ひとたび、本篇最初の一文に目を落としたら、運のツキ。
文字を追う眼が、ページを繰る手が、止まらない。
あっ・・・という間に、最終ページまで読了。
代わりに2時間半の人生を差し出していたことに、気付かされる。
――この読みやすさ、いったいなんなのだ??
それも、巷でよく言われるように
「読みやすさ=低レベル」じゃないところが、またすごい。
抜群のリーダビリティを維持しつつ
同時に心の奥深くまで、じ~んと染み渡る物語を差し出してくれるのだ。
ま、この程度のこと
先行している『居酒屋ぜんやシリーズ』で、とうに承知していたはずなのだが
(新章の「花暦」も、期待に違わずメッチャ面白かった!)
改めて声を大にして強調したくなるほど、"のど越し抜群"な一冊だった。
あらすじは、裏面(カバー)に記されているとおり。
光を失った元摺師の父とふたり、貧乏長屋に住むお彩が
天性の鋭い色彩感覚を発揮し、様々な難題を解決していく・・という
失礼を承知で言えば、やや"ありがち"な〈どん底からの成功ストーリー〉だ。
しかし、これが決して〈お約束のパターン〉に沿って展開しないところが
著者・坂井希久子の、手腕の見せ所。
まず、主人公のお彩(20代半ば・未婚)が垣間見せた色彩感覚に
謎の京男・右近が目を付け、彼女を"江戸のカラーコーディネーター"として
活躍させていく過程が物語の軸となるのだが。
通常の〈サクセスストーリーの法則〉に倣うのであれば
最初のうちはイヤイヤ手伝っていたお彩だが、次第に頑なさを解除。
気が付けば、謎の京男・右近との"心の距離"も、ぐぐっと近づいてゆくのだった。
というふうに、仕事&恋の両面で"幸せまっしぐら"になりそうなものだが
・・それが、気持ち良いほど"肩透かし"の連続だったりする。
幾つもの難題を見事に解決し、
知る人ぞ知る〈色の達人〉へと名を成してゆくお彩。
しかし、当の本人は、いっこうに「カラーコーディネーター」としての自覚を持たず
"右近に強要され仕方なくやっている"という姿勢を、崩そうとしない。
また、彼女の才能に目を付け、破格の仕事を提供してくれる男・右近との間にも
「恋の花咲く」気配のケの字も生まれて来ない。
どう考えたって、ヒロインはお彩で、その相手は右近以外に見当たらない。
なのに、五つの物語を終えてなお
ふたりの距離は、ちーとも(読み取れる限りでは)縮んでないのだ。
しかし、だからこそ。
そんな〈ことごとくパターン破り〉の展開が
"お約束ストーリー"に飽き飽きしたヒネ読者(俺だ)には、たまらなく楽しい。
その後どうなっていくのかは、続篇を待つしかないけど
〈恋に破れた恋愛不信者・お彩〉と
〈何を考えてるのかわからない、のらりくらり男・右近〉が
いかなる"紆余曲折"を経て、互いに心を許し合えるようになるのか・・
視力を失った絶望から立ち上がりつつある父・辰五郎の動向ともども
無責任な読者としては、先行きが気になって仕方ない。
だって、よっぽどのことが起きない限り
このふたり、"くっついて"くれそうにないんだよ~。
元婚約者の卯吉と"よりを戻す"可能性もないことはないけど・・
そっちに転がったら、なんだか面白くないなぁ。
ここはぜひ、無理を承知で「お彩✖右近」の一点買いで勝負!してほしいぞ。
あ。書き忘れていたけど、物語の随所に様々な"色の名前"が出てくるのが
個人的にはすごく嬉しかった。
昔買ったまま本棚に置いてあった『色辞典』を引っ張り出し
鳶色・藍鼠・紺青・瑠璃・群青色・瓶覗・白練・鴇羽色・茜色・・・と
「色名」が登場するたび、辞典のページを繰って実際の色を確かめまくっていた。
たぶん日本人ほど、多種多様な色の名を創った民族はいないんじゃないかな。
僅かな違いに別々の名を与えた"日本の心"に想いを巡らせた、2時間半でもあった。
ではでは、またね。