「ノンフィクション」って、そんなに偉いの? 『ジーノの家』内田洋子 周回遅れの文庫Rock

タイトルで誤解されたくないので、最初に断っておくが

本書は、文句なしに素晴らしい作品である。

 

一篇あたり、ほぼ30ページというショートストーリでありながら

風土や気候のさりげない描写や

登場人物のちょっとした言動のひとつひとつから

いままで何度か訪れたイタリアで体験したあれやこれやが

次々に湧き上がってくる。

読者である自分もまた著者と共に、出会いと別れを繰り返している。

そんな、胸のときめくひとときを過ごさせてもらった。

 

ただひとつ。

なんでわざわざ、そんな余計なことを言うのかな?

と、不快な気分にさせられたのは

本文ではなく、最後の「解説」だった。

引用しよう。

 

まるで、珠玉の短篇小説を読んでいるようでもあり、映画の一場面を見ているようでもある。とはいえ、ここに収められた各編はノンフィクションでありエッセイなのだ。

だから、人びとの温もりや息遣いなどが活き活きと伝わってくるのに、物語として熟成している。まさに極上のワインのような味わいなのである。  (301~2ページ)

 

これはフィクション(小説)とノンフィクションを明確に区別し

あわせて、後者を前者より上等だと考えていなければ、出てこない文章だ。

 

いやいや。そんなことないでしょ。

ブログ、ユーチューブ、インスタグラムなどなど

個人で自在に作品を作り、発信できるようになった現在において

「フィクションとノンフィクションは違う」という認識など

明らかに誤りだということに、なぜ気づけないのか。

 

たとえば、テレビで放送される「ノンフィクション」と謳った作品。

「これはすべてありのままの姿を記録したものです。

 ヤラセはもちろん、演技指導も誘導もおこなっておりません」

とかどれほど言い張ったところで、実際に撮られている人の前には

ビデオカメラ(スマホ)を構えたカメラマンが、べったり張り付いている。

これを意識せず〈ありのままの姿〉を見せることができたら、それこそ演技だ。

「いや、被写体がカメラの存在を忘れるぐらい、長期間日常に密着してます」

とか言われたって、そんな「異質の存在」が居座っているような〈日常〉自体を

《非日常》と言わず、何と言えようか。

 

ま、上記の件は、とうにあちこちで言及されているようだから、次に進もう。

 

問題は、そうやって「あくまでも客観的に記録された映像」は

決してそのままノーカットで放送される訳ではない、ということ。

そう。いわゆる〈編集作業〉が待ち受けている。

これは、撮影された膨大な長さの映像のなかから

撮影者(ディレクター)が伝えたいメッセージに沿ったものをピックアップ。

最も効果的に視聴者に伝わるよう

放送時間に合わせながら切り貼りしていく作業だ。

「伝えたいもの」だけを残し、邪魔になる「その他」は捨て去る。 

いったいこれのどこが、《ありのままの姿》なのだろうか?

 

同様の〈斬り捨て〉は、記録〔撮影〕するときにも

表現するときにも、誰もが当たり前のこととして実行している。

風光明媚な絶景にカメラやスマホのレンズを向けたとき

実際には手前に見える「ゴミの山」をファインダーに収めようとする人は

おそらく、いないはずだ。

(環境問題を告発するジャーナリストがいたか)

また、最後の力を振り絞って走る駅伝ランナーを撮影するときも

テレビカメラは、一緒に歩道を走ったり沿道で大騒ぎをする群衆の姿は

可能なかぎりカットしようと努力する。

 

そう。

ノンフィクションも、へったくれもない。

実在する存在(人物・スポーツ・事件・戦争etc.)を

どれほど「ありのままに」伝えようとも

《人の手によって発信される情報〔映像・文章・音声など〕は

 ひとつの例外もなく、"伝えたいこと"を表現するための【創作物】なのだ》

 

もちろん、本書『ジーノの家』も例外ではない。

どこまでが「本当」で、どこからが「創作(演出)」なのかは知らないが

少なくとも、著者が実際にその地に暮らし

各編のモデルとなった人物に出逢っただろうことは、想像できる。

でなければ、ここまで〈生々しい表現〉は生まれない。

とはいえ、「ドキュメンタリーなんだから一字一句事実のままだ」

なんて盲目的に信じてしまうのも、あまりに幼稚なスタンスと言わざるを得ない。

いちいち意識せずに、情景や台詞に色の違いのフィルターを何枚もかさね

「より美しく」「より心に響く」、いわゆる《いい話》へと昇華させたはずだ。

なにより、そうでなければ「作品」とは呼べない。

 

ひとことで言うと――

『俗に"ノンフィクション"と呼ばれるジャンルは、

 事実を題材にして創り上げたフィクションの一種である』――ってことだね。

 

だから、もう、「フィクションかノンフィクションか」

なんていうどーでもいい区別=差別はとっばらって

創作物の絶対的な評価基準である【面白いか、面白くないか】で

競い合っていけばいいんじゃないかな。

 

こんな当たり前すぎること、いまさら力んで意見する必要もないのだろうけど

あまりにもトンチンカンな「誉め言葉」に呆れたもんで

旅行記録を中断してまで書いてしまったよ。

 

ではでは、またね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"無料送迎プリーズ"の国 カッパドキア&イスタンブールの旅 2019.11.28-12.5 3日目(後編)Ara-kanふたり旅

2019年11月30日(土)

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ギョレメの夕焼け

カッパドキア観光のハイライトのひとつ

ローズバレーを南北に貫く

ほぼ無人のトレッキングルートをさ迷うこと

四時間あまり。

ようやくギョレメとユルギャップを東西に結ぶ幹線道路にたどりつき

何の表示もないやぱり無人のバス停小屋で途方にくれていた

われらArakanコンビ。

 

その目の前に、一台の古びた白いセダンが滑り込んで停まった。

え?なに?なにかマズいことやらかした?

・・突然の事態にビビる我らの前で、運転席の窓がスルスルと降りて

まだ20代と思われるショートカットの男性が、なにやら声をかけてきた。

英語みたいだったが、ヒアリング能力ほぼ皆無の我らに、理解できるはずもない。

それでも、前方を指差す手振りで

「どこに行きたいのか?」っぽいことであるのは、想像できた。

とっさに「ユルギャップ!」と、得意の〈1単語トーク〉を披露すると・・

ビッと立てた親指を後ろに向けた。

こ、これは、明らかに「乗せてやる」のサイン!!

 

ここで、どっかヤバいところに連れて行かれるのでは?

とか、法外な運賃をボラれるのではないか?

などという海外旅行者として当然抱くべき警戒心が浮かぶ前に

渡りに船とばかり応じてしまうのが、我らのモットー?

