コスモス畑で心も晴ればれ 京都ふたり旅 2021.10.4-7 3日目(その1) 京都駅🚃近江八幡~野田町コスモス畑~武佐駅🚋近江八幡

2021年10月6日(水)

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        野田町のコスモス畑。見学も立ち入りも自由自在。

 

旅の3日目は、しばし京都市内から離れ

琵琶湖東岸へと足を延ばすことに。

 

朝8時前、通勤通学客で混雑する京都駅構内を歩き

唸異の片隅にある「つくもうどん」で、軽く朝ごはん済ませてから

0番線を8時20分に出る快速電車に乗車。

8時56分、近江八幡駅に到着する。

 

ここで「お~み満喫パス」という1日乗車券を購入し

可能な限りあちこちに行ってみる、というのが本日の主な目的だった。

近江鉄道近江鉄道バス湖国バス全線が、乗り降り自由。

加えて、八幡山ロープウェー1往復未利用で2000円という

お得なキップなのだが・・

どこで売っているのかわからず、駅の内外を歩き回ることしばし。

ようやく近江鉄道の改札(というか詰所?)で、手に入れることができた。

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    ようやく「お~み満喫パス」をゲット。ここまで長かった。

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              がんばれ「がちゃこん」!

 

では、出発するか。

と思ったが、「パス」の購入に手間取り、近江鉄道にはタッチの差で乗り損ねた。

次までは、30分ほど待たねばならない。

そこで当初の予定を変更。徒歩で目指すことに。

人気のない駅前広場をあとに、とことこと歩きはじめる。

この日最初の目的地は、野田町のコスモス畑。

ネットのニュースで見ごろだと知り、今回のお出かけルートに組み入れたのだ。

場所は近江八幡から1.4キロほど東。

あいにく電車もバスも、近くを通ってくれない。

車移動か、25分ほどかけて歩いて向かうしかないのだ。

今回の旅はレンタカーなし。もちろんタクシー利用は論外だから、歩くのみ。

 

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         田んぼの中をトコトコ。のどかなお散歩風景。

    

スマホのマップを頼りに、一戸建てが並ぶ静かな住宅街を進むこと15分。

目の前に、のどかな畑エリアが広がった。

よく見ると、その一角が鮮やかなマーカーを引いたようにピンク色に染まっている。

路上に数台の車が停車し、のんびり行き来する人の姿も確認できた。

あ・・あそこだ!

歩く速度が、自然と早くなっていく。

幸い、朝方頭上を覆っていた灰色の雲は徐々に薄れ

鮮やかな青空が、あちこちに顔を出していた。

 

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        決して広くはないけど、立ち入り自由なのは嬉しい。

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          青空が広がると、花の美しさも〇割アップ。。

 

コスモスの花が咲いていたのは、広い畑のうち

一本の道を挟んだ6面ほどだったか。

そのうち2面は、まだ花盛りを迎えていない。

それでも、ピンク・赤・白など様々な色合いのコスモスが

咲き乱れるようすは、ぼんやり思い描いていたよりも美しく

青空とのコントラストもあいまって、おもわずため息が漏れてしまうほどだった。

なにより、畑の中に自由にはいっていくことができ

自分の好きなアングルで写真を撮れることが、嬉しかった。

あくまで地元の観光地らしく

訪れていた人は、みな近所から自家用車をころがし、ちょっと立ち寄った様子。

保母さんに連れられた幼稚園児たちも、大喜びで駆け回っていた。

 

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                駆け巡る"幼春"

 

このまま椅子を持ち出し、お茶でも飲みながら眺めていたい気分だったが

せっかく金2000円で「お~み満喫パス」を購入したものの

まだ、これっぽっちも使っていない。

せめて元を取らなければ・・先を急ごう。

 

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                                            またもや「夏」がやってきた。

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             近江八幡の次の駅「武佐」

 

近江八幡駅に背を向け、近江鉄道の線路を右手に見ながら、さらに先へ。

気が付けば、昨日一昨日と変わらぬカンカン照りの下。

汗をかきかき、歩くこと10数分。

細い街道沿いにボツンとたたずむ駅舎に到着した。

駅の名前は「武佐-むさ」。

いかにも由緒ありそうな地名だと思い、備え付けの案内板を見たら

それもそのはず、江戸時代まで中山道の宿場町として賑わったのだという。

その知識を頭に入れてあたりを見渡すと

確かに道の描くゆる~い曲線が、昔の街道の雰囲気を残しているように思えた。

 

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       元・中山道の宿場町。無人駅ながらも、風格あり。

 

ま、歴史談義はともかく。

どこにも日陰のない、炎天下?の畑地を歩いて来たので、早くも汗まみれ。

喉もカラカラだった。

幸か不幸か、直近の近江八幡行きは出たばかり。

この無人駅で、30分ほど過ごさなければならない。

手近な自販機で、冷たい飲み物を購入。

線路を渡って、誰もいない近江八幡行きホームのベンチでひと休み。

 

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           30分近くの間、駅を"ふたり占め"。

 

水色の電車がトコトコやってくるまで

ときおりサヤサヤと吹き抜けるそよ風を浴びながら

ぼーっと過ごしたひとときは

この日体験した〈気持ちいい〉の、ベストに近いような気がする。

 

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     キュートな車両。余裕があれば、彦根まで乗りたかった。

 

結局、近江鉄道の電車を利用したのは、この武者⇒近江八幡間の一駅区間のみ。

次回の目標は、近江鉄道・全線制覇!?

