新たなる"必読作家"、爆誕す! 『東京放浪』 小野寺 史宣 引用三昧 -42冊目-

ラスト3行を滑り込ませたかったので

今回も折り返し点を20ページほど過ぎたところまで引用した。

小説の評価としてはズレてるかもしれないけど

生きていく上で"ためになる"情報が、いたるところに散りばめられている。

登場人物やストーリーなど魅力に満ちた作品だが

意外なほどの〈実用性〉にも注目したい。

 

水曜日、第一夜 

ゲンピョウは元標と書くのだとわかった。元標の広場は広くも何ともないスペースで、道路元標の複製なるものが設置されていた。マンホールのフタのような形状で、直径は五十センチほど。表面に日本国道路元標との文字が刻まれている。

横の石碑に記された説明文によると、日本国道路元標の現物は、すぐそこ、日本橋の中央に埋めこまれているのだという。

へぇ。そんなものがあるのか。ここが日本の道路の起点なのか。なのに高架に覆われて、こんな景観になってるのか。それはちょっと、何だなぁ。 [015]

 

「根元が店を継ぐことは、考えなかったんだ?」

「考えなかったな。ガキながら、先はないと思ってたし。二人だけで店をまわす両親を見つづけて、わかったよ。大変なんだ、理容師は。休みは少ないのに実入りも少ない。二人の判断も同じだったんだろうな。継げと言われたことは一度もないよ」 [022]                                                   

商品のよさを力説すれば、いいね、との言葉は引きだせる。ただ、そのあとの、いいけどいらない、を、いいから買うよ、に変えられない。人にものを売るのがいかに難しいか。それがよくわかった。買いに来てくれた人にものを売るのと、こちらからすすめてものを売るのは、まったく別のことなのだ。

口がうまければいいというものではない。実直ならいいというものでもない。

口がうまいという印象はマイナスに働くこともあるし、そうとわかっていながらプラスに働くこともある。実直もまた同じだ。[026]

 

就職事情が厳しいとはいえ、大卒者でも三割が三年以内に退職する。そのことが常に頭にあった。仕事が自分に合わなかったら退職してもおかしくはないのだ。三年在籍すればキャリアとして認めてもらえるのだから、むしろ積極的に退職するべきなのだ。そう認識していた。つまるところ、大学での四年のあいだにやりたいことを見つけられなかったわけだ。 [037]

 

第二夜 路上 

「次の仕事は、どうする?」

「そこなんだよなぁ。バイトの履歴書なんかウソの住所を書いてもよさそうなもんだけど、暮らせるぐらい稼ぐとなると、税金のこととかで、じきバレるだろうし。はみ出し者は許さないよう、うまくできてるんだよ、法律って。それでもはみ出すには、相当な覚悟がいる」[050]

 

だが映画の趣味が合うからといって、人としても合うわけではない。むしろ価値観がちがう人のほうが付き合うにはいいよな、などといかにもな理屈をこねて付き合ったが、無理だった。映画の趣味なんて合わなくていいから、占いは信じる派か信じない派か、いや、せめて朝食はパン派かご飯派かくらいの価値観は合うほうがいい。最後にはそう思った。実際にそう言って、別れた。[056]

 

助手席のシートを最大限に倒し、寝そべってみる。上半身はそれで少し楽になるが、下半身は無理だということがわかった。

運転席で同じくシートを倒した啓太が言う。

「わかるだろ? 足を伸ばせないのがツラいんだ。たった三日で、サッカーをやってるときのひざの痛みがぶり返したよ。だから、何日かに一度は公園で寝るんだ。夜はあぶねえから、昼のうちに。これを夏も冬もやるのは無理だって、すぐにわかったよ。人間てさ、たぶん、自分で思ってる以上にもろいんだ。

体より先に気持ちが参っちゃうんだよな」 [061]

 

ついさっきファミレスで啓太とした話を思いだす。何てことはない。時間つぶしにした、サッカーの話だ。

いいプレーが三つ続くと点になるな、と啓太が言い、僕も同意した。プロでもアマでもそうだ。いいパス、いいトラップ、いいシュート。いいパスカット、いいサイドチェンジ、いいフェイント。何でもいい。相手を凌駕-りょうがするプレーが三つ続くと、それは得点につながる。と、そんな話。 [066]