運転席と助手席に座った二人のトルコ人(たぶん)に向かって

へらへら笑いかけ、空いていた後部座席に乗り込んだ。

 

正直、やや乱暴に車が発進した直後。

――ひょっとして、断るべきだったかな?

一瞬、浮かびかけた不安を、なるようになれ、とうっちゃり投げる。

人を疑うことを知らない相方は、思わぬ送迎に興奮を隠せない様子だった。

 

その間にも、車は快適に走り続け

ほんの10分ほどで、目指すユルギャップの街なかに到着。

「ここでいいか?」と首を傾ける運転手に向かい

「OKOK!」と答えると、路肩に停車し

これまたジェスチャーで、降りるように伝えてきた。

わざわざ乗せてくれたのだから、いくらかの謝礼金を渡すべきでは?

それとも、何か日本の手土産の方が喜ぶかな?

と迷うまもなく、我らふたりが降りたと見るや、車は急発進。

あっという間に見えなくなった。

 

少しでも気を回せる奴だったら

乗った直後に謝礼を用意していたのかもしれない。

でも、余りにも彼らが、物欲しさや親切がましさをちらつかせず

〈当然のことをやっているだけ)という淡々とした雰囲気を漂わせていたので

こちらも、〈うん、当たり前のことだね〉と応じただけのこと。

今回は「日本人」という国籍も伝わっていなかったので

おそらく同国人を含めた旅人全般に対する、日常的な行為なのだろう。

このポスピタリティには、すっかり旅ズレしていた我らも

少なからず感動してしまった。

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ユルギャップの町はずれ

ともあれ、結局タダで訪れることができたユルギャップの街。

小ぶりで鋭い岩がニョキニョキ立っていたギョレメとは異なり

お椀を伏せたような大きく丸い丘が中心部のすぐ近くに2つほど迫っていた。

どうやら、どちらもが中をくりぬかれた穴居住居らしい。

ギョレメを「村」とすると、「小都市」と呼べるぐらい家も人も賑わっている。

商店街もあちこちに伸びており、掘り出し物が見つかるかもしれない。

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穴居の遺跡?

とはいえ、すでに時刻は2時近く。

ユニークな地形を鑑賞するより、腹の虫をなだめる方が先決だった。

事前にググッて調べておいたゼイディン・カフェという

バスターミナルのすぐ裏手にある店に入り

甘いものが食べたい気分から、ストロベリーパンケーキとチャイで昼食にする。

トリップアドバイザーのステッカーも貼ってある、若い人向けの店で

カッパドキアにしてはあか抜けた?雰囲気だった。

味に関しては・・うーん、甘~っ!・・という記憶ぐらいだなぁ。

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ユルギャップにもニャン

その後、街中をぶらつきながら、「歩き方」に載っていた土産屋など見て回る。

織物の店、陶器の店、アクセサリー店など

1時間以上かけて、5~6軒ぐらいハシゴしただろうか。

しかし、よっぽど気に入ったもの以外

〈土産物は荷物にしかならないから買わない〉方針が身についており

この町で買ったのは、ニベアのフェイスクリームのみ。

切らしていたことに気づいた相方が、化粧品店で特売品を発見。

「安い!」感激し、ほくほく顔で求めたものだった。

 

そうこうするうちに、日は傾き、夕方の気配が漂いだす。

通勤通学とおぼしき様々な年齢の人々が、バスターミナルを行き来していた。

旅先では、何が起きるかわからない。

夜になる前に、ギョレメに戻ろう。

アクシデントの連続だった昼間のことは都合よく忘れ

Ara-kanふたりはバスターミナルへ向かう。

 

前もって時刻表を調べておいたので、きっちり10分前に列に並び

地元の子供やおばさんたちに混じって、狭い小型バスの中へ。

だが、全部の席が埋まり、助手席がいっばいになっても、まだまた乗ってくる。

本来なら10人ちょっとしか乗れないはずだが

立ったままの乗客を含め20人以上を詰め込んだバスは

それでも定刻どおり発進。

いくつかの停留所に立ち寄りながら

30分ほどでギョレメのバスターミナルに到着した。

 

やれやれ・・と、懐かしさを覚えるようになった小さな中心街を見渡すと

燃えるような夕焼け空が。

あわてて見通しのいい場所を探し、赤く染まったギョレメの街を撮りまくる。

普段から空や雲を撮影するのが大好きなので

こうした異国の夕焼けに出逢うと、ついつい興奮してしまう。

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この空も、一期一会

さ。残るは、夕食だ。

町はずれにある、これまたネットで見つけた人気店CanCAn cafe&restaurantへ。

評判通り、明るく陽気でサービス満点のおかみさんが腕を揮ってくれた。

イチリキョフテ(トルコ風メンチカツ)、アダナ・ケバブピリ辛ケバブ)など。

いずれもクセがなく、予想したよりぜんぜん口に合う。

地元のビール、エフェス・ビルゼンをお供に、苦しくなるまで食べてしまった。

 

そしてホテルへの帰り道。

店先いっぱいにカラフルなランタンが並ぶ土産物店に、立ち寄ったときのこと。

若い男性の店員から「日本人か?」と聞かれ、「そうだよ」と答えると

満面の笑顔で「実は、私の彼女も日本人なんだ!」。

日本人の観光客と仲良くなり、いまもメールをやり取りしているらしい。

「同じ日本人だから、大サービス!」と言って

ひと抱えもあるランタンを、日本円にして1000円ぐらいで勧めてきた。

これも商売? いや、でも千円だったら確かに安いぞ・・

ちょっと迷ったものの、この後イスタンブールにまで持って行く手間を考えると

最後の一歩が踏み出せない。

結局、購入せずにホテルに戻ってしまった。

(数日後、イスタンブールの土産店で同じ品に倍額の値札が付いていた。

 ホントに大サービスだったんだなぁ)

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ちょっと残念な気もした、ギョレメのランタン

トルコに来てから、たったの2日。

なのに、1週間以上暮らしていたみたいな充実感!

