小説、エッセイなどのジャンルには関係なく
文庫版を見つけると反射的に確保してしまう作家が、十数名いる。
本作の著者、下川裕治もそのひとり。
とはいえ、同著者の本だけですでに8冊が"待機状態"にあり
本作も第1刷発行が4年以上前という、絵に描いたような〈周回遅れ〉だった。
実のところ、タイという国を最後に訪れたのは
いまや共に2児の母である娘たち2人が、小学校に進む前。
かれこれ30年近くも過去に遡る。
ここ数年旅して回った国々と比べると、どうしても関心が薄くなり
「タイ料理の中華化」やら、「市民の足の変化」はもちろん
大好きな「鉄道乗り潰し」「ホテル事情」関しても
どこか他人事っぽい、坦々とした気持ちで活字や写真を追っていた。
だが、残り30ページを切った、最終第七章に入ったとたん。
いきなり、ラオスで過ごした数日が強烈に蘇ってきた。
起爆剤となったのは、次の出だしだ。
声が小さい。
まるで囁くように話す。 (224ページ)
たとえば、世界遺産の古都・ルアンパバーンの、ナイトマーケット。
毎日夕方から夜にかけ、大通りを埋め尽くすように、200軒ほどの店が
それぞれ裸電球をともして、訪れる客を待っている。
ところが多くの観光客が行き交うそこには、奇妙な静けさが漂っていたのだ
本作の著者も、こう書いている。
ぎっしりと夜店が並んでいるのだが、ここにも音がなかった。店は音楽ひとつかけていない。店員が客に声をかけるでもなった。「やる気がない」といわれればたしかにそうだが、タイやベトナムのしつこいほどの客引きが待ち構えるマーケットよりは僕好みだった。 (247ページ)
しかも、この「静けさ」。夜に限った話ではない。
朝市を歩いてみた。野菜や魚の隣に、リスのような小動物も並んでいた。通り抜けるのも大変なほど混み合っていたが、音がなかった。人々が交わす囁くような声が、ときおり聞こえてくるだけだった。
なんていう町かと思った。市場というものは活気がつきものだ。その勢いで客はちょっと高い魚も買ってしまうようなところがある。しかしルアンパバーンの朝市は静かなだけだった。かといって活気がないわけではなかった。 (247ページ)
中国・台湾は言うまでもなく
「(東南)アジア」といえば「喧騒」という言葉を連想してしまうように
大音量の音楽と、耳に突き刺さるような大声がつきものだったの
なぜか「ラオスの旅」では、それと対極な(静けさ)を感じ続けていた。
著者いわく"首都ビエンチャンはもはや静かではなくなった"と評していたが
それでも、中国資本がのさばる大通りを離れ、一本脇道に入っただけで
本当に80万都市の繁華街!?・・と疑いたくなるほど静けさに満ちていたのだ。
そんなわけで(どんなわけだよ?)季節はズレてしまうが
2年半前の2018年11月末、1週間ほど過ごしたラオス(&ハノイ)の日々を
むちゃくちゃ振り返りたくなってしまった次第。
コロナコロナで煮詰まった日常をいったんoffにし、ひと息つくためにも
気が向けば、明日あたりから出発しよう。
ではでは、またね。