 

振り出しの近江八幡駅に戻ってきたのは、11時ちょっと前。

この後は、近江鉄道バスに乗って、琵琶湖畔の名刹長命寺へ。

目的は参拝・・じゃなくて、その先にある

「琵琶湖一望の絶景ランチ」で評判のカフェレストランだ!

 

ではでは、またね。

なぜか心が"ほっこり"する「迷宮攻略物語」 『ダンジョン飯①~⑪』九井諒子 周回遅れのマンガRock

ダンジョンの主・魔術師を倒すため、最奥部へと乗り込んだ騎士ライオスら一行。

だがあとひと息のところで、ドラゴンに襲われ全滅の危機に。

妹ファリンの転移魔法により、辛うじて地上に戻ることができたが

その代償として、彼女はドラゴンの腹の中へ。

完全に消化される前に助け出し、復活の魔法をかけないと、妹は助からない。

まさに一刻を争う状況だが、財布はカラ。

となれば、充分な装備も食料も揃えることができない。

そこでライオスが繰り出した「奥の手」こそ

――ダンジョン内のモンスターを食らい、妹の救助に繰り出す!

というものだった。

 

要するに、自給自足によるダンジョン制覇・・なのだが。

本書を読み始めてしばらくの間は

どうせ料理漫画の異世界版だろう。料理がらみのウンチクがどんどん出て来て

ダンジョングルメ対決!とか料理バトルがおっばじゃないかな。

などと、〈グルメ一辺倒ストーリー〉を予想したのだが

・・読み進むにつれて、こちらの描いた想定からどんどん外れていった。

 

2巻目あたりまでは、各話ごとに新しいモンスターが登場し

それを退治⇒調理⇒食べる、というスタイルを維持していたのだが

話が進むにつれ、〈グルメパート〉は少しずつ縮小。

"腹が減ったので、入手した食材(モンスター)を使って食べる"という

ダンジョンで生き抜くための一要素にまで後退していった。

 

代わりにクローズアップされたのが

ダンジョンに関わる人々が抱える、様々な動機や裏事情。

そこに暮らすモンスターや獣人たちにまつわる、生態系の話。

さらに、いったんは復活に成功した妹とダンジョンを守るため

迷宮の主を目指す主人公と、それを阻止しようと現れたエルフ軍との戦い・・

と、文字にするとシリアスなバトルシーンが浮かんできそうな内容だが

実際のところは、主人公を含めた登場人物が繰り広げる

奇妙にとぼけたコミカルな言動のため、なんかもグダグダな展開なのだった。

 

でも、正直なところ、どれほどヤバイ状況に突き落とされても

決して"のほほん"を忘れず

ひとまず食べて飲んで 体を洗って眠ろう 明日のために (11巻81ページ)

常に能天気な前向きぶりを発揮してゆく主人公の騎士・ライオスと

あーー嘘ついちゃった(11巻129ページ)

その場のノリだけで猪突猛進するエルフのマルシルが面白く、目が離せない。

 

いったいどこまでが「計算通り」で、どこからが「なんちゃって」なのか

どうにも判然としないものの

登場時には怖ろしげに描かれていた恐怖の魔法使いシスルも

エルフの迷宮調査隊「カナリア」も、どんどんボロを出してヘッポコになっていく。

この調子だと、この後どれほど厳しい窮地に突き落とされようとも

最後には、みんなでファリンの肉?をぺろりと平らげ、彼女を救ってくれるはず・・

そんな、"なんかとなるなる感"に満ちているのだ。

 

とにもかくにも、登場人物ひとりひとりが、"やりたい放題"生きている。

「ご都合主義」と言われてしまえばそれまでだけど

いかなる悪役にも、〈可愛らしさの標準装備〉を忘れず

そしてなにより、生活のカナメ・食事を決してないがしろにしない。

ギャグとシリアスと見事な〈闇鍋〉をこしらえている本作を

今後も新刊が発売されるたびに、何度でも1巻目から読み返すことだろう。

 

ではでは、またね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"疑問"なきところに、成長なし 『ウエストがくびれた女は、男心をお見通し』竹内久美子 周回遅れの新書Rock

30年近く前のデビュー作『そんなバカな!』以来

新刊が出るたびにチェックしている

小説以外の分野においては、数少ない著者の一人である。

最近では、これまでに世界中から集めた研究結果に最新情報を加え

「子孫を残しにくいにはずなのに常に一定の割合を保ち続ける」同性愛のパラドックス

に挑んだ『フレディ・マーキュリーの恋』で、斬新な視点を提示してくれた。

 

なぜそんなにも、彼女の著作を贔屓にしているのか?