これだから、海外旅行はやめられない。

 

ではでは、またね。

 

 

 

 

 

 

 

小鳥の羽音といっしょに歩く道 カッパドキア&イスタンブールの旅 2019.11.28-12.5 3日目(前編)Ara-kanふたり旅

2019年11月30日(土)

 

朝8時30分、2階のこじんまりとしたカフェで

地元の家庭料理が並ぶ、とてもおいしい朝食をいただく。

ギョレメで泊まったのは、Exprorer Cave Hotelという

4~5部屋しかない小さな宿で、おそらく家族経営なのだろう。

おかげで料理ひとつひとつが作りたてで

モチモチのパンと一緒に、いくらでも食べられた。

我らの他に2組ほどしか見かけず

テラス席から奇岩の街並みを眺めつつ

何杯もジュースやコーヒーをお替りして、くつろいでしまった。

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アットホームで居心地のいいカフェ・スペース

さて、今日は100%自由行動の「カッパドキア放浪Day」。

公共交通機関と自らの足だけを頼りに、近郊巡りを楽しむつもりだった。

いちおう午前中は、ローズバレー付近をトレッキング。

午後は、できればギョレメの東にあるもうひとつの奇岩の街・ユルギャップに移動。

そこで食事や街歩きを楽しもうかな・・というゆるーい予定だ。

途中で何かあったら、そのときはそのとき。

いつも結果オーライなので、すっかり根拠のない自信がついてしまっている。

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ホテルにもニャンの姿が

いったん部屋に戻り、もろもろの準備を済ませ

朝10時過ぎ、それぞれデイバックを背負って出発。

幸い、天気は絵に描いたような秋晴れ。

陽射しもなかなか強烈で、夜間の寒さが嘘のようだった。

アプリの地図で位置を確かめながら、北へ向かう道路に沿ってのんびり歩く。

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歩く人のいない道(みんな乗り物に乗っていた )

のどかな未舗装道路に入り、カササギを眺めながら歩くこと30分。

思ったより早くローズバレーの入口にあたるチャウシンに到着

東南に向かって伸びる細い道に入っていく。

いよいよ、カッパドキア・トレッキングの始まりだ。

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所々に立っている素朴な標識

するとさっそく目の前に、いかにも挑戦的なたたずまいの岩山が。

「登れるものなら登ってみろ」といわんばかり。

ならば、受けて立とうじゃないか!

――これでも、昔は南北日本アルプスを縦走した元山男だ。

斜めに駆け上がる山道に向きを変え

小石でザラザラ滑る足元を確かめながら、一歩一歩登っていく。

ところが、日本の登山道のようにきちんと整備されていないらしく

途中で道が消えたり、行き止まりになったり・・

何度もルートを変えてチャレンジすること、たぶん30分前後。

ようやく、ピンク色の岸壁ローズバレーを一望できる頂きを制覇した。

・・といっても、高低差100メートルもないんだけどね。

数分後には相方も到着し、着込んでいたダウンジャケットを脱いで

青空の下、絶景をオカズにひとやすみ。

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鳳凰三山を思い出してしまった

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夕日を浴びなくても十分赤いローズバレー

回りには誰もおらず、静かな山頂を一人(二人)占め・・

と思っていたら、反対側の裾野のほうから大きなエンジン音が迫って来た。

すぐ先の少し低くなった鞍部めざして

四輪バギーの集団(たぶん中国人観光客)が登って来るではないか。

なんのことはない、現地ツアーに参加した団体客たちは

バギーに乗って楽々と〈ローズバレー絶景ポイント〉を、攻略していたのだ。

さらに、その向こうでは、馬に乗った一団が。

みなさん、それぞれ現地ツアーを楽しんでいるんだなぁ。

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四輪バギー軍団、参上

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乗馬は・・・けっこう好きだったり。

でもさ・・ヒネクレ者の愚痴かもしれないけど

こういう気持ちのいい場所は

騒々しい乗り物を奇声を上げて操るんじゃなくて

自分の足を一歩一歩踏みしめて、たどりつきたいと思っちゃうんだ。

 

とはいっても、このあと

Ara-kanふたりが、《夢のようなひととき》を体験できたのは

大半の観光客が四輪バギーや乗馬のツアーに参加して

トレッキングルートが顧みられなくなったおかげだったんだよね。

旅も人生もそうだけど、思わぬところに「塞翁が馬」が顔を出すものだ。

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奇岩の道をレッツ、トレッキング

ともあれ、水とナッツ(ネヴシェヒルの絶品!)でエネルギーを補給。

まったく人影のないローズバレー側の谷に降り

再び、南へと向かうトレッキングロードを歩き出した。

すると・・・

はじめのうちこそ、売店らしき小屋(みんな閉まっていた)をちらほら見かけたが

しばらく足を運ぶうちに、周囲はほとんど手つかずの雑木林と

ときおりニョキッと頭をもたげる岩山(住居跡のような穴が穿たれていた)ばかり。

およそ2時ほどの間、だ~れにも出逢わない静寂の道が待っていた。

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小鳥の羽ばたきが聞こえるたび、立ち止まってしまう

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どの岩にも住居跡が・・

聞こえるのは、風にそよぐ微かな葉擦れの音、遠く近くで交わされる小鳥のさえずり。

何よりも感動したのは、10メートルほど歩くたびに、足元から飛び立つ小鳥たち。

その翼が発する「はたはたはた・・」という、なんともいえない羽ばたきの音!!

相方とふたり、ときどき前後を交代しては

どこか温かいささやかな羽音を愉しむ「至福の時」を満喫したのだった。

 

〈夢のようなひととき〉の後には

得てして〈厳しい現実〉が待ち受けているもの。

今回も、例外ではなかった。

およそ2時間ぶりに、進行方向からの二人連れに出逢う。

我らよりも、ひとまわりぐらい年上だろうか。

アメリカではなく、おそらく北ヨーロッパ人のカップル。

ひと目でトレッキング目的だとわかる出で立ちで

すれ違いざまに軽く挨拶を交わし、スタスタ歩いく。

 

で、気になったのは、彼らがやってきた方向だった。

地図アプリとガイドブックを見比べながら予想していた経路ではなく

ずっと西の方から現れたのだ。

地図をよくよく見直すと、どうやら彼らのルートをたどったほうが

路線バスの通る幹線道路に早く到達できそうだった。

こっちのルートの方がショートカットできるかもしれないな。

歩き始めてから、すでに4時間。

少しでも楽をしたいという下心から、急遽、地図にない道を選ぶことに。

 

・・ま、結果は、例によって例の如し。

炭鉱のボタ山を思わせる小高い山(丘)を、何度も何度も上ったり下りたり。

どこまで行っても、先が見えない。

途中、引き返そうかと思っては、マップの現在地を確かめては

いやいや、少しずつだけと進んではいるぞ。

思いなおしては、また足を運ぶ。

そんなことを繰り返して、あっというまの1時間。

やっとこさっとこ、走る車の姿が見えてきた。

マップをチェックすると

ガイドブックにも載っている「日没鑑賞ポイント」に向かう道の途中。

・・やれやれ。

まったく〈楽あれば苦あり〉を地でゆくトレッキングだった。

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やっと平らな土地に出た・・さすがにヘトヘト

ともあれ、ここまで来ればもう大丈夫。

痛む足を引きずり、さらに10数分南下して

ギョレメとユルギュップを結ぶ幹線道路に、たどりつく。

予想通り、道の分岐点に屋根がかかったバス停らしき小屋を発見。

ユルギャップに向かう側を選び、時刻表でもないかと目を凝らすが

それらしき表示はどこにも見つからない。

「仕方ないね、ここで待ってよう。そのうち来るよ」

まんいち、バスが来なくても、ここからギョレメまでは5キロもない。

いざとなったら、歩いて戻ればいい。

なんとかなるさ。

待つのも歩くのも慣れっこの、Ara-kanふたり。

長期戦を覚悟し、ひと休みしようとバス停に入りかけた、次の瞬間。

またもや、予想外の事態が発生したのである。

 

