研ぎ澄まされた観察眼に息を呑む 『手のひらの京』 綿矢 りさ  引用三昧 -43冊目-

本文213ページ(文庫版)と軽くてコンパクトな作品だが

中身はとことん濃厚で、読後の充実感はどこぞの"弁当箱"にも負けていない。

京都の本質を突く希有なガイドブックとしても

女性の視点を勉強する"教科書"としても、部類の強さを発揮するはずだ。

 

隅から隅まで、鋭い分析と考察が冴えわたっている名作。

"女性作家は合わなくて・・"と読まず嫌いの方にこそ、手に取っていただきたい。

 

京都の空はどうも柔らかい。頭上に拡がる淡い水色に、綿菓子をちぎった雲の一片がふわふわと浮いている。鴨川から眺める空は清々しくも甘い気配に満ちている。春から初夏にかけての何かはじまりそうな予感が、空の色にも溶け込んでいる感じ。凛が思いきり息を吸いこむと、水草が醸し出す川の香りが胸を満たした。 [5]

 

春の季節が終わったいま、鴨川からすぐ近くの京都府立植物館ではこれから何が見られるのだろう、と凜は不思議に思う。椿に桜に菜の花に桃に木蓮水仙が終わり、町中からは鉢植え以外の花は消えた印象だが、植物園ともあろうものが、冬はしようがないとしても五月に花を絶やすとは考えにくい。まさか、ツツジとか? ツツジはきれいだけど町なかの道ばたでも見られるからなぁ。吹く風に髪をもてあそばれながら、凜は歩いて十分ほどの場所にある植物園の情報を携帯で調べた。

薔薇だ! 洋風庭園には約三百種類の薔薇が咲くとある。そういえば先月に植物園に行ったら、ありとあらゆる花が咲いているのを見られたのに、薔薇園だけは茎と葉のみで人気もなく寒々としていた。世界各国のプリンセスや風光明媚な地名から取った仰々しい品種名を読むのと、鮮やかに咲きこぼれる薔薇の花弁が大好きな凜は、さっそく姉たちを誘って植物園へ行こうと頭のなかで計画した。 [6]

 

「上質なお肉買ったん?」

高級な食材を買うと“上等やで”と毎度自慢するのがくせの母に影響を受けて、凜もお肉屋さんの紙でくるんである肉を見ると尋ねずにはいられない。

「まったく上等やないよ。ハヤシライスのお肉は脂肪が多くて腐りかけくらいの甘い牛こまが一番合うのよ」 [14]

 

玄関ドアが開いたのが、微かな音と風圧で分かった。ふいに入ってきた新しい空気に家がぱんと張り、膨らみ、ドアが閉まると同時にしぼむ。この家は住人が出て行ったり帰ったりする度に呼吸する。二階の階段を登ってくる足音で、帰ってきたのが羽依だと凜は分かった。勢いよくあっちこっち踏み鳴らしながらリズミカルに上がってくるのは、羽依の足音だ。 [16]

 

「桜とはまた違うよ、京都府立植物園の薔薇園は見事だよ、ホームページの写真で見たけど、三百種以上の品種が植えてあるらしいよ」                [24]

 

前原と接するときは前原ワールドの掟に従えば、むだに気を遣わずに済むので、新入社員たちも彼とは話しやすかった。また、前原は自分が会社に必要とされていると思われるのも上手だった。いるよなぁ、年下の理想像のふりをするのだけが上手い、爽やかでデキるお兄さんを演じてるタイプの男って。と、まんまと引っかかっていた羽依は今さらになって思う。前原さんみたいな社会人になりたいよね、と興奮気味に同期たちと語り合った夜などもう忘れている。付き合ってすぐに放置されたことで、自分はモテると自覚してきた羽依のプライドは傷つき、代わりに前原の技巧的な人付き合いが鼻につくようになった。

結局会社も大学のサークルと構造はあまり変わらない、と楽しすぎて結局は留年の原因になるほど入れ込んだオールラウンドサークルを羽依は思い出した。

口のよく回るハッタリ上手が上位に君臨していて、その他大勢は軽薄なミーハーだ。しかし捨てたものじゃないところもある。そんな表面的な権力争いとは関係なく、本人の実力への審査は水面下で日々行われて、本当に優秀な人間がゆっくりと頭角を現し始める。長い時間をかけてハッタリだけの人間は淘汰されてゆく。 [33]                                                 

