雨に泣き、美味に笑う  高知ふたり旅 2022.11.29-12.2 1日目➁ ひろめ市場/明神丸⇒(牧野植物園)⇒ホテル~居酒屋 三郷

2022年11月29日(火)

高知龍馬空港⇒ひろめ市場/明神丸⇒(牧野植物園)⇒ホテル~居酒屋三郷

   アーケードに翻る坂本龍馬。これを見ると「高知に来たなぁ」と実感する。  

 

"土佐カツオ"に舌鼓を打ち、おいしかったねーと言いながら

車を停めたひろめ市場の屋上に出ると。

相変わらずの雨模様。

いつもなら、まさにこのタイミングで太陽が顔を出すところだが

今回ばかりは、待ってましたとばかり雨脚が強まってくる。

しかたない。雨でも楽しめそうな近場のスポットをチェックしてみると

車で15分ほどの所に「高知県立牧野植物園」が。

温室もあるようだし多少の雨でも大丈夫だろう、と市の東・五台山を目指す。

刻々と強まる雨のなか、一方通行のくねくね道を警戒しいしい登ってゆき

なんとか植物園前の駐車場へと辿り着いた。

 

強い雨にも関わらず、大型バスが何台も停車しており

大勢の観光客が傘や雨合羽で身を固め、続々と植物館の入口へと向かっている。

思ったよりずっとメジャーな観光スポットらしい。

じゃあ、俺たちも行ってみるか・・。

相方と目を見交わすものの、どちらも率先して出る気にはなれない。

なぜなら、激しい雨に風まで加わり、空もどんより鉛色。

どう考えても植物園向きの天気ではなかったからだ。

車窓を叩く大粒の雨を眺めること、しばし。

どちらからともなく、呟いた。

ーーやっぱ、やめとこう。

 

せっかく、スケジュールに縛られない自由旅行なのだ。

こういうときこそフレキシブルに対応しないと、フリーにした意味がない。

きっと今回は"縁がなかった"のだ。

そう心を決め、植物園の入口を通り過ぎて、高知市内へ戻り

今日から3連泊する予定の、高知グリーンホテルはりやま橋へと直行。

チェックインまでは1時間以上あったが、フロントにお願いして駐車場に車をイン。

時間つぶし&雨宿りを兼ねて、繁華街(アーケード街)をぶらつくことに。

3年前に訪れた記憶を掘り起こしながら、日曜市が開かれる大通りや

坂本龍馬の巨大垂れ幕が目を引くアーケードを行き来した。

 

そのなかでも強く印象に残ったのが、オーテピア高知図書館。

きっかけは、ちょっとトイレに・・という別の目的ながら

実際に入ってみると、最新のトイレはもちろんあらゆる施設がピッカピカ。

オシャレな雰囲気に加え、蔵書の充実ぶりもハンパない。

しかも、平日は夜8時まで開いている。

"あぁ、こんな図書館が近くにあったらなぁ!"

書架の間を歩きながら、叶わぬ望みをボヤいていた。

 

      今回の旅で最も"羨望の念"に襲われた、高知図書館。

     特設コーナーも充実。そこらの書店より居心地よさそう。

 

15時過ぎ、ホテルに取って返し、改めてチェックイン。

破格の激安ツアー(3泊4日レンタカー付で総額4万円未満!)だけあって

ツインながらも部屋は狭く、むろんトイレはユニットバス形式。

おまけに禁煙ルームにも関わらず、煙草の匂いが強く籠っており

毎回部屋に入るたび、思わず息を止めてしまうほどだった。

それでも、往復の飛行機代にもならないんだから仕方ないよ。

と、文句のひとつも言わずに耐えてしまうのが"昭和のふたり"だったりする。

※ダメ元で部屋の変更を申し出ておけばよかった。

 次回からは心がけるようにしよう。

 

ともあれ、外は相変わらずの雨降り。

初日からお店巡りを楽しむような柄でもない。

ここは晩飯までのんびりしようと、2時間近くベッドに入って読書など。

18時が近づくと、バっと飛び起き

あらかじめ目を付けておいた「今夜のお食事処」へ、いそいそ向かった。

今回最初の夕食に選んだのは、ホテルから歩いて数分の居酒屋 三郷(みさと)。

新鮮な海の幸が格安で提供され、満席で入れないこともザラだというので

開店時間の18時前から店先で待機。

ノレンに明かりがともると同時に入店し、まんまと最奥の座敷席をゲットする。

 