ではでは、またね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

丘に登れば"絶景"が見える カッパドキア&イスタンブールの旅 2019.11.28-12.5 2日目(後編) Ara-kanふたり旅

2019年11月29日(金)

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私的カッパドキアいちの絶景、アイドゥン・クラウの丘。

この旅3本目の記事なのに

まだ実質初日の「おやつどき」でウロウロしている。

海外に出るたび、強く実感することだが

ちょうど人生における子供時代と同様

旅先での時間経過は、最初の頃がやたら長く思えるのだ。

それだけ新鮮な刺激だらけ、ってことだね。

んで、旅の後半になればなるほど、

これまた人生と同じく、時間の進むペースが早くなっていく。

なので、たぶんこの記録も

日を追うごとに、あっさり風味へと変わっていくはず。

いましばし、ガキみたいなハシャギぶりに付き合ってほしい。

 

てなわけで、カッパドキア地方の中心都市・ネヴシェヒルの午後3時すぎ。

なにかの記念日なのだろうか

たくさんの旗がひるがえる繁華街をぶらぶら歩きながら

「歩き方」とスマホのオフラインマップを頼りに

ギョレメに戻るバスの停留所を探す。

と。。あったあった。

いかにも停留所っぽい何本かのポールと、明らかに何かを待つ人々の姿が。

だが、近くに寄って目を凝らしても

日本のバス停のように、時刻表どころか行き先も明示されていない。

「ほんとにここ、ギョレメに行くバス停なのかな?」

もし、まんいち見当違いな方面に行くバスに乗ってしまったら・・・

見知らぬ異国で、不安が湧き上がってくる。

こうなりゃ、利用客に聞くのが一番。

やはりバスを待っているらしき女性に、「ギョレメ?」と、目的地名を投げてみた。

突然声を掛けられたにも関わらず、彼女はにっこり笑って頷くと

さらに隣にいた男性に向かって、なにやら話しかけた。

すると今度は、その男性が寄って来て「ギョレメ? ヒア!」みたいなことを

言いながら、一本のポールの前まで案内してくれた。

(翻訳アプリのことは、すっかり忘れてた)

おまけに、その後も立ち去らずに

数分ごとにやってくるバスを一台ずつチェックし始めたのだ。

え? なんでこんなに親切にしてくれるんだ?

案内料でもせしめるつもりなのか?

なんて、旅行者特有の猜疑心が湧き上がってきたが

いざギョレメ行きのバスが到着。

自分は乗らずに「ほら、これに乗りなさい」と、身振り手振りで伝え

最後に、にかっと笑って見送ってくれる姿を前に

・・ああ、ホントに親切心からだけで、ここまでやってくれるんだ。

と、あれこれ勘ぐっていた自分が恥ずかしくなった。

 

旅行に出る前、トルコについて書かれた何冊かの本に目を通していたが

そのほとんどに「トルコ人は日本人が好きでとても親切」とあった。

でも、まさかこんな、自分の用事を差し置いてまで助けてくれるとは思わなかった。

実際のところ、トルコを旅したあいだじゅう

この国の人々の過剰ともいえる親切さに、何度となく直面することになる。

ただ、だからといって100%信じてしまうのも、問題だという。

表向きは「親切」の顔をして騙してくる〈ワルい奴〉もまた、確実にいるのだから。

信用し過ぎても、疑い過ぎても、旅を充分に楽しめなくなってしまう。

このあたりのさじ加減、何度やっても難しい。

 

ともあれ16時ごろ、無事バスはギョレメのターミナルに到着。

ここで、手近にあったツアー会社に飛び込んだ。

明日1日は、公共交通機関を使って自力で回れる範囲を観光。

しかし次の日は、夜の飛行機でイスタンブールに向かう予定だったので

路線バスでは行きにくい観光スポットを効率よく巡り

夕方までには確実に戻ってこれる「現地ツアー」に参加することにしたのだ。

――まさかこれが《痛恨の1日》になってしまうとは、夢にも思わずに。

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このツアー会社は親切で良かったんだけど・・同行者がちょっと、ね。

さて、2日後のツアー予約を終えたところで、時刻は16時すぎ。

まだまだ陽射しは高く、日没まで一時間以上ありそうだった。

前日からほとんど寝てないので、ホテルに戻って休みたい気もしたが

せっかくカッパドキアに来たというのに

土地のシンボルともいえる「奇岩」を、ちゃんと見ていなかった。

ならば、今から行ける範囲でチャレンジしてみよう!

「歩き方」欄外に書いてあった近くの丘(アイドゥン・クラウの丘)なら

歩いて行けそうだったので、さほど期待せず、時間つぶしのつもりで向かった。

 

スマホのマップを頼りに、くねくね曲がる道を登ることしばし。

丘に続く入口の脇に、小屋が立っていた。

中に若い男の人がいて、そこで入場料を払うらしい。

たいした金額ではなかったので、財布を取り出したのだが

たまたま小銭が少なく、2人分には届かない。

ならばと、お札を出すと、男性は両手を広げ、首を振る。

今度は、お釣りがないようだった。

「仕方ないなぁ・・ホテルに戻る?」

ちょっと後ろ髪を引かれながら、相方と話していると

ふいに男性が、「フェア・アーユー・カム・フロム?」と声をかけてきた。

この程度の英会話なら、大丈夫。

「ジャパン」と、答えると

ずっと無表情だった男性の顔に、いきなり大きな笑みが浮かび

「オー、ジャパーン!! OKOK!!」

そう言って、一人分少々の小銭を受け取り、

どうぞ! と、丘への道を指し示してくれたのだ。

 

なんだこの、〈日本大好きっこ〉は!?

確かに、日露戦争でロシアを破ったことに端を発するトルコの親日ぶりは聞いていたが

まさかここまで好意を持たれていようとは・・

冗談みたいな厚遇ぶりに驚きながらも、これ幸いと、丘への道をスタコラサッサ。

そして・・なだらかな坂を登りつめると

見えてきたのは、馬の背中よりふたまわりほど幅広い尾根のピーク。

カフェ兼お土産屋が一軒あるだけの、静かな丘だった。

しかし、その丘から遥か彼方にまで広がる光景は――これぞカッパドキア!!

