『旅だから出逢えた言葉Ⅱ』伊集院 静 /引用三昧 9冊目

旅だから出逢えた言葉――Ⅰ

フランス/パリ、スペイン/バルセロナ  Paris,France & Barcelona,Spain

旅の時間で“流れる風景”を見つめる時が一番安堵します

鉄道の旅に根強い人気があるのは、さまざまな理由があるのだろうが、私は、あの車窓を流れる風景にあると思っている。

それも、適度なスピードで走る電車に乗って、見ることができる“流れる風景”である。

超特急の旅よりも、各駅停車の旅を好む旅人が多いのも、その理由だろう。 [12]

 旅の時間でどんな時が一番好きですか? と尋ねられると、私はいつもこう答える。

乗り物に乗って“流れる風景”を見つめている時です。その時間が私に安堵を与えてくれます」 [17]

           

フランス/アルル Arles,France

それはまるで日本美術のようで一度好きになると決して飽きない

――ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ

若い時に旅に出なさい、と先輩たちがすすめるのは、人が人に何かを教えたり、伝えたりすることには限界があり、夜のつかの間、後輩たちに語って聞かせる人生訓がいかに周到に準備されたものであれ、そこにはおのずと言葉によって伝達する壁がある。

“百聞は一見に如かず”とはよく言ったもので、百回、エジプトのギザのピラミッドの大きさを聞くより、一回、本物を目にすればすべてがわかるのである。

しかも若い時には目で見たもの、感じたもの‥‥すべての物事を吸収する力があり、まだやわらかい脳と精神が目の前にあるものの本質を見極めようとする。

同じ旅でも或る程度年齢を重ね、判断力が培われていると、それが邪魔をして、実はそこにかすかに見えている新鮮なものを見逃すことがある。[26]

だから本書の読者の年齢を想定して言わせてもらえれば、物事の分別がついている年齢での旅はよくよく旅ごころをニュートラルにしておかねばならないということだろう。                     

 

海外に出かけて人が思うことは、ひとつはこんな国、こんな風習、こんな考えの人々がいたのかという発見と、もうひとつ自分の国はこの国々と比べてどうなのだろうと、自分の国へ目がむき、意外な発見があるということである。

それは同時に自分自身に目をむけ、自分を考える機会を持つことになる。 [29]

 

神奈川/湘南、厨子、鎌倉 Shonan,Zushi & Kamakura,Kanagawa

急ぐことはありません。悠々としていればいいんです。そういう仕事もあります。 ――なぎさホテルのⅠ支配人 [32]

二人して飲む夜があった。戦前から南洋航路の客船に乗っていたI支配人は懐かしそうに思い出話をして下さった。そんな折に、私が今の自分の不甲斐なさを打ち明けると、ちいさく笑って言われた。

「上手く行かないのが私たちの暮らしですよ。なあに急ぐことはありません。

悠々としていればいいんです。そういう仕事も世の中にはあるはずです」[35]

 

アメリカ合衆国/ロスアンゼルス Los Angeles, U.S.A. 旅は読書と似ている[52]

旅と読書は似ているところがあり、初めて読んだ時はその本に書かれてあることが明確に見えないが年を隔てて読み返すと、思わぬ発見があるものだ。人生の経験(失敗でもいいが)を積まないと見えないものは世の中にたくさんある。

そう考えると若い時に見過ごしているものがいかに多いかがわかる。しかし若い時にしか見えないものがあるのも事実である。私が折につけ若い人に旅をすすめるのは人間形成に旅はかなり上質な授業だと信じているからだ。とはいえそれも当人の気持ちが大切で、遊んでばかりの旅ではむこうから真価のあるものはやって来ない。 [55]                                          

東京/池袋、埼玉/志木 Ikebukuro,Tokyo Shiki,Saitama

歴史を学ぶことは自分を学ぶことですから ――野口定男先生 人間が若い時に何かを学ぶということは、たとえその期間が、その人の人生の中のほんのひとときであったにせよ、教える人の誠実な姿勢と、学ぶ者に素直な姿勢があれば、長い歳月が過ぎ去った後でも、その教えは学んだ者の胸の中に刻まれ消えることがない。

若い人に学問(仕事、物事と言い換えてもいい)を教える行為と、それを教わろうとする若い人の向学心(探求心、志でもいい)の間にあるものは、私たちが生涯で経験するものの中で、かなり上等なものだと私は思う。[58]

 

東京/紀尾井町、銀座、宮城/仙台 Kioicho,Ginza,Tokyo Sendai,Miyagi

難しいことを易しく 易しいことを深く 深いことを面白く ――井上ひさし[72]

 

旅だから出逢えた言葉――

アメリカ合衆国/ニューヨーク、兵庫/伊丹、宮城/仙台

New York,...,Itami,Hyogo Sendai,Miyagi

祝い事、結婚式、長寿の祝いなどとは逆に葬式、別れの会などに包む送別金もそうである。必要以上に、身分不相応な金額を持って行くのは礼儀知らずである。なるたけ皆に合わせ、それより少ないくらいを包むのが常識である。豪華なホテルでの結婚式に招かれ、食事と引出物に合わせた金額を包むことを常識のように言う人がいるが、それも間違いである。招かれた時の己の状況で出せる金でよろしい。宴を豪華にするのは両家の趣旨で“晴れ”を子供のためにしたい親、家の気持ちである。だから質素であればいいとは思わない。ただ招かれた方はそれを負担に思わず堂々と祝って上げればいい。香典などは少ないのが良識である。

私はこのことを上京する前に父に教わった。[102]            

 

人間には本当に必要なものがある。それを提供できる仕事を、本物の仕事というのではないか。アンドレ・ケルテスは“やり過ぎない”を旨とした。[105]

 

ここまでで、全体の5分の2ぐらいか

さすがは"名言遣い"・伊集院。

どのページを開いても、味わい深い言葉に出逢える。

もっと&しっかり読みたい人は、例によって「元本」をゲットされたし。

 

面白過ぎるワールドカップのライブ視聴と

目前に迫った宮古島旅行(12日出発)の準備で

過去旅の記録をまとめる時間が取れず

今夜もまた、「趣味の引用」でお茶を濁してしまった。

書きたい本のストックも溜まってきたので

帰還後(16日以降)に、ひとつひとつ書いていきたい。

 

ではでは、またね。