    (早くも)この旅イチバン1の夕食処・三郷。・・ああ、また行きたい。

      席について撮った1枚。この後、カメラの存在を全忘却する。

 

で、どんな料理を食べたかというと。

どうやら、最初のひと皿から「うまいうまい!」の興奮状態になったらしく

写真に撮ることをきれいさっぱり忘れてしまった。

なので、うろ覚えのところもあるが・・こんなラインナップだったと思う。

〇(何かの焼き魚?)

〇土佐巻き

〇気まぐれサラダ

〇だし巻き卵

〇長芋そうめん

間違いなく言えるのは、どれも期待以上の味だったこと。

(シメに食べた長芋そうめんの感動的な食感は、今でもはっきり覚えている)

お酒も、二杯目は「ダバダ火振り」(栗焼酎)で、これまた感激。

もちろん会計も激安としか言いようがなく

どうして三日続けてこの店にしなかったのか、今でも後悔しきりである。

※ただ、これまでの旅の経験で言えば

 「感激した店に続けて行っても、決して最初を超えることはない」

 という歴然たる事実を、幾度となく身を持って確認しているからなぁ。

 その苦い経験が刻み込まれていもんで、どうしても連荘する気になれず

 「もっと他に感激できる店があるに違いない!」と

 "初物ハンティング"にチャレンジしてしまう。

 結果かなりの高確率で、感激ではなく落胆と後悔にまみれるーーという流れに。

 バカは死んでも治らない。

 それでも、なお〈未知の感動〉を求めるのが、旅人の性なのだ。

 

     夕食後。はっ・・!と(カメラを)思い出し、看板に向ける。

 

なにを気取ってんのやら。

とにもかくにも、珍しくも雨にたたられた高知の初日。

だが、それを補って余りある、大充実の昼&夕食であった。

 

   夕食後だけど、まだ7時半。ほろ酔い気分で盛り場の路地をぶらぶら。

 

ではでは、またね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無敵の鰹塩たたき(旬) 高知ふたり旅 2022.11.29-12.2 1日目➀ 羽田空港🛫高知龍馬空港⇒ひろめ市場/明神丸

2022年11月29日(火)羽田空港高知龍馬空港⇒ひろめ市場(明神丸)

    羽田は晴れたので、今回も「天気は大丈夫!」と楽観したのだが・・

 

晴れ男&晴れ女コンビの「ふたり旅」にしては珍しく

大雨と遭遇した(それでも肝心な時は晴れた!)高知の旅。

前回(19年3月)は、数十年ぶりの四国上陸とあって

高知市四万十川(中村)→道後温泉(松山)という駆け足ルートだったが

今回は印象深かった高知県内を重点的に周遊しようという計画にした。

そのぶん4日間の行動は、天候を考慮しつつもきっちりかっちり組み上げたのだが・・

初日からまさかの土砂降りを喰らってしまい

文字通り、水の泡と化してしまったのだ。

 

出だしはそれほど悪くなかった。

自宅から徒歩10分の停留所から朝6時30分始発のリムジンバスに乗り込み

曇りがちながら時折青空が広がる羽田空港第一ターミナルに到着。

すぐにチェックイン&持ち物検査を済ませ

無料ラウンジで離着陸する飛行機を眺めながら、搭乗までの2時間近くを過ごす。

定刻930発のJAL493便で、1050高知龍馬空港に着いた。

ところが、このあたりから「予定」が狂い始める。

 

    離陸後しばらくは、雲間に見えるベイブリッジ?を撮ったりしてたが。

 

         高知龍馬空港。うたた的には"まさか"の本降り。

 

最近5~6年の"通例"に従えば

天気予報は雨模様だったけど、やっぱ晴れたね!