ちょうど夕暮れに染まろうとする空の色と、赤く燃える奇岩の連なりが。

どこまでも、どこまでも続いている。

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360度、こんな雰囲気

他にも観光客の姿はあったが、ちらほらのレベル。

かましくなく、でも、淋しくもない。

えらくワガママな言い方だが、ちょうどいい込み具合だ。

できれば、ずっとここにいたい気分。

しかし、日が暮れるにつれ、風は冷たさを増していく。

デイバッグに入れたダウンベストを取り出し、重ね着するが、まだ足りない。

それでも、多少寒かろうがなんだろうが、ここで立ち去るのはもったいなさすぎる。

夕暮れ前から日没どき、そしてギョレメの家々に明かりが灯るころまで。

カフェの有料トイレに駆け込みながら、1時間余り丘の上で眺め続けたのだった。

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街と荒野の両方が見渡せる

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素朴な明かりが、心にあたたかい

結局、まる3日近くギョレメ(カッパドキア)に滞在していたが

ここ「アイドゥン・クラウの丘」を越える絶景には出会うことがなかった。

ガイドブックに載っている、他の有名な「絶景ポイント」だって

景観だけに限れば負けていない・・ような気がするが

なにより、『団体旅行のための観光地』。

それ以上でも、以下でもなかった。

少なくともAra-kanふたりは、大音量で音楽を流していたり

幾つもの団体が押し合いへし合いしていたり

大声を上げてはしゃいだり記念写真を撮り合っている「絶景ポイント」に

な―んの魅力も感じなかなったってこと。

でもさ、やっぱ絶景って

行列を作ったり、人混みをかき分けて鑑賞するもんじゃないと思うんだよね。

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夜のギョレメもいい感じ

はい。難癖つけるのは、このくらいにして。

とにかくワシらは、入場料をまけてもらった「アイドゥン・クラウの丘」が

カッパドキアでいちばん素晴らしい景色を堪能させていただいた。

ゲート小屋のお兄ちゃん、本当にありがとう!!

 

すっかり夜のとばりが降りた坂道を下り

この日の夕食は「歩き方」に載っていた洞窟レストランTopdeck Restaurantへ。

地元の人で賑わっており、味付けも観光客向けでなく、ややクセのある本格派。

カルシュック・メゼ(前菜の盛り合わせ)、タウック・シン(チキンのケバブ)。

そしてトルコの酒ラキなどを注文する。

どれも口に合い、おいしかった(パンも無料で美味)が

一皿ごとの量が多く、食べきれなかった。

あとは、ほろ酔い気分で、夜のギョレメを散策。

大きな洞窟ホテルがいたるところにあり、いずれも中世の宮殿のよう。

とはいえ、明かりの色はほぼ赤(橙色)で統一されており

シンプルで素朴なライトアップは、目にも優しく、とてもいい雰囲気だった。

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ハッと気が付き、最後のチャイだけ撮影

ホテルに戻り、すぐにバタンキュー・・かと思いきや。

旅の興奮のせいだろう、ベッドに横になってもなかなか寝付けず。

持ってきたミニ読書灯で小説を読みながら

昼間ネヴシェヒルで買った、あのナッツをポリポリ。

ん~~~っ、たまらん!

 

ではでは、またね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当においしいナッツに出逢う カッパドキア&イスタンブールの旅 2019.11.28-12.5 2日目(中編) Ara-kanふたり旅

2019年11月29日(金) カッパドキア〔ギョレメ⇔ネヴシェヒル市内〕

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カッパドキアのニャン

いつまでもベッドの上でぼーっとしてると、日が暮れてしまう。

小休止は30分ほどに留め、まずは、ギョレメの郵便局を探すことに。

旅に出る前、ネットで調べたところ

「日本円からトルコリラに両替するならここがオススメ」、と出ていたのだ。

ホテルの位置さえちきんと把握していなかったが、なにはともあれ外へ。

グーグルのオフラインマップを起動し、郵便局を入力すると・・あったあった!

スマホのナビだけを頼りに、曲がりくねった道を行ったり来たり。

・・だが、直線距離で1キロも離れていないはずなのに、なかなか辿り着けない。

ナビに従って歩いているはずなのに、妙に遠回りしている気分なのだ。

しかも、「あれ? ここ、さっき通らなかった?」と、相方の声が。

ここにいたって、やっと気付く。

マップのナビは車だけに対応しており、一方通行の道の逆行は不可。

そのため、町を大回りするルートで案内されていたのだ。

さっそくナビをオフにし、マップに現在地と目的地だけを表示。

紙の地図と同じように使って、郵便局を目指すと・・わずか数分で到着!

郵便局というより出張所といった、小さなコンクリの建物で

ホントに、こんなところで外貨両替してくれるのかな? 

少々不安になったが、ドアを開けて中に入ると

やはり両替に訪れたのだろう、とふた組ほどの旅行者がベンチで待っていた。

しかも窓口に近づき、電光掲示板のレート表を見ると・・

成田はもちろんイスタンブール空港よりも、ずっとレートがいい。

・・よし、ここで一気に両替しちゃおう!

当初は旅の前後半で2回に分けて両替するつもりだったが

イスタンブール市内が一番レートがいい、という情報を得ていた)

全日程で使う予定の金額を、まとめて両替することに。

――といっても、5万円ポッキリだったが。

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街じゅう変な岩だらけ。すぐに慣れるよ。

こうして、時間はかかったものの、本日のミッション〈その1〉をクリア。

ふと時刻を調べると、すでに昼近く。

さっそく、ゲットした現地通貨を使って、トルコ最初の食事に向かう。

カッパドキア観光の中心都市・ギョレメは、

日本の感覚からすれば、地方の小さな町ぐらいの規模。

両側から迫る山の間を通っている一本のメインストリートの周辺に

カフェ、レストラン、土産物店、現地ツアーオフィスなどが軒を並べている。

我らふたりが入ったのも、その一軒・Cafe Sakakだった。

まずはオーソドックスなトルコ料理を、ということで

レンズ豆のスープとキミレット・ケバブ(トマトソースの利いた肉料理)を注文。

観光客の舌に合わせているのだろうが、予想したほど脂っこくなく食べやすい。

日本に比べて野菜の味が濃厚で、やたら美味しく感じた。

これなら、1日3食トルコ料理でもイケそうだ。

 

定番のチャイでランチを締めくくり、さて、残るは本日最後のミッション。

プリペイドSIMカードの購入&セッティングだ。

実は、旅に出る数日前、遅ればせながらストレージの大きいスマホを購入。

やっと念願の「翻訳アプリ」をダウンロードしたので

今回のトルコ旅行で、ぜひともアプリを使ったコミュニケーションを!

