地球(太陽)が誕生してから、およそ46億年。
太陽系は、天の川銀河の中心から約3万光年という「はずれ」にあり
2億3千万年で一回転している。
さらに、天の川銀河のような銀河が多数集まって超銀河団をつくり、その超銀河団が
集まって巨大な壁(グレートウォール)のような構造物を作って分布している。
しかも、その壁は”泡の膜”のような球形をしており
そうした泡が重なるように広がって、巨大な構造をかたちづくっている・・
――子どもの頃からのSF好き。
天文関係の(廉価な)書物を書店で見かけるたびに買い求めていたから
上記に引用した内容をはじめとした〈天文学の基礎知識〉は
いい歳のオッサンになった今でも、なんとなく頭の中に残っている。
しかし、日々の暮らしにおいて天文学的な知識が必要になることは、ほぼない。
その結果、いつの間にか、頭の中を占領するのは
行き詰った仕事の行く末とか、些細な原因でぎくしゃくした夫婦関係とか
新型コロナでおじゃんになった海外旅行とか・・
身の回り半径✖メートル以内の「日常」ぱかりとなってしまう。
そんな〈怠惰なSFファン〉にとって
年に1~2度ほどの割合で「宇宙の本」を開くことは
地球が、生命が、人類が、そして自分自身が〈いかなる存在なのか〉という
単純明快にしてシビアな《事実》を、しみじみと痛感し、足元を見つめなおす
いわば『原点回帰のひととき』なのである。
そうだよ。
何かと言うと「地球に優しく」「地球を守ろう」など
まるで〈ご主人様〉のような上から目線で語るようになっているけど。
いま地球上に暮らす70数億人のうち、99.99999%は
地上3キロから地下100メートルという、うっすーい表面にへばりついて
やっとこさ生きていられる、か弱い生き物にすぎない。
半径6371キロメートルのうち、たった3キロ。
そんな極薄な世界のなかで、人類は勝った負けたと大騒ぎしているのだ。
で、地球の表面にこびりついたカビにも劣る我らの頭上には
少なくとも138億年かけて創り出された、巨大な宇宙空間が広がっている。
・・なんという、圧倒的なスケールの違いか。
2009年にハッブル宇宙望遠鏡が撮影した
「ハッブル・ウルトラ・ブィープ・フイールド」を見るたび(198-9ページ)
果てしない宇宙空間に吸い込まれそうな想いとともに
ひとりの人間の、あまりの小ささ、はかなさに愕然とさせられる。
さらに、宇宙は直接関係ない〈自らの命〉についても、つい思いを巡らせてしまう。
当たり前のことだが、いまこの雑文を書いている自分は
100年前には、なにひとつ存在しておらず
100年後といわず50年後には、跡形もなく消え去っている。間違いなく。
この命は、いったいどこから来て、どこへ行ってしまうのか・・?
(「子孫が」とか「DNAが」ってのは、〈個人の命〉とは別の問題)
太陽系の惑星&衛星をとらえた、鮮明にして美麗な画像
超新星爆発の残骸とは思えない、色とりどりの惑星状星雲
いままさに新しい星が生まれつつある、星雲の突端
互いを引っ張り合う、2つの巨大銀河
重力レンズによって歪められた光が作る、直径数億光年の円弧・・・
これら、宇宙の姿に見入っているあいだだけ
私は、〈己の命〉と正しく向き合うことができている。
――そんな気がして、ならないのだ。
最後に、著者の「おわりに」から引用しよう。
人体をつくる元素は、水素、酸素、炭素、窒素で98・9%を占めています。
これらの元素は星の核融合で合成されたものです。
その後、超新星爆発により四散して星間ガスとなり星間雲のなかで再び星に・・
という流れを幾度か繰り返してできたのが太陽系です。
そして、このとき地球が取り込んだ分子の元素でわたしたちの体はできています。
そう考えると、宇宙こそはわたしたちの故郷なのです。 (220ページ)
様々な本で目にした内容だが、何度読んでも、心に沁みる。
ではでは、またね。