その理由は、日々の生活を送るうち

目の上に少しずつ積もり続けた"常識"という名の「ウロコ」を

大胆不敵な〈仮説〉の刃で、一気呵成にそぎ落とすことができるからだ。

 

冒頭の「はじめに」で、いきなりこう来る。

何ら差別的な発言をしていない人までもが言葉を切り取られ、差別しているとされ、重要な役職を辞任に追い込まれている森喜朗氏(東京五輪パラリンピック組織委員会元会長〉の「女性は話が長い」発言などはその代表例だ。

そもそもやたら話が長いのは森氏だと指摘されてるほどだが、その長い発言こそが言葉を切り取りやすくしている。

森氏は「女性っていうのは優れているところですが、競争意識が強い。誰か一人が手を挙げると、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発現されるんです」と言っている。

たぶんこの点が「女性は話が長い」と端折られたのだろう。

しかし続いて「私どもの組織委員会にも女性は七人ぐらいいますが、みんなわきまえておられます。お話もきちんとした的を射たものが集約されて非常に役に立っています。欠員があると、すぐ女性を選ぼうということになるわけです」とある。

一般論としては、女性は話が長いが、私どもの組織委員会にはわきまえた方ばかりで、役立っている。欠員が出ると女性を選ぼうということになる、と女性を褒めているのである。

しかし切り取り報道は独り歩きし、NHKなどは、五輪出場候補選手や元五輪選手に森氏の発言を問題視させるよう誘導するインタビューをして繰りかえし報道した。

さらには駐日の、ドイツ、フィンランドアイルランド、スゥェーデンなど、欧州の大使館員(女性)がSNS上で「男女平等」(Gender Equality)のハッシュタグまでつけて全員、同じポーズをとって拡散した。

日本は男女平等ではない国だとアピールしたいらしい。              (4-5ページ)

私が後から知ったことには、森氏ほど調整能力に優れた人材は他になく、しかも無償でこの困難な仕事を引き受けていたという。八十三歳という高齢のうえ、がんと闘いながら、生涯最後の仕事に打ち込んでいた。そのような人物を、ただの言葉の切り取りから辞任にまで追い込んだ狂気の背景にあるのがPC(ポリティカル・コレクトネス=政治に正しいことを目指す運動※うたた加筆)なのだ。           (6ページ) 

 

この騒動が起きたとき、〈切り取り報道〉を信じて"森降ろし"に賛成した過去を恥じるとともに、昨今の「眞子さん結婚騒動」にも通じる

注目されさえすればどんなに根拠の薄いことを叫んでも許される。

といわんばかりのマスコミの厚顔無恥に、果てしない不安を抱いてしまった。

 

そんなわけで、のっけからボロボロ落ちてゆくウロコを後に、本文に分け入ってゆく。

上の調子で引用したら大長編になりかねないので、サブタイトルを並べたい。

○コロナ禍の不安が出産ラッシュにつながる?

○多くの日本人はとっくに新型コロナに感染していた

○浮気を見破るには重い荷物を運ばせてみよう

○大人の女が怖い男たち――小児性愛の生物学

○結婚するとヤル気が失せ、浮気のときには精子も張り切る

○仲の良い夫婦が顔まで似ている理由

○妻が浮気しないと父親になれない男がいる

○無意識にいくらでもうそをつく女、恐るべき

○夫のマスターベーションは子づくりに効果バツグン

○異常なほどの秋篠宮家バッシングは何のため?

女系天皇によって皇室が「小室王朝」「外国王朝」となる日

○美男美女は健康で長生きするという酷(むご)い現実

○娘がお父さんを「くさくない」と言うのは優しいウソ

○なぜ男は女より背が高いのか――身長と繁殖の相関関係

○紅葉は「免疫力」のアピールであるという仮説

○"冬期うつ"には哺乳類の冬眠と同じ効能がある

○あなたやお子さんが独創性を発揮するための魔法

○ある分野(ジャンル)が好きでたまらないのは、あなたに才能があるから

 

いずれ劣らぬ「眼ウロコ=仮説」の宝庫。

特に気に入ったものだけをピックアップしたが、20本近くになってしまった。

これら見出しの論拠は、世界各地の研究機関で発表された生物学の論文だ。

著者は、それを現実世界の様々な問題とリンクさせることで斬新な視点を獲得。

ええっ!? と目を惹く結論を導き出している。

       

なかでも今回、なるほど、そういうことだったのか!