と、やる気満々になっていたのだ。

 

てなわけで、さっそくカフェの従業員に「プリペイドSIMカードの店はあるか?」

尋ねてみたのだが・・・首を横に振られてしまう。

この近所で入手するのは無理。

ネヴシェヒルまで行かないと扱ってない、とのことだった。

ガーン。

予想外の答えに、一瞬迷ったが

・・だったら、行ってやろうじゃないか、ネヴシェヒル

と、逆に闘志が湧いてきた。

 

さっそく、「地球の歩き方」をパラパラ。

ギョレメから近郊で一番大きな都市ネヴシェヒルまでの交通機関を調べると

・・あったあった、ミニバスが。

どうやら1時間に一本ほどの間隔で定期便が出ているらしい。

よし、これなら行けるぞ。

 

カフェを出て、歩くこと数分。町の中心部にあるバスターミナルに到着。

見ると、10数人乗りのミニバスが停まっており、頭の禿げあがったオッサンが近くの縁石に腰掛け、煙草をふかしていた。

にっこり笑って歩み寄り「ネヴシェヒル?」と訊ねると、大きく頷く。

これは幸先がいい!

さっそく料金(二人分で5トルコリラ=100円だったような気がする)を支払い

乗り込むと、ほどなくミニバスは出発。

途中、奇妙な形の岩を眺めながら、20分ほどでネヴシェヒルの大通りに入る。

右手にスーパーマーケットが見えたので、とっさに降車ボタンをプッシュ。

目指す中心街まで、まだ5~600メートルほど距離があったが

スーパーマーケット巡りは海外旅行で欠かせない楽しみのひとつなので

見つけ次第寄ってみる癖がついていた。

そんなわけで、喜び勇んでトルコを代表するスーパーMigrosに乗り込んだのだが・・

期待していたような「発見」はほとんどなく

展示法・品揃えともに、ごくありふれた街中のスーパーマーケット。

ま、そういうこともあるさ。

ちょっと気落ちしながら、県庁のある中心地を目指してトコトコ歩き出すと

100メートルほど先の左手に、どことこなく携帯ショップっぽい雰囲気の店舗。

目を凝らして看板を見ると、通信会社TurkTelecomの文字が。

――やった、たぶんあそこで行けるはずだ!

 

妙にあか抜けたガラスのドアを押し開け、壁一面にスマホが並ぶ店内へ。

持参したスマホを取り出し、「プリペイドSIMカード」と連呼していると

髭のお兄さんが「OK、OK」と答え、価格表を見せてくれた。

1週間自由にネットが使えて、120トルコリラ

イスタンブール空港の、ちょうど5分の3の値段だった。

迷わず、こちらも「OK」と返事すると

パスポートを預かり、もろもろの手配に取り掛かってくれた。

ところが、5分たっても10分たっても

なぜかお兄さんは、パソコン画面に張り付いたまま

どこかとの通信を繰り返し、その返事を待っている様子。

どうやら、これまで幾つかの国でSIMカードを入れてもらったように

その場だけで手続きが完了するシステムではないらしい。

パスポートナンバーなど個人情報をメールで確認し、登録する必要があるようだった。

このあたり、トルコには社会主義っぽい一面があるのかもしれない。

それでも20分ほど待つと、再び「OK!」の声。

無事、自在にネットが使えるスマホをゲットできたのだった。

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ネヴシェヒルのショッピングビル。荷物チェックがめんどくて入らず。

時刻は、まだ3時前。

せっかくネヴシェヒルに来たのだから、すこし街中を回ってみよう。

相方とも意見が合致し、大通りに沿って中心街を目指すことに。

警察署・県庁・ショッピングビルが並ぶ賑やかな通りをふらついていると・・

地元の人で賑わう、2階建てほどの商店が目に留まった。

何だろう? 近づいてみると、お客さんでごった返す店内には

アーモンド、カシューナッツクルミ、ピスタチオ、ヒマワリの種etc

多種多様な木の実が一杯に入った大きな麻袋が所狭しと並んでいる。

――ナッツの店だ!

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トルコに行ったら、ここでナッツを買う。これ決まり。

「トルコはナッツがうまい」と、いろいろなところで見聞きしていたので

観光客ではなく地元の人でこんなにも賑わっている店に出逢えたのは

まさに絶好のチャンス。

トルコ入国から数時間、正直まだ異国の雰囲気に馴染めておらず

積極的な行動に出れる気分ではなかったが

勇気を奮って、混み合う店内へ突入!

セットしたばかりの翻訳アプリを起動し

眉を上げて「なんか用かい?」と笑顔を浮かべる陽気な店員に

「200グラム単位でも売ってもらえますか?」と日本語で喋ったものを

トルコ語に翻訳した文章の画面を提示すると

チラッと目をやり「OK!」と再び満面の笑顔。

よしよし、ばら売りしてくれるなら、注文しちゃおう。

さっそくナッツで山盛りの袋を指差し、それぞれ200グラムずつ購入することに。

確かカシューナッツとピスタチオとアーモンドとピーナッツを

それぞれ200グラムずつ混ぜてもらったものを一袋。

さらに、ヒマワリの種を200グラム。

少なくとも、そのくらいは購入したと思う。

値段も日本で買うよりも安かった。

うろ覚えだけど、〆て2000円(100トルコリラ)は行かなかったはず。

 

それぞれ店名の入った丈夫な紙袋に入れてもらい

店を出るなり、さっそく・・カリッ!

――う、う、う、うまい~!! 

香ばしさはいうまでもなく、とにもかくにも、味が濃い!!

煎り具合も最高で、ピスタチオもカシューナッツもたまらん風味だけど

驚くべきはピーナッツの豊潤さ!!

日本で食べるピーナッツのあの軽い味とは、まるで別の食物だ。

こんなにも味わいの深いナッツを口にしたことは

間違いなく、生まれて初めてだった。

・・・やばい、1年以上前のことなのに

   これを書いてるだけで、よだれが湧き出してくる。

   俺は、パブロフの犬か!?

