"残念な表紙だなぁ"と思うのは、オレだけ? 『パラ・スター(Side百花&Side宝良)』阿部暁子 周回遅れの文庫Rock

ひとたび読み始めたら、やめられない、止まらない。

上巻(Side百花)下巻(Side宝良)共に途中で切り上げられず

二日続けて終ページにたどりつく朝6時頃まで、読み通してしまった。

 

ストーリー自体は、いたってシンプル。

事故に遭い、下半身不随になった少女・宝良(たから)と親友の百花(ももか)が

共に歩んだ10年近い日々を、描いたものだ。

大好きだったテニスを奪われるも、絶望の底から立ち上がる宝良。

そんな親友に、「車いすテニス」という未来を指し示し

彼女のために競技用車いすを作ろうと、車いすメーカーに就職する百花。

ふたつの真っ直ぐな想いが、熱く、深く、胸に迫ってくる。

 

脊髄損傷による"寝たきり生活"から始まる、文字通りゼロからのスタートに

すべてを受け入れたうえで持てるすべての力を注ぐ、宝良の苦闘。

マイナーな車いす業界の中にあって

さらに小さな「競技用車いす」のエンジニアを目指す、百花の奮闘。

メジャースポーツには程遠い「車いすテニス」というシビアな現実のなか

それでも・・いや、だからこそ、それぞれの限界と可能性に向き合う

選手、家族、コーチ、関係者の真摯な言動が、涙腺を絞りにかかる。

 

とりわけ上巻(Side百花)の後半部分は、"反則ギリギリ゛技の連発だ。

一年前に罹った脊髄炎で下肢まひが残った小学五年生の女の子、みちるが登場。

母親の強い勧めで、彼女に特注のバスケ用車いすを作ることになるが・・

車いす生活という現実に押し潰されかけた、みちるの深い絶望感。

我が子の幸せを一心に願う母親の、捨て身にも近い切実な想い。

二人の間に挟まれ、不安と焦りを募らせゆく新人エンジニア・百花の葛藤

それぞれが、それぞれの立場から、同じ結果を目指しているはずなのに

どうようもなくすれ違い、バラバラに離れてゆく、もどかしさ。

そこに読者が、自身の"体験"を重ね合わせてしまったら、もう他人事とは思えない。

 

物語の舞台は「車いすテニス」と「競技用車いす」という

極めて狭い世界に限定されている。

しかし、そこで交わされる言葉のひとつひとつ、行動のひとつひとつは

つまるところ、"人生とは?""生きるとは?"のような

最も普遍的な問いかけへの、優れた「回答」になっている。

だからこそ読者は、激しく叩かれ、揺さぶられ、胸と心と眦を熱くするのだ。

 

・・というように、こっぱずかしいほど手放しで絶賛してしまったが。

実は、ただ一点。

"画竜点睛を欠く"がごとき不満が、厳然と存在している。

それは――表紙のデザイン(絵柄)。

 

正直、愛読する『本の雑誌』でべた褒めだったから購入したけど

何の予備知識もなく"ジャケ買い"する可能性は、限りなくゼロに近い。

だってこの表紙に描かれているのは、二冊とも「かなり昔の女子高生」でしかない。

おそらく売り手は、10代20代の若い世代に親しみを抱いてもらうために

こんなジュブナイル風キャラクターを前に出したのだろうけど・・

正直、それは逆効果だ。

内容の充実ぶりを伝えるどころか、薄っぺらなイメージしか伝わって来ない。

確かに、今アニメ放送中の『ラブ・オール・プレー』をはじめ

いわゆる"学生スポーツもの"は、アニキャラ風の表紙が多いけれど

本書のなかに、「部活動テイスト」はいっこもない。

 

少なくとも、裏表紙の「あらすじ」に目を通すまでは

表紙の印象は、高校のクラブ活動の話か? それもだいぶ昔の。

あれ、でも高校に「車いす部」なんてあったかなあ・・

――なんて、よくある〈学校スポーツ小説〉のひとつとしか思えなかった。

 

いや、冗談抜きで。

この表紙を見て、書棚に戻してしまった"ジャケ買い族"は、少なくないはずだ。

だから、余計なお世話と知りつつも、一読者からのご提案。

可及的速やかに「新装版」を作ってほしい。

妙に古びたアニメ絵にはお引き取り頂き、上巻(Side百花)は一面オレンジ

下巻(Side宝良)は一面ブルーと、スタイリッシュに。

文字も読みやすくシンプル&ストレートに、二行並べれば充分。

とにかく、中途半端に若者に迎合した雰囲気は、本書にとってマイナスでしかない。

もっと胸を張って、ハードルを上げなくちゃ。

そうすれば、きっともっとずっと、売れるはずだよ。

だって中身は、ピカイチ!!なんだから。

 