など、自分たちの強運を誇りながら到着ロビーへ向かうのだが

今回ばかりは羽田(晴天)⇒高知(本降り)と、文句なしの"下り坂"。

いい気になって旅行にうつつを抜かしていたものだから

気のいい天気神?も「これ以上面倒見切れん」と、匙を投げたのかもしれない。

※事実、2週間後の宮古島旅行も、やっぱり雨にたたられた。

 当分の間は、雨天を想定した旅行スケジュールを立てたほうが良さそうだ。

 

しょーもないお天気話はこのくらいにして、旅の記録を続けよう。

事前に調べたところでは、高知市の天気は「曇ときどき雨」。

だが、レンタカー店で車の手続きをするうちにも、雨は徐々に激しさを増し

とりあえず高知市内へ・・と高速道に上がるころには、完全な本降りになっていた。

これでは初日に想定していた『祖谷渓ドライブ』など、絶対無理。

ただでさえ慣れない車種のレンタカーで、行ったことのない渓谷の道を走るのだ。

雨でろくに見通しが効かない状況下でのドライブなど、自殺行為にも等しい。

 

てなわけで、高知の旅第1日目の旅程は大幅に縮小。

とにかく市内(具体的には車を停めやすい「ひろめ市場」)で、見物がてら昼ごはん。

あとの行動は、天気次第で決めていこうーーということになった。

 

安全運転を心がけつつ、自動車専用道路(無料)で高知市内近くまで北上。

小一時間ほどかけて、はりまや橋の交差点を通過。

カーナビ(スマホ)とにらめっこしながら、一方通行の道をぐるぐる回った末

どうにか、ひろめ市場2階の駐車場に車を収めることに成功した。

やれやれ。

これだけで一仕事終えたような気分で、隅の階段を降りて市場内へ向かう。

 

     3年半ぶりのひろめ市場。「たっすいがは、いかん!」が懐かしい。

      2~3割程度の込み具合。なんだかちょっと淋しいぞ。

 

時刻はちょうどお昼を過ぎたあたり。

なんか・・思ったより空いている。

良く見ると、半分近くの店がシャッターを下ろしたままだ。

平日の昼だから? それとも雨のせい?

前回(三年前)訪れたときは、空席を探す気になれないほど混雑していたのに。

(土曜の夜7時過ぎというピークだったからかもしれないけど)

      

どこか拍子抜けしたような気分で、営業中の店舗を見て回り

細長いテーブルが幾重にも並ぶ空席だらけの客席エリアのなかでも

ひときわ華やかな鰹料理店「明神丸」の正面に座る。

目当てはもちろん、高知名物「カツオのタタキ」。

特にこの時期(11月)は、美味しいと言われる「初ガツオ」「戻りガツオ」のうち

「戻りガツオ」が獲れる、願ってもないシーズンなのだった。

 

        昼飯はもちろん、明神丸の「鰹塩たたき丼」!

      豪快な「藁焼きパフォーマンス」も、どことなく控えめ。

 

いつもなら行列がつきものの「明神丸」だが、この時はほぼ待ち時間ゼロ。

ガラス越しに行なわれるパフォーマンス(鰹を藁の火であぶる)を眺めつつ、

「鰹の塩タタキ定食」と「鰹の握りずし」をオーダー。

(一般的な醤油ダレの他に、荒塩を振っただけの"塩タタキ"がこの店の自慢料理。

 雨のドライブで緊張したのか、腹が空いてないという相方は握りずしを選んだ)

 

   「鰹塩たたき丼」と「握りすし」。サイドメニューの天ぷらも買ってみた。

 

んで、実食。

つぶつぶの塩を載せた分厚いカツオの切り身を口の中に放り込み、噛み締める。

すっ・・と、背筋が伸びる。

正面を見ると、相方も目を丸くして、こちらを見ている。

・・・うまーーい!!!

時たまスーパーで購入する「カツオのたたき」の、あの独特の臭みがまったくない。

まるっきり違う魚のようだった。

 

これは、たまらん。

あとは無言で、ひたすら食べた。

食欲がないと言ってた相方もペロリと完食、なお物足りなさそうな・・。

ちょっと可哀想になって、ぶあつい切り身をひとつプレゼント。

 

  今回の旅で3回もお世話になった。目的はもちろん、カツオの塩たたき!

 

なんかもう、天気のことなんか、吹っ飛んでしまった。

こいつを食べただけで、今回の高地の旅は大成功!!

