物心つく頃から、確固たる信念など持ったことがなく
ずっと(ぶれぶれ〉の人生を歩んできた。
小さな分岐点にさしかるたび
迷い箸のごとく上下左右に首を振りながら
それでも、目指す方向だけは一定に保ってこれたのは
何人かの作家が記してくれた書物のおかげだと、思っている。
11年前、鬼籍に入った佐野洋子も
そんな〈道しるべ〉のひとりだ。
この国で「常識」と呼ばれる集団圧力が、重くのしかかり
むしょうに息苦しくなったときとか
"ひょっとして、間違ってるのは俺の方?"
などと、拠り所のない心もとなさに襲われたとき
彼女が残した書物のなかから一冊を抜き取り
あてもなくパラパラと開いてみる。
・・すると、広い砂浜に埋もれた一片の桜貝のように
キラリと光る彼女の言葉が、そっと、そのくせ強く、心をわし掴む。
たとえば、こんなふうに――
しかし、日本人は何様なのか。権利は主張するが、どうも権利にセット物の義務は嫌いなのである。安全で責任のない立場で反対反対と叫ぶのが正義の様なのである。
人間は平等であるそうである。――んなわけがないだろ、頭のいい奴もキリョウのいい奴も生まれつきでその時から不平等である。 (211ページ)
あー、なんかこれと同じニュアンスのこと、いつも考えてるな。
無意識のうちに「コピペ」してるかも。
私たちは全てを必要以上に手に入れ、さらに満たされない。そしてその代償として、人間の生き物としての本質を失い、孤独である。本質は何であるかもおぼろである。
家族の絆を失い、子を己のエゴで愛し、この世で生きて行く力よりも学歴で高給取りになれると信じている。そして子は親を捨てる。 (173ページ)
人間は、欲望の奴隷、だといわれる。
「ゼロ」だったら何も欲しいと思わないのに
「少ししか持ってない」と気付いてしまうと、俄然、その欠落を埋めようと走り出す。
そして不幸にも、多く手に入れれば入れるほど、飢餓感は増えるいっぽうなのだ。
「愛」と「エゴ」の違いも、はっきりしていようで、実はメッチャ曖昧だよなぁ・・。
外界は果てしなく無限に宇宙へと広がっている。うちの周りのことだって碌に知りはしないまま死ぬのである。しかし、一人の人間の内界も又、果てしない宇宙である。
外界の宇宙と全く同じく広く深く果てしない。体の中におさまっているなどというものではなく心の中にも何万光年の時間が生き、いくつものアンドロメダ星雲を持つのであると私は思う。しかしそこも碌に知りもしないで死ぬのである。 (242ページ)
誰しもが己のなかに隠し持っている「無限の可能性」を、高らかに謳いあげる。
しかし返す刀で、余りにも少ない(人生の収穫)を言い渡す。
――それでもなお、最後の瞬間まで"あがく"ことしかできないのが、人間なのだよな。
・・とまあ、こんなふうに。
ページの狭間に散らばった「貝殻」を拾い上げては
てのひらで転がしながら眺め、あれこれ想いを巡らしてゆく。
すると、萎れたり、歪んだり、折れ曲がりかけていた〈心の背骨?〉が
息を吹き返し、スッ・・と立ち上がってくるのだ。
ではおしまいに、大大好きな本にまつわる
.妖刀村雨に勝るとも劣らぬ切れ味鋭い、この一文を。
書籍には、間違いなく人間の知恵がつまっているものであるが同時に毒も盛られているのである。本から離れられない人間は、その毒に魂を吸われてもいるのである。
本には近づくなよ、近づくと舌なめずりしてなめたいものが、たっぷりあるからね。
近づくな、ほーら、本読みたくなっただろーが。 (59ページ)
ありがとう、佐野洋子。いいクスリです。
ではでは、またね。