ではでは、またね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心躍る"宇宙大冒険"のフィナーレ!?『マイルズの旅路』ロイス・マクマスター・ビジョルド 周回遅れの文庫Rock

1991年1月に出た第一作『戦士志願』から、実に30年余り。

読んでしまうのがもったいない気持ちから、なかなか手に取ることができずにいた

グォルコシガン・シリーズ最終作『マイルズの旅路』を、ようやく読み終えた。

 

率直な感想は、旧くからの友人にかける言葉と一緒だった。

・・・お互い、歳をとったなあ。

それもそのはず、いまだ仕事に振り回されていた30代前半に出会って以来

ノリノリの後半から40代、確実性を求める50~60代前半までの三十数年間。

若いマイルズの成長とともに、生活してきたのだから。

(そうは言っても、本編でのマイルズはようやく中年に片足を賭けたあたり。

 まだまだ"若い"と呼べなくもないお年頃なのだが)

 

ともあれ、自身の人生を重ね合わせずにいられないほど

一作ごとに、〈個人的なエピソード記憶〉がむくりと立ち上がってくる。

それくらい"一緒に生きてきた感"の強いシリーズ作品なのだ。

(これに続くのは、小野不由美の「十二国記シリーズ」ぐらいか)

 

そんなわけで、2017年2月の発刊&購入以来。

気が付けば、なんと5年以上の長きに渡って本棚に背表紙を並べ

続編(スピンオフ作)『女総督コーデリア』が出た後まで

"でもシリーズ的にはこれがラストなんだよなぁ"

などと、ぐずぐず読まずにいたのは

「終わり」を認めたくない、単なるワガママのせいだった。

 

それでも、一昨年から始めた「サイコロ読書システム」のお陰で

スロットマシンのジャックポットのごとく

「SF」「海外」「女性作家」「シリーズ」「途中」のキーワードが揃い

このたび強制的に!? ピタリ条件が合致した本作を読了した次第。

 

ま、しよーもない前置きはこのぐらいにして

いいかげん本作の感想に話をすすめよう。

 

歯に衣着せず、思ったまま言ってしまうと――

さすがに『ミラー・ダンス』『メモリー』頃まで全編に満ち満ちていた

圧倒的な躍動感や、読者の予想を見事に裏切るスリリングなストーリーテリング

マイルズほかの登場人物が交わす、コミカルな会話などなど。

激戦地の地雷原なみに仕掛けられていた"面白爆弾"は、頻度も規模もスケールダウン。

どうにも寂しい気分を味わわされてしまった。

それでも、ときおりキラリと光る"いぶし銀"の名演技のごとく

マイルズらお馴染みの(といってもあとはボディガードのロイックくらい)

登場人物が、いかにもな言動で楽しませてくれたから

シリーズのファンとしては、それだけで充分満足だったりする。

 

本作を棚に上げてしまうことにはなるが

少なくとも、第1作から『メモリー』までの10作品は、文句なしの大傑作。

この流れで"マイルズ推し"になった読者であれば

13作目の『外交特例』までスルスルっと、一気読みできるはずだ。

「えーーっ、30年も昔の古~い作品なんて、そんなに面白いのかなぁ?」

とか、食わず嫌いをするのは、余りにもったいない。

夏への扉』や『アルジャーノン』なんて、もっと"大昔"の古典SFなんだし。

とりあえず、第1作『戦士志願』だけでもナナメ読みしてみればいい。

『銀英伝』とか『化物語』にハマッた人なら、イチコロ(古っ!)だと思う。

個人的には『スターウォーズ』『スタートレック』より楽しめる。

小説には珍しく、前半の『バラヤー内乱』あたりまでは3回も読み直してしまったよ。

 

ではでは、またね。

超実践的"働き方"が満載 『グラビアアイドルの仕事論』倉持由香 周回遅れの新書Rock

お尻の自画撮りをSNSに拡散。

「尻職人」として人気を博したグラビアアイドル・倉持由香

自らの"生き残り術"を書き記した自称"卒論"。

役立たずな理想論や精神論を並べただけのビジネス書が裸足で逃げ出す

超実戦的な働き方と、逆転の発想に基づく自己プロデュース法を

惜しみなく披露したものだ。

 

まず第一章 尻職人と「#グラドル自画撮り部」の誕生

ここで倉持は、自分が選んだ仕事に対する"誇り"を宣言する。

中学時代、グラビアアイドルの世界に飛び込ぶが、初任給は5000円。

その後、努力の甲斐あって10万円前後まで押し上げたものの

衣装代などほぼすべてが自腹からの持ち出し。

実家を出ていたため、グラドル仲間の部屋やネットカフェで寝泊まりを繰り返す。

だが、この財政的危機にあっても、倉持は自らのモットーを貫く。

どんなに苦しくても「バイトをしない」と決めていました。本業で意地でも食っていきたいという思いがあったからです。バイトをすればたしかに生活は楽になるだろうけど、そっちにばかり気が向いてしまうと、本業と向き合う時間がなくなってしまうかもしれない。せっかく憧れの世界に入れたのに、そこで食えないというのは、悔しいし、情けないとう気持ちがありました。22p