そう断言してもいいぐらいだった。

 

ではでは、またね。

『決戦! 大坂城』 葉室麟、木下昌輝、富樫倫太郎、乾緑郎、天野純希、冲方丁、伊東潤 /引用三昧 17冊目  

鳳凰記 葉室麟  秀頼が二条城で家康と対面してから、豊臣方と見られていた有力な大名が相次いで死んでいった。

二条城での会見が行われて間もない四月七日に寧々の義兄である浅野長政が江戸で没した。これを皮切りに、六月四日には関ヶ原合戦後、紀州九度山に配流されていた真田昌幸が亡くなり、同月十七日には秀吉子飼いの武将だった堀尾吉晴が出雲松江で死んだ。さらに二条城の会見で秀頼に付き添った加藤清正が肥後に帰国後、急逝した。

浅野長政真田昌幸堀尾吉晴はいずれも六十歳を過ぎた高齢であり、病による死であったかもしれない。だが、加藤清正はまだ五十歳だった。しかも二条城で秀頼に付き添う姿は壮健そのものだった。世間では、徳川方の手で毒殺されたのではないか、との噂が立った。[34]

 

日の本一の兵 木下昌輝 四 「まあ、小幡や織田有楽斎の糞ったれが大坂の軍師面してることを考えりゃ、真田左衛門佐が本物か偽物かなどささいなことかもな」

吐き捨てるように言ったのは幸村だった。淀君の信頼を得ている小幡景憲織田有楽斎は、関ヶ原では徳川方として活躍したことを知らぬ者はいない。徳川の間諜であることは明らかだが、恐怖と興奮で我を失った大坂の主将たちはそれに気づかない。[76]            

 

 実は戦さ場で、脱糞や失禁は珍しいことではない。極限の戦闘状態におかれると、下半身が緩むのは当然の生理現象である。ただ、したと公言しないだけだ。[83]                               

 

十万両を食う 富樫倫太郎 

赤米は、大唐米とも言われる外来種の米である。小粒で味が悪く、全体に赤みを帯びているので赤米と呼ばれるのだ。米市に持ち込まれる米としては最下等で、値段が安く、炊くと量が増えるので裏店-うらだな住まいの貧乏人の常用食と言っていい。[108]

大唐米に限らず、米は何年も寝かせておくと少しずつ赤っぽくなるので、単に味の悪い古米を赤米と呼ぶこともある。要するに、赤米と言えば、値段の安さだけが売りの、まずい米の代名詞なのである。[110]

 

五霊戦鬼 乾緑郎 一 

奉公構(ほうこうかまい)とは、出奔した家臣を、他家が召し抱えないよう回状を出すことである。刑罰としては切腹に次ぐもので、これを出された者は他家への仕官がままならず、場合によっては奉公先を見つけられずに野垂れ死ぬことになる。[161] 

 

ここまでで、折り返し点の少し前あたり。

もっと&ちゃんと読みたい方は、元本を入手していただきたい。

ウンチク部分のみのピックアップだが

肝心の物語も、すこぶる面白かった。

当たり前のことだが、魅力のある作品しか紹介していない。

 

ではでは、またね。

ぶんぶ、ばんばってー 『君が夏を走らせる』瀬尾まいこ 周回遅れの文庫Rock

本作の主人公は、あの太田クン。

そう、前作『あと少し、もう少し』で圧倒的な存在感を示し

個人的にはダントツのMVPに輝いた不良中学生だ。

そんな彼が、高校生になり、再びスポットライトを浴びた。

ーーとなれば当然

「こいつは高校駅伝の話に違いない

きっと今回も、ひょんなことで襷を受け取っちまうんだ」

などと勝手にストーリーを想定し、勝手に期待して読み始めたのだが・・

(解説・後書きなどの事前情報は極力インプットしない主義)

 

なんと、あの大田が、ひと夏の間。

2歳少前の女の子を「子守り」するお話なのだ。

それでも、前作のあの感動を引きずっていたこともあり

「おそらく、この"子守り体験"をきっかけ、もう一度走ることになるのだな」

と、速やかなる"駅伝ストーリー"への移行を期待していたけれど

いつまでたっても、そんな気配は漂ってこない。

 

そのいっぽうで、もう一人の主人公。

御年1歳10か月の幼女・鈴香は、太田をもしのぐ強烈な個性(言動)を連発。

圧倒的リアリティを武器に、"この先どうなるのだ?"という期待感を盛り上げてゆく。

だいいち、本来面倒を見る立場の太田にしたって16歳の高校二年生。

「親」というより「お兄ちゃん」の方が近い年代なのだった。

 

