"いまを楽しく生きる力"が湧いてくる 『わが盲想』モハメド・オマル・アブディン 周回遅れの文庫Rock

読み終えたときに抱いた率直な想いは

日本の若い人も、この著者のように前向きに生きてゆけば

いじめ・自殺・未婚・少子化などの社会問題も、ここまで悪化しなかったのでは。

・・という、極めて能天気な感慨だった。

実際、本書で知った彼(アブディン)の半生から伝わって来るのは

次の言葉に象徴される、「逞しさ」と「したたかさ」なのだ。

すなわち――人生、なるようになる!!

 

1956年の独立以来、内乱や紛争などの国情不安が途絶えることのない

北東アフリカの激動国家・スーダン

そこに、弱視の子として生まれ、12歳にして視力を失った

ハメド・オマル・アブディン。

現代日本の感覚であれば、その後の人生設計は、

いかにして生活力を維持し、手堅く日々を過ごしていくか。

といった地道な歩みに移行するケースが、大多数だろう。

そうでなくても、南スーダン独立を巡るドンパチやら

西武ダルフール地方との紛争が延々繰り返され

国民の5人に1人以上がなんらかの人道支援を必要としている

世界有数に生まれ育ったのだ。

 

しかし、アブディン青年は、大学生だった19歳のとき

たまたま先輩に声を掛けられ、日本留学のチャンスと巡り逢う。

大学で法律を専攻していた彼だったが

「日本で鍼灸を学べる」というまったく想定外の未来へと、大きく舵を切った。

まずは、家族の説得に全力を注ぐ。

ソファーの端のほうに座った母が静かに言った。                  「この話、あなたは納得してる? ほんとうに日本へ行きたい? 鍼灸を勉強したい?

念願のハルツーム大学の法学部での勉強を断念してもいいの?」〈中略〉       ぼくは母に言った。                                 「ほんと言うと、日本にも鍼灸にも興味はなかった。でも、それは今までその選択肢を知らなかったからだよ。このままスーダンに残ると、ぼくはなんにもできない。日本は、目の見えない人が勉強する環境が整っている。ハルツーム大学の同級生は、みんなそれぞれの勉強で忙しいからだれも教材を読み上げてくれない。このままだと、ぼくはなんにもできなくなる」                      〔24-25ページ〕

まさに"未来と人生をかけた"必死の説得シーン!

とはいえオチャメなアブディン。その直後、余計な一言"を付け加えてしまう。

最後のセリフはかなり母の心を動かした。ぼくの口調はお涙頂戴的な番組のナレーターの切羽詰まった声に似ていた。上手いなって我ながら感心してしまった。〔25ページ〕

ーー一事が万事、こんな調子。シリアスとユーモアが共闘しつつ展開してゆく。

 

その後、超難関の面接試験に見事合格。

唯一のスーダン人留学生として、無事に日本に降り立ったアブディン君。

だがしかし、それはこの先に果てしなく続く

波乱万丈のジェットコースター人生のスタートにすぎなかった・・・!

 

20年余りに及ぶ日本生活の末、

現在(2021年時点)、学習院大学で特別客員教授を務めるアブディン。

いったいどんな紆余曲折&七転び八起きを経て、そのポジションに至ったのかは

無粋な要約でなく、直接本書を読んでいただいたほうが楽しいだろう。

 

てなわけで、話を冒頭の"想い"へと戻したい。

まず目に止まるのは、外国人が書く本に共通する「比較文化論」的な言及だ。

早い話、日本(社会)に対する"外から目線"の疑問と問題提起である。

たとえば、大学3年時に始まる〈就活一辺倒システム〉に対して。

なぜ大学がいとも簡単に企業側に愛しい学生たちを売りとばすのか、ぼくにはわからなかった。なぜ責任を持ってみっちり四年の間、学生に対して教育をほどこさないのか?担当であるはずの文科省も、なぜ見て見ぬふりをするのだろう。この国は企業中心に回っている、とぼくは感じた。だからこそ経済成長したんだからいいじゃんって反論されると困るが、何にせよ、学生たちがこの制度の最大の被害者であることに変わりはない。                                [191ページ]

なぜ、新卒がそのまま企業に入るべきなのだろう。なぜ、新卒で働かないと大変なことになるんだろう? 食べ物のように腐ったりするものでもなければ、すべての職種が若さを必要とするようなものばかりでもないだろうと思った。       [192ページ]

 

だが、最もうたた(俺だ)の心を揺さぶったのは

たった一人で日本留学という大博打にその身を投げ出し

次から次へと襲い掛かる苦難・難関を、ひょひょいのひょいと乗り越えてゆく

盲目の戦士モハメド・オマル・アブディンの

雨が降ろうが風が吹こうが、とことん前向きな〈人生の流儀〉だった。

 

巻末に収められた友人・高野秀行(作家)との対談に、その一端が垣間見える。

高野 ずっと一人で、結婚したいとか彼女がいないとか言ってたと思ったら、あっという間に結婚して、子どもができて。と思ったら、子どもが三人にになっていてね。なんなんだよ、この人はという。僕はアブを見ていると、日本の少子化対策の大きなヒントがあると思いますよ。要するに、生来のことは考えない! 計画を立てない!    アブ 考えたところで役に立たない。                        高野 考えると、いろんなネガティブな要素が出てきたり、慎重になったりするでしょ。だからうまくいかないっていうか、子どもはつくらないとか少なくしようとする。 アブ たぶんお金がある人ほど子どもは少なくしようと思うんじゃないかな。自分のなかで、子どもにこのくらいの暮らしをさせなきゃいけないという真面目さがある。でも子どもって、そんなの認識してないじゃないですか。いい暮らしよりも、楽しい暮らしがいい。                                         [288ページ]

 

将来の見通しがなにも立たぬまま

コロナ禍で厳しさ募るいっぽうの現実と苦闘している若い世代にすれば

「なぁに夢みたいなことばっか、へらへらほざいていやがる!」

なんて毒づきたくもなるかもしれない。

けれども、見通しが立たないクズのような時代だからこそ

アブディンの〈楽観的ライフスタイル〉が力を発揮するんじゃないか。

ーーそう思えてならないのだ。

 

心の同志・高野秀行も、こう言ってるし。

高野 普通の人、お金がいる人だって、この先どうなるかはわからないでしょう?   今お金があったって、自分の仕事がどうなるかわからないし、日本全体がどうなるかわからないし、結局、いくらあったら大丈夫っていうのはわからない。だから、それを逆算して子どもは生まないほうがいいとか、一人を二十歳まで育てるのにいくらかかるとか計算するのは馬鹿馬鹿しいと思う。〈中略〉

アブ 子どもが生まれればどっかから収入が降ってくる。              高野 すばらしい思想だよね。                 〔289-290ページ〕

 

おしまいに、もうひとつ。

視覚障害」に関する名言を見つけたので、それも紹介しちゃおう。

高野 視覚障害者っていうのは、目が不自由な人じゃなくて、目が見えない分だけ不自由だという、それだけだよね。                          アブ 人間は基本的に、不自由な思いをしている人を見て、自分は大丈夫と安心したいんだと思います。自分もいっぱい不自由を感じているのにね。まあでも、そういう感覚はうまく使わないと。障害は資本だからね。              [297ページ]

ーー素晴らしい!!

 

ではでは、またね。