 

ともあれ、この余りに衝撃的な《出逢い》によって

2019年晩秋のカッパドキアイスタンブールめぐりに、またひとつ。

『ナッツを食べ比べよう』という、新たな目的が加わった。

 

 

ではでは、またね。

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せっかくカッパドキアに来たのに、こんな街なかをフラフラ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

異国の初日は、いつもオロオロ カッパドキア&イスタンブールの旅 2019.11.28-12.5 1日目~2日目(前編)Ara-kanふたり旅

何年も前から"絶対に行こう”と思っていた国(エリア)トルコを

ようやく訪ねることができたのは、ほぼ一年前のこと。

翌月、中国・武漢新型コロナウイルスが発見され

瞬く間に世界中へと拡散していくとは夢にも思っていなかった

ある意味〈最後の幸福な時代〉の記録である。

「悪いことなど何も起きない」と根拠もなく信じ込み

吞気にして能天気な旅を満喫していた自分たちが、うらやましくてならない。

 

2019.年11月28日(木) 1日目 成田空港⇒イスタンブール空港

 

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そこいらじゅうに岩がニョキニョキ

この日の出発便は

成田2300発、翌朝0545イスタンブール着 ターキッシュエアTK053。

21時までにチェックインを済ませればOKなので

たまプラーザからのリムジンバスは使わず

交通費節約のため田園都市線半蔵門線京成本線の最安ルートを利用することに。

しかし、15時過ぎに自宅を出て、京成青砥まで2時間以上もかかってしまう。

また、久しぶりの電車利用だったせいか、やけに荷物が重く感じる。

気持ちは変わってないのだが、やっぱり年を取ったんだなあ。

相方を苦笑を交わしつつも、20時半過ぎには無事成田空港にたどりついた。

 

いつものように、直接航空会社の発券カウンターには向かわず

ターミナルの隅にある旅行会社のカウンターを目指す。

今回は、カッパドキアイスタンブール、2つのポイントに絞った旅を選択。

事前に調べたところ、イスタンブール市内は問題なかったが

カッパドキア地方に関しては

の空港から中心地ギョレメまでの公共交通機関がやや不安だったため

航空券とホテルの予約に加え、空港からホテルまでの送迎もセットになった

いわば〈準フリーツアー〉を申し込むことにしたのだ。

おかげで、現地での移動を一任されているオッチャンとしては

空港からの乗り継ぎにアタフタする必要がなく、だいぶ気分が楽である。

 

旅行会社カウンターでエアチケット&ホテルバウチャーを受け取り

ターミナルエアのチェックインカウンターでスーツケースを預けると

あとは、時間を潰すだけ。

第一ターミナル上階にある、いつもの讃岐うどんをすすり(閉店したようす。哀しい)

ゴールドカードラウンジでガイドブックを検討するうち、いい頃合いになったので

お定まりの出国手続きをへて搭乗する。

機内はほぼ満席だったが、24時間前から始まるウェブチェックインで

最後方の窓側から2席を確保していたので、隣席を気にする必要はなかった。

 

初めて利用するターキッシュエアだったが

機内サービスについては、可もなく不可もなく・・と言いたかったのだが

離陸後まもなく提供された機内食が――異様に不味い。

魚も卵料理もバッサバサで、正直、食べられたものじゃなかった。

配られたアメニティも見るからに安っぽくて、嬉しくない。

(それでも、ちゃっかり持って行ったけどね)

生まれて初めて足を踏み入れるトルコという国に、一抹の不安を覚えながら

うつらうつらすること、11時間と少し。

 

11月29日(金) 2日目 イスタンブール空港⇒カッパドキア(ギョレメ)

 

トルコ時間の早朝6時前、イスタンブール空港に到着。

入国審査を受けたあと、国内線ターミナルへと移動する。

このあと、7時15分発TK2006便で

カッパドキアの最寄り空港ネヴシェヒルに向かうためだった。

・・なんて書くとスムーズだったように感じるが

実際には、入国審査ブロック何カ所もあり、どこに行けばいいのか右往左往。

また、寝不足でぼやっとした頭で空港内のショッピングエリアをぶらぶら。

スマホにセットするプリペイドSIMカードを売る店を発見した。

しかし、提示された価格は1週間有効で200トルコリラ(4000円)。

露骨な〈空港価格〉だったので辞退し、カッパドキアで再チャレンジすることに。

いや、そもそもこの時点で、所持していた現金は日本円とユーロとドルだけ。

「現地で両替したほうがレートがいい」という情報を信じて

まだトルコリラは一枚も持っていなかったのだ。

 

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朝もやにかすむトルコの大地

ともあれ、イスタンブール空港0715発のTK2006便に乗り込み

朝焼けに赤く染まる大地を眼下に眺める、およそ1時間半のフライトを経て

⇒ネヴシェヒル空港0845着。

よーし、ここまで来ればあとひといき。

そう思いながら、手荷物受取所でスーツケースを待つが・・いつまで待っても来ない。

――ひょっとして、またヤラカシてくれたのか!?

つい半年前、ジュネーブ空港で味わった「荷物不着&空港野宿」体験が脳裏をよぎる。

そのとき、空港職員らしき男性が現われ、我々を含めた日本人客を手招き。

別の部屋へと案内してくれた。

すると、そこに、我らのスーツケースが!

どうやら我らが待っていたのは、国内線のターンテーブル

国際線利用客の荷物は、隣の国際線ターンテーブルに到着するシステムだったのだ。

 

見慣れたスーツケースとの再会を果たし

今度こそ、到着ゲートから外へ。

と、荷物の受け取りに手間取ったせいか

人影もまばらな広い到着ロビーに、現地案内人とおぼしき数人の男たちの姿が。

最初に近づいてきたひとりに、ツアー会社の名前を告げると

それならこっちだ、と別の男性を指差される。

すると、濃い髭をたくわえた30代ぐらいのイケメン男が手を挙げ

流暢な日本語でワシらの名前を呼んでくれた。

相方のスーツケースを受け取り、駐車場に停めた車へ向かう。

――やれやれ、これでひと安心。

 

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ネヴシェヒル空港。周りには何もなし

ここ数年の旅では定番となっていた

「公共交通機関を利用した空港からテルまでの移動」が、今回はすべてお任せ。

自力で開拓する充実感がないのはちょっと寂しいが

現地通貨さえ持っていないのだから、この時点でほぼ選択の余地はない。

たまには、こんな旅もあっていいんじゃないかな。

岩だらけの荒涼とした車窓の景色を眺めながら

寝不足でぼんやりした頭で、そんなことを考えていた。

 

途中、運転手をつとめるガイドさんに

「これから1日ツアーに案内してもいいけど、どうする?」と聞かれた。

カッパドキアの名所をひと巡りし、最後に岩山を眺めながらシャンパンで乾杯。

ひとりあたり7500円で、タクシーを1日貸し切りで観光。

決して高くはない価格設定だったが、いくら効率がいいからといって

ガイド任せの「確認ツアー」に頼ってしまうのは、やっぱり心が動かなかった。

今日は寝てないし、ホテルでのんびりします――と言って、断ることに。

 

車を走らせること、およそ1時間。

あたりの岩山が、オブジェか彫刻作品のように見えてきたと思ったら

そこは、カッパドキアの中心地・ギョレメ。

今日から2泊する、洞窟ホテルのある町だった。

 

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ギョレメの街(の一部)

車は、大通り(といっても広くない一本道)を横切り

坂道をくねくねと登っていく。

そして、え? こんなところにホテルがあるの?

と思える、岩だらけの斜面の住宅街?

