善意と肯定で彩られた"優しさ100%"の物語 『そして、バトンは渡された』瀬尾まいこ 周回遅れの文庫Rock

なによりも、この圧倒的な『肯定力』が、眩しい。

 

梨花が言ってた。優子ちゃんの母親になってから明日が二つになったって」         「明日が二つ?」                                「そう。自分の明日と、自分よりたくさんの可能性と未来を含んだ明日が、やってくるんだって。親になるって、未来が二倍以上になるこどだよって。明日が二つにできるんなんて、すごいと思わない? 未来が倍になるなら絶対にしたいだろう。それってどこでもドア以来の発明だよな。しかも、ドラえもんは漫画で優子ちゃんは現実にいる」    森宮さんと結婚したかった梨花さんが、うまいこと言って私のことを承諾させようとしただけだ。私はますます森宮さんが気の毒になって、「梨花さん、口がうまいから」と言った。                                     「いや。梨花の言うとおりだった。優子ちゃんと暮らし始めて、明日はちゃんと二つになったよ。自分のと、自分のよりずっと大事な明日が、毎日やってくる。すごいよな」「すごいかな」                                      「うん。すごい。どんな厄介なことが付いて回ったとしても、自分以外の未来に手が触れられる毎日を手放すなんて、俺は考えられない」          〔315-6ページ〕

 

確かに"子供の分だけ未来の数が増える"という事実は、否定できない。

うたた(俺だ)の人生においても、二人の娘や、四人の孫が誕生するたびに

ひとつずつ「明日」が増えていく喜びを、実感している。

でも、だからといって、現実社会に暮らす限り

ここまで"いいことずくめ"に終始することは、まずありえない。

 

だから、うたたにとって、この物語は『現代のメルヘン』とでも名付けたくなる

"よくできたおとぎ話"なのである。

 

誰もがタイトルぐらいは目にしただろうし

映画化の話題も盛り上がっている大ベストセラーだが

簡単にストーリーを紹介れば、こんな感じになる。

 

幼くして母親を事故で失い、小学四年終了時にブラジルへ単身赴任する父親と別れ

後妻に入っていた梨花と二人暮らしを始めた、優子。

その後、再婚する梨花に付き従うかたちで、二人の男性の娘として育っていく。

都合、三人の父親と二人の母親の元で育っていく主人公なのだが・・・

第一章 冒頭のモノローグから、こんな調子でスタートする。

困った。全然不幸ではないのだ。少しでも厄介なことや困難を抱えていればいいのだけど、適当なものは見当たらない。いつものことながら、この状況に申し訳なくなってしまう。                               [8ページ〕

 

周囲が想像するのは、「数奇な運命」とか「波乱万丈の連続」みたいな

山あり谷ありの青春時代であっても、当の本人は終始"淡々と"日々を送っている。

「優子」の最大の長所は、どんな苗字ともしっくりくるところだ。         生まれた時、私は水戸優子だった。その後、田中優子となり、泉ヶ原優子を経て、現在森宮優子を名乗っている。名付けた人物は近くにはいないから、どういう思いで付けられた名前かはわからない。でも、優子は長い苗字とも短い苗字とも、たいそうな苗字ともシンプルな苗字とも合う名前ではある。                    [9ページ〕

 

醒めている、とも、諦めている、とも取れる言葉(文章)だが

読み進むにつれて、そんなシニカルな心境ではなく

もっとずっと"あっけらかん"とした、見晴らしのいい世界が見えてくる。

それは――今はやりの「全集中!」にも少し似ているが――

《とりあえず全肯定してみよう》という、限りなく前向きな姿勢だ。

 

すると、不思議なことに、いかなるトラブルや不安のタネも

見上げるような巨木に育ったり、大輪の花を咲かせることにはならない。

いずれも、芽が出て双葉が開くあたりで、勝手に自滅してくれる。

「究極の片親育ち」という負の要素も、学校生活に付きものの「いじめ」も

ほら、やっぱり始まった!・・と読者が身構える、その傍から

マルっと収まってくれるのだ。

まるで、子供の頃夢中になったディズニーアニメのように。

 

コロナをはじめ、世界中にマイナス要因ばかり満ち満ちている今の時代

こうした〈夢と希望と優しさ〉に彩られた"リアルおとぎ話"は

読者に大きな癒しをもたらしてくれるのだろう。

しかし、最後の一行まで読み終えたとき、うたた(俺だ)の胸に込み上げたものは

感動でも涙でもなかった。

めちゃくちゃ言い方は悪いけど

――なんか、出来すぎなんじゃない?

ある意味"肩透かし"を食らったような、やり場のなさだったのだ。

 

だって、そうじゃん。

そこそこの大人であれば、間違いなく体験しているはずだが

恥と後悔に満ちた、思うに任せぬ青春時代を潜り抜けてきた元若者であれば

こんな"手あかのついた言葉"を、吐きたくならないか?

曰く――

現実は、そんなに甘いもんじゃない!  と。

 

むろん著者は、こうした現実とのズレを百も承知しつつ

それでも敢えて、この"すべてが丸く収まる物語"を創り上げたのだろう。

デビュー以来、一貫して温め続けた「善意」と「肯定」と「優しさ」を駆使して。

 

そんなわけで、今回の小文は

「善意」「肯定」「優しさ」を素直に受け止めることのできない

歪んだ心を抱えたいち読者の、八つ当たりも似た"難癖"だと受け止めてほしい。

本屋大賞に輝いて以来、圧倒的な称賛ばかり浴びてたから

たまには、こんなヒネまくった感想があってもいいんじゃないかな。

 

それと、最後にあとひとつ。

どうしても納得できない一行が、あった。

第2部の終盤、主人公・優子の結婚相手に会った友人?が発したセリフ。

「娘って父親に似てる人を結婚相手に選ぶってよく聞くけど、本当なんだな」

                                             〔396ページ〕

時々耳目にする〈暗黙の常識〉みたいな文章だけど、これ、都市伝説だから。

少なくとも、ふたりの娘が結婚した相手(共に男性)は

どこをどう見たって、これっぽっちも、うたた(父親)に似ていない。

一度、ちゃんと大規模な統計を取って、調べてみれば?

「必ずしもそうとは限らない」みたいな結論になるはずだよ。

 

ではでは、またね。