そんなわけで、一人の幼女と一人のガキが真正面から激突する本作品は

よくある〈育児(子守り)もの〉とは一線を画す

『高校生子守り奮闘記』とでも呼びたくなる新ジャンルを確立してみせたのだ。

さらに前作を期待して手に取った読者に対しては、"2年後の中学駅伝部?"を登場。

心躍るレースシーンを用意してくれる。

おまけに最終的には、前作『あと少し、もう少し』と同様

ある体験(前作は駅伝、本作は子守り)を通じて、若者が精神的な成長を遂げる。

ーーという"青春小説の王道"までも、余すところなく描いてくれるのだから

読み終えた後の満足感も、文句のつけようがない。

 

なーんて、偉そうな分析ごっこをやらかしてみたけど

通ぶった理屈など一撃で葬る《本作最大の魅力》といえばーー

1歳10~11か月の幼女・鈴香が繰り広げる

手に負えない(だが子育て経験者なら誰もが共感することばかり)言動の数々と

その手に負えなさを軽々と凌駕する、魔力的なまでの"可愛らしさ"に尽きる。

なかでも彼女が、ろくに回らぬ舌で発する〈名言〉には

うたたの硬く閉まった涙栓すら、あっさり緩めてしまうのだから

これにはもう、参った! と白旗を掲げるしかない。

※タイトルに挙げた意味不明の言葉「ぶんぶー」と「ばんばってー」も

 そんな"鈴香語録"の白眉ともいえるもの。

 ぜひ作品の読了後に、改めて噛み締めていただきたい。

 

とにもかくにも、止まらぬ咳発作をものともせず

一晩で読み切らずにはいられなかった本作は

数カ月ぶりに"物語を読む喜び"を体験させてもらえた

〈恩人〉ならぬ〈恩本〉なのだった。

 

ではでは、またね。

きっと走りたくなる 『あと少し、もう少し』瀬尾まいこ 周回遅れの文庫Rock

いままで読んだ瀬尾作品(『そして、バトンは渡された』を含む)の中では

本作がいちばん楽しく読めた。

長引く乾燥にやられたのか、それとも新型コロナに感染したのか

一晩中咳が止まらないという最悪の状況下にありながら

ページを繰る手がとめられず、結局明け方まで読み通してしまったのだから。

 

あらすじ自体は、ある意味「学生スポーツものの王道」をなぞっている。

学駅伝の県予選に出場するメンバーがなかなか揃わず

おまけに新任の顧問は駅伝初心者の美術教師。

それでも、どうにかこうにか"問題児"ばかりの寄せ集めチームを結成。

様々な難関苦難を乗り越え、県大会出場を目ざすというものだ。

一言でいえば『風が強く吹いている』(三浦しをん)の"中学生版"と言えるだろう。

しかし、目指す目標が箱根駅伝ではなく〈県大会出場〉というところが

本作のリアリティを、一気に引き上げてくれた。

 

加えて、登場人物ひとりひとりのキャラクターが際立っている。

バトンをつなぐ6人のうち、正規の陸上部員は2人のみ。

それ以外は元いじめられっ子、不良、頼みを断れないお調子者、ブライドの高い変人と

すんなり走ってくれるとは思えない"ワケあり人材"ばかりなのだ。

なかでも目立っているのが、小学生の頃から髪を金色に染め

タバコを吹かして授業をサボリまくる、太田クン。

だが、この圧倒的な"不良オーラ"を放っていたはずの太田が

どんどん可愛く&愛しくなってくるから、たまらない。

それも、よくある"スポコンもの"の定番パターンのように

「心を入れ替えた!」とか「生まれ変わった!」的なご都合主義に頼らず

一人の若者の内面をしっかり描くことで、徐々に立ち上がらせていく。

そこには、『そして、バトンは渡された』に顔を覗かせていた

"そう・・実はみんないい人だったんです"みたいな他人任せなおとぎ話とは違う

"自らの力で立ち向かっていく"人間の姿が、くっきり描き出されているのだ。

ーーなんて、偉そうに分析してみせたけど。

要するに、題材自体が、自分が頑張るしかないスポーツ(駅伝)だから

おのずと〈己自身との対峙〉を描くことになったのかもしれないが。

(著者の教員体験も彼らのリアリティを支えているのかな)

 

ともあれ、これまで瀬尾作品に"なーんか話が上手く行き過ぎて、嘘臭くない?"と

物足りない想いを抱いていたのが、本作であっさり吹き飛ばされてしまった。

という裏表紙の謳い文句のように「涙が止まらない」ことにはならず

正直、一滴の涙も浮かべることはなかったが(咳のせい?)

