"気持ち"で決まる「ハラスメント」の《真の被害者》は? 本日の"なんだかなぁ"

セクハラ、パワハラなどに端を発した

いわゆる「ハラスメント問題」だが

時を経るにつれ、その範囲と種類は増えるばかり。

つい最近も「正論ばかりを突きつけて相手を追い詰める行為」を

「ロジック・ハラスメント=ロジハラ」と名づけ

新たな仲間に加えようとする動きが、盛り上がっている。

 

でもさ、これって、考えようによっては

単に「過ちを指摘されるのが気に入らない!」という場合もあるよね。

いちいちこんなことまで

〈ハラスメント=相手の意に反する行為によって不快な感情を抱かせること〉

と定義し、発言者を自動的に加害者だと認定してしまったら

「教育」や「指導」の大半は、セクハラ行為になってしまうはずだ。

いいのか? そこまで世の中を〈被害者天国〉にしちゃって?

 

そもそも、〈ハラスメント〉なるものの定義自体に

《不快な感情》という

本人にしか分からない精神的ダメージの有無が

極めて大きな要素が関わっている

 

極端な話、Aさんが「だめだよ、いつまでもこんなことしてちゃ」といった

ごくありふれた注意(指導)を、Bさんに向けて発言したとしよう。

するとBさんは、これを(叱咤激励の助言〉と前向きに受け止め

Aさんに対する感謝の気持ちを抱くようになる。

ところが、まったく同じ状況で同じ言葉を投げかけられたCさんは

これを〈心をえぐられ死にたくなるほど傷付いた〉と非難。

実際に、それが原因で自殺未遂に至ったと訴える。

――状況次第では、これは立派なハラスメント(パワハラ)になりかねない。

 

かくも不安定(いい加減)な判断基準のもと

ほぼ無条件に《被害者優先》の観点に立ち続けたまま

現在の「ハラスメント・ブーム」は、走り続けているのだ。

 

これが、どんなに恐ろしいことか。

極めて雑な粗筋に過ぎないが

可能性としては充分ありえる「想定ケース」を、読んでみてほしい。

 

ある会社に、数年違いの上司と部下がいる。

上司は判断が早く、とにかく自力で頑張ろうとする努力家だ。

いっぽう部下は、親や教師に言われる通り育ってきており

社会人一年生の今なお、他者に頼りがちな癖がなかなか抜けない。

その日も、些細な計算ミスを繰り返し

管理責任のある上司を、確認のためのサービス残業へと追いやっていた。

しかも上司にとって、その日は、長女の誕生日。

「早く帰るからね」という約束も果たせず、苛立ちは募るばかり。

それでもオフィスに二人だけ残り、なんとか8時過ぎには清算作業を完了。

「じゃ、あとはよろしく」と、急いで帰宅しようとしたところで

「あっ、すみません・・実は、こっちも」と

照れ笑いを浮かべ、未精算の書類をゴソゴソ取り出す部下。

上司の頭の中で、何かがブツッとキレる。

「もう・・いいかげんにしろ! 面倒見きれないよ!」

思わず声を荒げ、後ろも振り返らずに、会社を後にした。

 

翌朝。

出社した上司は、ある知らせに愕然とする。

昨夜夜遅く、オフィスのトイレで部下が首を吊って自殺したというのだ。

しかも、分厚い遺書を上司の机に置いて。

そこには、これまで何度も上司から理不尽なパワハラを受けており

その精神的な痛みに耐え切れず、命を断つに至ったことを

微に入り細を穿つように記されていた・・。

 

さて、これをどう判断するか。

事実関係だけを拾い上げ、冷静かつ客観的に判断すれば

――どう考えても、《逆恨み》《あてつけ》の類でしかないだろう。

だが、現在の「ハラスメント基準」から推定すると、

上司のパワハラ行為は、確実に認定される。

おそらく彼は、なんらかの社会的制裁を受けざるをえなくなる。

 

むろん、かつて男たちが見て見ぬふりをしてきた

「レイプ事件」や「セクハラ行為」がそうであるように

今なお頻発する〈ハラスメント事件〉の大半は

誰が見ても歴然とわかる「迫害」「差別」「イジメ」行為である。

しかし、思い違いや逆恨みに端を発する〔チカン冤罪〕などと同様

増加の一途をたどる『ハラスメント問題』にも

〈被害者の絶対正義〉を盾に取った、あてつけ行為が

少なからず繰り返されているのではないか。

そんな、胸の痛くなるような不安感を拭うことができない。

 

そして、この「ハラスメントブーム」が盛り上がるほど

相手を傷つける可能性があるすべての助言・指導・注意といった

本来は社会をプラスにしていく行動は激減。

極端な話、大切なことはなにも後代に伝えられぬまま

人類社会は衰退していくのではないか・・とまで危惧してしまう。

本来、人が成長するとき、なんらか痛みが伴うのは、あたりまえのこと。

それを拒んだところに、成長も改革も存在しないのだから。

 

すくなくとも、いまこの段階で

「ハラスメント問題」に対する何らかの倫理基準を確立しておかないと

前述の妄想で取り上げた話をなぞるような

"すべてが終わった後に、「良かったこと」をひとつも残さない"

狂信者による自爆テロさながらの《あてつけ逆ハラ行為》が

際限なく増えていくような気がしてならない

 

ではでは、またね。