さらに注目したいのは、他の人がバイトに費やす時間と労力を何に向けたか。

人気コスプレイヤーに倣って、自画撮りをネットにアップし始めると共に

普通であれば隠す「コンプレックス」を、最大のアピールポイントに変えたのだ。

当時、ニコニコ生放送でグラビア番組を毎週やっていた私には、なじみのカメラマンさんがいました。ある日、その方から「もっちーは大きなそのお尻を武器にした方がいいよ。出さなかったらただの無駄尻だよ!」とアドバイスを頂いたのが、"尻職人"が生まれたきっかけです。                              その言葉を聞くまでの自分は、他人よりもお尻が大きいことがコンプレックスでした。被写体の魅力を一番引き出してくれるカメラマンさんから無駄尻と言われのは衝撃的で、その日を境に「今まで隠していたけど、いっそ出すなら派手にやってやろう」と思いもTwitterでお尻を強調した自画撮り画像をアップするようになりました。28p

 

つづく第二章 グラビアアイドルのマーケティング戦略では「顧客目線」に注目。

グラビアアイドルの顧客=第一のメインターゲットは男性になります。細かく言うならば、女の子のおっぱいやお尻が大好きなおじさん。ここでの"おじさん"は年齢にかかわらず、女体に興味がある属性としての記号です。まずはこの前提に立つこと、顧客となるおじさん目線を考えことがグラビアアイドルにとって最重要です。40p

その後も、活動にストーリーを持たせる

自画撮りは「ティッシュ配り」ーー知名度のピラミッド理論とは――

他人が登っている山は登らないーーニッチな場所を狙う――

キャッチフレーズは自分で考えるーー自分を一言で表す――

継続は力なりーー単純接触の原理――

くすぶっているのは自分の責任

・・といった印象的なキャプションを糸口に、自らの戦略を披露してゆく。

しかもそのすべてが、頭の中で組み立てた「想定」ではなく

自らの体験から導き出された「実践」なのである。

これほど説得力に満ちた「ビジネス書」は、そう多くないだろう。

文字通り、自らの血と汗と涙を振り絞って掴み取った〈結果〉だけに

倉持の文章には、独特の重みが伴っている。

たとえば、「くすぶっているのは自分の責任」で始まるブロックに記された一文。

今になって思うのは「撮影会しか仕事がない」ではなく「撮影会からどう次に繋げるか」と自分で考えられる子でなければ、芸能界では生き残れないということです。65p

ーー芸能界に限らず、あらゆる仕事に通じる"真理"と言ってもいい。

 

ここまで紹介(引用)したのは、全6章中の2章のみ。

第三章 グラビアアイドルのSNS戦略 

番外編 グラビアアイドルの自画撮り術

第四章 グラビアアイドルのタレント戦略

第五章 グラビアアイドルの仕事術

などなど、よりよく働き自分を活かすためのヒントが

世界有数の埋蔵力を誇るダイヤモンド鉱山のように埋まっている。

どれもこれも、今すぐ進行中の仕事に活用できる正真正銘の「金言」ぞろいだ。

("アラカンおじさん"には、番外編が一番うれしいかも)

 

なんだかべた褒めになってしまったが

悔いを残しつつ40年余りの仕事生活からリタイアした身にとっては

倉持の文言がどれほど的を射ているかが、痛切なほどに理解できるのである。

加えて特筆したいのが、倉持の、仕事に対する"姿勢の良さ"だ。

自己投資を惜しまない 覚えておいてほしいのは、行動の大切さです。最低でも撮影会で使う水着は実際に購入してみてほしいです。グラドルにとって商売道具であるにもかかわらず用意されているものを着るばかりでは、誰かのイメージをそのまま受け入れてこなすだけになってしまいます。146p

干されに不思議に干されなし この言葉の真意は「何事も原因は自分にある」ということだと思います。仕事がないのは事務所やマネージャーさんのせいではなく、自分で仕事を取るために能動的に動いていないからだということです。157p

他人からの評価を気にしすぎない                        誰かに「クソゲーじゃね?」と評価されてもいいんです。一番大切にしなければいけないのは、自分自身が楽しんでプレイできているかどうかです。自分クエストを満喫しているのであれば、周りからの声は気にしなくても大丈夫です。181p

 

我慢できず、フライング気味に引用してしまった。

とにかく、文章のひとつひとつが、心に痛くて、そのくせ気持ち良い。

やっぱり、正真正銘「ホンネ」で語っているからなのだろう。

これからもグラビアに生きて、グラビアに死にたい。188p

ーーそう宣言する倉持(母になっても現役グラドル!)を、陰ながら応援するぞ。

 

ではでは、またね。 

"部活動ノリ"が眩しい! 『うなドン 南の楽園にょろり旅』青山潤 周回遅れの文庫Rock

ええっ!!・・・これが、「学術調査」なのか!?