最後のひと言「傑作青春小説」には、もろ手を挙げて賛同したい。

 

てなわけで、あとは恒例の〈引用祭り〉。

 

中学校でやることに必要なのは、能力じゃない。嘘みたいだけど、努力だ。やる気や根気やチームワークや地道な努力が、勝敗を決める。どのスポーツだって、定期テストだって合唱祭だってそうだけど、なかでも駅伝はその要素が強い。毎年勝ち進むのは天才がいるチームじゃない。速くなろうと努力しているやつが多いチームだ。

ただ、根性のあるやちつを集めたり、全員に努力を強いたりするのは難しい。どうやってそれをやるのか。手っ取り早いのは強い指導者の存在だ。中学生のおれたちはまだまだ子どもだから、脅されて強制されてびびりながやっていくうちにものになる。7p

 

学校という場で、僕たちはすぐにランクがつけられる。それは成績や背の順じゃなくて、性格の良いやつが上というわけでもない。何で計られるのかは不明だけれど、同じ教室の中で一緒に生活している間に、自然と順位か決まっていく。そして、誰かがランキングを発表するわけでもないのに、みんなそれを意識している。ランクが上の人間は、掃除をサボっても何も言われないし、忘れ物をすれば誰かがすぐに貸してくれる。失敗しても笑いになって教室は盛り上がり、少しの親切で大いに感謝される。ランクの低い人間は、掃除をサボるなんてとんでもない。面倒な仕事が当たり前のように回ってきて、失敗なんてしようものなら教室からはため息が漏れる。15p

 

「昔、先生が言ってたんだ。中学校っていくら失敗してもいい場所なんだって。人間関係でも勉強でもなんだって好きなだけ失敗したらいいって。こんなにやり直しがききやすい場所は滅多にないから。」122p

 

渡部に正しいと言ってもらえた。それで十分だった。俺のブライトなんていくらでも折り曲げられる。そもそもプライドなんて中学生には必要ないし、いくらでも曲げ伸ばしできてこそ、本当のブライドってものだ。168p  

 

ではでは、またね。

『いきたくないのに出かけていく』角田 光代 /引用三昧 16冊目  

前作『大好きな町に用がある』の読後文(10月10&16日)と同様

思い当たることが多すぎて、終始"ひとりヘッドバンキング"していた。

「読書Rock」を書いたところで同じ内容を繰り返すだけなので

激しく共感した箇所のみピックアップする。       

 

たくさん持っていた、と信じていたころ バルセロナをはじめて旅したとき、私は二十七歳だった。二十七歳のいかにもびくついた旅行者なら、後をつけたくなる不届き者もいるだろう。一日の終わりに、毎日残金の計算をしていたくらいだから、当然、テーブルにクロスの敷いてあるレストランなどは入れなかった。ただでさえ手持ちが心許-こころもとないお金を、一ペセタだって盗られたくなかったし、だまされたくなかった。盗られたら困るのだと心底信じていた。だから今よりずっとこわかったのだ。治安のよくない、暗い影の落ちる地域がある場所を、盗られまい、なくすまい、だまされまい、困るまい、と緊張して歩いたのだから、なおのこと町も路地も人も、こわく見えただろう。もうじき五十歳の私が町を歩いていても、後をつける男はいないし、すれ違いざまからかいの言葉をかけてくる若者もいない。五百円でも安い宿をさがさなくてもいいし、その安宿の鍵-かぎが壊されないかびくつくこともない。[12]

 

いきたくないのに出かけていく インドを旅した人がぜったいに言うことが、また、インド関連本でぜったいに書かれていることがひとつある。「価値観が変わる」、というのがそれ。人生観、価値観、死生観、呼び名はどうであれ、それまで漠然と抱いていた自身の基準のようなものが、みごとに粉々になる。そんなようなことが書かれている。そんなふうに共通して言われたり書かれたりしているのはインドだけだ。そしてそれこそが、私がインドを避けていた理由である。[21]

