〈男女平等〉という"呪縛" もっかい『医者の稼ぎ方』筒井冨美 周回遅れの新書Rock

2日前に書いたあとで

改めて「そうか!」と思い当たったことがあるので、列記する。

 

まず、少し前のこと。

〈男女平等主義者〉を激怒させた事件があった。

確か、大学医学部の入学基準が、女性だけ高めに設定されていたことだ。

何も知らなかった当時は、私も

「なんでそうまでして男性をヒイキするんだろう? 

 医大のお偉いさんは、揃いも揃ってマチズモ主義者なのかな」

なんて、余りに露骨な〈男女差別〉に呆れたものだった。

 

だが、本書を読んだ後、それが180度反転した。

以下は、決して、女性差別の視点から生じたものではない。

あくまで、男と女の〈生物学的な差異から必然的に起きる問題〉と捉えて欲しい。

・・とかなんとか、言い訳じみた前置きはさておいて。

 

たとえ入試で優秀な成績を収め、見事志望した大学の医学部に入学。

その後も学究に励んで、大学病院の新人医師になれたとしても

女性の場合は、その大半に「妊娠⇒出産」というミッションが待ち受けている。

すると、彼女らうちの少なからぬ人々は、現行の制度を最大限に生かして

「出産~子育て」などプライベートの都合を最優先。

結果的に、キャリアップに必要な努力や研究を回避し続け

形だけは〈一人前の医師〉として、我々患者の前に現れることになる。

それこそ、著者が再三名を挙げていた「40代ママ医師」である。

だが、残念ながらラ彼女には、新人時代に積み重ねていたはずだった

本来なら一人前の専門医として必須だったはずの、各種技能が欠落している。

そのため、例えば産婦人科なら、異常出産への対応も、帝王切開の技術も取得せず

困ったことが起きれば、常に他の"ちゃんとした医師"に丸投げせざるを得ない。

 

厄介なのは、この問題が、入学試験の優劣とは、ほぼ無関係だということ。

たとえ最高得点で試験を突破しようが

ひとたび〈家族生活優先モード〉になれば

自動的に「名医」への道を放棄してしまうから。

どれほど学業成績が優秀だろうと、〈実技〉伴わなければ通用しないのは

医師に限らず、いかなる職種でも変わらない。

 

これらの状況証拠から導き出される結論は、以下の通り。

今回の「合格ライン操作事件」の裏には

そうした〈無能な女医〉の割合を少しでも減らそうとした

医大側の苦肉の策だったのではないだろうか。

政府が決めた現行の制度の表立って反対できない何らかの事情があるため

あのような"違法操作"に手を付けたのだと考えるのだ。

そうでもなければ、あんなすぐにばれるようなゴマカシに誰が手を付けるだろうか。

逆に考えれば、そこまで踏み切らざるをえなくなるほど

大学病院(医大)の機能不全は危機的な状況に陥っている、と推測できてしまう。

 

これは、本当に恐ろしいことだ。

なぜなら、私たちが身体の異常を訴え、大学病院で自らの命を託す相手が

少なからぬ確率で、著者の称する〈40代ママ医師〉になってしまうからだ。

 

では、どうすればいいのか。

とにかく厚労省?は、一刻も早く現行の研修医制度を見直すこと。

少なくとも、家庭(子供)の都合や、勤務時間超過を盾に、

可能な限りフレキシブルで優雅な生活を送る、大学病院の〈お荷物〉たちと

文字通り不眠不休で働くことを強要され

.正当な反論すら「セクハラ」「バワハラ」なる"葵の印籠"で封じられた

〈有能医師〉たちが、同じ額の給与を取得しているという

このあまりにも理不尽な所得体系を、早急に改める必要がある。

あえて口に出すのもバカバカしいことだが。

――働かざる者、食うべからず。

いい仕事をちゃんとした人が報われないのは、あまりにも哀しい。

 

でも、実際のところ、役所でも様々な天下り先でも

当然のように〈窓際高給取り〉が、はびこっているんだよな。

よくもまあ、そんな国がやっていけてるもんだ。

 

ついでに、あといっこ。

もしも本書の著者が女性医師でなく、男性だったとしたら

様々な団体(主にフェミニスト関係)による

猛烈なバッシングが起きていただろうことは、想像に難くない。

どーしてここまで極端な状況になってしまったのか

女性から男性に向けた「差別批判」は、ほぼノーチェックで容認されるが

逆方向の見解を口にした場合、たとえそれが理にかなった考えであったとしても

問答無用で〈女性蔑視〉なるレッテルが貼られてしまう。

・・そんな気がしてならないのだ。

 

 

本当に必要なことは

男女の比率を50対50に定める事ではなく

結果としてどんな比率になろうが

〈より優れた人が十全に力を発揮できる社会(システム)〉を確立すること。

結果として、よしんば男女比が10対90になろうが

それは、"よりマシな方向への変化"なのだから。

欧米諸国から批判されるたびにビクビクと顔色をうかがい

《数字》の帳尻ばかり合わせたって、な~んも変わんないと思うよ。

 

ではでは、またね。