 

東京大学の"ウナギ博士"が

多くの謎に包まれたウナギの生態(特に産卵場所)を探るべく

文字通り世界中を飛び回った〈探検記録〉の、第二弾。

※第一弾の『アフリカにょろり旅』は

 題名通りアフリカ南部を中心にウナギ探索を決行。

 様々な苦難に巻き込まれた(招き寄せた)記録

 ・・だったような記憶が、うすぼんやりと残っている。

 10年以上前に読んだきりなので、心もとないけど。

 

アフリカ編では、探検より飢えや乾きに"耐える"場面が多かった気がするが

一転して本書の青山氏は、前へ前へと突き進んでいく。

なにしろ、ろくな準備も下調べもせず、会話も通じない現地の人々相手に

出たとこ勝負で〈ウナギ探し〉に情熱を燃やす。

それでも、単身インドネシアに乗り込んだ記録「にょろり旅TAKA1」は

"経験不足な若者が気合だけでウナギ採集をやり遂げた!?"という

独り身ゆえのムチャクチャな旅記録。

もっと言うと、常識知らずな"ウナギバカ"の脱線ぶりを

おもしろおかしく脚色した、"なんちゃって探検"だとばかり思っていた。

 

ところが、信じがたいことに、〈上には上がいた〉。

続く、海外でのウナギ探し記録『うなドン』で

三年後?の青木氏は、手下?の俊、指導教授・塚本先生の三人チームで

南海の楽園タヒチにへと飛ぶ。

この地域に生息する珍しいウナギ、「メガ」を採取するためだった。

なんやかんやいっても、実質的なチームリーダーは塚本教授。

東京大学海洋研究所に籍を置く文字通りの学者先生、エリートである。

 

ところが、ぎっちょん。

世界的リゾート地タヒチを舞台に、この三人が繰り広げる〈メガ探索〉といったら・・

青山氏のインドネシア単独行に輪をかけたような、行き当たりばったりぶり。

地元の人々の"噂話"やら"又聞き"など、あてにならない情報を頼りに

それっ!とばかりジャングルに乗り込み

川を遡りながら(メガは内陸部の川に生息している・・らしい)

ひたすらウナギ獲りに励むのだ。

それも、満足なキャンプ用品どころか食料も用意せずに。

 

――出たとこ勝負にもホドがある。

高校のワンゲル部(今も似たようなのがあるはず)だって

出発前には最低限の準備を整えるというのに

いい大人たち(それも東大の教授&研究員だぞ)が三人揃って

"ガキの探検ごっこ"そのまんまの、限りなく無謀な探検に命を懸けるのだ。

 

実際、本書を読んでいる間中、うたたの頭の中では

半世紀ほども昔の、高校~大学時代にやらかした

「天体観測を装った(天文部だったので)山上のオールナイト酒盛り」だとか

北アルプス稜線で暴風雨に逢い、潰れたテントを背負いながら朝を迎えた」記憶が

次から次へと、回り灯篭のようにリプレイされ続けていた。

それくらい"若気の至り"としか評しようのない、"三バカ大将日記"なのである。

 

いったいぜんたい、どれほどムチャクチャな〈探検行〉だったのか・・

具体的に引用したくなるけど、そこはじっと我慢の子。

興が削がれるので、ぜひともご自身で味わっていただきたい。

ただ、旅の終わりに教授が言った言葉だけは、ちょっと引用してしまおう。

なにせ『うなドン』なる本書の題名は、ここから来ていたのだから。

 

※これもネタバレか? 気になる方は、この先を読まないように。※

 

どんな結果が待ってるかわからない。無茶だって笑われてることも知ってる。でも、どうだ、俊! 僕たちとウナギ研究会のドン・キホーテになろうじゃないか! 笑われようが何しようが毅然と胸を張って行こうじゃないか! うん、いいなぁ。うなぎのドン・キホーテ、略してうなドンだな!」324p

読了後、湧き上がってきた想いは――うらやましい!

のひとこと。

こんな「探検旅行」に、命を燃やしてみたかった。

・・実際に体験してないから、のほほんと言えちゃうのかもしれないけど。

 

ではでは、またね。

ひたむきな"背中"の物語。 『ルックバック』藤本タツキ 周回遅れのマンガRock

挫折と再生の物語?

唯一無二の"友情"の物語?