と、"心の膝"を何度も打ったのは

いま眞子さんがらみで話題沸騰の皇室後継者問題。

これまでは、別に女性天皇だっていいんじゃないの?

過去に女性の天皇だっていたんだから。

・・などと軽く考えていたけど、トンデモナイ大間違い。

「男系でしか子孫に伝わらない遺伝子」があって

だからこそ日本の皇室は〈万世一系〉と胸を張ることができたのだ。

と、初めて心から納得させられたのだ。

 

ちなみに巷では、彼女の著作を指して

信用に値しない「トンデモ仮説」ばかり並べる大ウソつき!

など、詐欺師まがいの批判を浴びせる声も少なくない。

だがそれは、文字通り〈トンデモなく〉マト外れな誹謗中傷にすぎない。

 

そもそもこの世の中に、100%確実な情報が、どれくらいあるというのか?

 

例えば、アインシュタイン相対性理論

宇宙のありかたを理解するために、欠かす事のできない理論だが。

その名の通りいまだ「理論=仮説」にすぎず

科学的に証明された事実(真理)ではない。

彼の発表した理論以上に世界の現象を的確に説明できるものがない。

だから、現時点では、とりあえず「これが正しい」ことにしているだけなのだ。

 

他にも、「宇宙はいつどのように始まったのか」「宇宙の果ての先には何があるのか」

「生命はなぜ発生したのか」「死後の世界はあるのか」「宇宙人は存在するのか」

などなど、我々が日常生活の中で自覚している㎜からせいぜい数千キロの範囲を超える

世界に関する知見は、その大部分が「その可能性はある」という仮説の中から

もっとも現実にフィットしたものを、《一時的な正解》に定めただけにすぎないのだ。

 

そんないーかげんな基準を並べているだけなのに

揺るぎない大地で暮らすのように、我々は日々を過ごしている。

だから、新しい証拠や遺跡が発見されるたびに

教科書に明記されていた歴史的事実は、一瞬で書き換えられてしまう。

おなじように、どこかの自称専門家が

「ガンの予防・治療効果(の可能性)あり!」と主張したプロポリスに関しても

「可能性はない」と科学的に証明されるまでは

「ガンの特効薬」として、大手を振って販売されていた。

ブルーベリーも、 「視力を改善させる効果なし」と立証されるまでは

"目がよく見るようになった!"体験談とセットで、宣伝されまくっていた。

(今なお目に効くという印象操作と共に販売活動は続いている)

 

「可能性が存在する」限り、誰にもその「仮説」を否定することはできない。

だから、どれほど根拠の薄い"思い付き"に過ぎなくとも

科学的に「NO」が宣告されるまでは、「理論」として容認されている。

この世の中で、(現時点の)「正解=常識」とされるものごとは

無数に存在するこの手の「理論」の中で

"最も多くの人が納得できる仮説のひとつ"に過ぎないのだ。

 

いささか乱暴ではあるが、これが現実世界の《実情》なのである。

 

従って――話は元に戻るが

「仮説」は「可能性」の提示であり、単なるホラ話ではない。

それどころか、「可能性」が存在する限り

いかなる「仮説」もまた、〈真実〉の座に登り詰める権利を有している。

憂うべくは、少しでも自身の「常識」を超えたものに出会うと

脊髄反射のように"トンデモ話"と決めつけ

自分の半径数メートルの外に視野を広げようとしない

日常と慣習の内側が世界の全てだと思いこみ、あらゆる変化を拒む意識なのだ。

 

う~ん、今回はお説教臭プンプンになっちまった。

30過ぎたふたりの娘にも、「お父さん、くさい!」と言われそう。

 

ではでは、またね。

効果絶大の"脳トレ本" 『バベル 書きおろし日本SFコレクション NOVA+ 』編・大森望 周回遅れの文庫Rock

なんだか最近、就寝前の読書がはかどらず

"途中で止めるに止められず、読み終えた時は朝だった"

などという「小説世界への没頭」はもう年齢的に無理なのか・・。

そう諦めかけていたアラカン活字中毒者にとって

本書は、久々の"徹夜本"である。

 

とはいうものの、実はこの本。

前半の3&4作目に差し掛かったところでは、一晩で50ページも読み進めず。

毎回読書開始から30分以下に、あえなく「寝落ち」するという

"各駅停車モード"で、辛うじて読み進めていたありさま。

いったいなぜ、そんなノロノロ運転に陥ってしまったのか?

