本のタイトルにもなっている
冒頭の『うどん キツネつきの』を読んだ後の感想は
"ふむふむ、なかなか面白いぞ。
タイプとしては、日常からちょっとハズレた〈すこし不思議系〉かな~"
なんて、懲りない上から目線でわかったつもりになっていた。
だが、二作目の『シキ零れい零 ミドリ荘』では
"古いアパートの変な住民たちの話・・だけど、なんだこのおかしな言葉遣いは。
ミドリ荘も、でっかい生き物みたいに思えてくるし。かな~り不思議だ"
さらに、三作目『母のいる島』となると
コトは〈不思議〉どころじゃ済まなくなってゆく。
"え、え、え、なになに・・この姉妹、すげー! 超能力?
あれれ・・ホントにすげーのは「母さん」なのか!?・"
トンデモな世界にビックラポンしてるうちに、読み終えてしまった。
てな感じで、全5作中の3作目において、やっと気づいたのだ。
"〈少し不思議〉どころか、これ・・完全にリミット振り切れてる。
いったいどこまで飛んでいくんだ、 この〈不思議ロケット〉は!?"
4段目ならぬ4作目『おやすみラジオ』では
子どもが書いたとおぼしきブログをきっかけに
現実世界・情報世界・虚構世界が箱根細工のように
いったいどれが本当に正しい世界なのかーーともあれ、"鳩"は"洪水"を見守り続ける。
そして最終5話。『巨きなものの還る場所』。
やばい。想像力が闇鍋状態だ。
ざっと並べただけでも「青森のねぶた」「出雲の国引き神話」「オシラサマ」
時空を超えて登場し、巨大な八甲田山のふもとで始業の鐘を鳴り響かせる。
これだけでも、とんでもなくすごい。
だけど、いちぱん気に入ってしまったのは、本編に収録された5作のそのあと。
「あとがき」っぽく、作者が最後に付け加えた、2ページ弱の文章。
『「了」という名の襤褸(ぼろ)の少女』だった。
まったくもう、この人は、なんてことを考えつくのだろうか。
何度読み返しても、ふっ、と笑ってしまう。
・・・・・え?
何言ってんだか、全然わかんない?
そりゃ、失礼。
なにしろ、作者の《想像力の翼》があまりにでかくて頑丈なもんだから
こちとらだって、降り落とされぬよう、しがみついてるだけで精一杯なのだ。
(でも、そこからの"眺め"は、絶景だぜ!)
だからさ。面倒臭がらずに、読んでくれたまえ。
とりあえず、『「了」という名の襤褸(ぼろ)の少女』だけでいい。
309と310ページの2枚だから、3分で読破できる。
人間の想像力は、きっと宇宙よりも広い。
そんな夢を感じさせてくれる、稀有な作品のひとつだ。
ではでは、またね。