 

ブッダの歩いた道 

はじめていく場所はたいていそうなのだが、しかしインドは、「どうなるかわからない」感がほかの異国より断然強烈だ。たいていの人は、日常的秩序を無意識に信じて過ごしている。〇〇いきのバス停を見つけれは、そこにバスがくると信じて待ち、時刻どおりにこなくても遅れているのだろうと推測して待ち、やっとバスがくれば、それは〇〇にいくと信じて乗りこむ。そういう日常的な秩序が、インドではなんだかまったく通用しないと、空港に着いたとたんに肌で感じるのである。だからこわい。[29]            

結局二十数年の旅体験による、物乞い問題の私の折り合い点は「平等にだれにも何も渡さない」である。ここに至るには、ものすごく長く苦しい思考と言い訳があるが、そんなものは折り合い点の前には不必要だ。とにかく私は何もあげない。[30]

 

書かれ続ける理由 今までどのくらい「祈る人たち」を見てきたんだろう、と、ふと思った。旅に出ると私はかならずその町の宗教施設にいく。聖地と呼ばれるところがあれば聖地にいく。信心深い国の宗教施設は日常的に混んでいる。聖地は非日常的だが毎日混んでいる。スリランカのスリーパーダとカタラガマ、メキシコのグアダルーペ寺院、ミャンマーのゴールデンロック、リトアニア十字架の丘サンティアゴ・コンポステーラの聖堂と、ついつい今までいった聖地を数え上げてしまう。私は自分をずっと聖地好きだと思っていたが、好きなのは祈る人の姿なのかもしれない、と思えてくる。[34]                 

 

私を含まない町 私はこの「完璧に含まれていない」感覚が意外に好きだと気づいた。まったくの用なし、まったくの部外者、そもそも、用事がひとつもなければ、ここにいなかったはずの人間、見なかったはずの景色。そう思うと、軽く酩酊したような気分になる。その酩酊が心地いい。[42]

 

小説と歩く 未知の土地を、小説を手に旅するのもいいけれど、かつて旅した場所を、読むことでさらに濃く旅するのもおもしろいのだと知った。旅して言葉にならなかった感覚が、やっと理解できることもある。あのとき感じた奇妙さはただしかったんだと無闇にうれしくなったりもする。[71]

 

恒例化の謎 なぜ人は、加齢すると旅を含めてものごとを恒例化しようとするのだろう? かなり真剣に考えてしまった。

それは人生の時間と関係がある気がする。人生において、もっとたくさん知る時間がある、ということと、たくさん知っている時間はもうない、ということの、単純な違い。それに加えて、来年も再来年も、今と同じ状態でいたいという願望と、そんなに永久にはくり返せないという安堵にも似た諦観が、恒例化には関係しているように思う。[99]             

 

ここまでで、折り返し点の少し前あたり。

もっと&ちゃんと読みたいなら、元本を手に取っていただきたい。

少なくとも"旅が好き"と自認する方であれば

ときおり本を閉じ、まなざしを宙に漂わせることだろう。

 

ではでは、またね。

唯一の心残りは『銀の匙』 帯広ふたり旅 2022.10.26-29 4日目(3)緑ヶ丘公園⇒帯広競馬場⇒とかち帯広空港🛫羽田空港⇒自宅

2022年10月29日(土) 

六花亭本店⇒緑ヶ丘公園⇒帯広競馬場とかち帯広空港羽田空港⇒自宅

    ごめん八軒! 前もって知ってたら、予定に組み込んでたのに・・

 

桜の名所で知られる散歩道を抜けると、なにやらケモノの気配が漂ってきた。

路肩の行き先案内板を見ると、帯広動物園の文字。

野鳥、エゾリスに続く"動物尽くし"で立ち寄りたい気もしたが

いかんせん、残り時間が・・・。

余裕を持ってばんえい競馬の第一レースを観戦するには

30分以内に駐車場まで戻っておきたかった

 

        まったくもう。こんな写真撮ってるヒマがあったら・・

       多摩子さんにも叱られる。「あなたは肝心なツメが甘い!」

 

