が「大日本帝国

東側が「ナチス・ドイツ」に分割統治された。

 

本書の舞台となるのは、終戦から40年ほど過ぎた旧アメリカ西海岸。

"日本合衆国"のロサンジェルス~サンディエゴあたり。

現実世界のパソコン・スマホなどに代わって

「電卓」と呼ばれる日本産の携帯端末がネットワークを構築。

日本のお家芸〈ゲーム文化〉が世界を席捲している。

加えてガンダムを彷彿とさせる巨大ロボット兵器「メカ」が闊歩するなど

ハリウッド映画真っ青のバリバリアクションSF大作!

 

・・・・と、思いきや。

この、ベビー&シニカルなストーリー運びは、いったいなんじゃい!?

若きアメリカ人作家の作品というから

てっきり『火星の人』(アンディ・ウィアー)みたいに

知恵と技術を駆使してヒーローが繰り広げる波乱万丈の大活劇!

ーーっぽい物語を予想していたのが、ものの見事に大外れ。

 

1948年の日系人強制収容所に始まり

40年後、日本が支配する旧アメリカ西海岸のメインストーリーに移行しても

やたら内省的な主人公の醒めきった言動ばかりが、印象に残る。

その湿っぽくも重たい暗さは、

本作のヒロインである特別高等警察特高)課員・槻野昭子が登場しても

晴れることはなく、それどころか天皇を現人神と盲信する彼女の尖った言動により

ますます物語は、被虐的かつ救いのない方向へとなだれ込んでゆく。

 

てなわけで

"えーっ、今どきのアメリカンはこんなに恨みつらみまみれなのかよ~⁉"

なんて戸惑いつつも、全編に満ちる"想いの強さ"に引っ張られつつ

ラストの解説まで一気読みさせられたところで。。

やっとその"理由"に、思い至った。

 

そう。本書の著者、ピーター・トライアスは、アジア系アメリカ人

それも1979年、韓国ソウル生まれであった。

幼少期はアメリカで育つが、八歳からの二年間をふたたび韓国で過ごし、そのときの体験が本書の出発点になったという。〔中略〕283-4p                  「激動の時代だった。テレビをつけると、抗議する学生たちや逮捕される人々の姿が画面に映っていた。僕は八歳か九歳だったけど、アメリカから持っていったニンテンドー(NES)で遊んでいたせいで、うちに来た韓国人の大人に怒られたことが何度かある。日本製だというのが主な理由。年配の韓国人は日本語が流暢にしゃべれるし、日本統治時代につけられた日本風の名前を持っている人もいると聞かれたけど、理由はさっぱりわからなかった。もっと大きくなって、第二次大戦中になにがあったのか詳しく知るまで、そのことは謎のままずっと頭にこびりついていた。『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』のルーツをたどっていくと、その体験にまで遡るかもしれない」

 

人種や民族に伴う個性や特徴をパターン化して決めつける愚は、冒したくない。

だが、それでもなお、血脈と共に受け継がれる〈バトン〉は、間違いなく存在する。

たとえば、"支配される歴史"を身をもって体験し、様々な場面で抱いた疑問や矛盾を

民族の証しともいえる「恨-ハン」の色で染め上げる、半島の人々のように。

少なくとも、うたたの場合は、著者の出自を知ることによって

ようやく全編に漂う"哀愁"と"慟哭"の意味を、見出すことができた。

おかげで、本作に登場する大日本帝国の人々が

(在日)韓国人としか思えなくなくなってしまったのは、いわばご愛嬌か。

 

ともあれ、これは、徹頭徹尾「ルサンチマン」の物語である。

アニメとゲームに彩られ明るくポップなSF小説だなんてナメていたら

思いっきりヤケドするので、覚悟せられよ。

 

言いたかったことは、このくらいか。

あとは例によって、心を打った言葉を、いくつか紹介したい。

ルサンチマンの物語」と断言したワケが、きっと伝わるはずだ。

「宗教は多くの場合、真意を隠して人を組織するために利用される」㊤103p

「どんな大帝国も死体の山の上に築かれている。ローマも中国もそうだ。アメリカも数百万人の先住民を抹殺し、アフリカ出身者を奴隷にした。犠牲者は忘れ去られる。わが国で地震によって過去の栄華の跡が消えるようなものだ」㊤268p

「完全な自由社会は可能だと思う?」                                  「自由社会など存在しない」昭子は断言した。「経済的奴隷制に納得できない者が罪悪感をごまかすためにつくりだした虚構にすきないそれでも机上論としていうなら、個人によりけりだろう。完全なる選択の自由を使いこなせる者もいれば、重圧につぶされる者もいる。あんたはどう思う?」                       「たいていの人は一人で苦しむ自由もほしいと思い、それゆえ愛することに慎重なんだと俺は思う」                                 「机上論の自由の話でなかったのか」                      「愛は自由の自主的放棄だ。自分で制御できる唯一の自由だよ」㊦93-4p

「名誉なんぞ、気分ようなるための言葉遊びや」㊦171p

 

続編(『メカ・サムライ・エンパイア』)は、すでに手元にある。

さて、いつ読もうかな。

 

ではでは、またね。