「復活」を遂げたいまなら、原因を示すことができる。

早い話――脳の中がコチコチに固くなって(シナプスが錆びついて)いたのだ。

 

10代前半から「SF小説」の魅力に取りつかれ

以来半世紀余り、一定の割合で内外のSF小説を読んできた(つもり)だったが

改めて振り返ると、過去作(主にシリーズもの)の再読だったり

現在の科学技術の延長線上で話が展開する(宇宙モノやスペースオペラも)

"既存の世界観の延長線上で読み解ける"、「楽なSF」ばかり並べていた。

 

レーニングを怠っていれば、否が応でも衰えるのは

肉体も脳も、変わらない。

その結果、最新(7年も前だが)の作品

特に、"一歩先の概念"を必要とする尖った(?)SFが理解困難に陥ってしまった。

本アンソロジーの第3作『ノー・パラドクス』(藤井大洋)と

続く『スペース珊瑚礁』(宮内悠介)が、まさにその〈ダブルパンチ〉といえる。

なかなか頭の中に収まってくれない箇所を何度か読み返すことで

かろうじて理解はできたが、正直、半分ほどはチンプンカンプンのままだった。

ここにきて、もう最新のSFには手を出さない方がいいのかな・・

などと、弱気になったのだが

幸いなことに、その次が『know』と『バビロン(Ⅰ~Ⅲ)』で夢中になった

野崎まどの短編だったので、ここで撤退してなるものか!

と、気合を入れ直して『第五の地平』を読み始めると。

 

これがまた、予想の斜め上を超音速ですっ飛んでいく「トンデモSF」。

かの英雄チンギス・ハーンが、宇宙の大草原を次々と制覇。

その覇権は次元の壁すら乗り越えてゆく・・

 

――――ここでようやく、目が、覚めた。

そうだよ・・・・SFって、"なんでもあり"だったんだ!

 

次の瞬間、同じ狭いエリアだけをちまちま繋いでいた脳細胞シナプス

ぐぐぐっと触手を伸ばし、長らく途絶えていたルートが次から次へと蘇ってゆく。

・・ような気がした。

大げさな言い方だとは思うが、実際、脳みその"使ってなかった場所"が

ようやく動き出した感触なのだ。

 

次作『奏で手のヌフレツン』(酉島伝法)も、3.4.5作をさらに凌駕する

〈疑古典異世界SF〉ともいうべき難敵だったが、もう大丈夫。

時代小説をひとまわり難解にしたような独特な語り口と

球形スペースコロニー風「世界」の内側を

人柱となった人間たちの足を蠢かせ巡り続ける"太陽"の凄まじさ――

 

常識から解き放たれ、空想世界で自在に心を飛躍させる興奮が

久方ぶりに、この身を包んでいた。

 

そして、本書の表題にもなった『バベル』(長谷敏司)。

現代社会のちょっと先を描いたリーダビリティ抜群の本作で

読者(俺だ)の興奮は最高潮に達する。

本アンソロジー最長の110ページを一気呵成に読了。

今話題の『残像に口紅を』(筒井康隆)へのオマージュだと思われる

最終作『Φ(ファイ)』(円城塔)を読み終えると

窓の外は見事な秋晴れ、時計の針は8時44分を指していた。

実に、数カ月ぶりの〈貫徹読書〉。

―――ごちそうさまでした。

 

てなわけで、少なくともうたた(俺だ)の脳は、見事復活を遂げた。

諦めずに読み続ければ、「理解の門」がドーンと開く!・・こともある。

そんなふうに実感できた、得がたい読書体験だった。

やっぱりSFって、すごい!!

 

ではでは、またね。

「聴き歩き派」は、迷わず"買い"。 DENON AH-C830NC を買ってみた(主にSONY WF-1000XM3との比較)屋外編 Make-Makeのススメ

昨夜購入したDENON AH-C830NCを装着し

午後の散歩に出発した。

その際、いろいろ実感できたことは、以下のとおり。

 

まず、今さらなのだが・・接続が早い!

というか、蓋を開けた瞬間に接続が完了している。

今では当たり前の機能だと思うけど

1年半愛用していたSONY WF-1000XM3だと

起動するたびにペアリング作業が必要だったので

この「ひと手間」がないだけで、かな~りストレスが減少した。

 

んで、肝心の【遮音性】。

ノイキャン機能をオンにして、実際に路上を歩いてみる。

頭上を飛ぶジェット機の爆音や、行き交う車のエンジン音といった

低音域の雑音は、ほぼ綺麗に消し去ってくれた。

しかし、シャーという車の走行音、工事現場の作業音

店内で流れている音楽など、中高音域に関しては

SONY WF-1000XM3(以下XM3)に比べ、少々分が悪いようだ。

逆に言えば、多少の重量や扱いにくさがプラスされようと

「ノイキャン機能」を追究したのがSONY製イヤホン、てことなのだろう。

 