・・そんなテンプレじみた文言で表せる作品ではない。

 

ともあれ、キーワードは「背中」だ。

 

背中が語る。

背景が語る。

言葉と説明を削ぎ落されたコマのひとつひとつが

熱く、痛く、激しい想いを、なにより雄弁に届けてくれる。

 

マンガが、大好きだ。

「オタク」「キモイ」と言われても、描かずにいられない。

それでも努力は報われず、くじけそうになる。

そんなとき・・

「背中にっ!! 背中の服にサインくださいっ!!」

文字通り、"背中を押される"ことで、否定が肯定へと裏返る。

 

振りだした雨のなか、スキップして走り帰る。

濡れた身体のまま机に向かい、一心不乱に描き始める。

激しく窓を叩く雨が、出口を見つけた主人公の情熱と重なり合う。

 

逢うべき人に出会えることを、人は「しあわせ」と呼ぴますーーby中島みゆき

 

背表紙に記された「あらすじ」は、昔懐かしのポエム仕立て。

自分の才能に

絶対の自信を持つ藤野と、

引きこもりの京本。

田舎町に住む2人の少女を引き合わせ、

結びつけたのは漫画を描くことへの

ひたむきな想いだった。

月日は流れても、

背中を支えてくれたのは

いつだって――。

 

確かに「友情物語」とカテゴライズしてしまうのが

適切な"落としどころ"なのかもしれない。

だが、"時を駆ける四コマ漫画"が、安易なジャンル分けを拒み続ける。

そのくせ、ご都合主義丸出しの歴史改変モノにも日寄らない。

じゃあ、結局、なにを伝えたいのか。

 

※この先ネタバレにつき注意※

おそらく、ラスト近くの"主人公(のつぶやき"が、ソレだ。

だいたい漫画ってさあ‥‥

 私 描くのはまったく好きじゃないんだよね。

 読むだけにしといたほうがいいよね 

 描くもんじゃないよ

もうひとりの主人公(≒作者)の声が、素朴な疑問を投げかける。

じゃあ 藤野ちゃんは なんで描いてるの?

答えは、そのあと6ページに渡って続く

セリフなしの9コマのなかで、語り尽くされる。

 

絵もセリフもぜんぶ頭の中に入ってるし

今さら読み返してもなぁ・・と、思いつつ

ひとたびページを開くと、また、喰い入るように熟読してしまう。

必ずしも好きな絵柄ではないのに

そんな些細な嗜好なんか、いつの間にか吹き飛んでいる。

 

たぶん今後も、椅子をぐるっと回せば手が届く本棚の特等席に

白地の緑の背表紙が収まっていて

時々抜き出しては、〈パラパラのつもりが熟読コース〉を繰り返すだろう。

 

傑作は厚さと無関係だ。

切れ味鋭い、142ページの「座右の書」である。

 

ではでは,またね。

 

 

 

 

 

"愚者の行進"は、どこへ行く? 『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史③帝国の緩やかな黄昏』オリバー・ストーン&ピーター・カズニック 周回遅れの文庫Rock

開いた口が塞がらないまま、読み通してしまった。

本書は、20世紀初頭の第一次世界大戦前から

バラク・オバマが大統領の座を占めていた2012年までの

100年以上にわたるアメリカの「裏面史」を描いた、衝撃作。

その掉尾を飾る1974年のフォード大統領就任以降の

"目を覆いたくなるほど愚かな国"の醜態を、克明に記したものである。

こんなでっち上げを真に受けるなんて、フェイクニュースも知らないのか?

などと頭から受け入れない方も、少なくないだろう。

言葉の端々から漂う"左翼の匂い"に拒否反応を起こす方も、少なくないはずだ。

とはいえ、これらの記述には、すべて明確な裏付け(出典元)があり

訴訟も出版差し止めも食らっていないことを明記しておく。

 

・・とまあ、言い訳じみた前フリはこのぐらいにして

本書・第3巻に登場するアメリカ大統領たちが、いかに「愚者揃い」だったのか。

つたない引用を基に、ひと並べしてみよう。

 

まずは、"なんちゃってリベラル"カーター大統領。

ホワイトハウスを出た後のカーターの実績は確かに称賛すべきものだ。しかし、ホワイトハウスの中での彼は、無能と言われても仕方がなかった。支持者たちの期待も、自らの信念も裏切るような行動しかできず、退任時の支持率はわずか三四パーセントであった。大統領としてのカーターの遺産の中で最も長く残ったのは、「人権外交」などと呼ばれた、やや偽善的な姿勢ではない。彼は「暗黒面(ダークサイド)」ほと通じる扉を開けてしまった。それが、彼の後任であるロナルド・レーガンの、野蛮とも言える強硬な政策を正当化することにつながった、その結果、沈静化しかけた冷戦が再燃し、グアテマラアフガニスタン、そして世界貿易センターなどで大勢の罪のない人たちが犠牲になったのである。16p

