アフリカ。
この言葉から思い浮かぶのは
「貧困」「飢餓」「疫病」「紛争」「内乱」「難民」etc・・
ことごとくマイナスイメージを伴う単語ばかりだ。
一般に流布している歴史書やアフリカに関する本を見るかぎり
その原因の多くは、大航海時代以来数百年続いた西欧諸国の植民地政策にあるとされ
ホールケーキを切り分けるように、種族の生活圏を無視したまっすぐな国境線で分割し
人材を含めた貴重な資源を根こそぎ奪われたアフリカの人々は
つねに〈悲惨な目に遭った被害者〉という論調で語られてきた印象が強い。
しかし、そのいっぽうで
ウガンダに代表される内戦や大虐殺
次から次へと名乗りを上げる独裁者の台頭
さらに、かのネルソン・マンデラですら例外ではなかった
身内だけでカネを貯め込もうとする、徹底した〈支配種族優遇方針〉などなど。
.延々繰り返される「強い者こそ正義!」といわんばかりのやり方に
どこか頭の片隅で、「アフリカの人に民主国家は作れないかもしれない」
なんて、きわめて失礼な予断すら抱いていたのだ。
ところが、本書を一読し、すべてが見事に引っくり返されてしまった。
90年代、「アフリカ史上最悪の飢饉」というふれこみで
地球の反対側近くにある日本にも、強い記憶を残した国〈地域〉ソマリア。
世界の警察を自認するアメリカ(国連〉軍の屈辱的な敗北&徹底により
その混迷ぶりはピークへと達する。
以来、ソマリアは、ある意味"世界から見捨てられた無法地域"のまま
現在にまで至っている・・なんてうすぼんやり捉えていたのだが、これが大間違い。
実際には、大きく分けて
北部「ソマリランド」、東部「プントランド」、南部「ソマリア」の三国が鼎立。
いずれも国連の承認を受けぬまま、独自の形態で運営されていたのだ。
なかでも驚かされたのは、北部「ソマリランド」。
調べれば調べるほど、この国の〈民主主義システム〉は見事の一言。
どう考えても、現時点の日本よりも遥かに優秀な
いわば『ハイパー民主主義国家』を実現。
バージョンアップに次ぐバージョンアップを重ねながら
およそ30年に渡って、〈奇跡〉と呼んでしまいたくなる国家運営を続けているのだ。
その、一筋縄ではいかない「内実」については
本文だけで550ページを超える本書を読んでいただくしかない。
事実、隅から隅まで読み通さなければ
ソマリランドのどごが凄いのか納得するのは、難しいだろう。
とはいえ、そこは〈エンタメ・ノンフィクションの旗手〉高野秀行。
文字通り捨て身の「薬物?摂取体当たり取材」
銃弾飛び交うなかでの「隠密行動」
"カネがすべて"だった現地の協力者を「親友」へと変貌させてしまう交流述
いかなる窮地に追い込まれようと決して忘れない「笑い」のエッセンス・・・
ソマリランド、プントランド、南部ソマリアへと足を延ばせば伸ばすほど
読者は著者と一体化し、新たな「気づき」と「発見」への道を歩んでいくのだ。
そうした「気づき」のなかで、もっとも基本にして大きな要因が
おそらく世界で彼が最初に認識した『氏族システム』である。
まず彼は、アフリカ諸国で起きる紛争の大本が
一つの国に複数の民族が同居しているところにある、と語り始める。
同じ国に日本人と中国人とコリアンがいるようなもので、それでは揉めるのも無理はない。いっぽう、旧ソマリアはアフリカには珍しく、国民の九十五パーセント以上が同じソマリ民族だった。言語と文化を共有する同一民族なのである。隣国ケニアやエチオピア系の少数民族が若干いだか、人口はひじょうに少ない。
そして彼らが戦闘を行なうのは氏族の単位である。これが他のアフリカ諸国と決定的にちがう。むしろ、リビアやイエメンなど中東諸国に近い。〈中略〉
もっとわかりやすく言えば、氏族とは日本の源氏や平氏、あるいは北条氏や武田氏、徳川氏みたいなものである。武田氏と上杉氏の戦いを「部族抗争」とか「民族紛争」と呼ぶ人はいないだろう。それと同じくらい「部族~」という表現はソマリにふさわしくない。 (98ページ)