そんなわけで、あくまで〈ノイキャン命〉。

加えて、移動中の車内や機内で使うことが中心の人であれば

SONYの新製品 WF-1000XM4を選んだ方が、ガッカリせずに済むはずだ。

 

だが、私(うたた)同様、"音楽を聴きながら歩く"使用法がメインの人なら

迷わず、本機をオオスメしたい。

その理由は、繰り返しになるが――〈装着ストレス〉の圧倒的低さ。

 

実際に2~3時間歩き回って、改めて実感したのだが。

とにかく、フィット感が軽くてソフトなのだ。

XM3の装着時、常に感じていた"耳穴へのプレッシャー"は、かけらもない。

見事なまでにストレスフリー。

3時間近い「歩き聴き」から戻ったあとも

〈バッテリー警告音〉が鳴るまで、ず~っと装着し続けていた。

多かれ少なかれ"徘徊リスナー"であれば

わずかな「ノイキャン機能差」より、この快適さに一票を投じるはずだ。

 

〈警告音〉の話が出たので、それについてもひと言。

フル充電の状態から連蔵再生を続けていたら、かなり大きな3連音が鳴った。

これが「バッテリー減少(充電のススメ)」のお知らせなのだろう。

その後も、10分?おきに同じ音が2~3回繰り返されたので

充電ケースに戻したけど、そんなにしつこくなくていいんじゃないかな。

たまたまその間、バッハのマタイ受難曲(3時間以上かかる)を

ずーーっと聴き続けていたので、3連音が鳴るたびに静かな合唱が中断され

"邪魔された感"がハンパでなかったのだ。

この「お知らせ音」を含め、ひとつひとつの操作音がかなり大きく

ストレスレスの本機で、唯一ともいえる〈ストレス源〉になってしまった。

 

もし今後、オンラインで操作オプションが整備されたとしたら

左側に「ボリューム調整機能」を付加することの次に

「操作音のオン・オフ」をプラスするよう、強く希望する。

 

昨日にも増してまとまりに欠けていたが

DENON AH-C830NCに関する感想は、とりあえずそんなところかな。

あれこれ重箱の隅を突っついてしまったけど

基本的には十二分に満足してるので、そのへん誤解なきように。

 

実際、《理想のノイキャンワイヤレスホン》までは、あともうひと息。

上に挙げた「ボリューム調整」と「操作音」問題をクリアして

欲を言えば、SONYのXM4に匹敵するノイキャン機能装備、あたりだろう。

諭吉が1人増えても、即購入するぞ!

 

興味のない人にはまるっとスルーされるに違いない話題だけど

個人的には、けっこうノリノリで書けた「新製品レビュー」だったよ。

 

ではでは、またね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

超軽☆麗音☆ノーストレス。 DENON AH-C830NC を買ってみた(主にSONY WF-1000XM3との比較) Make-Makeのススメ

去年3月に購入したワイヤレスホンSONY WF-1000XM3だったが

10日ほど前、いきなり左側のBluetooth機能がダウン。

片方しか使えなくなったため、急遽代わりの機体を探した。

 

音楽プレーヤーとイヤホンに関しては

初代カセットテープウォークマンの時代から

長年ほぼSONY一択でチョイスしてきたが

今回、本体よりも高価な商品がわずか一年半で自然故障したことを受け

別メーカーに乗り換えることに。

 

すると、中国メーカーなど格安製品の情報に交じって

DENONが、初めてノイキャンイヤホンを発売したというニュースが!

実は十年以上前、DENONのイヤホン(有線&ノイキャンなし)を買ったところ

とても自然な音が好みにピッタリ。

おまけに今も現役で使用可能という、驚きの耐久性を誇っているのだ。

さっそく評判などをチェックしてみると、予想以上の好感触。

そんなわけで、これも何かの縁・・と思い、迷わず購入することに。。

(黒は「入荷待ち」だったのですぐに使用できる白を選んだ)

 

で、つい1時間半ほど前に、現物が届いた。

いそいそ箱を開ける・・・・小っさ。

充電器を兼ねたケースのサイズは、WF-1000XM3(以下XM3と略す)と比べると

二回りほど小さく、しかも重さは3分の1程度?

これなら、持ち歩いても荷物にならない。

 

ともあれケースを開け、中に収まっていたイヤホンから絶縁フィルムを剥がす。

「絶縁フィルム」とは、イヤホンの背中側に細長く貼られた細長いテープ。

白バージョンだと、青い装飾ラインのようにも見える。

※最初のうち、この「絶縁フィルム」の存在に気づかず、何度もペアリングに失敗。

 ひょっとして不良品かも・・などと、不安になってしまった。

 

試行錯誤すること数分。

ようやく、ああこれが絶縁フィルムだったのか! と気づいてペリペリ剥がす。

そこから接続完了までは、ほんの一瞬。

ボリュームを低めにセットし、右イヤホンをトンと叩いた。

 

それから2時間近く。

ずっと本器で音楽を聴いたまま、この文章を打ち込んでいるのだが。

以下、思いつくままの感想を並べてみたい。

 

まずは、装着感など。

とにかく、軽い!