彼が犯した失策の代表格は、圧政を敷くイラン国王(シャー)を支援し続けたことだ。

カーター大統領は、親米的なシャーを支援し、たとえシャーが人権無視の行動を取っても支援を止めることはなかった。そのことがイラン国民の怒りを買った。53p

1979年のイラン革命と英雄ホメイニの帰還により、シャーは国外に亡命する。

ここでカーターが採った行動が、致命的だった。

カーターは、キッシンジャーデイヴィッド・ロックフェラー、ブレン人スキーなど、シャーを擁護する人たちからの圧力に屈し、シャーのアメリカ入国を受け入れたのだ。イラン国民の怒りは爆発した。一九七九年一一月には、学生たちがアメリカ大使館に侵入し、五二人のアメリカ人を人質に取って、イラン政府へのシャーの引渡しを要求した。人質はその後、四四四日にわたった拘束されるのである。イスラム原理主義者の台頭を抑えるためにソ連が介入してくるのでははないかと恐れたカーターは、慌てて二五隻もの軍艦と一八〇〇人の海兵隊員をペルシャ湾へと送り込んだ。その中には、核武装した空母三隻も含まれていた。57p

その後、ソ連アフガニスタン侵攻も喰い止められなかったカーターは、「より安全で

平和な世界を実現したい」という希望を自らの手で否定してゆく。

大統領だった四年間に、彼は、後で訂正したものの中性子爆弾の開発を一度は承認しているし、核装備巡航ミサイルのヨーロッパへの配備も認め、初のトライデント潜水艦も就役させた。そして、ソ連を標的とした弾頭の数を倍増させている。つまり、カーターがホワイトハウスにいたにもかかわらず、〈現在のの危機に関する委員会(CPD)〉は、SALTⅡなど軍縮への動きに逆らい、国防費を増強するためのキャンペーンに成功したわけだ。〔中略〕カーターはベトナム戦争を批判することすらやめた。ベトナム戦争に従軍した兵士たちを彼は、自由の闘士と呼ぶようになった。領土を獲得するためでもなく、アメリカの意思を他国に押しつけるためでもなく、ただ自由のためにベトナムに行き、戦った兵士たちというわけだ。本人としてはすべて善意でしたことだとしても、それが次のレーガン政権のための下準備になったことは間違いない。69-70p

 

それでも、カーターは、"はるかにマシ"だった。

少なくとも、頭ごなしに「バカ」と呆れられることはなかったのだから。

目を覆いたくなるのは、後を継いだロナルド・レーガンだ。

レーガンに直に接した人たちは、多くが彼の無知に驚いている。一九八二年の終わり、ラテンアメリカ諸国訪問から帰国した彼は、記者たちに「いろいろと学んだよ‥‥驚いたね。ラテンアメリカがあんなにたくさんの国に分かれているなんて」と言ったという。82-4P

レーガンは、歴代大統領の中でも、おそらくもっとも知的好奇心に乏しい人物であった。テロ対策コーディネーターだったアンソニー・クイントンは大統領のもとに呼ばれ、状況説明をするよう指示された。クイントンは、その時のことを次のように話している。「私は大統領に、簡単な状況説明をした。その場には副大統領、CIA長官、FBI長官に加え、国家安全保障会議のメンバーが何人かいる。だが、大統領はゼリービーンズを2つほど食べたかと思うと、居眠りを始めた。私はすっかりやる気をやくしてしまった」。83P

かくも無能な大統領が、なぜ大過なく任期を務めあげたのか。「カンペ」のお陰だ。

相手が外部からの訪問者であっても、閣僚であっても、誰かと会話するときは、スタッフからレーガンに三インチ✖5インチのファイルカードが渡される。彼はそこに書かれた言葉をそのまま読み上げるのだ。時折、そうとは知らずに誤ったカードを読んでしまうこともあった。よく事情を知らない訪問者は、侮辱されたと思ったようだ。レーガンは自らの個人的体験を基に世界を見ていた。何かわからないことがあっても、自分の体験から推測して理解する。そうして自分のお気に入りの物語を作り上げる。物語に合わない事実があっても、無視あるいは否定してしまう。86-7p

結局、「強く正しいアメリカを守る」という自分に都合のいい物語を盲信。

福祉目的の予算を大幅に削減し、軍事費をかさ上げしていく。

アメリカの軍事力は弱体化しており、このままではソ連の攻撃に対抗できない」という作り話を根拠に、国防費増強を強く訴えたのだ。「今われわれは、真珠湾後の日々よりも大きな危険の中にいる。アメリカ軍隊はこのままでは無力で、この国ををまったく守ることができない」とも言った。                            レーガンの脅しは功を奏した。国防費は、一九八五年にはなんと、一九八〇年に比べ五十一パーセント増となったのである。それだけの費用を捻出するため、彼は自らの裁量で動かせる内政関連の政府支出を三〇パーセントも削減した。七〇〇億ドルもの大金を内政から軍事へと振り向けることに成功したわけだ。117p