いいプレーが三つ続くと点になるということは、裏を返せば、よくないミスが三つ続くと点をとられるということでもある。よくないミス。それは不運に置き換えても。                                                     

第四夜 世田谷 「何でだろう。ちょっとうまくいかなくなった。だから、離れようと思った。でも離れすぎるのはマズいとも思ったんだ。知り合いにも、そんな人たちがいたよ。別居して、結局はそのまま離婚することになった。

一度距離をとってしまうと、詰めるのはなかなか難しいみたいなんだ」        [128]

 

「もうちょっとビクビクしてほしいな、ウチの生徒たちには」

「おれもそう思うよ」

「ビクビクしてないんですか? 今の生徒たち」

「教師に対しては、しないわね」とミーさんが応える。「生徒たち同士の関係では、常にビクビクしてるけど」

「そうだな。友だち相手に何をそんなにビクビクするのかっていうくらい、してるよ。仲よくしたいっていうよりは、嫌われたくないっていうのが先に出ちゃってる感じだな」  [135]

 

「いかにも先生みたいなこと言っちゃうけど、いい?」

「はい」

「自分のことは、大事にしなよ」

「えーと、はい」

「自分を大事にできるのは、まず自分だから。自分を大事にできなかったら、人のことも大事にできないから。以上、わかった?」  [146]

 

これはよく思うことだが。壁を取り払ってみれば、隣人は、ぎょっとするぐらい近くにいるものなのだろう。たまたまテーブルの配置場所がそこで、実は毎日同じ時刻に向かい合ってご飯を食べていた、などということだってあるかもしれない。アパートでもマンションでもいい。同じ階に並ぶ各部屋の壁を一気に取り払ったら、さぞかしおもしろい眺めになるだろう。

要するに、見えないことが大事なのだ。見えなければ、殺人の目撃者になることもない。視界に入らなければ、その存在は消える。見えないものは、ない。

人間は、そう錯覚することができる。

たった一枚の壁。その向こうにあるものを知っていれば、そこにあえて壁を作ることで、それへの希求は強くなる。理屈は刑務所と同じだ。壁の向こうに思いを馳せない囚人はいないだろう。たぶん。  [151]

 

第五夜 町屋 

東京は、街から街へ歩いて行けるところがいい。例えば新宿から渋谷へ、銀座から秋葉原へ。お茶の水から四谷へ。どこも信号が多いのが難だが、街ごとに風景が変わってくれるので、歩いていて飽きない。

地方の町ではこうはいかない。まず町を街と書けない。書けそうなところが少ない。駅前の印象はどこも同じ。そこを離れるとすぐに何もなくなってしまうのも同じ。国道を歩いていくと、ファミレスがあり、パチンコ屋がある。パチンコ屋は、およそ三割がつぶれている。そしてしばらくすると、また別のパチンコ屋になる。

ただし、東京にも、歩いていて楽しくない道がある。首都高の高架沿いの道。

僕にとっては、そこがそれだ。

以前はあまり意識しなかった。だが無意識に避けてはいた。最近になって、そのことに気づいた。空が見えないのは、どうもいやなのだ。 [154]

 

「森はデパートだったっけ」

「はい」

「やめたんだ?」

「ですね」

そこで、何で? と続かないところが小春さんだ。興味がないというより、聞いてもしかたがないことは聞かないという感じ。姉ちゃんの言っていたことがよくわかる。余計なことは訊いてこない。でもこっちが話すことは聞いてくれる。求めれば、意見もズバズバ言ってくれる。だから好き。だから嫌いって人も、いるだろうけど。 [164]                                             

「小春さんは、調理師免許を持ってるんでしたっけ」

「持ってない。いらないのよ。店をやるには、食品衛生責任者の資格があればいいの。それは一日の講習でとれる。で、まあ、とにかくね、ちょうどよかったのよ。わたしも仕事やめたとこだったから」  [168]

 

「役者と作家はいいよ。資格がいらないから、誰でも勝手にそう名乗れる。

その分、うさん臭く見られたりもするけどな。いつかおれみたいになったら、お前もそうしろよ。頭の悪い女なら、何人かは引っかかるから」  [173]

 

 

ではでは、またね。