賭け事に手を出してはならない。
ギャンブルは身を亡ぼす。
およそ世に流布する「教科書的」なテキストは
唯一絶対の真実のごとく、今も昔も上記の文言を連呼する。
だが、現実はどうだ?
一流とされる財界人の大多数は、マネーゲームという名のギャンブルに人生を賭ける。
年金や資産運用と言い換えた博奕で、大蔵省がどれだけ莫大な資金を失ったことか。
高給取りの有料企業の代名詞ともいえる大手銀行・証券会社もまた
利息・株価・為替ルートとにらめっこしては、右から左に金を動かしている。
要するに、国や政府の管理下にさえあれば、いくらでも博奕OKなのが、現実なのだ。
そうすりゃ「お上」は、黙っていても"上前"をピンハネできるから。
おっと、早くも話がズレてしまった。
注目したいのは、博奕やギャンブルを悪とみなす"善良な市民"のほうだ。
幼い頃から一切の賭け事には手を出さず、コツコツ地道に働き続ける彼ら彼女らは
安全安心を第一に、生命保険・火災保険・旅行保険に迷わず加入。
健康診断や人間ドックといった定期検査も、決して欠かすことはない。
だが、安全安心で構築した"万里の長城"の僅かなすき間から、「現実」は襲い掛かる。
たとえば、新型コロナによる世界的パンデミック。
ひたすら地道にコツコツと働き続けた、模範的な市民が
40年以上に及ぶ忍耐の果て。
ようやく、待ちに待った定年=セカンドライフのスタート地点に立った。
いよいよここからが〈本当の人生〉だ。
懸命に溜め込んだ資金を懐に、長年の念願だった長期海外旅行に飛び出すぞ!
しかし、その悲願は、新型コロナという想定外の事態によって、根底から崩壊する。
このように、かなりの頻度で"保険など通用しない"のが、人生というもの。
わざわざ、パンデミックという極端な例を引き合いに出さなくても
一瞬の脇見が、命を奪う人身事故を招いてしまったり
確実な資金運営だと信じ込んでいたのに、突然の金融危機で全財産を失ったり
半年前には見つからなかったガンが、手術不可能な状態になっていたり・・
そこまで極端な状況には陥らなかったとしても
受験・進学・就職・趣味・通勤通学など、人生のあらゆる場面において
サイコロを転がし、ダーツを投げ、スロットマシンを回すのと何ら変わらない
〔偶然の出逢い〕という運命が、ひとりひとりの言動に寄り添い
ほんのわずかな差違により、幸不幸のどちらかへと振り分けられてゆく。
――これを博奕と呼ばず、なんと呼べばいいのか?
ある程度の歳月、人間をやってきた同士なら
誰もが似たような経験にぶち当たり、後悔という名の言い訳を唱えているはずだ。
・・もし、あのとき、AではなくBを選んでいたら。
・・なぜあそこで、引き下がってしまったのか。etc、etc
そんなわけで、わざわざ強調することもない「自明の理」だが
せっかく?だから、もういちど繰り返してしまおう。
――人生どころかあらゆる現象は、突き詰めれば、ギャンブルなのだ。
そもそも、現代物理学(量子力学)のシンボルである「シュレディンガーの猫」。
"中の猫が生きているか死んでいるかは、箱を開けてみるまでわからない"
てな状況にしたって、〈生と死の丁半博奕〉以外の何物でもないのだから。
というわけで、長い前フリだったな~~。
博奕=ギャンブルをキーワードに据え
人生の様々な局面を鮮やかに切り取ってみせた本書が
面白くないわけが、ない。
あるときは、一皿のデザートが。
あるときは、三年後の墨田川テラスが。
ギャンブルの魔女が掲げるステッキのひと振りで、まさしく"雌雄を決する"のだ。
人生という名の賭場に引き出され、問答無用でサイコロを握り続けた
本アンソロジーに漂う"真理の苦み"に、天を仰がずにいられないはずだ。
・・・え? なんのこっちゃ?
つべこべ言わずに、読むべし。読むべし。
ではでは、またね。