"残念な表紙だなぁ"と思うのは、オレだけ? 『パラ・スター(Side百花&Side宝良)』阿部暁子 周回遅れの文庫Rock

ひとたび読み始めたら、やめられない、止まらない。

上巻(Side百花)下巻(Side宝良)共に途中で切り上げられず

二日続けて終ページにたどりつく朝6時頃まで、読み通してしまった。

 

ストーリー自体は、いたってシンプル。

事故に遭い、下半身不随になった少女・宝良(たから)と親友の百花(ももか)が

共に歩んだ10年近い日々を、描いたものだ。

大好きだったテニスを奪われるも、絶望の底から立ち上がる宝良。

そんな親友に、「車いすテニス」という未来を指し示し

彼女のために競技用車いすを作ろうと、車いすメーカーに就職する百花。

ふたつの真っ直ぐな想いが、熱く、深く、胸に迫ってくる。

 

脊髄損傷による"寝たきり生活"から始まる、文字通りゼロからのスタートに

すべてを受け入れたうえで持てるすべての力を注ぐ、宝良の苦闘。

マイナーな車いす業界の中にあって

さらに小さな「競技用車いす」のエンジニアを目指す、百花の奮闘。

メジャースポーツには程遠い「車いすテニス」というシビアな現実のなか

それでも・・いや、だからこそ、それぞれの限界と可能性に向き合う

選手、家族、コーチ、関係者の真摯な言動が、涙腺を絞りにかかる。

 

とりわけ上巻(Side百花)の後半部分は、"反則ギリギリ゛技の連発だ。

一年前に罹った脊髄炎で下肢まひが残った小学五年生の女の子、みちるが登場。

母親の強い勧めで、彼女に特注のバスケ用車いすを作ることになるが・・

車いす生活という現実に押し潰されかけた、みちるの深い絶望感。

我が子の幸せを一心に願う母親の、捨て身にも近い切実な想い。

二人の間に挟まれ、不安と焦りを募らせゆく新人エンジニア・百花の葛藤

それぞれが、それぞれの立場から、同じ結果を目指しているはずなのに

どうようもなくすれ違い、バラバラに離れてゆく、もどかしさ。

そこに読者が、自身の"体験"を重ね合わせてしまったら、もう他人事とは思えない。

 

物語の舞台は「車いすテニス」と「競技用車いす」という

極めて狭い世界に限定されている。

しかし、そこで交わされる言葉のひとつひとつ、行動のひとつひとつは

つまるところ、"人生とは?""生きるとは?"のような

最も普遍的な問いかけへの、優れた「回答」になっている。

だからこそ読者は、激しく叩かれ、揺さぶられ、胸と心と眦を熱くするのだ。

 

・・というように、こっぱずかしいほど手放しで絶賛してしまったが。

実は、ただ一点。

"画竜点睛を欠く"がごとき不満が、厳然と存在している。

それは――表紙のデザイン(絵柄)。

 

正直、愛読する『本の雑誌』でべた褒めだったから購入したけど

何の予備知識もなく"ジャケ買い"する可能性は、限りなくゼロに近い。

だってこの表紙に描かれているのは、二冊とも「かなり昔の女子高生」でしかない。

おそらく売り手は、10代20代の若い世代に親しみを抱いてもらうために

こんなジュブナイル風キャラクターを前に出したのだろうけど・・

正直、それは逆効果だ。

内容の充実ぶりを伝えるどころか、薄っぺらなイメージしか伝わって来ない。

確かに、今アニメ放送中の『ラブ・オール・プレー』をはじめ

いわゆる"学生スポーツもの"は、アニキャラ風の表紙が多いけれど

本書のなかに、「部活動テイスト」はいっこもない。

 

少なくとも、裏表紙の「あらすじ」に目を通すまでは

表紙の印象は、高校のクラブ活動の話か? それもだいぶ昔の。

あれ、でも高校に「車いす部」なんてあったかなあ・・

――なんて、よくある〈学校スポーツ小説〉のひとつとしか思えなかった。

 

いや、冗談抜きで。

この表紙を見て、書棚に戻してしまった"ジャケ買い族"は、少なくないはずだ。

だから、余計なお世話と知りつつも、一読者からのご提案。

可及的速やかに「新装版」を作ってほしい。

妙に古びたアニメ絵にはお引き取り頂き、上巻(Side百花)は一面オレンジ

下巻(Side宝良)は一面ブルーと、スタイリッシュに。

文字も読みやすくシンプル&ストレートに、二行並べれば充分。

とにかく、中途半端に若者に迎合した雰囲気は、本書にとってマイナスでしかない。

もっと胸を張って、ハードルを上げなくちゃ。

そうすれば、きっともっとずっと、売れるはずだよ。

だって中身は、ピカイチ!!なんだから。

 

ではでは、またね。