"書き続ける"――その、苦しみと喜びとのはざまで 『文盲 アゴタ・クリストフ自伝』アゴタ・クリストフ 周回遅れの新書Rock

数年前から始めた〔スゴロク読書法〕のおかげで

「読みたい本から手に取る」という従来の読書システムでは

当分開くことはなかっただろう

アゴタ・クリストフの『悪童日記』を読了。

その流れで、本書にもまた巡り会うことができた。

 

1935年、ハンガリーに生まれ

56年の「ハンガリー動乱」のおり

乳飲み子を抱いて夫と共に祖国を脱出。

難民としてスイスに亡命した女性が

時計工場で働きながらフランス語を習得。

その言葉を使って、戯曲や小説などを書きはじめ

世界的ベストセラー『悪童日記』三部作を世に出した彼女が

2004年に発表した、中編小説程度の短い自伝である。

 

貧しい生い立ち

ソビエト連邦による容赦ない文化弾圧

満足な食事すら口に出来ない寄宿舎ぐらし

3万人の命を奪ったハンガリー動乱

両親や兄弟と後に残しての、命がけの国外亡命。

亡命先のスイスで生きる目的やアイデンティティを失い

次々と自らの命を断ってゆく、同郷の仲間たち。

ざっとプロフィールをたどるだけで

いかに彼女が過酷な半生を生き抜いてきたかが

ひしひしと伝わってくる。

 

しかし、本書で、そのひとつひとつに触れる彼女の文章には

怒りも哀しみも激情も載せられておらず

むしろ静けさが伝わってくるほど、淡々とした筆致で貫かれている。

その奥底で光を放っているのは

月並みな表現だが――揺るぎない強さ、なのだろう。

 

最後のひとつ前の章に記された

「人はどのようにして作家になるか?」という小文にも

アゴタ・クリストフの〈揺るぎない強さが、みなぎっていた。

 

引用しよう。

こんな、書き出しだ。

 

まず、当たり前のことだが、ものを書かなければならない。それから、ものを書き続けていかなければならない。たとえ、自分の書いたものに興味を持ってくれる人が一人もいなくても。たとえ、自分の書いたものに興味を持ってくれる人などこの先一人も洗わないだろうという気がしても、たとえ、書き上げた原稿が引き出しの中にたまるばかりで、別の原稿を書いているうちに前の原稿を忘れてしまうというふうであっても。

 

・・なんという、強さだろうか。

最後もまた、繰り返すように、こう締めくくっている。

 

さて、人はどのようにして作家になるかという問いに、わたしはこう答える。

自分の書いているものへの信念をけっして失うことなく、辛抱強く、執拗に書き続けることによってである、と。

 

彼女のように

"辛抱強く、執拗に描き続けること"ができなかった私が

「せめて10年前、この本に出逢っていたら・・」などと

思わず『タラレバおじさん』になってしまうような

鋭く真実を突いた言葉である。

 

「執拗に書き続けて」こなかったバチが当たり

今度も月並みな表現しか出て来ないが

要するに《継続は力なり!》――ということ。

数少ない真理のひとつなのだと、いまさらながら痛感している。

 

ではでは、またね。