"現実"に圧倒される。『死体が語る真実 -9・11からバラバラ殺人まで衝撃の現場報告-』エミリー・クレイグ 周回遅れの文庫Rock

自宅にストックしてある膨大な書物のうち

"次にどれを読むか"という問題には、長年頭を悩ませてきた。

その時々の気分や好みに任せていたら、特定のジャンルばかり選ぶに違いないからだ。

なので2年前から、毎月残り数日になると、手帳の翌月分に「読書予定表」を記入。

未読分に加え、新たな書名(10冊前後)を付け足すことを習慣にしている。

それを確認すると、本書が予定表に登場したのは「2月分」以降。

要するに、プーチンウクライナ侵攻を始める1カ月前には

これを読む予定が決まっていた、ということ。

 

・・わざわざ300字近くも費やして、言い訳したくなるほど

本書は、いままさにウクライナで起きている惨劇を、目の前に見せつけてくれる。

なぜなら、がれきの下に埋もれたり、爆発でバラバラになった死体が

これでもかというほど、続々と登場するから。

――死者の骨を発見し、判別し、その身元を探るのが、著者の仕事なのだ。

 

巻末の「訳者あとがき」に、簡潔な要約が載っていたので、転載させていただく。

著者のエミリー・クレイグ博士は、二百以上あるという人間の骨を、それも完全な骨ではなく破片であっても、ひと目見て体のどの部分なのか判別できるのだという。その技量を生かして、火災や爆発によって黒焦げになったりバラバラになってしまった死体や、殺人犯が意図的にバラバラにした死体、あるいは屋外に放置されて白骨化していた死体などの身元や死因の特定をしてきた体験が、本書にはぎっしりと詰まっている。〈中略〉まさに事実は小説よりも――で、ここに披露されている数々のできごとは並のミステリを遥かに超える興味深さだ。39p

 

死者(犠牲者)の体に残った僅かな手掛かりで、犯罪の可能性や犯人をあぶりだす。

いまでは検視官スカーペッタのシリーズ、『CSI』を初めとしたテレビドラマなどで

すっかりおなじみになった、シチュエーションだ。

その"先駆者"ともいえる著者の体験談は、〈死〉のリアリティを淡々と描いてゆく。

たとえば、死体とウジとの密接な関わりを、こう記す。

今でも驚きを禁じ得ないのは、ウジがあっという間に死体の肉の部分を食いつくして骨だけにしてしまう早業だ。マザーグースの童謡に歌われている"ウジが這いこみ、ウジが這い出る"というのは現実からそう遠くはないのだ。法昆虫学者の間ではこんなことが言われている。ハエとその子供たちはおとなのライオン一頭と同じくらいすばやく死骸を食いつくすと。体長一インチにも満たないちっぽけな生き物にしてはたいしたものだ。80p

 

あるいは、死体が燃やされると、どうなるのか。何が残るのか。

まず頭皮が損傷を受け、髪はあっという間に灰になってしまう。数秒のうちに顔の皮膚が焼けただけ、次に裂け、縮み、ちりちりに燃えてしまう。ひとりひとりの外観のちがいを生じさせている薄い表皮はたちまち燃えつくし、頬からあごにかけては黒く固い仮面のような状態になる。〈中略〉                          次に筋肉が燃えはじめる。そして骨が。おおっている軟組織がない、あるいは少ない部分がまず燃える――頭、指、手、足。数分で頭は頭蓋骨だけになり、腕と脚は筋肉と骨だけが残って、乾いたミイラのような状態になる。                背骨の下部、骨盤、大腿骨はより長くもちこたえる。これらのしっかりとした大きな骨は比較的多くの軟組織におおわれていることもあって体のほかの部分より長持ちする。同時に日の熱が胃や胸郭に伝わり、皮膚は縮み裂けているのに内臓が膨張してくる。 その結果、ときには腹を突き破って内臓が破裂することがあり、腹が腸から飛び出しているところはまるでSF映画のエイリアンだ。血液も血管の壁を突き破って噴きだし、沸騰し、固まっていく。                             一時間もすると、残っているのは骨だけになる。ただし、骨と言っても解剖学教室の隅に置いてある骨格標本のようなきれいな白い骸骨ではない。自然な状態では骨はバターのような薄い黄色している。それが猛火で焼かれると、まず茶色になり、次に黒、青灰色、灰色から白と変わっていき、最後に灰そのものになる。116-7p

まだまだ続くが、キリがないのでやめておこう。

 

たったこれだけの引用からも、ウクライナの街で、大量のがれきの下に埋もれたまま、

その身を焼かれたおびただしい人々の最期が、瞼の裏に投影されてゆく。

「いまだ多数の死者が地下のシェルターに・・」という、まさにその現場で。

著者と同じエキスパートが、遺体の一部や骨の断片を、ひとつひとつ掘り出し分析。

"それが誰なのか""なぜこんな目に遭ったのか"を、究明すべく全力を傾けている。

 

もちろん「9.11」をはじめ著者が記した体験は、みな過去の出来事だ。

しかし、いま本書を開き、その文章に目を落とす読者にとって

すべては戦禍のウクライナで、またミャンマーやシリアで果てしなく続く惨劇と同様。

まさにこの瞬間に進行している、「現実」の姿に他ならない。

だからこそ、ひとつひとつのフレーズが脳に焼き付き、離れなくなる。

やがてわかってきたのだが、数多くの死体が集まるとにおいが床や天井や壁の微細な穴にしみこんでしまうのだ。目で見える死の痕跡は洗い流すことができるが、においはだめだ。においはいつまでもいつまでも残る。125p

鋼鉄をねじ曲げ焼きつくした力のものすごさは理解の限度を超えるほどだった。あたりには煙が立ちこめ、ほかのものとまちがえようもない人間の体が焼けれにおいを運んできた。そしてどちらを見ても粉々になったコンクリートその他の瓦礫が山になっていた。中心部に近いところでくすぶっている残骸では、コンクリートの破片やガラス、鉄材などが山のようになった上で煙と灰が渦を巻き、まるで地獄をのぞきこむ思いだった。360-1p〔ワールドトレードセンター〕

下を見ると、地面にはさまざまなもの――大粒の砂、ガラスの破片、電線の切れた橋、ねじ曲がった鉄材などーーが数インチ積もっていた。恐ろしいことに骨のかけらもいくつか目に留まった。                                ほんとうは驚くはおかしいのだ。午前中ずっと遺体の一部分だけでなく骨の破片も次々にモルグに運びこまれているのを見てきたのだから。そして破壊のすさまじさをこの目で見た今、こうした破片だけが、あの恐怖の朝ここにいて犠牲になった人たちの亡骸である可能性が大家こともよくわかった。心が支えきれないほど大きな悲しみに満たされ、必死で涙をこらえなければならなかった。361-2p〔ワールドトレードセンター〕

 

「偉大なる英雄」も、「崇高なる犠牲」も、現実には存在しない。

ただ、何者とも判らぬ黒焦げの死体や、小さな骨の断片だけが

果て知れぬ瓦礫の底から、掬い上げられてゆく。

ーーこんなネガティブなポエム(?)、書いたところで何も変わらないけど。

 

ではでは、またね。