『そして私は一人になった』山本 文緒 /引用三昧 14冊目

魚久の粕漬と労働意欲――◆ 一月 Jan.13 

新しいシャツに袖-そでを通すと、新しい自分になったような気がする。OLの頃に、異常とも言えるほど新しい洋服が次々と欲しかったのは、きっと自分が嫌いだったからなのだ。やりたいことが見つからず、目的もなく、ただ無駄遣いを繰り返している自分が嫌で、せめて外側だけでも常に新しくしたいと思っていたのかもしれない。[20]                      

Jan.31. 男の人でも女の人でも、その人のことが好きになると、私はいっしょに旅行に行きたくなる。それが恋愛感情じゃなくても、好きな人と旅行に行くのは、もしかしたら人生で一番楽しいことなんじゃないかなと思う。[27]

 

冬の起床時間と細かい仕事――◆ 二月 Feb.6.

最初はそういうマンション猫を可哀相だと思っていたのだけれど、動物学の本を読んでいたら、猫は食べ物とリラックスできる空間があれば、マンションの一室で一生を過ごすことがちっとも苦痛じゃないそうなのだ。外を知らない猫を、半端に大きくなって外に出す方がよっぽどストレスが溜-たまるらしい。[32]

 

春のインドア生活、読書編――◆ 三月 Mar.14. 

今は私にとって、本を読むのは音楽を聴いたり映画を見たりするのと同じである。文学的価値があろうがなかろうが、そんなことはどうでもいいことなのだ。売れていようと売れていまいと、まわりの人が皆つまらないと言っても、自分さえ面白ければそれでいい。自分さえ夢中になれればそれでいいと思っている。

冊数だってそんなに重要なことじゃない。時々こんなに私は本を読んでいると自慢する人もいるけれど、冊数をのばすだけなら誰でもやろうと思えばできることだ。その中で何冊心に響く本があったか、一冊でも人生を変えるような本に出会ったのか、その方がよっぽど重要なことだと思う。

私も何度か読んだ本に人生を変えてもらったし、私自身も本を書いて生計を立てている。読んでは書いて、書いては読んで、そうやって一日が終わり、一週間が終わり、月日が過ぎていく。

しあわせだなあ、と心から思う。[50]

 

物も恋も捨ててしまう――◆ 六月 Jan.9. 

前にも書いたけれど「一生もの」だとお店の人に勧められて、一大決心して買ったものすごく値の張る革のコートは、もうダサダサで着られなくなってしまった。けれどあんまり高かったから捨てるに捨てられず、実家の押入れに封印されている。恋愛だってそれと同じで「一生もの」と思い込むと、それだけで重くなってしまう気がする。

そんな思いをするよりは、どんどん新陳代謝しようって思った。そしたらびっくりするほど気持ちが楽になり、買い物も、物を捨てることにも罪悪感がなくなった。

それに、そう決めてから、かえって物を大切にするようになった気がする。[97]

 

Jan.22. もう会わない人のことも思い出す。仲がよかった友人達の中には、もう二度と会うことはないだろう人もいる。

ケンタでお茶を飲んだあの男の子も、昔恋人だった女の子の消息が分からないんだと言っていた。その女の子と私は同じクラスだったことがあるけれど、親しいわけじゃなかったから今どこで何をしているのかまったく分からない。

最近そんなふうにちょっと感傷的になる時があって(前はそんなことは全然なかった)、今持っている物も、今親しい人も、いつかはそんなふうに失ってしまうんだなとしみじみ思う。

だから最近人と親しくなると、なるべくちょくちょく会って遊んだり、密度の濃い時間を過ごしたくて旅行に行ったりしている。「時間に余裕ができたら」とか「またそのうち」なんて思っているうちに、人は行ってしまうのだ。

今楽しまずに、いつ楽しむのだ。

まるで旅行者のように暮らしているなと時々思う。地面から足が一センチぐらい浮いている。 [99]

 

夏のインドア生活、TV編――◆ 七月 

Jul.10. テレビをよく見るようになって気がついたのだけれど、テレビを見るというのはすごく楽なのだ。

本を読むとか映画を見るっていうのは、積極的に筋を追っていかないとならないけれど、テレビはただひたすら受け身で、すぐコマーシャルに分断されるから集中力もほんのちょっとでいい。ただちょっと五分だけ見てもそれなりに面白かったりする。

だから風邪をひいている時や精神的にまいっている時は、本を投げ出しテレビをだらだら見てしまう。                      

「テレビばっかり見てると馬鹿になるよ」とよく母親に言われたものだけれど、それも案外当たってると思う。テレビってやる気のない時の絶好の逃げ場だ。[103]

 

Jul.23. 一人で仕事をして一人で本を読んで、一人で食事をして一人でテレビを見て笑って、一人で眠る。それがもし耐えられないほど淋しいと感じる人ならば、きっと誰か同居人を探すのだろう。でも私は耐えられないほど淋しいわけじゃない。耐えられないのはどちらかというと、一人になりたい時に一人になれないことの方だ。[109]                       

 

ダメ人間コンビニにゆく――◆ 八月 

Aug.6. 単なるひねくれ者だと言ってしまえばそれまでなのだけれど、私は“大勢でよってたかって”という現象が大嫌いなのだ。

O‐157が流行-はやったとたんに、かかった子供がいじめにあったという新聞記事を読んで呆-あきれてしまった。

病気の恐ろしさはよく分かっているけれど、そうやって過敏に反応し過ぎて、自分の身だけ守れば人が傷つこうがどうしようが構わないという発想が嫌なのだ。 [114]  

 

ここまでで、全体の折り返し点ちょい前ぐらい。

余りにも共感する箇所が多く、だらだら引用したら著作権を侵しかねないので

心を鬼にしてコンパクトに切り詰めてみた。

もっと&ちゃんと読みたい方は、元本を手に入れていただきたい。

 

今さらではあるが、彼女の著作を探し出しては読み(返し)始めている。

小説・エッセイを問わず、順次他の作品も紹介していこう。

 

ではでは、またね。