「爆笑エッセイ」? 否、"真理の地雷原"だ。 『ビロウな話で恐縮です日記』三浦しをん 周回遅れの文庫Rock 

タイトルからして、"オタク作家の自意識ダダ洩れ"をうかがわせる。

本業(小説)を書けない口実やら逃避ぶりを自虐的に綴っただけの「雑文」。

――だろう、なんて甘い考えでページを開こうものなら

真っ赤になって焼けただれ、跡形もなく溶け去ってしまうほど衝撃的な

(私個人にとっては)作品だった。

 

なにがそんなにスゴいのか?

著者が熱愛するBL(ボーイズラブ、要するに「やおい」)マンガの紹介だったり

力いっぱい"ダメ女"ぶりっては、永遠に終わらない大掃除にご立腹するとか。

さんざっぱら読者を油断させておいて、いきなり、こう来るのだ。

※『風の影』(カルロス・ルイス・サフォン)の読後感想。

個人的には、「男性作家が書く女性キャラ、女性作家が書く男性キャラは、だいたいにおいてドリームである」という持論(?)を確認できて、そこも楽しかった。自分にとっての異性を書くのは、難しいのだな。自分が書いてるものに関しては、その点はいつも赤面というか反省というか課題だが、しかし逆に、その点はいつも赤面というか反省というか課題だが、しかし逆に、そういうドリームがなきゃこの世は闇だろ、とも思う。そのドリームは、とても心を広くして解釈すると、他社に対して抱く希望の光や期待にほかならないと思うからだ。                 (70ページ)

 

上記の「ドリーム」が最も判りやすい形で現れるのが、異性の兄弟姉妹がいない思春期真っ盛りの若者たちが陥る、〈恋愛対象の理想化〉だろう。

昔はよく"アイドルはトイレに行かない"とか非人間的な美化が当然のように交わされていたものだが、同じように無知なティーンエージャーたちは、チラッと垣間見ただけの相手の容姿をコアにして、己の理想を何重にも塗り込めていく。そして、当の本人とは似ても似つかない"聖なる存在"へと、一方的に祭り上げてしまうのだよ。

己自身も何度なくハマった底なし沼だけに、半世紀近く過ぎた今なお触れるとジュッと煙を吹き上げるぐらい、こっぱずかしい"若気の至り"であった・・・。

――など。いい歳こいたオッサンが、思わず半生を振り返ってしまうほど、鋭く研ぎ澄まされた〈真理の刃〉が、おちゃらけ文章の地雷原のなかで待ち構えている。

 

このくだりにも、おお!と、心の膝を叩いてしまった。

たとえば「放蕩息子の帰還」とか「ドラ息子」とかの「息子」って、「〇〇さんの子ども(性別は男」」「〇〇さんちの子ども(性別は男」」って意味がある。だけど、たとえば道を行く見知らぬ若い男性に話しかけるとき、「もしもし、そこの息子さん」とは言わない。せいぜい、小さな男の子に「ぼっちゃん」って呼びかけるぐらいだ。

ところが女性の場合、かなり大人になっても、道で話しかけられるときなどに、「もしもし、そこのお譲さん」とか「娘さん、このへんに郵便局ないかしら?」とか言われる。つまり、女への呼びかけは常に、「〇〇さんの子ども」「〇〇さんちの子ども」なのである。

女は父親もしくは家の付属物か! と怒ってるのではなく(ちょっと怒ってるが)、「なるほどねえ、平安時代の『藤原道長の女(むすめ)』みたいな感覚は、いまも無意識でつづいてるのねえ」と蒙(もう)を啓(ひら)かれた思いがしたのだ。勝手に自分の蒙を啓く。そういうの啓蒙って言うか?            (113ページ)

 

今や人権に並ぶ課題である「ジェンダー問題」が、平安時代に通じる時間感覚を交え、

ここまで明快かつ平易に綴られている文章を、私は他に知らない。

照れ隠しで付けただけの"オチ"に、「フフフ」なんて笑ってる場合じゃないぞ。

 

いちいち紹介するとまたも〈引用祭り〉になるので、ここらで自制・・しきれず・・

〇「老人がボケずに長生きする秘訣は、介護してもらわないことだね!」。

〇どうして、「昼」にだけ「お」がつくのだろう。「朝」と「夜」にはつかないのに。

〇「人間は相手に対して、心にもない『いい事』(つまりお世辞)を言うことはできる   が、心にもない『悪い事』を言うことはほとんど不可能だ。悪口、ののしり等は、常日頃、心のなかで思っているから口から出るのである」

〇「『一度だけいか言わない、君を愛している』なんていう台詞(せりふ)は一見男らしくてかっこよく思えるかもしれませんが、ただのケチです」

などなど、目からウロコが滝になって雪崩落ちるメガトン級の"爆弾宣言"が、

ドッカンドッカンと降り注いでくるのだ。

 

誰だよ、こんなすごい作品を「爆笑エッセイ」のひとことで紹介するヤツは!?

天は許そうとも、俺は許さないぞ!!

 

怒りに任せて、いちばん気に入った文章を、またまた引用しちまおう。

私はこのごろちょうど、複数形について考えているところだった。ある作家のかたと、「嫌いな(できれば使いたくない)言葉はなにか」という話になったのだ。私は、「生きざま」と答えた。生きざま。おお、ぶるぶる。虫唾が走る。

そのかたは、「複数形」と答えた。

「『すてきな椅子たち」とか書かれていると、『なんじゃそりゃあ!』とムカッとします」                           (259-60ベージ)

 

まったくもって、そのとーり。なんじゃそりゃあ!!

 

ではでは、またね。