『はじめての古寺歩き』 井沢 元彦 /引用三昧5冊目

基礎編――これだけは知っておきたい 一 仏像の基礎知識 古寺の三大要素

今、仏像、建築、庭園が古寺の三大要素だと言いましたが、実はこの三大要素をすべて兼ね備えている寺は、ほとんどないと言ってもいいぐらいです。なぜかというと、たとえば飛鳥・奈良時代のお寺は、仏像や建築には力を入れていますが、庭園を造るという発想がありません。日本で庭園というものが定着したのは禅宗が入ってからですから、少なくとも鎌倉時代以降ということになります。

ところが、よくしたものというか、世の中うまくいかないというか、禅宗の寺の仏像は奈良・平安期の仏像と比べて、やはり一歩劣るものが多いのです。

これはある意味で、寺々には失礼な言い方なのですが、敢えて無礼を省みず言えば、やはり時代によって力が集中されるところが違うということです。[12]

 

如来像とは何か 釈迦の教えは、ある意味では非常に簡単なものでした。人間はなぜ苦しむのか。それはこの世のすべてのものが永遠ではないからである。つまり、この世のものにはすべて終わりがあるということに気付かないからだというのです。このことをよく、「この世は無常である」と言います。[16]

無常というのはよく無情と間違えられるのですが、これはそういう意味ではなくて、どのようなものにも寿命があり、どれほど栄えた国家でも、民族でも、あるいは組織でも、必ず滅びるということです。われわれはもちろん、愛する妻も子どももいつかは死ぬ。究極的には自分もいつか死ぬのです。そのことを明確に認識していないから、人間は苦しむのである。でも、そうした無常の原理というものを悟れば、人間はあらゆる苦しみから自由になれる、と釈迦は説いたのです。この状態のことを涅槃と言います。

 

釈迦如来阿弥陀如来薬師如来 如来というのは、最高神ですから本来は一人のはずです。ところが、仏教というのは、そういう意味では非常に自由な、融通無碍-むげな宗教で、如来をいくつも認めます。たとえば阿弥陀如来と釈迦如来は友達だったということになっています。そういうかたちでどんどん増やせるわけですね。ですから、如来もたくさんいて、区別がしにくいということになります。[27]

 

毘盧遮那如来大日如来  大乗仏教の発展とともに、いろいろな如来が出現したわけですが、これほどたくさんの如来が出てくると、どうしても最高の如来は何かということを考えたくなります。つまり如来を統一する究極の如来ということです。

そこで考えられたのが、毘盧遮那-びるしゃな如来毘盧遮那仏というものです。毘盧遮那というのは、「ヴァイローチャナ」というサンスクリット語を音写したもので「光り輝く」という意味です。つまり、この毘盧遮那如来は、われわれの時空の中に現われた釈迦の根源たる仏であるということです。     

奈良の大仏が、この毘盧遮那如来です。そして、同じく奈良の唐招提寺にも毘盧遮那如来があります。もし皆さんが唐招提寺に行く機会があったら、ぜひその光背-こうはいをよく見てください。

光背というのは、仏像の後ろに必ず付けなければいけないもので、一種のオーラを彫刻で表現したものです。つまり、仏像の背後には輝く光があるというのが決まりなのですが、その光背を見てもいろいろなことがわかります。たとえば、薬師如来の光背には、その化身である六つの小さな薬師如来が付いていますが、これは薬師如来は、その本体も含めて、七つの化身を持つという信仰に基づいています。

唐招提寺の毘盧遮那如来の光背は、千光仏と言って、小さな千体もの化仏(化身)が付いています。この一つひとつが釈迦如来とされているわけです。つまり千の世界にそれぞれ現われた釈迦如来の根源はその毘盧遮那如来であるという発想です。[31]

 

二 仏像の美術史的アプローチ 玉眼と彫眼

この本では美術史的なことはあまり詳しくは触れませんが、これだけは覚えておいたほうがいいという知識について、二、三、お話ししておきましょう。

一つは「玉眼-ぎょくがん」という技法です。玉眼というのは、目の玉に水晶を入れる技法です。これをやりますと、非常にリアリスティックな仏像になります。つまり生きている人間のように見えるということです。ただし、それは彫刻としては一歩後退するという考え方もあります。つまり、一種の人形化になるため、仏像としては線が弱くなるという欠点も持っているということです。

この玉眼という技法が、日本において始められたのは、鎌倉時代からです。

したがって、仏像を一目見て、それが玉眼だったら、鎌倉以降、そうでなければ鎌倉以前の作ということが、原則としては言えます。[45]

 

三 建築 建築を見るポイント  禅宗の影響          

それ以前、アジアや中東では、貴族などの身分の高い人は何もしない、身の回りのことは絶対自分ではしないというのが決まりでした。むしろ、それが身分が高いという意味だったのです。簡単に言いますと、服を着替えたり、食事を作ったりするようなことは、決して自分でせず召使いにさせる。甚だしいものでは風呂に入っても、自分で体を洗わず人に洗わせる。もっと尾籠-びろうな話で言えば、トイれに行っても自分でその後始末をしないというのが、特にアジアの貴族社会では常識だったのです。

禅はこの常識を打ち破りました。どんなに身分の高い人間でも、仏道修行をする以上は、全部自分のことは自分でやりなさい。自分の身の回りのことは、自分で片付け、食事も自分で作るのが正しい修行の道だと教えたわけです。

これは日本人に実に大きな影響を与えています。たとえば、学校へ行くと掃除当番というのがありますが、これがすべての学校にあるのは日本だけというのをご存じでしょうか。外国には掃除当番はないのです。アメリカにもインドにもありません。[58]

ただし、ない理由はそれぞれ違います。アメリカでは、学生というのは、勉強することが仕事であり、掃除というのは専門の人を雇ってやらせればいいのだという考え方です。つまり、彼らの中に掃除というものも教育の一環であるという発想がないのです。だから、掃除当番もない。では、インドではどうかと言うと、これはまったくの逆です。掃除のような卑しいことは、学生にやらせるべきではないという考えなのです。

 

個人的に興味を抱いている内容のため、つい長めに引用してしまった。

なので今回は、前半の途中で留めておく。

もっと&しっかり読みたい人は、「元本」をあたっておくれ。

ちなみにラストで引用した文章は

"日本人サポーターのゴミ拾い問題"に使わせてもらった。

 

ではでは、またね