異国で右往左往する"幸せ" 『12万円で世界を歩くリターンズ(赤道ほか編)』『同(タイほか編)』下川裕治 周回遅れの文庫Rock

旅のスタイルに共通点が多いせいもあり

何十年も前から、著者の本を読み続けている。

本書は、長年バックパッカースタイルの旅を続けている彼が

30年前に実行した「総額12万円でどこまで行って帰って来られるのか」という

少々無謀な企画(『12万円で世界を歩く』で出版)の〈再チャレンジ版〉。

2018年秋からおよそ1年間に渡って行なわれた、"8つの旅"の記録である。

 

元祖(『12万円で世界を歩く』)の時と同様

今回も著者は、極力出費を抑えつつ

可能な限り〈30年前と同じルート〉をたどろうと、奮闘する。

しかし、30年という歳月は、彼に"昔ながらの旅"を許してくれない。

 

確かに、LCC(ローコストキャリア)の爆発的な普及により

特にアジアの場合、ルートによっては航空運賃が数分の一まで安くなっていた。

たとえば、スマトラ島を横切る赤道を目指した旅「第一章 赤道編」。

スマトラ島の赤道にいちばん近い空港は、パダンのミナンカパウ国際空港だった。  そこから赤道までは車で三時間ほどの距離だった。インターネットの航空券検索サイトで調べると、往復で六万九千六百二十八円という運賃が出てきた。〈中略〉       三十年前、バンコクを往復した運賃とほぼ同額で、赤道近くの空港まで行くことができてしまうのだ。                   〔『赤道ほか編』27ページ〕

 

普通の旅行者だったら、こんなに有難いことはない。

安く、早く、安全確実に、「赤道到達」という目的が達成されるのだ。 

だが著者は、この恩恵"を受け取るまいとする。

しかしそれでは、当時のルートを辿ることにならなかった。              そこで悩んでしまった。                            とにかく安く旅をするというポリシーからすれば、LCCを駆使することだった。  しかしそうすると、赤道近くまで飛行機でぽ~んと飛び、赤道にタッチして帰ってくるような旅になってしまう。                            最安値ということにこだわらず、当時のルートを辿ることが筋ではないか。そう考えることにした。                         〔同 27ページ〕

 

ところが、この「当時のルート」という"己に課した縛り"が

彼の〈再チャレンジ〉を、予想を遥かに超え困難なものへと変えてしまう。

30年前、各地をくまなく結んでいたバスや列車が、次々と運行停止になっていた。

上記に挙げたLCCが、それ以上の安さで飛んでいるからだ。

たとえ運行中でも、24時間乗りっぱなしのバス便よりも

1時間で到着するLCCの方が安く上がる、といった"ねじれ現象"が起きていた。

これでは、お金を余計に払って「苦労を買っている」ようではないか。

 

さらに、著者自身の"事情"にも、重大な変化が起きていた。

言うまでもなく、30年という時間経過による気力体力の低下、すなわち老化である。

この「リターンズ」に臨んだとき、著者の年齢はすでに60代の半ば。

当然、30代のような無茶に耐えられるはずもない。

バス旅はつらい。いくら背もたれが倒れても、椅子であることに変わりはない。はじめの一、二時間はぼんやりと、車窓に映るヤシの木やバナナを眺めているのだが、しだいに尻が痛くなり、腰に違和感を覚えるようになる。六十歳をすぎた頃、長時間、飛行機に乗り、帰国後に腰の痛みが走ったことがあった。これはまずいと、腹筋や背なかの筋肉の衰えを防ぐ運動をはじめたが、痛みが消えると気まぐれ体操なってしまった。五時間ほど座っていると、その後悔が頭をもたげてくる。途中で腰に痛みが走ったら‥‥と不安になる。座ったままの態勢でひと晩をすごさなくてはならないのだ。〔40ページ〕

 

30年という容赦ない時の流れを一身に背負い

それでも、財力と気力体力が維持できるギリギリまで

「当時のルート」にこだわり、著者は旅を続けてゆくのだ。

 

おそらく、添乗員付きのヨーロッパ周遊ツアーや

数週間におよぶ豪華客船クルーズなど

かゆい所に手が届くような、"至れり尽くせりの旅"を満喫している方々にすれば

「なんで辛い思いをするために、わざわざ海外に行くんだよ。

 仕事だから仕方なくやっているのか? ひょっとしてマゾじゃないの?」

などと失笑し、呆れて返るだけかもしれない。

 

けれども――

ここまでシビアではないが、旅先で同様の〈右往左往〉を繰り返してきた体験者は

――胸を張って、言い切ってしまうのだ。

迷い、途方に暮れ、待ちぼうけを食らい、疲れ果てたり・・などなど。

「こんなはずじゃなかった」という予定外の事態に見舞われ右往左往した時の記憶は

美しい景色に出逢えた!美味しい物を食べた! といった〈いい思い出〉より

むしろ深く脳裏に刻み込まれ、後になって"面白かった"と振り返る機会が多いのだ。

 

たとえば数年前、ジュネーブ(スイス)からボローニャ(イタリア)まで旅したとき。

眼前にそそり立つアイガー北壁に胸を躍らせたことに匹敵する"想い出"は

二度にわたる乗り換え便の変更でジュネーブ空港に荷物が届かず

もたもたしているうちに、予約しておいたホテルが閉鎖。

結局、一晩を(4時間ほどだが)空港内の片隅に寝転がって過ごした体験だった。

少なくとも、自分の中では世界遺産のベルニナ特急に乗車し

普通車(実は特等席)から半日のんびり車窓風景を堪能した記憶よりも

"面白かった"とランク付けされているのである。

 

え?・・お前がマゾなだけだって?

いやいや、人間関係で被ったイジメやイジワルは、何年経とうが最悪の記憶のまま。

だけど旅行のように、自らの意志で選び取った状況については

マジで「しんどかった体験」が「楽しかった記憶」に勝ることもあるのだ。

おそらく本書の著者・下川裕治氏も

この〈しんどい=楽しい〉の魅力に捉われているひとりなのだろう。

でなきゃ、いくら仕事だといえ、60半ばになってまで

わざわざ"イバラの道"を選び取らないと思うんだ。

 

あーあ、また知らない土地に行って

楽しいことやしんどいことに出逢いたいなぁ・・

 

ではでは、またね。