一九八三年には、四八万人もの人が、児童福祉世帯扶助制度の支援を受けられる資格を失っている。また、給付金を減らされた人も二九万九〇〇〇人にのぼった。レーガンはさらに議会を促して、一二〇億ドルだったフードスタンプ(食糧配給券)の予算を二〇億ドル減らし、三五億ドルだった学校給食の予算も一〇奥ドル減らした。その他、メディケイド(低所得者向け医療費補助制度)、小児栄養、住宅補助、光熱費援助などの予算も削減し、都市支援の予算はほとんど半分まで減らした。レーガンは、こうして貧しい人間に厳しくする一方で、所得税最高税率は引き下げた。七〇パーセントだった最高税率は、彼が大統領を退任するころには二八パーセントになっていた。118p

ドナルド・トランプへと続く道は、この時に造られたものだった。

どれほど周到に隠そうとも、レーガンの"無能さ"は、徐々に露呈してゆく。

レーガンの大統領という職への適性を疑う声も聞かれた。大統領が閣議の最中によく居眠りしていることを、次席補佐官のマイケル・ディーバーが認めたことで事態はさらに悪化した。《ニューヨーク・タイムズ》紙の元編集主任、ジョン・オークスは、「これほど底が浅く、軽率で、判断力にも欠ける人物が大統領だとしたら、われわれはこの危機の時代に一体、何を信じて生きていけばいいのか」と問いかけた。134-5p

 

いよいよこの後、チェルノブイリ原発事故~ゴルバチョフ登場へと世界は激動。

そして、歴史の大転換に対応できないレーガンの醜態が描かれる。

いいかげん長文になってきたが、この一幕だけは書き写させてほしい。

レーガンゴルバチョフは、一九八六年一〇月、アイスランドレイキャビクで会談した。ゴルバチョフ軍縮に向け、いくつもの驚くほど大胆な提案をした。オープニングセッションの時点ですでに、レーガンゴルバチョフのビジョンに不意を打たれ、圧倒されてしまっていた。普通の対応をすることすら難しい状態になったのだ。ゴルバチョフはその時のことを次のように回想する。                      

レーガンはカードに書かれたメモを見ながら私に返事をした。メモをそのまま読んで  いることもあった。私は、自分が概略を話したことについて彼と議論をしようとしたが、その試みはことごとく失敗に終わった。具体的な質問をぶつけてみても、何も答えは返ってこない。ただ、メモを見つめているだけだ。カードはすっかり混ざり合ってしまい、中の何枚かは床に落ちてした。やがて彼はカードを繰り始めた。どこかに適切な答えが書かれていないかを探しているようだったが、見つかりはしない。適切な答えなど、用意されていなかったからだ。アメリカの大統領も、その周囲の人たちも、私がしようとしたものとはまったく違った会話に備えていたのだった。146-7p

荒唐無稽なギャグみたいだが、"カード"の件をはじめ、みな紛れもない事実だ。

こんなヤツのせいで「核兵器の全廃」が実現しなかったのかと思うと・・言葉もない。

 

おおっと、これだけ引用しても、まだ序盤の三分の一にも達していない。

この後ついに、ブッシュ・父⇒クリントン⇒ブッシュ・息子という《真打ち》が登場。

現在の"没落アメリカ"と続く、「明日なき暴走」が始まるのだが・・

そのあたりは、ぜひともご自身で〈目撃〉していただきたい。

そっちのほうが、絶対に面白いから。

 