帯広動物園のゲートに背を向け、180度方向転換。

美術館に続くプロムナードを北上し、そのまま通り過ぎようと思ったら。

入口フロアに、見覚えあるキャラクターの全身像が立っていた。

近づいて確かめると、荒川弘の『銀の匙 Silver Spoon展』が開催中だったのだ。

ーーああっ、これは観たい!・・だけど、ばんえい競馬も。

 

         大急ぎでショップを回り、記念に記録する。

        個人的なベストは、こちらの「校長Tシャツ」。

    サイン入りパネルも販売中。危うくクレジットカードを出すところだった。

 

それでも誘惑に抗い切れず、チケットカウンター前の売店エリアひと回り。

記念に"豚丼五人衆"が描かれた「ginsaji特製チケットケース」を購入し

(心の中で)泣く泣く美術館を後にする。

 

あとは駐車場まで一直線。

車に乗ってしまえば、ものの数分で帯広競馬場前に到着。

第一レース出走の10分前には、正面観客席でスタンバイできた。

 

     前回の旅では叶わなかった「生ばんえい競馬」をリベンジだ!

         場内はすっかりハロウィーン・モード。

           いよいよ、"生ばんえい競馬"が始まる。

             各馬、一斉にスタート!

            最大の難所を全力で乗り越える!       

  

銀の匙』はもちろん、前回入った「馬の資料館」でレースの映像を観ていたので

実際のレース観戦は、"初体験"というより確認に近かった。

なので安易に「驚いた」「感動した」みたいな感想は書きたくない。

ただ、現場ならではの新鮮な体験は味わえた。

それは、観客席に座ったとき、目の前に広がる空の大きさ。

対面するコースの向こうに高い人工物がひとつもなく、やたら見通しがいいのだ。

実際、レースの前後は、青い空と白い雲ばかり眺めていた気がする。

 

        遮るもののない十勝の空。またここに来ようと心に決める。

 

で、観戦開始からおよそ30分。

第二レースが終わった頃、どちらからともなく声が出る。

ーーそろそろ空港に向かおうか。

予定では、第四レースまで見終えてから、空港方面へ向かうつもりでいた。

だが、ふたりとも馬券を買わずにいたので、もう充分・・という気分だったのだ。

加えてまだ3時半だというのに、空はすっかり夕暮れ模様。

観客席に座っているだけで、じっとしていられない寒さである。

早々に切り上げ、駐車場へと逃げ帰る。

 

       単なる駐車場の空を、こんなに美しいと感じたことはない。

         いざ、暗くなる前にレンタカー店へ!

         夕景の美しさに、何度となくシャッターを切る

        誰もがプロカメラマンになれそうな、十勝の夕暮れ。

 

その後は、刻々と迫る夕闇の下。

例によって街灯どころか路肩表示もない真っ暗な道を、そろそろと南下。

途中ガソリンスタンドで満タンにして、レンタカー店に到着。

離陸時間の2時間以上前、15時ジャストにチェックインを終える。

あとは、2階レストランで豚丼を食べたり、売店をぶらついたり。

予定通り1910発2055羽田空港着のADO068便で、帰途につくことができた。

 

         すきっ腹を抱え、空港内のぶた丼店へ直行

      インディアンカレーに始まり、ぶた丼で締めた帯広の旅。

 

思えば、出発前日にやらかした《痛恨のキャンセルクリック》に始まり

なかばヤケクソで7万円払って、羽田⇔帯広往復航空券を再購入。

結局、予約時の倍額で決行した「帯広4日間」の旅なのだが

帰宅したときの率直な感想は、ただひとこと。

ーー諦めなくてよかった!!

 

             眼下に延びるアクアライン

 

こじゃれたカード会社のCMに

「(感動は?)プライスレス」みたいな台詞があったけど

まさしく、それだ。

お金じゃ買えない感動を、いっばい得ることができた。

しかも、前回の札幌旅行から1カ月しか経たない帯広ツアーのおかげで

北海道に行くなら、道東(地方)を目指せ!

という確信が、出来上がった。

 

なので、今年の春~秋の北海道旅行は、札幌など大都会は避け

可能な限りローカルなルートで攻めたいと思う。

もちろん、時間と金が許せば・・だけど。

 

ともあれ、22年10月末の十勝旅行記録は、ようやくこれで完了。

次は11月29日~12月2日の「高知の旅」だ!

 

ではでは、またね。