前原の複雑な一面に惹かれるのは、自分にも似た面があるからだと薄々気づいていた。この戦争も無い平和な今の日本で、なぜか戦い続けている人間がいる。共通の特徴は鷹に似た目つきで、怒ると血は燃えるほど熱く、勝つためには驚くほど薄情だ。前原ほどではないにしても、自分も同じ種類だと気づいていた。その闘志がときにカリスマ性と勘違いされやすいことも、だから知っている。  [40]                                                            

ツレに嫉妬させるために寄ってくる男の共通点は、普段はプライドが高くて、絶対女に気軽に声をかけたり視線を送ったりしないところ。前原もこれに当てはまる。一人でいるときにめぼしい女性に自分からいくのは、つれなくされると傷つくし、不審者と思われるのは恐いしで、しない。だけど、他の女性に話しかけるというだけで嫉妬してくれる自分の彼女が側にいれば、ブライトは捨てる。お母さんが常に自分を見守っていて、やり過ぎると叱られるのも知っていて、あえて遠くへ離れてみたり、いたずらを続ける子どもの行動に似ている。

正確に言えば、今日は当て馬役にされたのではなく、馬を当てられる側の役割を振られたわけだが、情けない気持ちに変わりはなかった。[44]

 

歩道の影の少ない町、京都。高い建物が条例で建てられないため、また碁盤の目状の道の構図にも関係しているのか、街を歩く人々は日傘で自分のための影を作らなくては逃げ道がないほど、日光にさらされている。日傘も帽子もない人は、ときどき民家の垣根の作る影や歩道に植えた木の影を見つけては、雨の日に傘を持ってき忘れたときみたいに右へ左へ移動している。 [54]

 

京都は商売が上手くなった。綾香はここ十年くらいの間にしみじみ感じている。しかも年々腕が上がっている。綾香が高校生くらいの頃は、京都のお土産といえば八つ橋などの伝統菓子か漬物、着物柄の和紙を貼りつけた手鏡やつまようじ入れ、新選組のはっぴくらいしか無かった。しかし今では新しい和小物の雑貨店が通り沿いに立ち並び、手ぬぐい、巾着、あぶら取り紙、そして浴衣など、和テイストを見慣れた綾香でも思わず立ち止まってしまう。和の伝統と今っぽさを織り交ぜた京の雑貨が増えた。

食品も元から名産だった七味唐辛子や山椒のバリエーションが数えきれないほど増えた。夏になるとメニューに並ぶかき氷の種類も豊富になり、値段もさまざま、明らかに観光客狙いであるものの、綾香のような地元民も恩恵にあずかって、色んなお店の抹茶かき氷を食べ歩いたりする。昔ながらの町屋をカフェやレストランにしたお店も好きで、むき出しの梁を見ながらトマトパスタを食べたりしていると、地元の人間には無かった発想だ、京都を住む場所としてではなく、もっと夢のある歴史深い場所として捉-とらえられる人の視点だと思ったりする。 [57]

 

たっぷり塩をふった鮎が尾っぽから口までを串刺しにされて、表面をこんがり焼かれていた。屋台だと侮るなかれ、大きめのししゃもを鮎と言って売っているわけでもなく、かじるとちゃんと鮎の若々しい味がある。ソースにシロップと、べたべたな濃い味が多い屋台ものに比べて、鮎の塩焼きの風味は淡白で、暑いなかにいて川の涼やかさも思い出せる。お腹にたまらない気もするが、一匹を食べ終わると意外に満足感があり、またソースやマヨネーズが口の周りや浴衣につくのを心配する必要もないので食べやすい。                                               [63]

まだ十時前だったが、祇園祭の客は店に入る前より減っていて、京都の夜は祇園祭の日ですら早い、と綾香は苦笑する。普通の日だとほとんどの店が九時に閉まるので、京都で一番の繁華街の四条もで九時過ぎにはもう人の姿がまばらになる。もちろんほかの町だともっと早い。京都市民の足であるバスも最終が早いので、中心街で飲んでいても、大体みんなバスの時間を目安にして帰ってゆく。  [66]                                                         

鴨川は数少ない電灯の明かりに照らされて、流れる水の黒いうねりが表面を渦巻いている。昼間より水量が多く底なしに見える夜の鴨川は、祭りに浮かれた酔っぱらいをらくらくと飲みこんでしまいそうで、泳ぐ人が出ないことを綾香は祈った。鴨川は美しいが夜はやはり恐ろしい。長く近くで暮らしていると、かつて合戦場であり、死体置き場であり、処刑場であった歴史を、ふとした瞬間に肌で感じ、戦慄する。どんなに賑やかな祭の夜でも、この都は古い歴史を煮詰めた暗闇を隅の空間に作り出して、現代の人間をあっちの世界に引き摺りこもうと待ちかまえている。 [68]