・・とはいえ、せっかく付箋だらけにしたんだし。

予告編がわりに、目についたキャプションを列記してしまおう。

パキスタンを援助、黙認するアメリカーーそのパキスタンに逃げ込むアラブ人がのちのテロリストになった

米国国内の二分する世論を変えるための、「イラク核武装」論

二〇〇〇年大統領選挙における、ブッシュ・ジュニアの醜い闘い

無視された9・11の前兆

ネオコンにとって、9・11は「新たな真珠湾のような」好機だった

「サダムがやったのかどうか確かめてくれ」――「アフガニスタンよりもイラクのほうがいい目標がある」

いくら捜しても証拠が見つからない、イラク9・11のかかわりを、彼らはでっちあげた

侵攻されてもおかしくない、大量破壊兵器保有国はほかにたくさんある

本人は「キャリアの汚点」と語る、パウエルの国連演説

戦争の旗を振ったマスコミーーCNN、Fox、NBC‥‥

三月二〇日、空爆決行――「解放されたイラク人の歓喜」すらアメリカに作られたものだった

略奪と病気のあふれる無政府状態――イラクイスラム原理主義者の聖戦(ジハード)スタジアムと化した

現実を受け入れない、ブッシュとその顧問団

あからさまな富裕層優遇――史上最大の所得格差拡大を生み出す

「救済者」と思えたオバマは、事態をより悪化させた

貧困線下で暮らすアメリカ人は四六二〇万人ーー史上最悪の数値

オバマは誰の味方なのか」――二つの顔を使い分ける男

ノーベル平和賞受賞演説で自国の軍国主義を擁護

激化する「無人機による攻撃」――罪のない民間人の死も急増

撃墜されることで他国へ広まる無人機プログラム

腐敗しきったカルザイ大統領、無能な軍と警察――兵力増強はゲリラの抵抗を終わらせられない

横行する贈収賄ーー警察と当局者買収のために年二五億ドルを費やす国民

選挙の票のあからさまな売買――議員は途方もない収賄のチャンス

それでも揺るがぬアメリカの軍事的優位 「基地帝国アメリカ」の広大なネットワーク

 

すっかり「自己満足の日」になってしまった。

けれど本書を読めば、プーチンウクライナ侵攻にしても

アメリカにすれば絶好の〈ビジネスチャンス〉だということが、はっきり見えてくる。

常に新しい武器を造っては売り、それで食べている軍需産業が存在するのだから。

まったくもって、いろんなことが、いろんなところで、リンクしてるんだよ。

 

ではでは、またね。

やさしさに包まれる。何度でも。 『つづきはまた明日➀~④』紺野キタ 周回遅れのマンガRock

ハードなノンフィクションを取り上げようかと思ったが

嵐の日に書くと、ひたすら重苦しくなりそうなので

ひみつの階段』に続いて読み返した

紺野キタの『つづきはまた明日』にバトンタッチした。

 

主人公は、小学校5年生の兄・沓(はるか)と1年生の妹・清(さや)。

昨年、母親を喪った兄妹が暮らす家の隣に

とある家族が引っ越してくるところから、物語は動き出す。

そこの一人娘・佐保(さほ)が、亡き母親の昔(の写真)とそっくりだったのだ。

(初めて彼女を見た清が「お母さん」と呟いてしまう)

しかも佐保は沓と同学年。おのずから転校その他の面倒を見ることに。

(沓が母親似のため、ここでも「そっくり!」と騒がれたり)

こうしてふた組の家族(➀沓+清+父➁佐保+母+父)の人生は

少しづつ近づき、交錯してゆくのだった・・・

 

一巻目の裏表紙で、本作は次のように紹介されている。

ありふれた出来事の中に見え隠れする

人の優しさ、純粋さ、冒険心etc.

ふんわりとあたたかい気持ちになれる、

日常ほのぼのストーリー!

 

これだけ読むと、メリハリがなくてゆる~い物語を連想するかもしれないが

実際に受け取る印象は、大地に根を張る樹々のように、確かで揺るぎないものだ。

たとえば、母親を喪った主人公の兄妹のように、

登場人物の多くが、なにがしかの辛い運命を背負っている。

それでも、一遍一編を読み終えたとき

心のなかにいつまでも残るのは、哀しみではなく、甘やかな"愛おしさ"なのだ。

 

実は、「いい人」しか登場しない物語には

好印象を抱いたことが、ほとんどない。

たとえば近年話題になった『そして、バトンは渡された』(瀬尾まいこ著)の読後感も

――なんだか、都合よすぎてウソ臭いなぁ。

などと、共感より反発の方を強く感じてしまうのだ。

そのくせ、同様に「いい人」のオンパレードで終始する本作からは

『そして・・』の"ウソ臭さ"が、これっぽっちも漂ってこない。

これは、単なる個人的嗜好のせいなのか

それとも、何度観返しても飽きない、ちょっとメルヘン入った絵柄のせいなのか。

 

いずれにせよ、本作もまた4~5回目の再読もなんのその

数ページごとに「大好きなシーン」で手が止まり

作者が紡ぐ〈絵+ことばの世界〉を、行ったり来たりしてしまう。

この中毒性たるやも――ただひたすら、"相性がいい"としか言いようがない。

 

なにより、どこで見つけ出してくるのやら

子供にまつわる独特のリアリティに、心を奪われる。

たとえば1巻第3話『明日になればできること』

自転車に乗る小1の清(さや)の、(おしりの)描写が最高だ。

たむっ たむたむっ 

「す‥‥っ すごい 尻がゴムボールのようだ」55-6p

 

こんな風に引用したところが、100分の1も伝わらないだろうなぁ。

とにかく読んでみてくれ、としか書けない自分が悔しい。

なにはともあれ、座右の本ならぬ「座右のコミック」のひとつ。

この先も1~2年おきに、恋しくなっては読み返すこと間違いなし・・なのだ。

※4巻後半の『Li'l flowers』も絶品!"佐藤さん"の続編を読みたい~~

 

ではでは、またね。