XM3がけっこう重く、常に〈装着感〉を意識せざるを得なかったことに比べれば

冗談ぬきに"着けていることを忘れる"ほど、ソフトでライトな使用感だ。

それに、イヤホン本体の出っぱりもほぼないので

XM3使用時に悩まされた、「汗を拭く時に触れて落とす」危険からも解放される。

実際、夏場の散歩中、汗を拭いた拍子にイヤホンが外れる事態が続出。

橋の上で片方落としてしまい、危うく"川ポチャ"になることもあったしね。

 

続いて、操作感。

「軽さ」と「コンパクトさ」にこだわったのだろう

本器をタッチしてできる操作は、左右とも1形式のみ。

右は、1回タッチ/プレイ&ポーズ 2回/一曲先へ 3回/1曲前へ。

左は、タッチするごとに「ノイズキャンセル⇒周囲音ミックス⇒オフ」と切り替わる。

と、きわめてオーソドックスな機能に絞られている。

このあたりは、幾通りもの操作が選べたXM3の勝ちだろう。

個人的には、本体側でしか音量コントロールできないのが、ちょっと痛かった。

ロック、ポップス、アニソン、ジャズ、クラシック、ワールドミュージックなどなど

ジャンル不問の"闇鍋スタイル"で1万7千曲をランダム再生しているため

音量を揃える本体の機能を活用しても

曲の切り換わりで突然大音響が爆発する、なんて事態も少なくない。

だけど、機能を削ったおかげで、装着感ほぼゼロの快適リスニングが楽しめるのだ。

プラスマイナスで考えれば、圧倒的にプラスといえる。

 

でもって、音質。

正直なところ、それほど耳がいいわけではない。

またいい歳なので、周波数の高い音域が聴き取れなくなった。

それでも――きわめて素直で聴きやすい音であることは、断言できる。

低音・中音・高音いずれもナチュラルに再生されているし

気のせいかもしれないが、一つ一つの音(楽器)の背後に空間が広がりを感じる。

なので、このまま何時間き続けてもストレスなしで過ごせそう。

逆に低音を強調したり、中音域を膨らませたりといった演出は感じられないので

いろいろいじって楽しみたい方には、他のメーカーをオススメしたい。

 

ノイズキャンセリング機能にも触れなきゃだけど

ず~っと自室のデスク前にいるから、バックグラウンド音?は「シーン」のみ。

再生曲以外に何も聞こえないので、失望することはないと思うけど、

このあたりは、明日の外出時に確かめてみよう。

 

使用後2時間(+30分)での率直な感想は、こんなところか。

早い話、「ボリューム操作機能」以外はSONY WF-1000XM3に圧勝!! だ。

思い付きで買っちまって、よかったよかった。

 

繰り返しになるけどDENON AH-C830NCのアピール・ポイントは

★装着感がメチャ快適! とにかく軽くて、ストレスフリー!

★"聴き疲れ"とは無縁のナチュラルな音像。地味だけど、これ大事。

 

なにはともあれ、明日からの"お散歩"が楽しみだ~~

 

ではでは、またね。

 

 

 

 

トラック地獄と癒しの西明寺 京都ふたり旅 2021.10.4-7 2日目(その4) 高雄(高山寺~西明寺)🚌四条烏丸~食堂デイズ

2021年10月5日(火) 京都市内 

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        四条河原町の夕焼け。みんなスマホで撮っていた。

肩透かしを食らったような気分で

高山寺の表参道をトボトボと降りていく。

それでも、まるで山奥のようなうっそうとした森のなかを

マスクをはずして、思う存分深呼吸しながら歩けるというだけで

今どきの日常生活では、そうそう体験できない〈幸せ〉なひとときだった。

こんなに深い山合だというのに、住所は「京都市左京区」なのだから

どこまで広いんだよ、京都市!?・・・なんて突っ込みたくなる。

 

ともあれ、"高雄三尾巡り"のひとつ、高山寺の次は

清滝川を少し下ったところに庵を編んでいる、西明寺だ。

地図(マップ)で確認したところ、そこまでの道のりは500m前後か。

7~8分も歩けば着いてしまう。

だが・・・その500mが、思いのほか、しんどかった。

なぜって、歩行者用の散策路が整備されておらず

ほとんどの行程で、周山街道と呼ばれる自動車道の路肩を歩かされたのだ。

しかもこの周山街道、京都の北西部を繋ぐ道が他にないためだろう

トラックなどの大型車が、かなりの頻度で往来している。

そのたび徒歩旅行者は、追い詰められたアリンコのように路肩に固まるしかない。

ブツクサ言っても、高山寺の境内を歩いている間は

自然度満点の、プチ・トレッキング気分で楽しめていた。

対して、轟音とともに去来するトラックに煽られ続けた、この十分足らずは

ひたすら耐える「苦行タイム」でしかなかったのだ。

 