 

京都府立植物園の薔薇園にも凜は結局未来と一緒に行った。

背の高い薔薇はすっくと美しく、どの品種も華麗に咲き競い、ピンク、真紅、白、二色使いもあった。幾重にも重なった花弁の奥を覗きこむと吸い込まれそうで、花弁の端が自然のフリルになり軽く巻いているのも、ほかの花とは違う薔薇独特の繊細さだった。二人は丁寧に一つ一つ、思う存分に薔薇の香りを嗅いだ。どんな香水よりも清冽でみずみずしい匂いが、薔薇の奥から香っていた。 [71]

 

夏休みに、二人は貴船-きぶねへ行った。じりじりと焦げつく町中の暑さから解放されて、鞍馬山の涼しい風の吹く貴船神社に未来は感動した。

「京都ってほんま素敵な場所ばかりじゃね」

故郷を褒めてもらえるのは嬉しい。京都を好いてくれる未来にわざわざ言わないが、凜の頭には素敵とは言い難い京都の面がかけ巡る。一つ通りが変わるだけでがらりと変わる町の雰囲気、きっと他の都道府県にはない複雑な京の歴史が絡らんだ、なんともいえない閉塞感。京都であり故郷であるこの地に長年いると、決して嫌いではなく好きなのに、もやもやした感情が澱のようにたまってきて、もがくときがある。そんなとき未来の瞳から見た“美しい京都”に触れるとほっとする。     [72]

 

「あさりの酒蒸しも知識を活かしたよ。あさりの砂抜きは、水に塩を入れて海水に似た環境を作ってあさりに砂を吐かせようとする人が多いけど、実はそれやとあさりが居心地良すぎて砂を吐かへんねん。私は四十五度くらいの熱めの真水のお湯にあさりを浸けるねん。そしたら貝は苦しくてげふげふ砂と塩を吐くから、塩水に浸けるよりも短時間で砂抜きができるんよ」    [82]

 

京都の伝統芸能「いけず」は先人のたゆまぬ努力、また若い後継者の日々の鍛錬が功を奏し、途絶えることなく現代に受け継がれている。ほとんど無視に近い反応の薄さや含み笑い、数人でのターゲットをちらちら見ながらの内緒話など悪意のほのめかしのあと、聞こえてないようで間違いなく聞こえるくらいの近い距離で、ターゲットの背中に向かって、簡潔ながら激烈な嫌味を浴びせる「聞こえよがしのいけず」の技術は、熟練者ともなると芸術的など鮮やかにターゲットを傷つける。  [91]

 

じゃあ私も好きでもない女の先輩にプレゼント渡したらいいわけ? 日頃お世話になってますから、とか言葉を付け加えて、感謝もしていないのに?

そんなしってくさいこと、恥ずかしくて、ようでけへんわ。

“しってくさい”とは、しらじらしいと似た意味の京都弁で、周りから褒めてもらったりするために自然ではないのにやり通すことだ。たとえばブランドもののバッグを、わざとロゴが見えるように持って見せびらかすような。

大阪では身の程知らずにかっこつけする人間を“イキってる”と言って嫌うが、京都でも同じように“しってくさい”人間は陰で笑われる。   [94]

 

京都に残暑なんてない、九月は夏真っ盛りと思っていた方が、精神的に楽である。京都の夏は六~九月、秋は十月だけ、十一~三月と冬で、四~五月が春。このくらいの気持ちでいてこそ、色々あきらめがついて長く暮らせる。過ごしやすい季節はごく短い。                                                                        [99]

綾香はがんばっていると、だんだんミッフィーの顔つきになってくる。もともと色白でちょっと四角い大福顔につぶらで真剣な瞳、きゅっと引き結んだ小さな唇を合わせると、口をばってんで表わしたあのうさぎのミッフィーそっくりの面相になる。ミッフィーは姿見を見ながら着物の衿を合わせていたが、不意に何もかも嫌になってしまい、帯締めを解いて着物を脱いだ。 [107]

 

母親は語尾に“知らんけど”とつけるのが口ぐせだ。断定した物言いを避けたがる、いかにも関西風の口ぐせで、ほかの関西人も使うが、母はとくに多い。

綾香は“なんだか”の意味で“なんや”とよく言うが、これもニュアンスをぼんやりさせる言葉だ。      [113]

 

 

ではでは、またね。