このように、ソマリア全土に群雄割拠している氏族を日本の戦国時代の各勢力に例え、
世界中の専門家が首をひねっていた〈ソマリア情勢〉を、見事に解析してみせるのだ。
要するに氏族は、日本人のような定住民にとっての「住所」もしくは「本籍」みたいなものなのだ。私の実家の住所は「東京都」「八王子市」「北野台」「二丁目」「✖✖番地」である。それを外国人が「どうしてそんなに細かく分かれているんだ?」といえば、私たちはその外国人が馬鹿だと思うだろう。
私たち日本人が重要犯罪で指名手配されたら、出身地、親族、職場のつながりなどでほとんどか捕まるように、ソマリランドでも、掟を破ったら氏族の網を通じて必ず捕まるのである。つまり、氏族間で抗争がないかぎり、治安はとてもよく保たれる仕組みができている。 (102ページ)
事実、この〈高野式氏族システム〉を使えば、他の2つの「無法国家」の形態も
からまった糸が一本にまとまるように、すんなりと理解できる。
プントランドというのは、東国ダロッド平氏の協同組合みたいなものなのである。
もっと言えば、日本のプロ野球界みたいなものだ。各チーム〈氏族〉のオーナーが集まって、リーグの運営を決める。強いチームのオーナーの言い分が通りやすい。弱小チームは強いチームの顔色をうかがう。強いチームに彼らの利益が左右されるからだ。そして、各チームの上で強い権限をふるうコミッショナーは存在しないから、チーム間で争いが起きても、誰も止めようとしない。 (289ページ)
おやおや、「氏族」の話題だけでこんなに伸びてしまった。
むろんこうした分析チックな箇所は、ごく一部だ。
強烈な異国体験、価値観のすれ違い、ケンカと和解、爆笑エピソードなど
いちいち引用してたら、それだけで一冊の本になってしまう。
それでも、あとひとつだけピックアップ。
みなさんよーくご存知、「難民キャンプの写真」にまつわる真実だ。
今回、「六十年に一度の大飢饉」という触れ込みに引き寄せられ、私はケニアの難民キャンプも回ったし、ここモガディショ市内の各地に設けられたキャンプも訪れていた。
そして、いくつか共通津点に気づいたのだが、その最たるものは、「別に悲惨ではない」ということだった。
よくアフリカの飢餓や難民というと、やせこけて蠅がたかった子供、赤ん坊を抱いた目が虚ろな母親、ぼろぼろの服を着て足を引きずっている老人などが思い浮かぶ。そういう写真ばかりを見せられているせいである。ところが、実際には、ぱっと見で「難民とわかる人はめったにいない。〈中略〉
なによるイメージとちがうのは、笑顔の人が多いということだ。〈中略〉
カメラを向けると、みんな嫌がる様子もなく、にこにこと微笑む。
ケニアでもそうだし、ここでもそうだ。
おかげで、今回私が撮った中で、笑顔の女性が映っているのは九割方難民の写真ということになってしまった。 (394~6ページ)
なぜ難民は笑顔を浮かべるのか?
またなぜ悲惨な難民の写真ばかりが公表されるのか?
本文は、その謎解きへと続くのだが、ここで種明かしは控えておこう。
(おおむね御想像の通りだとは思うが)
特に面白かった箇所を取り上げたつもりだったが
肝心かなめの『日本よりずっと優秀なソマリランドの民主主義』までに
行き着くことができなくなった。
(単に根性と集中力が続かないだけなんだけど)
なので、そのあたりは、ぜひとも、ご自身の目で確かめていただきたい。
ホント、マジ、日本も参議院を廃止して
ソマリランドの「グルティ(長老院)」の役目を果たす
〈独立行政議会〉を設立すべきだ、と心から願う。
とにかく、読む前と後で、世界の見え方が、ちょっとは違ってくるだろう。
「✖回泣ける」だけが、本の価値じゃないぜ。
ではでは、またね。