〈気やすめ〉で、いいんだよ 『ひそやかな花園』角田光代 周回遅れの文庫Rock

角田光代の小説を読み始めると

いつのまにか自分が〈強い重力〉に囚われ

いやおうなく先へ先へと引っ張られるような気がしてくる。

おそらく、その〈重力〉の源になっているのは.

登場人物ひとりひとりが発する、《想い》の切実さだ。

 

本作の主役格となる、紗有美(さゆみ)、樹里、賢人、紀子、雄一郎、弾、波留。

物語は、上記の男女7人が各自の親に連れられて、弾の別荘に集合。

何年かに渡って夏休みを過ごした〈無邪気な子供時代〉の情景と

突然、"夏のキャンプ"が行なわれなくなって以後

成長するに従い、彼らがたどった〈それぞれの日々〉を丹念に描いていく。

やがて、彼らのなかから

血縁関係も近所づきあいもない家族が集まった"夏のキャンプ"とは何だったのか?

なぜ一緒に夏の日々を過ごし、またなぜ突然休止してしまったのか?

という疑問への答えにたどり着く者が、ひとり、またひとりと現れていく。

こうして7人の若者たちは、全員に共通する真相(出生の秘密)を知るのだが・・。

 

物語の読みどころ(と私が勝手に考えるの)は

「出生の秘密」を知ることで、7人の若者それぞれの心に生じる衝撃の大きさ

・・ではなく、ひとりひとりの気質や性格に寄り添った

恐ろしいほどリアルで、身につまされる、心理描写の数々である。

ここで作者は、"情け容赦ない"としか言いようがないほど鋭い切れ味で

彼ら彼女らの内面を暴き出してみせるのだ。

 

しかも、困ったことに。

若者たちの姿を通して描かれる、挫折・葛藤・甘え・嫉妬・失望などなど

多彩な心の動きを追ううち、読者もまた〈同じ世界〉に、引きずり込まれていく。

たとえば、誰か一人に強い共感を抱くと同時に、共感を抱いた自分自身に幻滅したり。

つまり、7人の登場人物に(それ以外の脇役にも)己を重ね合わせながら

《物語世界を生きる》ことができるのだから、たまらない。

 

さらに、これもまた著者ならではのサービス精神の現われなのだろう。

共感しながらも落ち込んでしまう・・といった

読者の古傷に触れる性格・行動描写も、そのままにしておかない。

物語の終盤で、おそらく必ずと言っていいだろう

〈希望〉へとつながる〈変化(成長?)〉を、創り出してみせるのだ。

 

でも著者は、それもまた、実際にはそう簡単には起こり得ない「お話」だってことに

おそらく気づいているのだろう。

「現実」と「架空」の間に立ちはだかる高い壁を認めつつ

それでも、あえて〈気休め〉や〈救済〉を読者の前に差し出すところが

とても優しくて・・・ちょっと、怖い。

 

ほとんど抽象論に終始してしまったので

角田作品に親しんでいない方には、なに言ってんのか分かんなかっただろうな。

んじゃ、「わかんなかった」ついでに

個人的にシビれた言葉を、引用してしまおう。

たぶん大丈夫だと思うけど、もしネタバレになっていたら、ごめん.。

 

「おれはさ、ライター時代に思い知ったことがあるんだ。だれかを傷つけるために言葉を使っちゃ、ぜったいにいけないんだ。だれかを傷つけるために刃物を使っちゃいけないのと、それはまったくおんなじにさ」       (文庫じゃなかったので不明)

 

「後悔しているただひとつのことは」樹里は母を見る。母は顔を陽にさらしたまま、言う。「しあわせを見くびっていたことかな」               (同上)

 

おしまいに、エピローグ(波留の手紙)後半。「スピーチ」部分。

 

18歳のとき、生まれて初めて外国に行った時の想いに触れているけど

まったくもう本当に、その通りだと思う。

旅を愛する人は、この2~3ページだけでいいから、立ち読みでも構わないから

ぜひとも、読んでみてほしい。 

たとえ〈気やすめ〉だとわかっていても、癒されてしまったよ。    

 

ではでは、またね。