歴史に残る『コロナ下のオリンピック』をやりとげよう 本日の"なんだかなぁ"

ようやく減少傾向に転じたものの

依然として〈沈静化〉には程遠いコロナ状況に加え

ポロポロ本音をこぼしてしまう大会トップの醜態もあって

東京オリンピック再延期&中止の声は、日に日に高まっていく。

いわく、「オリンピック憲章に反する委員長の元での開催など言語道断」。

「そもそもコロナの流行が収まっていないのに開催なんかできるわけないだろ」。

といった世論が、開催肯定派を圧倒しつつあるのが現状だ。

 

だが、私は、まったく反対の意見を持つ。

たとえ、全試合が無観客(テレビ放映のみ)になろうと。

選手や関係者の中に感染者が見つかり、該当する国の参加がかなわなくなろうと。

そのときどきの状況に柔軟に対応しつつ

可能な範囲で、東京オリンピックの2021年開催を目指すべきである。

 

どうしてか?

 

まず、予定通り順調にワクチン.接種が実査されたとしても

来年になろうと、再来年になろうと、いやパリオリンピックの3年後になろうと

新型コロナウィルスの流行が完全に終息することは、ありえないから。

 

いや、こんなこと、わざわざあげつらう必要もないか。

冬の〈恒例行事〉インフルエンザ大流行で、御承知のとおりだ。

れっきとした「ワクチン」があり、あらかじめ摂取できる環境にありながら

毎年およそ1万人もの関連死を作り出してるんだからね。

幸い、「コロナ対策」のおかげで..この冬の感染者薄は記録的な少なさだという。

単純に計算しても、国内の新型コロナ犠牲者数3千人以上上回っている。

 

それはともかく――ここで何を言いたいのかというと。

「スタジアムを埋め尽くす超満員の観客!」とか

「全参加国の選手団が一堂に会して大騒ぎ!」とか

「沿道に居並ぶ大観衆!」とか

〈コロナに打ち勝ち、従来通りの理想的な環境でオリンピックを開催する〉

などという目標は、このさき何年もの間。

最低でも1年や2年のスパンでは、決して実現できない、砂上の楼閣なのである。

 

ふたつめは、オリンピックだけを特別視し、「神聖なイベント」に祀り上げるのは

はっきりいって「宗教」、それも理想だけを盲信する〈原理主義〉でしかない。

いいかげん、現実を直視して欲しい。・・てな感じかな。

 

「新型コロナ」が"得体の知れない謎の感染症"だった1年前ならいざ知らず

ほぼその実体が解明され、次々とワクチンが作り出されている現在。

ボクシング、レスリング、相撲などの格闘技をはじめ

サッカー、ラグビー、バレー、バスケといった団体競技

またフィギュアスケート、スキー競技、カーリングのウインタースポーツまで

それぞれ観客制限(無観客)をはじめとした制限付きではあるが

徹底した感染対策のもと、次々にリスタートしている。

それなのに、なぜ、オリンピックだけが、

〈コロナに打ち勝った証しとして="コロナ前"と同等の状況で)開催しなければ

な・ら・な・い・のか!?

 

これこそ、オリンピックを《唯一絶対の世界的スポーツイベント》と神聖視し

「完全な形でなければ開催する意味はない」という

いわば『五輪原理主義』に囚われてしまった状態なのだと、私は断ずる

 

だって、そうでしょ?

冷戦時代のモスクワ、ロサンゼルス両大会で周知のように

全世界の3分のⅠにも達する国々が参加しなかろうと

誰恥じることなく〈世界の祭典・オリンピック!〉を高らかに宣言してたじゃん。

なのに、「もし感染が発覚して出場できない国が続出したらどうするんだ!?」

程度の事態を「延期or中止の理由」に挙げるのか?

可能な限りの対策をほどこしたうえで、それでも感染してしまったら

この国(選手〉は、残念ながら参加を辞退していただく。それで済むことだ。

 

事実、大相撲だって、感染者を出した部屋の全員を休場させて場所を開催したし

春高バレー(男子)に至っては大会途中で感染者が見つかったため、チームごと棄権。

その後、なにごともなく決勝戦までやり通している。

同じような「柔軟な対応」が、なぜオリンピックに限って、できないのか?

「単独競技の国際大会と比べるな。ケタ違いに規模が大きいのだ!」

「各国の選手はもちろん、その関係者まで含めて何万人が来日すると思ってるんだ!」

・・・いやいや。

そ・の・た・め・に・こそ、大金をつぎ込んで委員会を組織し、準備に準備をかさね

職員の方々にも多額?の報酬を支払っているわけでしょ。

まさに「4年に1度の大イベント」実現のために、底力を発揮していただきましょう。

 

でもって3つ目の理由は、とってもシンプル。

国民みんなが何年も前から楽しみにしていた「お祭り」だったはずだよね。

それをたかが(あえて「たかが」と言うぞ)感染症を理由に中止されちまったら

指折り数えて「その日」を待ってた人々がどれだけ落胆すると思ってるんだ。

特にお年寄りのなかには、「オリンピックがあるからそれまで頑張って長生きしよう」

なんて未来を前向きに捉えるようになった方も少なくないはず。

それら、ある意味〈人生をかけた希望〉を

「仕方がない」「我慢しましょう」「巡り合わせが悪かった」と、斬り捨てるのか?

万全の対策を尽くしたうえで、前例に囚われない柔軟な対応を取りさえすれば

――たとえ、数カ国の参加、数種目の実施ができなくなったとしても――

この年にオリンピックを開催する〈意義と意味と成果〉は、間違いなくあるのに。

 

おっと、観客(視聴者)側の思いばかり並べてしまったが

人生をかけて(マジだよ)代表選手の座を掴み取った選手たちの想いも

少しは汲み取っていただきたい。

以前、モスクワオリンピックのボイコットで出場辞退を余儀なくされた

元日本代表選手たちを取り上げた番組を見たが

関係者でもなんでもない私ですら、胸が痛くなった。

〈その日のために全てを注ぎ〉1日1日を削り出してきた彼ら・彼女らは

国際政治のかけひきの〈道具〉として、いとも簡単に切り捨てられた。

もし今回、再度の延期または中止という決定が下されたとしたら

ほとんどの「日本代表選手」が、同じ絶望を突き付けられることになるのだ。

 

だから、もういちど言う。

〈コロナに打ち勝ち完璧なオリンピックを開催する〉という「幻想」は捨てよう。

100パーセントである必要も、そうすべき義務もない。

できうる限り、.現時点で開催可能な(最善の)オリンピックを開催しよう。

〈戦って勝つこと〉を至高の目標掲げたがる欧米的な価値観ではなく

〈和と共存〉をモットーに生きる我々日本人だからこそ可能な

文字通り《コロナとともに生きる時代のオリンピック》を

やり遂げて見せようじゃないか。

・・言うまでもなく、森会長の「ご勇退」は大前提で。

 

ちなみに、私もまた

テレビ越し(無観客)でも全然OKなので「4年に1度のスポーツの祭典」を見るのを

メチャメチャ楽しみにしていたひとりである。

正直なところ、会場を埋め尽くす観客の大歓声も悪くないが

選手ひとりひとりの息遣いまで手に取るように聞こえる静か~な会場も

違う意味で「迫力満点」!!・・大好きなのだ。

(コロナのおかげで、この魅力に目覚めてしまったよ)

だから、期待して、待っている。

 

ではでは、またね。