そこをさらに斜めににじり登った、工事現場の上に、目指すホテルはあった。

――ここを自力で見つけるのは、かなり難しいだろうな。

やっぱり送迎付きでよかった。

そう思いつつ、無事チェックイン完了。

旅行会社が手配してくれたのは、数部屋だけの小さな洞窟ホテル

さっそく、もとは家畜小屋だったという半地下の洞窟ルームに案内してもらう。

まだお昼よりだいぶ手前の10時半過ぎだったが、

幸い、部屋は空いており、そのままベッドに倒れ込むことができた。

 

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洞窟ホテル。目印がなく、何度も道に迷った。

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2泊した元家畜小屋。2カ所にベッドあり、助かった。

とはいえ、このまま寝るわけにはいかない。

まずなにより、日本円からトルコリラに両替しなくては。

続いて、ゲットしたトルコリラを使い、トルコで初めての食事。

次に、プリペイドSIMカードを扱う店を探し、持って来たスマホにセットする。

この3件をクリアした後、余裕があれば近所の観光を楽しむ。

――コンプリートを目指して、ミッションスタート!!

 

ではでは、またね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

”ぶぶ漬け伝説”の真相 『京都はんなり暮らし』澤田瞳子 周回遅れの文庫Rock

先月の京都旅行から戻ったあとで

わが家の「積読山脈」の奥底に埋もれていた本書を発掘。

毎度毎度の間の悪さに苦笑しつつも、手に取った。

 

幸い、一読したところ

「ど、どうして、これを見逃して(食べ逃して)しまったのか!」

みたいな〈痛恨のいちげき〉を喰らうことはなく

「へー、あの場所には、そんな歴史が埋もれていたのか~」

といった、深掘りor後付け情報を伝授していただき

今回の京都の旅を、二度楽しむことができた。

 

それもそのはず。

いまや売れっ子歴史作家のひとりである澤田瞳子澤田ふじ子の娘)は

生まれも育ちも京都市内。

おかげで、観光・食事・土産物という

三種の神器」に偏った通常のガイド本とは一線を画し

四季折々の移り変わりのなかで

〈暮らしの場・京都の魅力〉を、ひとつひとつ紐解いてくれる。

 

偶然にも、先月の旅で強く印象に残っていた

「五条楽園」「北野天満宮」「出町以北の賀茂川・高野川沿いの河原」などが

著者の"お気に入りスポット"にピックアップされていたものだから

"そうそう、あっしも知ってますよ!"

とか、いっちょまえに相槌を打ってみたりして。

これだから、初心者はつけあがると手に負えない、なんて笑われるんだよな。

 

しかし、本書の中でもっとも〈心の膝を叩いた〉ところは

素敵なスポットでも隠れた名店でもなく

冒頭の『冬」の章で採り上げられた、京都の人について語る一節だった。

表題は『京の茶漬け、京のコーヒー』。

 

なにか用事があったよそ様のお宅にうかがった。話も一通りすみ、ではお暇いたしますと言ったところ、「ぶぶづけ(茶漬け」でもいかがどすか?」とのお言葉。

時刻はちょうど時分どき。ではせっかくなので・・といただいて帰ったところ、あとから「あのお人は礼儀知らずやなあ」と陰口を言われた――というこの話、その気がないのに誘っておいて、あとから悪口を言う、すなわち京都人はいじわるだとの説明によく使われる。〔中略」

――しかし、である。

この状況をよく考えてみて欲しい。いくら用事があったとはいえ、その人物がお宅にうかがっているのは時分どきなのだ。先方ではそろそろお昼の支度にかからねばならず、少し忙しくなる時間帯。そんな時間にのんびり腰を落ち着けようというのは心得違いではなかろうか。                          (34ページ)

 

まったくもって、そのとおり。

失礼なのは接待する側ではなく、自分が迷惑をかけていることに気付かない、

いうならば、周囲に気配りの出来ない、訪問者のほうなのだ。

 

「じゃ、昼ご飯にしますんでこれで」と言われたなら、皆間違いなくムッとするに違いない。お互い相手を傷つけるようなことを言わずこちらも傷つかず、円滑に人間関係を続けるための知恵が、この茶漬けに集約されているといってもいいだろう。

                                (38ページ)

節かに、相手の言葉を額面通りに鵜呑みにせず

状況を客観的に判断して、適切な行動を選ぶことは、容易ではない。

だが、なんでもかんでも単刀直入。

〇か✖か、イエスかノーか、敵か味方か・・と上っつらだけで即断即決。

相手の立場や状況に想いを巡らすことを、「時間のムダ」とばかり切り捨てていては

いつまでたっても、人と人の〈心の距離〉は近づかないのではないか。

余計なお世話と知りつつも、そんなふうに考えてしまうのだ。

 

――いや、これは、オリコウサンの綺麗事だった。

自分も「空気を読みつつ成熟したコミュニケーション」を維持するのがメンドイから

そういった気配りだらけのやりとりが必須でない仕事に進んだわけだし。

だいいち、とても愛想よくて、痒い所にまで気が付き、なんでも相談に乗ってくれる。

そんな世渡り上手な人の言葉に乗せられて、どんだけ痛い目に遭ったことか。

上に挙げた〈相手の気持ちを配慮し合う”ぶぶ漬け”的関係〉なるものは

互いに何代にも渡って同じ場所に暮らすような、確固とした「場」があって

はじめて成立するものなんじゃないかな。

口先と立ち回りの速さで生きている、逃げ足キャラだっているわけだし。

何十年と同じ場所に住んでいても、いっこうに〈根付いた〉実感が得られない

永遠の浮き草野郎には、しょせん”ないものねだり”だろう。

いずれにせよ、人それぞれ向き不向きがあるんだし

無理に無理を重ねて病院行き、なんてことになったら、元も子もない。

”だったらいいなぁ”で、いいんじゃないかな。

 

 おおっと、また、本の内容とはアサッテの方向に暴走してしまった。

 

いずれにせよ、こうした〈小難しい話?〉は、本書の一部だけ。

大部分は、生粋の京都人だからこそ発見できた、"お得情報"のオンパレード。

宮内庁御用達の「松原牛乳」

文之助茶屋の「かき氷」

辻利一本店の「抹茶アイス」

たかしんの「京つけもの

五・八・十一月の「古本市」

京都御苑散策と「亥の子餅」

楽々大文字登山に、近代レトロ建築巡り・・などなど。

これだけで、次回の京都旅行は〈お腹いっぱい〉になりそう。

京都という街に興味があるかたは、ぜひご一読を。

 

ではでは、またね。

 

※明日(あさって)から、昨年11月末~12月初旬にかけて実施した

 トルコ(カッパドキアイスタンブール)の旅日記がスタート。