てなわけで、高雄観光の注意点・その①

高山寺西明寺の間は、歩いて移動しないことをオススメする。

せっかくの〈自然体験〉が台無しになるぞ。

 

30分ほど歩かされた気分だったが

時計を見ると10分そこそこで周山街道から離れ

西明寺へと向かう間道に逸れることができた。

トラックのプレッシャーや騒音、排気ガスから解放され

車どころか人の気配もまったく感じられない下り坂を歩くこと、2~3分。

清滝川にかかる小さな朱塗りの橋・指月橋の前に到着。

これを渡って、登り坂&石段を数回スイッチバックして高度を稼げば

そこはもう、西明寺の門前だった。

 

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          指月橋。ここでようやく、ひと息。

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            とても風情のある、西明寺門前。         

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                緑"したたる"境内の情景

 

今度は、いい意味で"予想を裏切られた"。

決して広い境内ではなかったが、本堂も庭も鐘楼も手入れが行き届いており

高山寺で受けた〈廃墟感〉は、カケラもない。

自動車道路のトラック攻撃でゲンナリしていたこともあり

たまらず庭園内のベンチに腰を下ろし、しばらくぼーっとしていた。

その間も、我々以外誰一人訪れるものはなく

静かな西明寺の境内で、傾き始めた午後のうららかな陽射しを浴びるのだった。

 

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      いたるところモミジだらけ。紅葉の時期はさぞかし綺麗な・・

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     ありがとう西明寺。おかげで、気持ちよく帰ることができたよ。

 

高雄といえば、もうひとつ、高野山真言宗名刹神護寺」が控えている。

当初のゆるい計画では、時間に余裕があればそちらにも寄るつもりだったが

途中の〈トラック地獄〉で受けたダメージが予想外に大きく

うーん・・高雄は、もういいかな。

という気分になっていた。

 

ひとまず西明寺でまったりできたから、今回はここまでにしとこうか。

急いで回れば行けなくもないが、時間に追われる旅ほど哀しいものはない。

相方とも意見が一致し、"鳥獣戯画神護寺は次の機会に"ということになった。

来た時にメモしておいたバスの時間に間に合うよう

キリのいいところで西明寺を出発。

周山街道沿いにある槙ノ尾の停留場まで戻り

時間通りにやって来た四条烏丸行きのバスに乗った。

 

結局、高雄には正味1時間少々しか滞在していなかったが

それでも、往復のバス旅(計2時間)を含め

今まで訪れたことのない京都北西部への半日旅行は

豊かな自然のおかげもあって、思いのほか楽しむことができた。

・・ただ一点、〈トラック街道〉だけは、二度と歩きたくないけど。

 

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      しつこいかもしれないけど、この日の夕焼け空は凄かった。

 

西の空が赤く染まる頃、バスは四条烏丸に到着。

そこから東行きのバスに乗り換え、四条河原町で下車する。

目指すは、本日の夕食処。

昨年秋に訪れて以来、ぜひもう一度食べたいと思っていた「食堂デイズ」だ。

実はこの店、毎週水木曜日がお休み。

そう。予定していた琵琶湖東岸への小旅行を明日の水曜に偏向したのは

ここでディナーをいただくためでもあったのだ。

 

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      食堂デイズ。営業中は、前の路上に店名が丸く照射される

開店時間18時の5分ほど前、2階にある店の前に到着すると

我々の姿に気づいた店員さんが、一足早く中に招き入れてくれた。

まだ二回目なのに、すっかり常連気取りで席につき

黒板にチョークで書かれた、「本日のお品書き」を検討する。

一応、オムライス(卵料理)の評判が高いのだが

なんとなく目についたメニューを、相方と交互に注文した。

 

結局、この夜は

ゴボウのスープ。キュウリの??(忘れた)

鶏肉のタルタルステーキ。(生の鶏肉のタタキ!)

タイのカルパッチョ。・・などを、お酒とともにいただいた。

う~~ん、やっぱりおいしい!!

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       左が鶏肉のタタキ。初めての味覚に、舌もお腹もビックリ!

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       タイのカルパッチョ。店の得意技"煮凝りソース"が効いてる

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           見上げると、天井近くにワインラックが・・

 

コロナでなにかと大変だろうけど(この日もラストオーダーは20時)

どうか頑張って続けて欲しい、と切に願うのだった。

 

さあ、明日は京都を離れて近江へ。

近江八幡を中心に、琵琶湖東岸を旅するのだ。

 

ではでは、またね。